3話 未知との遭遇
ぼくの住んでいるアパートは大学まで徒歩10分、駅までは7分という中々の好立地だ。コンビニから少し遠いことと24時間不規則にバスケットボールと戯れる隣人に目を瞑れば、隣人の場合には耳を塞げば何も文句はなかった。友人や先輩との用事はたいてい大学や学生御用達の安居酒屋で済ませていたので誰かを部屋にあげるのは初めてだった。
「男の独り暮らしにしては綺麗じゃないか。」
自らの吐瀉物で濡れたジーンズが肌に触れないように、昔見たドラマに出てくる不良のような動作で大学からぼくの家まで歩いてきたこの男はどうやら軽口を叩くまで回復したようだ。
「いいからさっさと脱いで、風呂場で洗ってこい。」
ぼくは部屋をまじまじと見ていると男にそう言うとクローゼットから今年の春に買った似たような色のジーンズを出した。貧乏学生にはずいぶん背伸びした高価なものだった。一目惚れして買ったのだが生地の丈夫さが仇となり暑さが本格化してきた五月の半ばからクローゼットのお局となっている。
招いたわけではなかったが彼は記念すべき一人目のお客様だ。ぞんざいに扱うのはぼくの矜持が許さなかった。生地の厚さが季節にそぐわないという些細なことには目を閉じることにした。
「おい、これ代わりに履いてろよ……、何してんだ?」
ぼくの予想ではズボンの汚れを風呂場で洗い終わり彼がそれを洗濯機に放り込んでいる頃だったのだが、これは外れた。ズボンを脱いだ半裸の男は極限まで簡素化された浴室の中で、初めてシャワーを浴びる猫のように狼狽えていたのだ。
「なぁ、どうすれば水が出るんだ?」
質問の意味がわからなかった。どうもこうも蛇口を捻れば出てくるだろうに。あまりにも当たり前のことだったので本当は何か違うことを聞きたかったのかと考え込んでしまった。
「…いや!うちの風呂場と違うからさ!」
沈黙が部屋の端まで届く頃、彼は少し焦ったように自分を弁護した。蛇口を捻ってやると彼は少し感心したように息をつきジーンズを洗い出した。うちの風呂場は20年前から時間が動いていないのかと思うほど古い。まぁ実際そうなのだから当然の感想だ。赤と青の色分けがされた蛇口や年月を感じさせる黄ばんだタイルにぼくは親しみをもって接している。
(いくら自分の家と違うからって蛇口もわからないのか?)
ぼくは前歯の裏側まで来た言葉を飲み込んだ。アパートが古いことは自覚していたし、それを人に指摘されるのは嫌だったからだ。わざわざ喧嘩の種に水をやる必要もあるまい。
「この洗濯機どう使うんだ?こんな古いの見たことねぇよ。」
代わりに目の前の男が水をやってくれた。ぼくは芽を出したばかりのそれを言い値で買ってやることにした。