ドッペルゲンガー
坂本竜馬が殺されて、海援隊の逆恨みと勘違いでわたしは犯人と見なされ、命を狙われることになった。それ以来、柳の葉が擦れるのすら恐ろしくなり、隠れ家の座敷から出られない。座敷は三十畳以上ある広々としたもので、音がやけに響いた。どこぞの上士らしい男の酔歌が表通りから、くっきりきこえてくるのが不気味だ。
灯明皿の灯芯草が静かに点いている。頼りない灯はわたしの手元を照らしてくれるが、灯勢の弱いので、外の障子に影を投げつけるほどではない。
新撰組から五名がわたしを守るためにやってくることになっているが、依然として、到着の気配はない。火打石を切る音がカチカチときこえ、わたしの体がこわばり、坂本龍馬本人にあいだに入って買った六連発ピストルを手に取る。大きな鉄の塊でこんなもので撃たれたら、体が真ん中から吹き飛んでしまうだろう。弱い灯のなかで畳の上に再び横たえたピストルはひとつひとつの部品が辻斬りの目のようにギラギラと光る。こんな危なっかしいものを買ってしまったことを心から悔いた。刀だけでも危なっかしいのになぜわたしはこんなものを買ってしまったのだろう。口車に乗ってしまったからだ。坂本龍馬は商人である。
そこで、ふ、とこのピストルについて不満をどこかにぶちまけてしまったことがないか、思い出そうとする。そうした不満が誇張され、坂本龍馬の命を奪うだけの動機があるとみなされてはいやしまいか。
だとしたら、わたしは損ばかりをしている。このピストルを大金で買わされ、命まで狙われる。こんな馬鹿な話があるものだろうか。
わたしはこのピストルが憎くなり、外に放り投げてやろうかと思う。だが、坂本龍馬の仲立ちで手に入れたものを放り捨てるのを誰かに見られたら、やれ、坂本さんが用意したピストルをあんなふうに扱うのだから、やっぱりあいつは有罪だ、と言われはしないか。
わたしは悔しいのと理に合わないのとで思わず、涙が流れてきた。ピストルに閃く、辻斬りの目に涙が落ちると、それは病持ちの遊女のようにゆらゆらと揺れて、消え去った。
「武士たるものがこんなことで涙を流すようではおしまいだ。腹を切ろう」
すると、「いや、腹を切るのは怖いから、この銃で自分を撃とう」とこの座敷のなかからきこえてきた。
わたしは飛び上がるほど驚き、声のもとを見ると、弱い灯がひとつ、ぽつんと浮かんでいる。
「誰かいるのか? お前は誰だ?」
「お前こそ誰だ?」
知らない声だが知っているような気がする声で、なんだか不快を覚える声だ。
「ここはわたしの座敷だぞ」
「そっちこそ嘘を言う。ここはわたしの座敷だ」
「海援隊のものか」
「そっちが海援隊だ。そのピストルは坂本龍馬から買ったものだ」
なぜ、そんなことを知っているのだろう? これはますます怪しい。わたしは何かあったら使ってやろうとピストルを手に立ち上がる。
「おい」と、何者かが横柄な呼びかけをする。「こっちに来る前に忠告してやる。おれを見たら、お前は終わる。きっと後悔するぞ」
「何を言うか」
わたしは闇のなかを走る。灯はだんだん大きくなり、そのそばに座る男の影がくっきりと見えてくる。つかんだピストルをつかんで、まっすぐ男に突きつける。絣に羽織の男の顔は紛れもなくわたしの顔だった。
男がわたしを見た途端、驚いた顔をして、皮膚がボロボロと崩れ始め、まぶたが落ちて、丸い目がむき出しになる。男が震える泣き声で言った。
「だから、後悔すると言っただろう」
「化け物ッ」
わたしはピストルを撃った。火花が飛び散って、不良品は六発一度に発射された。爆発の炎の渦が全てを薙ぎ倒すのを感じながら、わたしはその中心で静かに灰となって消える――。




