龍神雛
お尋ね者の国学者を追って、小さな島にやってくる。島は湾に抱き込まれるような形で浮いていて、歌川広重の版画に出てきそうな山が不自然に大きく盛り上がっていて、青い。山の麓や中腹には渇いた人家の集まりがあるが、道の類は重なり合う緑樹に隠れて見えなかった。そのせいか集落は嵐の海に放り込まれたみなしごのように見え、それが哀れに思えてきた。そのくせ緑の山肌から大きな古い石垣が見えることがあり、この島は昔、水軍が根城にしていたのかもしれないと思うと、どうにも信用ならない気分になってきた。
いつもにこにこにしている童顔の同輩とふたりで船着きから道をのぼると、真昼から提灯をつるしている町に出た。提灯はどれも地面に打ち込んだ棒杭から吊るされていて、島民がこんにゃく田楽や旬の魚を焼いている。粗末な雛を売る露店があった。人形はどれも漆で黒く塗りつぶされ、真っ赤な舌を出しながら、小馬鹿にするような動きをしていた。同輩は短冊と筆を手にした人形を見て、副長のおみやげに買っていこうと言い、わたしは斬り殺されるからやめておけと止めておいた。この雛たちは狩衣や直衣をつけて烏帽子や冠をかぶり、毬を蹴ったり、四条流の包丁で魚を切ったりするのだが、どれも例外なく、目が左右で違うほうを向き、赤い舌を出し、小さな木のひっかけを押し下げると、トチ狂ったように暴れ出した。まるでもとは人間だったものが何かの魔術で人形に変えられてしまい、それを伝えようと必死になっているようだ。
雛を売るのは神主のような姿の若い男で、数枚のすり減った銭と引き換えにどれでもひとつ持っていってもいいと言ったので、同輩はどうしても副長に渡すのだ、と短歌を詠む人形を買い求めた。わたしは初見台の前に座って、膝をそろえた人形を買った。この人形はひっかけを押し込むと、書をめくる。
「馬鹿馬鹿しいかもしれませんが、わたしにはこの人形がわたしたちが追っている国学者のように見えるのです」
「そうですか。実はこの人形たちはわたしが作ったものではないのです」神主のような男が言った。「この大きな山の裏には龍神が住んでいて、その逆鱗に触れたものたちがこのような浅ましい姿になってしまったのです。わたしは彼らをどうにかして、もとに戻す方法はないものかと思っていたのですが、とうとう方法が分からず、嫌になったので、全部手放すことにしたのです」
童顔の同輩がたずねた。「龍神さまに頼めば、もとに戻るのでは?」
「しかし、龍神は恐ろしく気難しいのです。下手をするとあなたがたも人形に変えられてしまいます」
「それは面白くないですね。ああ、人形はこれで包んでください」
そう言いながら、童顔の隊士は懐紙を手渡すと、神主のような男は紙を受け取り、短歌人形を包もうとした。
同輩が昨日宿屋であらかじめ決めた問答無用の目くばせをしたので、相手の両手が塞がったところで、そろって大刀を抜き、がら空きの胴を左右から切り割った。
「それッ。逃げますよ」
斬られた男が売り物の雛の上に倒れると、島民がわっと騒いで追ってきた。言葉にならない、おうおうという唸りが悲しげに町に響き、生きた心地がしなかった。待っていた舟に飛び乗り、石の船着きから漕ぎ出してもらうと、わたしたちを捕まえ損ねた黒い人だかりが海岸を埋め尽くし、人殺し人殺し人殺しとわたしたちを罵っている。ひとり興奮したものが悔しさのあまり、舟着きの端から端を犬のように四つん這いで走りまわっていた。
しばらくすると、わたしは童顔の隊士に「あれがやつだったのでしょうか?」とたずねた。
「ええ。そうでしょう。龍神の話も嘘ですよ」
そう言うと、同輩は蓆でつくられた影のなかにごろりと寝転んだ。
わたしは島を振り返った。帆掛け舟はもう島から一里ほど離れ、先ほどまでひとりひとりの憤怒が見てとれたのが、いまは建物との違いも分からぬ黒いしみになり、ただ、大きな山ばかりが青く目立っている。
その青い山の後ろから龍神の頭が伸びあらわれて、真っ赤な舌を伸ばした。




