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築城術

 浪士を追って、町屋に囲まれた中庭のような場所に出た。粗末な垣に沿った小道があり、そこを進むと右手に案山子の立つ畑が見えた。名前が思い出せない作物が丸い実をつけていたが、なぜかわたしはその実をまだ摘み取ることができないことを知っていた。よく見ていると、干支の動物の姿が浮かんでいる気がして、これが熟れたら、その模様がはっきり表れる気がした。

 寒風が吹きつけていて、肌は粟立ち、手に下げた刀身は縮こまって切れ味が増しているように思えた。広い場所に出ると、打ち捨てられた石垣が緑に濁った池から立ち上がっていた。その石垣の上にある小屋から労咳を患っているらしい人の、痰が絡んだ咳がきこえてきた。きっとやつはあそこにいるに違いないとあたりをつけて、わたしは石垣に通じる橋を探して歩いた。

 しばらく歩いても、橋は見つからず石垣はジグザグに曲がりながら、どこまでも続いていく。池だと思っていた水は今や濠となり、石垣に銃眼が刻まれ始めた。それは内側は狭いが、外側は広くつくった穴でそこからあの浪士がわたしを銃で狙っている狙っているような気がしてくる。わたしは一刻もはやく橋を見つけて、斬らねばならぬと足を急がせたが、石垣は曲がりながら、わたしの左手にそびえたち、銃眼にはときどき浪士がひょいと顔を見せるようになった。泣いているとも笑っているともとれる顔で、ケーンケーンと奇妙な声を叫んだ。続いて銃声がして、わたしの頬のそばを刺すように熱い風が飛び過ぎた。

 慌てて、石垣とは反対側の、土手の下に転がって、銃の視界から逃れると、またケーンケーンという声がきこえてきた。斬ってやりたいと思うのに斬れない悔しさに歯を食いしばり、それならこちらも目にもの見せてやるという気概が生まれてくる。

 土手に転がっている石を寄せ集めて積み重ね、乾いた草をたっぷり混ぜた泥を塗って漆喰の代わりにした。また銃弾が飛んできたが、石がひとつ転がり落ちるだけで、泥をたっぷりのせた石をはめれば修復が終わった。その後、石垣と濠に沿って、石壁を広げようと考え、数で困らない石どもを積み重ねて、泥を塗り、ジグザグに伸び、銃撃に首をすくめてやり過ごし、また石を積んだ。日が暮れて夜がやってくると、乾いた草の生えた空き地に転がり、日が昇ると、また石を積んだ。日が暮れ、日が昇り、石を積み、わたしを守る壁はどこまでも伸びていった。壁をつくる技が極まるとわたしも銃眼や矢狭間を切った。次は壁を守る兵たちのために兵舎を組み、櫓を立て、局長たちが泊まるための陣屋を、全て土手に転がる石と枯草入りの泥で積み上げた。

 何千、何万と日が空を東から西へ通り過ぎていく。わたしの手は骨と皮だけになり、目はほとんど見えず、言葉を忘れ、喉から出るのはケーンケーンという奇妙な泣き声だけだった。だが、築城の技は体に染みつき、手で石に触れ、においで泥の出来栄えを知り、目が見えていたときよりもずっと頑丈な石壁をつくるようになっていた。だが、壁をつくり始めてから、だいぶ経ったころから、どうしてもやってみたいことがあった。壁の上に頭を出してみたいという、ただそれだけだ。初めは撃たれないためにかがんでいたが、今では何のためにかがんでいるのかも分からない。ただ、ずっとそうしていたから、かがんでいるだけだ。刀を杖にして、上身を伸ばす。風のにおいが変わった。石壁の向こう、石垣の上の森から吹く甘い土のにおい。

 胸を弾が貫く。誰かが固い石の橋板を踏んでやってくる。固く重い声がした。

「お前がそうするのをずっと待っていた。おれはお前が追っていた浪士と肺を病んでいた女のあいだに生まれた子だよ。これでやっと外へ行ける」

 生まれつきらしい咳の音。

 労咳の喉からあふれた血がわたしの顎の先に滴り落ちて、そして……

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