ようこそ、桜庭探偵事務所へ。 ④
「まぁ座って。そう固くならずに。何か飲む?」
「い、え……お気遣いなく。」
「遠慮するなって。うちの助手の紅茶は絶品なんだ。……紅茶飲める?」
「……いただきます。」
促されるままソファに腰を下ろした僕の向かいに、桜庭さんがゆったりと腰掛ける。
すぐに柊野君が紅茶を並べて、ぺこりと一礼して去っていった。
何ともなしに目で追って、カウンターの奥へ引っ込んでいくのを見届けてしまう。
「それで。」
静かな声に引き戻された視線の正面で、桜庭さんが泰然と微笑んでいる。
「君は何を知りたかったんだ?」
静かな眼差しだった。
怒っているようにも、威圧されているようにも感じない。
ただ答えを待っている、それだけに見えた。
穏やかでまっすぐな、海の色をした瞳。
それになにより、その声。
深く優しい、暖かな声が。
もしここで僕がどんな話をしても受け入れてくれるような、例えそれが嘘を並べただけの作り話でも、変わらない声音で「そうか」とだけ頷いてくれる気がして。
一つ、息を吸う。
ゆっくり、音の鳴らないように細く吐き出す。
きっと全部、単なる僕の想像だ。
「あなたの正体を探りに来ました。それが無理なら、依頼者の情報を盗むつもりでした。……すみません。」
それでもこれ以上、この人に嘘をつきたくなかったから。
深々と下げた頭の上に、少しの空白と、くすりと小さく零れた笑い声が振ってきた。
驚いて顔をあげれば、堪えきれないようにくすくすと桜庭さんが笑っているのが見える。
「正直に話してくれて良かったよ。そうじゃないと、水鉄砲喰らわせるところだった。」
「再三申し上げています通り軽率な行動が目立ちますが、もしかしてこれ秘匿されてない感じですか?」
「いやいや一応内緒だぞ。これでも警察の監視下にあるからな、バレたら怒られる。」
「怒られるとかそういう……警察?」
「あ、俺、昔警察にいたんだよ。色々あって辞めちゃったけど。」
「息をするように個人情報を明かしていく……。」
「まぁさすがに記事にされたら怒られるどころの騒ぎじゃなかっただろうけどな。」
「だったらもう少し隠す意志を見せてほしかったです。」
「敬語仕様でも辛辣だな。」
面白がるようにそう言って、桜庭さんはティーカップに手を伸ばした。
冷めるよ、と勧められるのに、僕も紅茶に口をつける。
広がる茶葉の香りと、濃く透き通った味。
「……美味しい。」
「だろ? ……じゃあ人心地ついたところで、君のことを聞かせてもらっても?」
「……はい。」
「答えづらかったらそう言ってくれ。無理強いはしない。」
「はい。」
「それじゃあ……早速だけど。どうしてうちの事務所を調べようと思ったんだ?」
ゆるく桜庭さんの首が傾げられた。
質問の意図は、どこにあるのだろう。
この事務所に忍び込んで調べたかったことなら、もう既に答えた。
そうじゃないなら、何を問われている?
多くはないけど、いくつかある探偵事務所の中で、ここを選んだ理由?
それとも。
「君の勤める会社で出版されてる雑誌は、ゴシップ記事はほとんど載ってない。町の探偵を調べたって、出てくる情報が必要とも思えない。」
「それは……。」
「俺の正体、だけならわからなくもないけど、それもどちらかと言えばオカルトだろ? だから、取材にしても潜入にしても、うちは向いてないんじゃないかと思ってさ。」
別に駄目って訳じゃないけど、と笑って見せて、桜庭さんはティーカップを傾けた。
ゆっくりとその瞳に僕が映し出される。
「そういうの吹っ飛ぶくらい、切羽詰まってたか自棄になってたか……何にしても、君の話を聞かせてくれないか?」




