ROUND2
続きです
ROUND 2
◆
十二時のチャイムが鳴った。昼の休憩の合図だ。昼の過ごし方は様々で事務員や作業員などは最上階の社員食堂で食事をするのだが、私などの技術職の社員はだいたい自分のデスクで食べていた。食べながら仕事をするためである。
「相変わらずの愛妻弁当はいいですなあ。」
隣の城戸が冷やかした。うるさい奴だ。あいつは独り身だからうらやましいのだろう。その証拠に今日も城戸の昼はカレーパンだった。気にせず私は弁当をデスクに置いた。それを見て城戸が二度びっくりする。
「海藤、なんかえらい少食だな。」
確かに私の弁当の大きさは体格に似合わず小さかった。
「健康診断で体重が上がってたんだよ。中性脂肪も上がってたからもう大変でさ。奥さんから厳しいダイエット命令が発令中。」
「大変だな。お前、根性無いからダイエットなんてできないだろう。」
「腹が減って文句を言う元気もないよ。」
「つまみぐいでもするのか。」
「ダメだ。郷子はしっかりしてるんだ。家中の食べ物はきっちり管理されていてつまみ食いは絶対不可能。」
「じゃあ買い食いだな。」
「それも絶対不可能。財布のお金は定期的にチェックされるからな。」
「うわあ、そこまでやるか。すごいな、お前んとこの奥さん。」
「はは…自慢の嫁だからな。」
「まあ、そういうことならあきらめろ。」
城戸は肩を叩いた。それを私は甘んじて受ける。
「冗談じゃないよ。」私はタコさんウィンナーを口に放り込んだ。うまい。
「だから燃えるんじゃないか。うっしっし。」
◇
今日は遅くなっちゃった。わたしは急いで玄関を開けた。「ただいまー」の声に「おーっす」と返事がある。そういえば夫は出張の振替で今日は休みだった。わたしは家事のかたわら執筆の仕事をしている。翻訳の仕事が主だがエッセイなども書いていた。今朝はその打ち合わせだったが、思いがけず長引いてしまい、慌てて戻ってきたのだ。
「ごめんね。すぐお昼を作るからね。」
わたしはエプロンをつけるとキッチンに立った。向かいのリビングでは夫がソファーでミステリーを読んでいた。
「別に慌ててないからゆっくりしてくれたらいいよ。」
顔も上げずに夫が答えた。あれ?
…余裕がある。
いつもなら、早く作れとは言わないけど、ご飯は何?とか台所に来るとか、邪魔(笑)していた。それが今日はない。怪しい。にんじんとジャガイモの下ごしらえをしながらそっと夫を見た。残念、本で顔が隠れて見えない。「たっちゃん」と思いきって声をかけてみた。「どうしたの」と夫が顔を上げる。
…やっぱり。
右眉がしっかりと上がっていた。ドヤ眉だ。
何かやっていると確信した。この状況下で隠し事といったらつまみ食いしかない。夫の体を思ってのことなのに、と腹が立った。こうなったら証拠を見つけてお説教してやる。
わたしは冷蔵庫から牛肉の固まり肉を取り出した。表面を触ってみる。解凍がもうちょっとかな。よし。もう少し解凍する間に調べよう。台所を離れるとまずは買い置きのお菓子を確認。ふむ。ちゃんと数は残っている。それにバレバレだしね。次は冷蔵庫の中。これも特に減っているようなものはない。じゃあお米は?米びつの中を見てみるが減っていない。 固まり肉の冷凍が解けたので、それをサイコロ状に切り分ける。フライパンにサラダ油をひいて強火で焼きはじめた。表面に焼き色がついて香ばしい匂いがキッチンに広がった。焼き上がったのを見計らって火を止めると鍋に肉を放り込んだ。
「たっちゃん、赤ワイン取って。」夫にお願いした。龍範は快く返事をして立ち上がるとリビングにあるワイン棚から一本取り出してキッチンに持ってきた。
「あ、あとたっちゃんの財布を見せて。」
もちろん疑惑は残っていた。次に考えられるのは買い食いだ。財布は時々チェックしてるけど今日はまだだった。
「いいよ。はい。」
素直に夫は財布を見せた。細かくは分からないがたぶん減っていない。すんなり見せたってことは手をつけてないのだろう。悔しい。まだドヤ眉が続いている。
鍋に赤ワインを入れて火を強めにする。沸騰してアルコールが飛ぶのまでに少し時間がかかった。その時間を利用する。実は確認したい場所があった。わたしは玄関に向かう。その脇の帽子掛けにかけてあった袋を取り出した。
『非常袋』
非常袋には当然非常食が入っている。わたしは中を調べてみた。非常用ごはん、缶詰、。、最初に何が入っていたかは自信が無いけど。
…でも、ごはんは減っているような気がする。
夫はごはん党だから。ただ…それだけかな。なぜか疑惑が晴れない。
キッチンに戻るとちょうど鍋が沸騰し始めていた。水を加え、ローリエの葉を落として弱火にする。この後、しばらく煮込まないといけない。その間に下ごしらえした野菜を炒めようとフライパンを熱したとき、わたしはあっと声を上げそうになった。
…フライパンが濡れていた。
肉を炒めようとした時にフライパンに水滴がついていた。そういえば鍋にも水がついていた。このフライパンも鍋も大きめなので、朝食の時は使わない。だから水がついているはずはない。となると、誰かが使ったということになる。もちろん夫だ。夫が何かを調理したに違いない。
炒めた野菜を鍋に入れてしばらく煮込む。柔らかくなった頃にデミグラスソースを加えた。ふわあといい匂いが辺りに広がった。
「お、いい感じじゃん。」
夫がキッチンにやってきて、クンクンと匂いを嗅いだ。食べているくせにと思うが、夫がおいしそうな顔をしてくれるのはやっぱりうれしい。
「たっちゃん、まーだだよ。もうちょっと待っててね。」
「じゃあ寝室にいってるよ。」
夫はリビングを出て行った。鍋はまだ煮込まないといけない。その間にお掃除をしてしまいましょう。モップを持つと床を掃除しだした。わたしはA型の掃除好きだ。暇があるとあちこちを掃除している。汚れていても気にしないO型の龍範とは正反対だった。
…そうだ洗濯物。
うっかり取り込むのを忘れていた。慌てて二階のベランダに行くと洗濯物を取り込んだ。その時、二階から庭が見えた。
「あら、草むしりしてくれてるわ。」
うちの庭は小さいが自分好みに手を加えられている。レンガを並べて作った花壇で季節に合わせて好きな花を植えては楽しんでいた。ただし草むしりは苦手なので夫にお願いしているが、いつも腰が重い。それが今日に限ってやっているなんて…あやしいな。郷子は一階に下りて庭に出るとまだ残っている草をよく見てみた。
…この草、どこかで見たわ。
昔、テレビで見たことがあった。パソコンを開いて番組名を検索していると…あった。
『スベリヒユ』
ヒョウとも言う。日本全国に生えている植物で代表的な畑の雑草?らしい。茎は赤紫色で地表に沿って伸び、小さく厚ぼったい楕円形の葉をつける。茹でておひたしにするとおいしいらしく、地方によってはスーパーで売っているところもあるみたい。
「鍋で作ったのはこれだわ。」
わたしは台所に戻って鍋の様子を見る。料理はいい感じにできていた。あとちょっと煮込めば完了。次の料理の準備をしようとフライパンを持ったとき、あることに気づいた。
…スベリヒユは茹でるだけだわ。
フライパンは使わない。そのフライパンが濡れていたということは別に料理を作ったということになる。野菜を炒めながら思考は巡らした。フライパンでやることといったら、こうやって炒めるか焼くかだ。でも何を焼いたのかしら。
…普通に考えたら肉よね。
夫は大の肉好きだ。特に焼肉には目が無い。焼くことを考えたら肉をすぐ思い浮かべるだろう。でもさすがに肉は無理ね。でも待って。龍範の性格だったらやるかもしれない。肉はダメでもステーキには挑戦するわ。私を驚かすために知恵を絞る人だから。。
…肉の代わりにステーキになるもの。大きくて分厚いもの。あっ、そうだ!
わたしは立ち上がりもう一度二階に向かう。たしか新築祝いの時に城戸さんからいただいたものがあったはず。書斎のドアを開けると、あった。わたしは近くに行くとよおく見た。
ウチワサボテンの葉が一枚根元から切り取られていた。
◆
「たっちゃん、ごはんよ。」
郷子の声がする。私は二階から下りて席に着いた。郷子は次々と料理を並べる。
「おっ、今日はビーフシチューかあ。」
「煮込みもばっちりよ。おいしくできたわ。」
ビーフシチューは大好物だ。いただきますと言うと早速一口食べてみる。
「うまい。」
たっちゃんは本当においしそうに食べてくれるから嬉しいと郷子はいつも言う。もっとおいしいものを作ってあげようという気持ちになるんだそうだ。
「たっちゃん、」郷子が話しかけてきた。「ウチワサボテンはおいしかった?」
「あら、ばれちゃったか。」私は頭をかいた。「ちょっと酸味があって粘り気があるけど、全体としては悪くないよ。」そう言った後で、「このシチューには負けるけどさ。」
「比べないの。」
郷子はちょっとふくれてみせた。慌ててごめんとあやまった。
「お昼前だというのに非常食のごはん、スベリヒユのおひたし、ウチワサボテンのステーキは食べすぎでしょ。」
「いろいろと思いついたら楽しくなっちゃってさ。郷子の驚く顔も見たかったし。」
「もう。」郷子は呆れた顔になった。
「郷子のほうもひどいじゃないか。」私も文句を言った。笑いながらだけど。
「昼食だというのにビーフシチューはないだろ。二時間以上煮込むんだぜ。」
「あら、たっちゃんが何か食べたみたいだったから急遽メニューを変更したのよ。」
「おかげで、おなかペコペコで自首しそうになっちゃったよ。」
私が笑うと郷子も笑った。惚れ惚れする笑顔だ。
「たっちゃん、ウチワサボテンは健康にいいから別に食べてもいいけど、おなかが空いたりしたら買い食いしてもいいんだよ。」
たしかに私のおなかが空くたびにウチワサボテンの葉が減っていくのは城戸に悪い。
「あははは。それだとスリルが無いから楽しくないかも。」
「スリルとかは関係ないでしょ。」
「大ありだよ。郷子が驚くから楽しいんじゃないか。」
「何よそれ。」郷子は笑う。
「でも今回のことは逆効果だったよ。」
「あら、どうして?」
「どうやったら郷子にばれないかを必死に考えていたら逆におなかすいちゃってさ。ウチワサボテン食べてプラマイゼロだった。」
郷子は「ばかねえ」と言った。
…こうやって付き合ってくれるところが好きになった理由かな。
少なくとも毎日飽きないのは確かだった。
まだ続きます