2話 手のかかる
エレベーターの前にある休憩スペースのイスに彼を座らせ、ぼくは先ほどまであの男の体の中にあったモノを片付けていた。幸いというか、固形物はなく半透明な液体だけだったので臭いさえ我慢すれば処理はそこまで大変ではなかった。こういった後始末は飲み会で何度か経験している。役立って嬉しいものではなかったが。
「ほら、飲めよ」
吐瀉物を拭いたティッシュをトイレに捨てに言った際に買っておいたスポーツドリンクをまだ気分の悪そうな彼に差し出してやった。そこまでしてやる義理はなかったのだが出くわした手前放っておくのは後味が悪い。
「悪いな……」
本心のようだ。力が入らないのか四苦八苦しながら蓋を開けると彼はゆっくりと飲み始めた。こういう時にはあまり喋りかけない方がいい。ぼくにも経験があるのでよくわかる。
ぼくはこの男が落ち着くのを待ってやることにした。やがてペットボトルの半分ほど飲み終わるとジャケットの男はこちらを向いた。不思議な時間が流れた。どういった感情でこの男はぼくの顔を見ていたのだろうか。きっと宇宙人が初めて人間を見たらこんな顔をしただろう。
「ありがとう。マジで助かったぜ」
彼は具合の悪さを思い出したのか目を細めながらペットボトルに口をつけた。
「昨日は何時まで飲んだんだ?テストに相当自信があったんだな。」
先ほどの善行もあるのでこれくらい許されるだろうと思い皮肉っぽく言ってみた。彼は生意気にも反論してきた。
「バカ言うな、アルコールなんかとっちゃいない。1週間も食事制限したんだぞ。」
「何のためだよ………。」
ダイエットではないと思った。この男は見た感じ太ってはいない。厚手のジャケットを着ていてこれならぼくと同じかもっと痩せているに違いない。
「…持病があるなら救急車呼ぼうか?」
当たり前の考えだった。さっきの状態がアルコールによるものでないのなら持病があるか非合法な薬物だろうからどのみち医者にかかる必要がある。最も後者の場合一度警察を経由しなければならないが。
「いや、病院は…マズイ。大丈夫、一時的なものだから。」
男の態度が急変した。やはり怪しい。
「……いや、今さ、保険証なくってさ。金もないし。」
疑いは完全に消えはしなかったが幾分薄らいだ。この男に対し同情と、共感めいた感情が生まれたからだ。大学生というものは常に金と苦楽を共にする。有る時は蛇口の開ききった水のごとく財布から飛び出して酒だの服だのに形を変え持ち主を喜ばす。かと思えば無い時はかろうじて人間であることがわかるほどの尊厳しか持てず寂しく陰鬱とした時間を過ごすことになる。どちらも経験したことがあるぼくはこの男の気持ちがよくわかる。なのでこれから言われるこの男の頼みも聞いてやることにしたのだ。
「あぁ…汚ねぇな。なぁ、アンタの家で洗濯させて貰えねぇか?」
自分の吐瀉物で汚れたライトグレーのジーンズを冷たい目で見ながら男は言った。