ようこそ、桜庭探偵事務所へ。 ②
扉の向こうは明るい部屋だった。
窓は多くないけれど、一面の壁が丸ごと水槽になっていて、キラキラと陽の光が入り込んでいる。
「僕は探偵の桜庭碧。こちらは助手の柊野です。よろしくお願いします。」
笑顔で近付いてきた桜庭さんがそう言って手を差し出した。
同じくカウンターの奥から、ティーセットの乗ったトレイを持った高校生くらいの少年、柊野君が出てきてぺこりと会釈する。
低いテーブルの上に並べてくれるのにありがとうございますと返してから、正面の桜庭さんに向き直った。
この人が、探偵。
人ではないかもしれないもの。
下手に怒りを買ってしまえば、どんな扱いをされるか想像もつなかい。
絶対にバレないように。慎重すぎるほど、慎重に。
「すみません。僕、依頼に来たんじゃないんです。」
きょとんと目が丸く見開かれた。
先を促すように首を傾げるのに、勢いよく頭を下げた。
「僕を助手にしてください!」
その唐突さにか、それとも大きな声にか。
桜庭さんの前にも紅茶を用意していた柊野君の指先がびくりと跳ねて、カップの取っ手を掬い上げた。
かちゃんという硬質な音と共に広がった紅い液体の飛沫が、僕の服に飛び散る。
「うわっ」
「っすみません」
「動かないで。すぐに洗います。」
焦った表情で身を起こした柊野君の代わりに、桜庭さんが手を挙げた。
……洗う? 何を、どうやって。
そんな疑問が生まれるのとそれとは、どちらが早かっただろうか。
伸ばされた指先の輪郭が、ずるりと揺らいだ。
容れ物を失った液体が重力に引きずられるように、端から水になっていく手が僕の服に吸い込まれていく。
瞬く間に紅茶を取り込んだ水は、円を描くように桜庭さんの元で再び手を象った。
それはまさしく、人智を超えた力の片鱗。
人の理の外に生きる異質の証。
「って早いよ!!」
「えっ」
「こういうのはもっと出し惜しみするものじゃないの!? 正体を探る僕と秘匿する探偵とで知恵を絞った攻防戦が繰り広げられるはずじゃない!? セオリーわかってる!?」
「す、すみません……?」
「ったく、今回は見なかったことにしておきますから!」
「ありがとうございます……?」
「服は綺麗にしていただいてありがとうございます!」
「どういたしまして……。」
「はいっ、やり直し!」
ぱん、と手を叩くと二人がぴしりと背筋を伸ばした。
ティーカップを回収した桜庭さんはぱんぱんと服を払い、柊野君は足早にカウンターの奥へと戻っていく。
急いでお湯を沸かす音を背に、桜庭さんが手を差し出した。
「探偵の桜庭です、よろしく。」
「はいよろしく。」
「えぇと、それで、助手になりたいんだったっけ。」
「はい。表の看板に、助手募集と書いてあったので、是非働かせていただきたいと思いお邪魔しました。」
「変わり身が凄いな。」
「はい?」
「何でもありません。それじゃ、しばらくお試し期間として働いてもらっていいかな。」
「えっそんなに簡単に? 特技とか長所とか資格とかはなくても大丈夫なんですか。」
「うん、特別そういう条件はないから。……あ、だけど。」
にっこりと笑って頷いた桜庭さんが、何かに気付いたようにはたと動きを止めた。
まさか……バレた?
いや、そんなわけはない。ボロを出すような行動は何もしてないはずだ。
果たして、桜庭さんはゆっくりと僕に向き直り、口を開く。
「名前を教えてもらえるかな。」
「あっ、はい! 椿木友音です。よろしくお願いします!」




