表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
探偵 桜庭碧と彼を取り巻く日常について  作者: 風蓮
第一話 ようこそ、桜庭探偵事務所へ。
11/34

ようこそ、桜庭探偵事務所へ。 ⑪

光のない目が僕に向いた。口が開く。

いつもなら何を言われるのかと身構えてしまう体が、今日は止まらなかった。


「僕をっ、迎え入れてくれたのは、僕が椿木だからですか?」

「はぁ!?」

「僕が椿木の家に生まれて、椿木の情報を持ってて椿木の人間と関わりを持てるから、雇ってくれたんですか?」

「な、にを、突然……」

「僕を! ……僕に、手を差し伸べてくれたのは。僕を利用するためだったんですか。」


胡乱な目をしていた社長の顔に、じわりと笑みが滲んだ。

言葉がなくても、それだけで答えは伝わった。

いや、それより前に、わかってはいたんだ。ただ僕が、僕の中できちんとけじめをつけたかっただけ。

例え最初にどれだけ優しくしてくれても、例えその時どれだけ僕が嬉しかったとしても、それは幻想にすぎなかったのだと。

これがこの人の本性で、僕が信じた社長はどこにもいなかったのだと。だから、迷う必要はないのだと。

そうはっきり突き付けておきたかったんだ。

今この時、僕の原動力が単なる怒りだったとしても、いつかの日にほんのひとかけらでも後悔したくなかったから。


「僕は世間知らずで馬鹿正直で、さぞ騙しやすかったでしょうね。今日までずっと、あなたのことを信じてた。」

「はっ、そんなもの、騙される方が悪いんだ。」

「そうかもしれません。僕に疑う心があれば、もう少しまともな行動ができてたと思います。」

「どうだかな。頭の悪いやつは多少知恵がついても本質は変わらないんだ。お前みたいなのは、俺に使われてるのが似合いなんだよ!」

「それも、そうかもしれませんね。人を率いるのが上手な人もいれば、誰かの下で働く方が向いてる人だっています。だけど。」


深く息を吸う。

僕の言葉は、結局世間知らずの綺麗事なのかもしれない。

現実を知らない子供の話す、夢物語なのかもしれないけれど。


「人の上に立つことは、人を騙すこととは違います。僕は、あなたの元で働きたいと思ったけど、あなたに利用されたいと思ったわけじゃない。」

「それを掌で転がすのが腕の見せ所だろうが。お前には利用価値があったのに。」

「生憎僕は僕です。家族は僕とは関係ないでしょう。」

「お前の意思など知ったことか! 大人しく騙されていれば良いものを」

「なにより!」


自分の出した大きな声に、足が動いた。

僕を制止する桜庭さんの手が触れる前に大股で距離を詰める。

人の胸倉を掴むのは初めてだった。決して背の高くない相手の目が、間近に僕を見ている。

何をするんだとがなる声には怒りとそれに覆われた混乱と、奥底に確かな、怯えがあった。


あぁ、なんて。なんて簡単なことだったんだろう。

この人は圧倒的な力を持った王様でも、絶対的な神様でもない、ただの、僕と同じ人間だったんだと。

手を伸ばせば届く距離で、言葉を交わせば聞こえる相手だったのだと今になって知る。

そのたった一歩さえ踏み出そうとしなかった僕は、この人の言う通り愚かだったのだろう。

それでも。

そんな僕でも、わかることがある。言わなきゃいけないことがある。


「記者にとって言葉は、何よりの武器だ……っ、そんな風に、使っちゃいけないものでしょう……!」

「うるさい、うるさいうるさい!」


後ろに聞こえないように潜めた声が喚き声にかき消された。

どんと肩を突き飛ばされて思わずよろめく。

数歩分開いた距離を埋める様に腕が伸ばされる。その手に握られたまま、僕を向く銃口。


「お前なんて、初めから」


意味などないと分かりつつ、反射的に体を丸めて手を庇う。

もう何の楽器も弾かないのなら、それよりもっと守るべきところがあったのになぁ、なんて他人事のように呑気に思ってから、不自然に訪れたまま破られない静寂に気づいて目を開けた。

正面には、変わらず開かれたままの黒い穴。その奥の、驚愕と混乱に歪んだ顔。軋む音が聞こえそうなほど強張った体。


僕を越えて背後へ向いている視線を追って振り返った先で、桜庭さんが感情の一切が削ぎ落されたような顔をして立っていた。

かつん。革靴が床を叩く音。

空気の漏れるような引き攣れた音が社長の方で鳴ったけど、それさえ耳に届かない気がした。


ゆったりと歩を進める桜庭さんの、その瞳。

海を思わせる青色とは違う、もっとずっと濃い色。

底の見えない、波さえ起らないような大海原を切り取ってきたような、深い、深い紺碧。

ゆるりと傾げられた頭から、一房髪が揺らいでいる。唇に浮かぶ酷薄な笑み。

いっそ恐ろしいほどに研ぎ澄まされた顔の、紡がれる声の、なんと美しいことか。


「君の話は、署で警察が聞く。ここでもうそれ以上、一言たりとも口を開くな。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ