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 雪が積もって、池が凍りつき、屯所の部屋にいても息が白かった。わたしはひとり、自分の部屋で火鉢を相手に餅を焼いていた。寒すぎてなかなか餅に火が通らない。床の間には変な掛け軸がかけてある。それは巨大な男が裸の尻をこちらに向けて拳を固めているのだが、山々の頂きが男の腿より下にあり、その麓では恐怖で狂った人びとが四方八方に定まらない逃げ方をしている。見ていると不安になる絵だった。筆致は荒いのに遠くから細目で見ると、本物の出来事のように見える不思議な絵で、よく見ると逃げている人びとの装束は唐代のものらしく、この絵は大陸からのものなのかもしれなかった。

 ときおり幹部隊士たちがやってきて、この絵についていろいろ評価するのだが、どれも一定のものではなく、見るたびに感想が変わった。

 こんな部屋をあてがわれたことの意味を考えると、どうも気分がくさくさしてくるので、出動でもないかと餅をあぶる火の上に手をかざした。

 ようやく餅は熱が通り、ぷくりと膨れてきた。それを鉄箸で突き、網にのせたまま、醤油をかけると炭火から香ばしいにおいがして、口のなかに唾がたまった。熱い餅をかじり、ふうふうと息を吐き吸い、嚙みながら、例の巨人の絵を見る。さっきよりも暗くなった気がした。巨人の頭にかかる雲の数が増え、遠くに見える空では光と風が折り重なって青く色づいている。

 残りの餅を食べ、障子を開けると、掛け軸の巨人が尻を向けて立っている。その足元には京の町があり、道端にはきっと雪つばきが咲いていることだろう。

 わたしは部屋に戻って、障子をきちんと閉じて、もうひとつの餅の面倒を見た。うまそうな焦げ目がついてくるこの餅がとてもうまそうでうまそうで、わたしはこの餅の面倒を見て、残りの一生を過ごしたいものだと考える。ずうん、と重い音がして、人の悲鳴が細かく重なったものが耳に入ってくる。立ち上がって障子を開けると、巨人は相変わらずわたしに尻を向けているが、町に火がついたのか、尻に赤みの濃淡がゆらめいていた。

 童顔の隊士がにこにこしながらやってきたので、何かあるかとたずねると、彼は巨人のほうを見てから、

「何もありませんね」

「出動になりそうなこともありませんか」

「はい。市中は平和です」

 隊士はそのまま廊下を通り過ぎたので、わたしは部屋に戻った。餅がまたふくれ始めた。角と角のあいだで固くなった皮をやぶってふくらむ様子が愛おしくて、手にした箸は餅を突きたくてうずうずしている。外からは相変わらず、ずうん、ずうん、と重く響いてくる。餅を皿に取ると、それを手にして障子を開けた。

 青空に黒煙がたまり、巨人は内裏に近づいている。屯所の庭に生えている蝋梅の黄色く透けた花に火の粉が混じって彷徨っているのが美しい。

 またにこにこした童顔の隊士がやってきた。

「市中に何かありますか?」

「いえ、何もありませんね」

「あの巨人は見えますか?」

「はい」

「どう思います?」

「大きいですが、それ以上は何とも」

「そうですか」

 部屋に戻り、三つ目の餅を焼き始める。これが焼けるころには池田屋で救った京の町は応仁焼けの京に有様を変えているに違いない。

 餅がふくらみ始めた。

フランシスコ・デ・ゴヤに。

またはアセンシオ・フリアに。

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