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稽古の後で

 稽古場にひとかけらの脳みそが落ちている。以前から隊の稽古が激しすぎると思っていたが、ついにとうとうここまで来た。防具をつけずに木刀で殴り合うのだから、いつかこうなるとは思っていた。誰かの頭に思いきり木刀が当たって、頭のなかがグワアンと鳴り、耳からこぼれたに違いない。

 脳みそは未熟なまま生まれた生き物のような頼りない様で板目を避けるように横たわり、これだけの量だと普段の生活にも支障をきたすだろう。この脳みその持ち主を探してやるのがいいとは思うが、しかし、これはあなたの脳みそですか?とたずねて、ああ、おれのだ、と持ち主は素直にこたえるだろうか?

 脳みそは人の最も秘する部分だ。これを見れば、その人がどんなことを考えているのか分かる。長州の間者であることも、副長の俳句がお笑い沙汰であることも、変態的性愛が物凄いことも分かる。それでも、落とした脳みそを自分のものだと認めるだろうか。わたしはもちろんこの脳みそを読んでみようとは思わない。わたしは人の秘密に立ち入って、藪蛇に手首をかじり取られるような損な役回りを演じようとは思わない。しかし、これだけの脳みそが足りないままでは困るであろうという気もする。

 脳みそを手に取ると、意外に固い。考え方の固い人なのかもしれない。色は淡い桜色なのが可愛らしい。

 とにかくこういうときは第三者の意見が必要だ。わたしはよく同じ組の同輩に拾った脳みそを見せた。剣もそうだが、漢学もできる男で、どちらかというと食い詰めものの多い新撰組になぜ入隊したのか分からないが、そういう人物だからこそ、脳みそのことを相談するにいい人物だ。

 板の広間では隊士たちが円座を組んで、なにかしている。ひとりが白い布きれをひらひらさせると、端の書卓で祐筆らしい人物が何か書きつけている。いったい何をしているのか分からないが、ひょっとすると、こぼれた脳みそが関係しているのかもしれない。

 だが、あの脳みその分量は――あまりわたしも詳しくはないが――ひとり分だった。円座を組んでいるのは三十人だから、脳みそは関係ないのかもしれない。

 いや、もしかすると、あの奇怪な所業は普通に理解できるごく一般的なものだが、わたしにだけ分からない。もし、あの脳みそがわたしのものなら。

 今日、頭を打たれた覚えはないが、それは脳みそをこぼしたせいであり、だからいろいろ覚えがない。

 同輩がやってきたので、わたしはいろいろな不安を解消すべく、同輩を外に引いていき、脳みそを見せた。

「きみ、厄介なものを見つけたね」

「やはり厄介かね?」

「きみが心配する通り、脳みそについて正直にこたえるものはいないよ」

「誰が落としたのかも分からないしなあ」

「いや、それが今日の稽古の後、局長と副長がひと試合やったそうだ」

「じゃあ、これは――」

「うん。きみの想像の通りだよ。わたしなら、もとあった場所に置いてくるね」

 わたしは同輩の助言の通り、脳みそを稽古場に元の通りに置いてきた。

 その日以来、副長の指図で稽古では面をつけるようになった。

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