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おくたん  作者: カトラス
3/5

ROUND3

続きです

ROUND 3 

           ◇

 毎週日曜日はエッセイの仕事の打ち合わせだった。場所は家事の都合上、いつも近くのカフェにしてもらっている。ちなみにエッセイは本名の神津郷子の名前で連載している。苗字が違うのは夫婦別姓を選択したからだ。

「あら、花粉症?」

 編集の松下さんに聞かれた。五歳ぐらい年上の女性編集者だが友達のように仲良くしてもらっている。

「ええ、今年はひどくって薬なしじゃだめなんだ。」

 水をもらって薬を飲んだ。去年からついに花粉症デビューになってしまった。花粉症の二年目はひどいというけどその通りで、今年は本当にひどい。朝と寝る前に薬を飲まないと外にも出られないほどだった。

「大変ね。私はないからありがたいわ。」

「えー本当ですか?松下さん、うらやましい。」

「そうだ。今度花粉症のこと書いてみたら。」

「あ、それいいかも。」

 エッセイのネタなどそんなものだ。雑談の中で生まれてくる。

「あれ?」松下さんがふと驚いた顔になった。「あれ、神津さんのご主人さんじゃない?」

「え?」そう言われて窓を見ると、たしかに夫が通り過ぎていくのが見えた。

「どこかに遊びにいくのかな。」

 今日は夫の休みの日だ。そんなこともあるだろう。その時は特に気にならなかった。

 その夜。

「そういえば今日、どこか遊びに行ってたの。見かけたけど。」

 夕食も終わり、いつものようにミステリーを読んでいる夫に聞いてみた。

「あ、ああ、そういえばパチンコに出かけたんだ。すっちゃったけど。」

「ふうん。」

 確かに夫はたまにパチンコに行くけど。そう思って夫を見ると。やっぱり。

 ドヤ眉がヒクヒク動いていた。

              ◇

 翌週。同じカフェ。

「怪しいじゃん、ご主人さん。」松下さんがいかにもといった感じでわたしを見る。その視線にばつの悪い思いをしながら原稿を松下さんに渡した。

「はい、ご苦労様。」と松下さんは原稿に目を通す。「いい内容だわ。女性の共感を得られそう。」

「ありがとう、松下さん。」

「こちらこそ。もっと郷子さんには腕をふるってもらわなきゃ…あら?」

「どうしたんですか?」わたしの問いに松下さんは窓を指差す。

「あれ、神津さんのご主人…だよね。」

 窓を見た。先週と同じように夫が通り過ぎていった。

「あ、あの松下さん…。」

「いいよ。いってらっしゃい。」

 松下さんは手を振った。意外にアネゴ肌なのだ。

 わたしは夫の後をついていく。今日の夫は何かひどくそわそわしていた。時々後ろを振り返って周りを見る。その度に物陰に隠れないといけなかった。

…ますますあやしい。

 疑惑もあったが興奮もしていた。推理小説のように尾行をするなんて思いもよらなかったからだ。しかも相手はあの海藤龍範だ。相手にとって不足はなかった。

 不意に夫がパチンコ店に飛び込んだ。わたしも慌てて同じ店に入ろうとする。自動ドアが開いた途端大音量の音楽が耳に雪崩れこんできた。耳を塞ぎながら周りを見渡すが夫の姿はない。その後もしばらく探しまわったが見つからなかった。

 夜、悩んだが夫にその話はしなかった。夫に嫉妬深いと思われるのが嫌だったからだ。

「あのさ。」急に本から顔を上げて夫が聞いた。「新しいスーツが欲しいんだけどいいかな?」

「新しいスーツ?」

 どうして?とは聞かなかった。夫が何かを買いたいなんてめったに無いから。よっぽど無茶苦茶な要求じゃなければ理由は聞かずに了解していた。スーツは仕事に必要だから無茶ではない。でも今は悔しかった。夫はわたしがそう言うだろうと知ってて言っているからだ。

「いいわよ。好きにしたら。」

 嫌味たっぷりに言うぐらいしかわたしにはできなかった。

              ◇

 さらに翌週。

「それ絶対浮気よ。100%確実だって。」

 松下さんは興奮気味にしゃべってから、不意に我に返った。

「ごめんなさい。勝手なことばかり言っちゃって。」

「いいのよ。確かに怪しいんだから。」

 今日は夫のシッポを掴んでやる気まんまんだった。

「それにしても旦那さん、神津さんが疑っているのを知っているのでしょう。だったらしばらくはほとぼりを冷ますんじゃないの。」

「それが違うの。」

 夫はわたしがやっきになればなるほど燃え上がるタイプ。だから絶対にやめることなんてないわ。これは断言できた。

「ほんとだ。」

 松下さんが指差す。夫を発見。しかも新調したスーツをちゃっかり着ているなんて。

「私、行きます。」

 気合を入れてカフェを飛び出した。今日こそとっちめてやる。

 今日の夫もキョロキョロと後ろを気にしている。しかしわたしも先週とは違う。あれから探偵本を何度も読んで尾行の仕方は勉強した。しかし今回は前のようなワクワク感はない。怒りの方が勝っていた。当然のように夫はパチンコ店に入る。続けてわたしも中に入る。予想はしていたが慣れない店内の中でやはり夫を見逃してしまった。

「同じ手にはひっかからないわよ。」

 わたしはスマホを見た。地図が表示されて赤い光の点が動いていた。

「ふふ…気づいてない。気づいてない。」

 この前、夫がお風呂に入っている間に夫のスマホにアプリをダウンロードしたのだ。これを起動させておくと特定のスマホに位置が表示されるようになっている。夫は機械オンチなので気づかないと思ったが大成功だった。

 赤い点はパチンコ店からそれほど遠くに行ってない。慌てて後を追う。赤い点が止まった。どうやらビルの前にいるらしい。近くの電柱からビルを覗いてみた。

 頭をハンマーで殴られたような衝撃をうけた。

 ビルの一階のお店で夫がきれいな女性と楽しそうに水着を選んでいた。

            ◇

「ただいまー。」と夫の声が聞こえた。

「どうした。具合でも悪いのか。」

 出迎えたわたしを夫が不思議そうに見る。こいつ。お前のせいだと文句を言おうとした。

「ほら、郷子の好きなポアロのケーキだぞ。並んで買ってきたんだ。」

 ケーキ!わたしの両耳がピクピクッと動いた。ケースに飛びつくとフタを開けてみる。

「わあ、イチゴショートだあ。」

 嫌なことが吹っ飛んだ。「お茶入れるね」とケーキの箱を持ってキッチンに向かう。フンフンフンとハミングしながらお茶の準備。夫も甘いものが大好きなのでショートケーキの数は半端ない。しかしそれ以上にケーキ好きなわたしにはかかってこいという感じだ。夫を見ると、いつものようにミステリーの本を開けながら楽しそうに待っていた。その屈託のない笑顔はわたしの心を温かくさせる。この笑顔が好きなんだよね。そして浮気をしている人がこんないい笑いができるのかしらとも思う。

…勘違いなのかな?

            ◇

「勘違いなわけないでしょ。」

 さらに翌週のカフェでのことである。

「浮気よ、浮気。きっちり証拠見つけて離婚するのよ。いいわね。」

 松下さんは息巻いている。たしか松下さんは十歳年下のご主人とすごい仲良いはずなんだけどな。なんでこんなにノリノリなんだろう。ある意味で。

「でもまだ決まったわけじゃないし。」

「決まってるわよ。女の人といたんでしょ。」

「うん。」

「じゃあ浮気じゃない。」松下さんは決めつけた。「いい。こういう時は弱腰になっちゃだめよ。しっかり証拠を掴んで突きつけなさい。慰謝料がっぽり取って別れるの。相手に地獄を見せてやるのよ。」

 松下さん、なんか嫌なことあったのかしら。松下さんが過激すぎてなんだか自分は夫の側へ寄ってしまう。

「わかった?証拠を掴むのよ、きっちり証拠をね。ほら旦那が来たわよ。行きなさい。」

「…はい。」

 なんか無理矢理背中を押されてしまった。なんか今日は調子狂うなあ。

 アプリのおかげもあってか尾行はスムーズに進んだ。最終的に夫はあるビルの前に立っていた。この前のお店があったビルではなく、少し古めいたビジネスビルのような造りだった。

「やっぱり来た。」

 この前いっしょにいた女性だ。きゅんと胸が痛む。夫は片手を上げてあいさつすると、連れ立ってビルの奥へと入っていった。気づかれないように入り口に向かう。テナントの名称を見て納得した。

「なるほど。カルチャークラブなんだ。」

 ビルの全て階がカルチャー教室になっていた。なるほど夫はここに通っていたのか。少し安心したがまだ油断はできない。彼女の顔が頭をよぎった。彼女と夫の関係を解明しなければならなかった。

「どの教室に入ったのか。」

 教室数は多かった。お花、お茶、書道からテーブルマジック、韓国語講座、俳句など多種多様のカルチャーを学ぶことができるみたい。受講している人も多いんじゃないか。この中から探さないといけない。夫の好みである程度絞り込めるとしても決定打が無かった。

…何かヒントは無いかしら。

 ミステリーの常道ではこういうときは今までの言動の中にヒントがあるものだ。しばらく考えてそして閃いた。

「そっか。スーツだ。」

 あの時、夫は「スーツを新調したい」を言っていた。これだ。わたしは入り口で確認するといったん外に出た。作戦を実行するためだった。

            ◆

 私は机に座っていた。昔学校にあったような懐かしい机だった。教科書を出し準備する。

「Hello!Mr.KAITO。」

 教室の事務員さんがやってきて声をかけた。

「お客さんですよ。」

 入り口に行くと郷子が立っていた。手にビニール袋を持っている。

「ご苦労様。はいこれ夜食ね。」

 ビニール袋に入ったおにぎりとお茶を受け取ると苦笑した。

「やっぱ見つかっちゃった?」

「当たり前じゃない。」郷子も笑顔で答える。「スーツ姿で受ける講座と言ったら英会話ぐらいでしょ。」

「おいおい。飛躍しすぎだよ。他にもいっぱいあるぜ。」

「たっちゃん、この前さ、『スーツを新調したい』って言ったじゃない。」

「うん、言った。それがどうして。」

「たっちゃんはいつもスーツのことは背広って言ってるんだよ。気づかなかった?」

「そう…だっけ?」

「そうよ。だから、ああ英語が使いたくなることをしているんだなって思ったのよ。スーツの発音も良かったしね。」

 翻訳家の奥さんはそう言って笑う。

「まいったな。降参だ。」

「言ってくれたらよかったのに。」

「ちょっと恥ずかしかったんだよ。上達しないと何か言われそうだったしさ。」

「言わないわよ、失礼ね。でもまあいいわ。じゃあ、がんばってね。」

 郷子は安心した様子で出て行った。それをみて私はほっと一息をついた。

「よし。気づかれなかったな。」 

 私は立ち上がると事務員さんに「後で来ます」と告げて教室を出た。エレベーターで一階上にあがる。そこにはエアロビクス教室の文字があった。

…そろそろ見つかる頃だと思ったからな。

 英会話は仕方ないけど、ダイエットのためにエアロビを始めたのを知られるのは恥ずかしい。

「あ、海藤さん。」中に入ると、インストラクターの先生が声をかけてきた。「預かり物があるんですが。」

「預かり物?」

 またビニールの袋だった。開けてみるとスポーツドリンク。そして手紙が入っていた。

『英会話教室だけであれだけTシャツの洗濯物が増えるわけないじゃない。帰ってくる時間も英会話だけじゃ長いようだし。もうひとつ受講しているのかなと思ったの。もしかしてと思って聞いてみたら大正解だったわ。今は一ヶ月の無料体験で来てるって聞いたけど、続けていいわよ。とってもいいことだし、最近、ちょっとだけどたっちゃんの体が引き締まったような気がしてるから嬉しいわ。がんばっているたっちゃんは大好きだからね。』

 かなわないなあ。郷子にはなんでもお見通しか。私は何度も手紙を読み返す。

 そして…うっしっし。ドヤ眉が上がった。

            ◆

 翌週。英会話教室。

「こんにちは。」「Hi!カイトー!」

 リサ先生が挨拶してくれた。ブロンド髪の欧風の顔立ちが美しい。私はウキウキ気分で教室に入った。今から先生の個人レッスンが始まる。最初、会社の命令で英会話に行くよう命じられたときは嫌々だった。たまたまエアロビクスの下で見つけた英会話の無料体験でリサ先生と出会った。しかも一対一の個人レッスンと聞いてすぐ申し込んだ。この一ヶ月でリサ先生ともずいぶん仲良くなった。先生もエアロビをやりたいというからいっしょにレオタードも見に行った。あとはうまく郷子を説得して続ける了解をもらうだけ。そう持っていくのにかなり苦労したけど、最終的にはうまくいった。

…あとは楽しいカルチャー生活さ。

 ガラリ。扉が開いた。あれ?入ってきたのはリサ先生ではなく、スキンヘッドの黒人の先生だった。アーミーのズボンにタンクトップ姿で腹筋が六つに割れているのが見えた。

「教員のゴンザレスです。海藤さんの奥さんよりご主人がスパルタ式でやってほしいとのことでしたので交替させていただきました。軍隊式でビシビシやりますんで、よろしく。」

 やられた。私はがっくり肩を落とした。目の前に勝利の微笑を浮かべた郷子の姿が浮かんだ。その郷子に向かって私は叫ぶ。

「アンビリバボー!!」

            ◇

 さらに翌週。

「あら、最近、ご主人の話を聞かないわね。」松下さんが言った。「あれから旦那はどうなのよ。今日とか、また女と会ってるわけ?」

「ぜーんぜん。家でゴロゴロしてるわよ。休日は休むもんだとか言っているわ。」

「ふうん。」松下さんはなんとなく納得してない感じで原稿を読む。「今回もいい感じじゃない。」

「ありがとう、松下さん。」

「ご主人の心配がなくなったせいかしら。」

「ええ。」私はにっこり笑った。「旦那は寝てるにかぎるわ。」

まだ続きます

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