そいつ
厳格な法度運用のため一度に百人の隊士が切腹することになった。局長以下幹部隊士はその切腹に立ち会うことになる。わたしも、その末席で隊士たちの切腹を見届けることになり、白い砂利が敷かれた、横に細長い庭に浅葱の裃をつけた隊士たちが短刀をのせた三方の前に静かに座っている。空は薄暗く、山猫のような影を底に滑らせた雲がどこまでも広がっていた。
わたしの隣ではそいつが停車していて、同じく切腹見届けの役を課されていた。そいつの話をきいてみると、人が自分のハラ切って、臓物ぶちまけ散らかすのを見るのは初めてだという。わたしはもう三度見たことがあるが、一度に百人というのは戦国時代でもそうそうないことだろう。
オウッと気合が上がり、靄がかかったような遠くで首が飛んだ。いつもにこにこしている童顔の隊士が介錯を務めている。すると、わたしのそばでガコンと何か金属が外れて落ちるような音がした。わたしはそいつに振り向いた。切腹する隊士がわたしたちから一番遠いところから腹を切るため、わたしがそいつを見るには大きく振り向かないといけない。見た限り、そいつに変化はない。気のせいかもしれない。百人切腹で気が立っているのかもしれない。
エエイッと叫び、また首が飛ぶ。血しぶきが靄に混じり、火山の夜のようにどす黒い。カラン、とまた音がする。そいつを振り返ると別に何も変わったところはない。どうも妙だ。
ワアッと叫び、またひとり腹を切ると、ガシャンと音がした。これは何かが壊れたかと思い、そいつを振り返ると、そいつは恥ずかしそうにしながら、前照灯がなくなった正面をわたしから隠そうとしている。まさかと思って調べてみたら、安全弁と動輪近くの弁装置がなくなっていた。どうも切腹とそいつの部品喪失のあいだには何らかの関係があるらしい。このまま切腹を続けたら、そいつは消えてしまうと思い、切腹を思いとどまらせようと思うが、切腹を中断するのは士道不覚悟と断罪され、百一人目の切腹にされるかもしれない。
ぎゃあッと声があがり、ばさりとやられる。そいつから煙突がなくなっていた。いよいよ大事である。そいつは気恥ずかしそうにしながら笑っていて、自分から動こうというつもりはないらしい。わたしの心配をよそに切腹は進み、そいつからピストン・ロッドや砂箱が消えていく。既に走行が不可能だ。
いよいよ最後のひとりが切腹である。もはやそいつは金色に光る汽笛が転がるのみである。次の切腹でそいつは消えてしまうだろう。そして、百人目の切腹隊士がこの世で見る最後の画はそいつが消滅するその瞬間なのだ。
わたしとしてはそいつが消滅する瞬間を見ていたいが、切腹から目を背けたら士道不覚悟である。童顔の隊士は全身が返り血でどろりとしていて、紅色の鮮血とどす黒い血が小袖の布地に染み込んでゼンマイみたいな模様をつくっている。それにもかかわらずにこにこしている。すると切腹する側も気が安くするのか、にこにこしてくる。
切腹する隊士はわたしとそいつにぺこりと頭を下げると、エイヤッと自分の腹に短刀を突き刺した。首の皮一枚残して斬首され、首は膝のあいだにストンと落ちた。そして、ピーィーッと耳障りな音が鳴り、わたしはああ、そいつは消えてしまったのだな、とどこか寂しい気持ちとなぜか達成感で隣を見る。
こいつがいた。




