脳死で見ていられるラブコメ。
「はぁ? なんでそういう話になるんだよ!」
始まった。
始まりました。
今日も元気よく始まりました。彼らの痴話喧嘩が。
「昨日はクレープ代とかカラオケ代とか、全部コウタが払ってくれたじゃん!」
「ああそうだよ? 払ったよ? だから俺は言ってるんだ!」
なんかすごい剣幕で互いに言い合っている二人。
ここは体育館上の卓球場。俺達は卓球部であり、今から部活が始まる時間なのだが……。
「どうしてそういうこと言うの? おかしくない?」
「全然おかしくねえよ! 当たり前の主張をしてるだけだ、俺は!」
またこいつらだ。もう見飽きた。これで何度目だよ。
コウタとカナコ。いま喧嘩している二人の名前だ。共に卓球部の後輩でもある。
周囲にいる部員なんて二人には見えていないんだろうか。白昼堂々、大声で喧嘩をしている。いつもこうなのだ。部活が始まる前に必ずああやって言い合っている。ちなみに彼らの喧嘩はこれで四日連続。記録更新、おめでとう。
……などと祝福を告げている場合ではない。止めなければ。今、目の前では喧嘩が起こっているのだ。彼らの間に入って、二人の仲裁をする。普通なら、そう考えるだろう。
だが……。
「今日もやってるなぁ……」
どこかからそんな声が聞こえた。見れば部員のみんなは、二人から距離を取ってニタニタと気味の悪い笑みを浮かべているだけだ。そう、誰も彼らを止めようとはしない。
もちろん、俺も止めるつもりはない。止めたところで無駄だと分かりきっているからだ。
なぜって? それは――
「今度の旅行は俺が払うんだよ!」
「コウタばっかに申し訳ないもん! 次はわたしに払わせてっ!」
――二人がどうしようもない、激甘ラブコメを見せつけてくるからである。
***
最初に言っておくが、あいつらは別に付き合っているわけではない。
いわゆる両片思い。好き同士というやつだ。でも互いに好意を抱いているのに、自分の気持ちには気付いていない。そして素直になれない。だから関係も進まない。じれったく甘々で、どうしようもない程にもどかしい……まぁ要するにめんどくさい関係ってことだ。
恋は盲目だとよく言われる。当事者では見えないことが、傍から見ると結構浮き彫りになっているもの。これが最たる例だった。周りでニヤけている連中は事情をすべて知っている。つまりあの二人が互いに好きだということは部員全員が知っているのに、当の二人だけが知らないという、まさに台風の目状態となっていた。
そして極め付きに付いたあだ名が――『脳死で見ていられるラブコメ』。なるほど、ひどいあだ名だ。
そういうわけで、二人が喧嘩したところで誰もそれを仲裁することは無い。どうあがいても二人の行き着く先は甘々でじれじれのラブコメ展開。こっちまで恥ずかしくなるだけだ。
「……はぁ」
とはいえさすがに限界か。
俺は一応、卓球部の副部長を仰せつかっている。いい加減あのコントを止めないとまともに部活が出来ない。だからここは部の長である俺が仲裁して……ん? ていうか部長はどこだ? いないな。まったくあの人は……。また遅刻か……。
「次は江の島に行くの!」
「いいや、鎌倉だ!」
「おいお前ら、そろそろ止めろ……」
二人の間に入ってそう取り成した。いつの間にか喧嘩の火種変わってるし。なんだよその二択。どっちも行きゃいいじゃん……。
「でもコウタが!」
「カナコが言うこと聞かないんすよ!」
「はいはい。分かった分かった。続きは部活終わってからにしよう」
俺がそう言うと、何とか二人は納得した様子で口論を止めた。ようやく収まったか……。
二人の喧嘩が終わると途端にその場は静かになる。誰かが安堵するかのような溜息を漏らしていた。たぶん俺が止めに入るのをみんな待っていたのだろう。……ほんと、面倒な役回りになっちまったもんだ。
「とりあえず仲直りしような? な?」
四日連続同じことを言っている気がする。ほとんど保護者目線の台詞だ。
二人は互いに向き合うと、それぞれ『ごめん』と謝った。
うん。こういうところは普通に素直なんだよな。それでいてなぜあんなに喧嘩が出来るのか。
「あー、今日のラブコメ終わっちゃったかー」
「じれじれ成分いただきました」
「待てってお前ら。まだ続きがあるだろー」
「だな」
なんかあっちの方で野郎共がそんなことを言っているが……。いつも止めに入っているのは俺なんだぞ。少しは俺の苦しみを理解してほしい。
何はともあれ、これで一件落着だ。
ふぅ、疲れた。
「……いや、待てよ」
違う。全然一件落着じゃなかった。
……部長。部長はどこだよマジで。
あの人がいないと部活始められないんだけど。
「またこの展開か……」
どうにもこうにも、この部活には問題児が多すぎる気がしてならない。
***
「先輩、遅いです」
「あははっ、ごめんよっ」
部活が始まってから三十分。ようやく俺は彼女のご尊顔を拝むことができた。
窓から差し込む斜陽。まるでスポットライトのように、彼女はその光の中で笑顔を作った。
ヒマリ先輩。卓球部の部長にして実力ナンバーワンの期待の星。
ずぼらでテキトーで時間にルーズで、どうしようもなくだらしない。
面倒くさがりで部活にはいつも間に合わないし、着崩された制服もわざとやっているのか分からない。
でも、めちゃくちゃ可愛い。
芸能人とかモデルとか言われても納得してしまうほどの、可愛さ。
そんなこと、もちろん口に出して言うはずがないけれど、見た目に関してはそういう評価が妥当だと思う。
まぁ、そんなことはどうでも良くて……。
「とりあえず着替えてください。もう部活始まってるんですよ」
「……もしかして怒ってる?」
「怒ってないです。呆れてるだけです」
昔は怒ってた。でもこの人には怒っても無駄だと気付いた。なんだこの悲しい気付き。
「ここで着替えればいいの?」
「はい。どこでもいいんでとにかく――え? ……いやっ、こ、ここはダメですよ」
「なんで?」
「いや、なんでって……。俺いるじゃないですか……」
更衣室はちゃんと用意されている。俺たちが今話しているのは卓球場の隅にある小さなスペースだ。人目に付かないとはいえ、俺だけでなく、もしかしたら他の誰かに見られてしまうかもしれない。
と、ヒマリ先輩が鞄を置いた。そして体操着を取り出したかと思うと、次は制服のボタンに手をかけ始める。
え、何してんのこの人……。
「……先輩」
「なに?」
「こんなところで着替えないでください……」
「別に大丈夫だよ? 今は君しかいないし」
「……。俺がいることがまず問題なんですが……」
「えっ? まぁ、そうかな? ……ところで君は何でここにいるの?」
「うっ……」
た、確かに……。
なんで俺ここにいるんだ。
「それとも、私の着替えてるとこ、……見たいの?」
「……っ! そっ、そんなわけないじゃないですか!」
「あははっ、顔真っ赤だよ?」
「……くっ、もしかして先輩からかってるだけですよね?」
またこのパターンだ。ヒマリ先輩はいつだって適当なことばかり言う。
本心が見えないというか、掴みどころがないというか……。
何考えてるか分からないし、俺ばかりにちょっかいをかけてくる。
そういうところが、好きでもあるんだけど……。
「バレたかー」
先輩は悪戯っぽく笑うと、今度は鞄からスマホを取り出してポチポチし始めた。
「ところで話は全然変わるんだけどさ? 今日一緒に帰らない?」
「……えっ。何ですか急に」
本当に急な話だ。思わず上ずった声が出てしまった。
一緒に帰る? 俺と先輩が?
確かに俺と先輩はそこそこ仲が良いと思うが、こんなことを言われたのは初めてだ。
まさか、またからかっているんだろうか。
「……まぁ、一緒の方向ですし」
でも断る理由が無い。
絶対に言えないけど、先輩と一緒に帰れるのは嬉しいし。
からかってるだけだとしても、それを受け入れて近い距離にいられるのであれば、俺はそれでいいと思えるから。
「一緒に帰りましょう」
緊張を無理やり抑え込んで、そう言った。
途端に、先輩の表情がぱぁっと明るくなる。
「やった! じゃあすぐに着替えてくるね! 部活終わったら絶対だよ?」
「はい。勝手に帰ったりしないんで大丈夫です」
俺の返事に満足したのか、今度こそ先輩は鞄一式を抱えて更衣室の方へと駆けていく。
いつも色々と突然なんだよなぁ、あの人は。
そういうところがすごく可愛いんだけどさ、まぁ。
一人肩をすくめて俺も卓球場の方に戻る。そして何やら大量の視線があることに気付いた。
みんながみんな俺を見ていた。なんだ……? しかも全員ニヤニヤしている。
明らかに可笑しな光景。しかも男子しかいないぞ。あれ。女子はどこに行った……?
「いやぁ、俺は残念だぜ……」
その光景に戸惑っていると、友人のケイタが声をかけてきた。さっきじれじれ成分がなんだとか言ってたうちの一人だ。
「なんだよ……」
「いや、なんでも? 今日で見納めだからなぁ。明日から俺が受け取れるじれじれ成分は半減だ」
「……何を言ってるんだお前は」
飄々とモノを語るケイタ。全然意味が分からない。そもそもじれじれ成分ってなんだよ。
「まぁ、気張らず受け入れることだな。今ごろ更衣室では女子部員による決起会が行われてる頃だ」
「はぁ……?」
「いいか? お膳立てはすべてしてやった。これ以上俺たちの脳みそを腐らせないでくれよ。ああいうのは一組でちょうどいい」
「いや何言ってんのか全然分かんねえんだけど」
なんか肩に手置かれてるし……。この手は何。
ケイタはやれやれとため息をついて、去り際に一言。
「こういうのは周りから見た方がいろいろ分かっちまうんだよ。まぁ、頑張れってことだ」
「おい待てよ、ちゃんと説明してくれないと意味が――」
「――『脳死で見ていられるラブコメ』は卒業だってことだ。言わせんな恥ずかしい」
若干キレ気味にそう言われ、今度こそケイタはその場を後にする。
……脳死で見ていられるラブコメ? 卒業?
ケイタのその言葉を聞いた瞬間、すべてがフリーズしたかのように止まった気がした。
そして気付いた。
なにも、その不名誉なあだ名をつけられているのが、一組とは限らないということに。
***
「先輩、遅いです」
「ごめんって。許してくれよー」
今日もヒマリ先輩は遅刻だった。もう何回このやり取りをしたか分からない。
そろそろ大会も近いし、いい加減自覚を持ってほしいんだが……。でもこの人と練習試合するとボコボコにされるんだよなぁ。この天才め……。本当に釈然としない。
そんなことを考えていると、先輩が俺に笑いかけてきた。
「……今日、君の家に行こうよ?」
「えっ……き、今日ですか?」
「ゲームいっぱいあるんでしょ? 私こう見えて結構ゲームとか好きなんだよねー」
「なぜかは分からないんですけど、全然意外じゃないですよ先輩。見たまんまです」
他愛もないやり取り。その会話だけ切り出したら、俺と先輩の関係は何も変わっていないように思える。
「えぇー、ひどいこと言われたー」
「それに、今日は駅前に行く話だったじゃないですか。その……で、で……」
だが、明確に変わったことが一つだけある。
それは周りから見たら、本当に些細なことかもしれないけれど。
俺にとっては、大きな一歩で。
「……デート、するって、言ったじゃないですか」
――ヒマリ先輩と、付き合い始めたのだ。
「うわぁ、顔真っ赤だっ」
「……いやっ、そんなことないです」
慌てて否定したけど、たぶん顔は真っ赤だと思う。意味のない足掻きだった。
目のやり場に困っていたときだ。先輩の顔が近づく。
先輩の声が、聞こえる。
「でもいいの? もしおうちデートだったら、いろいろ、……ね?」
「…………っ」
やばい。やばすぎる。
先輩可愛すぎだろ。なにこれ。恥ずかしい。顔がめちゃくちゃ火照っているのが分かる。
いろいろ……。いろいろ、なに?
先輩もなんか黙ってるし……。この空気耐えられねぇ……。
「――あの二人、くっつけたは良いけど、結局何も変わんねぇな」
「だな」
ふとそんな声が聞こえてきたけれど、今はその言葉の意味を処理するほど頭が回っていなくて……。
互いに顔を真っ赤にさせながら、俺たちはどうしようもないラブコメを周囲にまき散らしているだけらしい。
本当に、あいつの言うとおりだ。何にも変わらない。
「じれじれ成分頂きました」
ケイタがそう言って笑っているのを、俺はただ睨んでやることしかできなかった。
本作を読んでいただき、ありがとうございます。
ブクマや評価などしていただければ幸いです。