95 準備
気が付けば、バレンタインデーでした。
探索の旅から帰還した翌日、冒険者集団『聖女の導き』の面々は次の探索の旅のための準備をめいめいで行っていた。
魔獣との戦いは常に命がけ。まともな冒険者であれば、戦闘があった翌日は装備のメンテナンスや資材の調達などに忙殺されるものだ。特に経験豊かな冒険者たちほど、点検・準備に入念に時間をかける。僅かな油断が死に直結するということを、身をもって嫌というほど知っているからだ。
装備や道具の面だけではない。『聖女の導き』にはテレサとハーレという癒し手が二人も所属しているため、メンバーが重傷を負うことは少ないが、一般の冒険者であれば負傷を癒すための時間も必要になる。
聖女教会や大地母神殿に寄進をして傷を癒してもらうこともできるが、どちらもかなり高額な費用が必要になるため、よほど急を要する重傷でもない限り、薬草などを使って手当てをする者が多いのだ。
ハウル村の冒険者ギルドにはガブリエラが(本当はドーラが)卸している効果の高い回復薬が、安い値段で売られているが、それでも万全に体調を整えようとすれば2~3日の時間は必要だ。
そのため一般的な冒険者たちは大体4~5日おきに探索や魔獣との戦闘をこなす。もちろん魔獣との戦闘を避けて、薬草採取や素材収集を行う冒険者たちの中には毎日のように探索をする者もいるが、よほど森に精通していない限り、そうやすやすと薬草など見つけられるものではない。
数日おきに複数の採集地を回って、季節ごとの素材を集めるためには、森への深い知識と経験が必要だ。比較的安全な採集地は他の冒険者と競合しやすいので、経験の浅いものほど魔獣との戦闘を避けられなくなる。だから一か月、25日間で探索に出かける回数は多くても5~6回が普通なのだ。
そんな中にあって『聖女の導き』はほとんど1~2日おきに探索を続けていた。これはテレサとハーレという癒し手がいることはもちろんだが、それ以上に彼らを裏で支えるガレスの功績が大きかった。
ガレスは魔獣との戦いで片目を失明するまでの間、ずっと一線で戦い続けてきた一流の冒険者だ。戦闘力は高いが冒険者としては未熟な他のメンバーを導き、彼らのバックアップを一手に引き受けている彼の働きがあってこそ『聖女の導き』は、強力な魔獣との戦いを続けることができているのだ。
他のメンバーもそれがよく分かっているので、彼がほとんど戦うことのできないにも関わらず、最も多くの報酬を手にしていることを当然のこととして受け止めていた。
もっともそれには他のメンバーの特殊な事情も関係している。聖職者であるテレサとハーレは、聖女教の戒律により私財の所持を禁じられているし、ディルグリムとエマはテレサの下で修行中の身であることを理由に、報酬を受け取ろうとしなかったからだ。そのため報酬の取り分は、エルフ族の戦士ロウレアナと彼がほとんど折半する形になっていた。
若い仲間たちは経験豊かな彼に敬意を払い、彼の意見を尊重してくれる。だからこそ彼はその信頼に応えようと、すべての雑務を完璧にしておくことを常に心掛けていた。
だが経験の浅い他の冒険者たちの中には、彼の役割の重要性を理解できず、口さがない陰口を叩く者もいる。その日も彼が不足する日用品や資材を購入するためにギルドを訪れると、依頼の張り出された掲示板の前にたむろしている新人冒険者たちが、蔑むような目つきで彼を睨みつけてきた。
彼はそれを無視して売店へと足を向ける。すると血の気の多そうな若者が通り過ぎようとする彼の前に立ち塞がった。彼よりも頭半分ほど背の高い若者が、彼をニヤニヤ笑いながら見下ろす。若者の仲間も面白そうに成り行きを見守っている。ガレスは静かに若者に言った。
「・・・通してもらえねえか。売店に行きたいんだ。」
「ああ、お前、それが人にものを頼む態度かよ。通してほしけりゃ床に手をついて頼むんだな。何なら力ずくで通ったっていいんだぜ。それとも上級の連中に集るだけのクズには、その度胸もねえか?」
二人の睨みあいに気付いて、カウンターにいたギルド職員が奥の部屋に駆け込んでいく。ガレスはため息交じりに、それを見送った。
安い挑発だ、とガレスは思った。彼は若者の言葉を無視してスッと彼の間合いに入り込むと、そのまま若者の脇を通り過ぎた。余りにも鮮やかな体捌きで、一瞬彼の姿を見失った若者が「て、てめえ、いつの間に!?」と声を上げ、彼の腕を掴もうと後ろから手を伸ばした。
彼は素早く振り返ると、伸ばされた若者の腕にそっと自分の腕を添えて自分の方に引き寄せた。前のめりに倒れ込みそうになって、思わず踏みとどまった若者の胸を、彼は左の手の平で軽く突いた。バランスを崩した若者が仰向けにひっくり返る。
慌てて立ち上がろうとした若者の顔の前に、刃覆いをされたままの刺突短剣が突き出され、若者は身動きが取れなくなった。現役時代は魔獣を怯ませたほどの彼の鋭い眼光が、若者の目に映る。
「まだやるか、小僧?」
彼は刺突短剣の切っ先を若者の右目の前にゆっくりと移動させた。彼がちょっと剣を動かしただけで、若者は目をつぶって叫んだ。
「ま、待て!俺が悪かった!勘弁してくれ!!」
ガレスが短剣を引くと若者は仲間に助け起こされ、ほうほうの体でギルドを出ていった。短剣を腰のベルトに戻したところで、カウンターの中から声がかかった。
「お見事です、ガレスさん。まったく衰えていませんね。」
声の主はハウル村冒険者ギルドの長であり、彼の後輩でもあるマヴァールだった。彼は嫌そうに顔をしかめて、マヴァールに応じた。
「嫌味な野郎だな。見てたんなら止めてくださいよ、ギルド長殿。」
「あんな小童に後れを取るガレスさんじゃないでしょう。誰彼構わずケンカを吹っ掛けるバカにお灸をすえてやろうと思ってたところなんで、助かりました。」
「くそっ、厄介事を押しつけやがって。隣の酒場の一番いいエール一杯で勘弁してやるよ。」
「それ、いいですね!早速行きましょう。」
「・・・いや、まずは準備を終えてからだ。酒が入っちまうとどうもな・・・。」
彼はそう言ってふと目を逸らした。マヴァールは冒険者を引退した直後のガレスの様子を思い出す。不慮の事故で片目を失ったことで弓を使えなくなり、仲間との繋がりを亡くしたことで、当時のガレスはかなり荒んだ生活を送っていたのだ。
「じゃあ、俺も手伝いますよ。若い連中の話も聞きたいですしね。」
マヴァールはガレスと共に売店に向って歩き出した。現役の一流冒険者であるマヴァールが舌を巻くほどの入念な準備を終え、二人はギルドの隣にある酒場『熊と踊り子亭』に入った。
まだ昼前のため、ほとんど客はいない。少し早い昼食を兼ねて酒と料理を注文し、奥のテーブル席に座る。今日の昼のメニューは豚肉と豆を使ったシチューだった。それに炙ったブルストと野菜の酢漬けがついて一人銅貨3枚。一般的な宿屋よりはやや割高だが、料理の味はそれに見合うだけのものだった。
二人はエールで乾杯し、近況を話し合う。一杯目のエールが空になり、お代わりを注文したマヴァールにガレスが尋ねた。
「なあマヴァール、お前、冒険者になって何年になる?」
「そうですね、初めて仕事をこなしたのが12の時ですから16いや、もう17年になりますね。」
「そうか。」
黙り込み、何かをじっと考えている様子のガレスを見ながらマヴァールは初めてガレスを見た時のことを思い出していた。彼が駆け出しの冒険者だった頃、ガレスはすでに一流の冒険者として数々の依頼をこなしていた。その頃から面倒見のよかったガレスは新人のマヴァールの世話をいろいろと焼いてくれていたのだ。ガレスがまたマヴァールに尋ねる。
「お前、女房はいるのか?」
「いえ、今のところ決まった女はいません。こんな仕事ですからね。なかなか所帯を持つっていう気にはなれないですよ。」
「まあ、そうだな。俺もお前くらいの時にはそう思ってたよ。」
彼は眼帯で隠された右目を手で押さえた。そして残っていたエールを一気に飲み干すと、マヴァールに言った。
「俺が片目を失くして戦えなくなった時、もし家族がいたらもう少し違ったかもしれねえ。お前は俺みたいになるなよ、マヴァール。」
「ガレスさん・・・。」
ガレスはかつての自分を振り返った。彼が魔獣に右目をやられたとき、彼の仲間たちは彼を追い出したりせず、一緒に仕事を続けようと言ってくれた。仲間は戦えなくなった彼を、それまでと同じように扱ってくれた。
だが仲間と一緒に冒険に出るたび、彼は自分の無力さ、惨めさを感じずにはいられなかった。彼は自分から仲間に別れを告げ、補助武器だった刺突短剣でも倒せるような魔獣と戦い、一人で黙々と依頼をこなした。
幸いそれまでの貯えがあったため、すぐに生活に困窮することはなかった。経験豊かな彼はギルド内でも慕われていたし、ギルドの職員か相談役として働かないかという誘いもあったのだ。
だが彼はそれを断り、一人で技術を磨き続けた。弓を使えなくなった自分でも、かつての仲間の役に立てるくらいの実力を身に着けようと努力を続けた。いつの日かまた胸を張って、仲間と一緒に仕事ができる日を夢見て。
彼の仲間たちが新しく出現した迷宮の探索に出たきり戻らず、全員の消息が不明だという知らせが届いたのは、彼が仲間を抜けてからちょうど一年後、彼が29歳になった年の春のことだった。
「俺はあの日以来、ずっと彷徨い続けてた。酒に溺れ、信用も金も失っちまった。お前からこの村に行ってほしいと頼まれたときも、最初は一時の気まぐれみたいなもんだった。」
ガレスは空になった酒杯を左目で見つめながら、呟くようにマヴァールに言った。だが不意にフッと笑みをこぼして言葉を続けた。
「だけどこの村はなんていうか、居心地がよくてな。いつの間にか3年も経っちまった。あの時、俺に声をかけてくれて、ありがとよ、マヴァール。」
尊敬する男からの思いがけない感謝の言葉に、マヴァールは胸からこみあげてくる熱い気持ちを抑えることができなかった。
「ガレスさんっ・・!!俺こそ、ガレスさんのおかげでどんだけ助けられたかっ・・・!!」
男泣きするマヴァールを見て、彼は片目を瞬かせた。失くしたはずの目の奥がジンと熱くなる。ガレスは横を向いて大声で給仕の娘を呼び、新しいエールを二つ注文した。
「俺も今年で40、いや39だったかな。まあ、どっちだって似たようなもんだ。もう所帯を持つって年でもねえ。俺はな、自分を諦められなかった。そんでずるずるとこんなところまで来ちまった。戦えなくなったあの時、もし俺に家族がいたら今頃はガキに囲まれて、畑でも耕してたかも知れねえな。今更だけどよ。」
彼は自嘲気味に笑い、マヴァールの目を見て言った。
「マヴァール、もう一度言うぞ。お前は俺みたいになるなよ。この村はいい村だ。俺たちみたいな半端者でも、あったかく迎えてくれる。引退してから暮らしても、退屈せずに済みそうだ。だから今のうちに、女房の一人でもこさえとけ。」
「その言葉そっくり返しますよ。ガレスさんだって、今から所帯を持てばいいじゃないですか。」
「俺がか?馬鹿言うな。俺はもう年を取りすぎてる。まあどっかのもの好きなババアでもいたら考えるけどな。」
冗談めかして笑いながら、ガレスは言葉を続けた。
「それにな、俺は今一緒に居る連中を、まあなんだ、恥ずかしい話なんだが、息子や娘みたいに思っちまってるのさ。あの連中に俺の持ってるもん、全部残してやりてぇ。そう思ってるんだ。」
「ガレスさん何ですか、急にそんな話して。縁起でもないですよ。」
マヴァールは彼がまるで死に場所を見つけたとでもいうような、穏やかな表情をしていることに、強い不安を覚えた。ガレスは急に自分の言ったことが恥ずかしくなり、バツが悪そうに言った。
「いや、ちと飲みすぎちまったみたいだな。すまん、忘れてくれ。」
ごまかすように笑ったガレスに、マヴァールは真剣な表情で問いかけた。
「ガレスさん、『聖女の導き』が迷宮を探索するっていうのは本当ですか?」
「・・・ああ、本当だ。あの女子爵直々の依頼でな。あのエマっていう娘っ子に迷宮討伐をさせるつもりなのさ。」
「!! 何考えてやがるんだ、あのアマ!!」
椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がったマヴァールを、ガレスが引き留めた。
「おめえの言いたいことは分かるぜ。あの白い嬢ちゃんは迷宮のことを軽く考えすぎてる。だがなそれも訳あってのことさ。多分、俺達には分からん事情があるんだろうよ。」
そう言われてマヴァールはガブリエラのことを考えた。あの女、なかなか自分の本音を見せたがらないが、実は何より周りの人間を大切にしている。あの女が年端も行かない子供にそんなことを強いるくらい、何か切迫した事情があるのだろう。
「俺も多くはないが、いくつかの迷宮に潜った経験がある。俺はそれであいつらを助けてやりたいと思ってるのさ。」
「・・・ガレスさん、まさか死ぬつもりなんじゃないでしょうね。」
マヴァールが彼の目を覗き込むようにして尋ねた。ガレスはマヴァールを安心させるように笑って言った。
「いや、みすみす死ぬつもりはねえよ。この3年で貯えもできた。村で若い連中に冒険のことを教えながら、隠居暮らしをするには十分すぎるくらいな。この仕事が終わったら『聖女の導き』での俺の役目も終わるだろう。だから、もしよかったらギルドで下働きでもさせてもらえるとありがたい。」
「もちろんですよ!ぜひギルド長になってください。俺なんかよりガレスさんのほうが、ずっとギルド長に向いてます!」
「いや俺は隠居したいって言ってるんだが・・・。まあ、そん時はよろしく頼むぜ。」
二人は給仕の娘が運んできてくれた新しいエールで乾杯した。マヴァールは、ガレスたちの迷宮探索が上手くいくようにと祈りながら、自分の酒杯を飲み干した。
エマが探索から帰ってきた翌日は、いつものようにガブリエラさんの屋敷で、貴族の作法についての猛特訓が行われた。
「ミカエラは今の動きでいいわ。エマは腋を開きすぎ。あとカップを持つときは二本の指で軽く摘まむようにするの。もう一度やって御覧なさい。ドーラは動きは優雅だけれど、順番がバラバラよ。最初から全部やり直し。」
今やっているのは貴族の友人の前でお茶を飲むときの作法だ。このお茶の作法だけでも目上の男性、女性、同性の友人、異性の同輩などなど、相手によって作法が全く違っている。貴族がこんなに複雑な暮らしをしているなんて全然思ってもみなかった。
ミカエラちゃんはすでに数年間、ガブリエラさんから鍛えられているので、ほぼ完璧と言っていい動きができる。だけれど私とエマはものすごく苦戦していた。
「あの、ガブリエラ様。エマは学校に魔法を勉強しに行くんですよね?これも学校の勉強に入ってるんですか?」
「こんなこと学校で教わるわけないじゃない。学校で教わる以前に身につけておかなきゃいけない最低限の常識だもの。」
こういった作法は普通、上級や中級の貴族であれば専属の家庭教師が、下級の貴族であれば親や親戚が、入学前に身に付けさせておくものらしい。出来て当たり前で、出来なければまともに相手にされないのだそうだ。
お茶だけでもこれだけ大変なのに、他にも食事のマナーや社交術、化粧の仕方や美容法についての知識、美術や芸術に関する教養、家事や家計の管理の仕方、使用人への応対などなど・・・。やることが多すぎて、頭がくらくらしそうなくらいある。
社交の中で特に大事なのが会話とダンスで、これができないと、とにかく学校で『ひどい目』に遭うらしい。
「ダンスはすごく好きですよ。あと『楽器』や『絵』っていうのはすごく面白そうですよね。私もやってみたいです。」
「貴族が楽器を学んでどうするの。演奏をするのは楽師の仕事よ。私たちはそれを『楽しむ』側なんだから、絶対に人前で手を出してはダメ!」
貴族というのはとにかく何でも自分の手でやってはいけないものらしい。特に女性がそうで、椅子に座ったり扉を開けたりするのも、自分で手を出すのはよほどのことがない限りしてはいけないのだそうだ。
「何だかすごく大変ですね。」
「慣れてしまえばどうということはないわ。それに学校や寮内では基本的に身分差もなく公平に扱われるというのが建前だから、実はそこまで厳しくないのよ。」
学校内では側に仕える使用人の数が限られるので、ある程度は学生の自主的な行動が認められているらしい。
「じゃあなんでエマにこんなことをさせてるんですか?」
「それはね、余計な敵を増やさないためよ。味方する価値すらないと思われては困るもの。」
王様は平民と貴族が一緒に学べるよう、配慮してくれるつもりのようだが、人の心はそう簡単に割り切れないのだとガブリエラさんは教えてくれた。
「エマの良いところを知ってもらうためのチャンスを作る必要があるの。エマの実力であれば、必ず味方をしたいと言ってくる人間がいるはず。そのためにも彼らが味方をしやすくなるように体裁を整えておきたいのよ。」
詳しいことは聞いてもよく理解できなかったけれど、これがエマの味方を増やすためだというのは理解できた。ただ、だからと言って、作法の練習が簡単にできるようになるわけでもない。
「ドーラ、あなたもエマについていくと言った以上、最低限の知識と動きくらいは身に着けてもらいますからね。」
「はい・・・。」
正直に言うと、作法自体はすごく興味深いし、面白い。ただ私には複雑すぎてついていけないのだ。自分の不器用さが恨めしい。
「大変だけど、頑張ろうねドーラお姉ちゃん!」
「私も一緒に頑張ります!」
エマとミカエラちゃんが、私を励ましてくれた。よし、頑張って作法を身につけて、絶対にエマの学校についていくぞ!
私たちは日が暮れるまで練習を続けた。そしてその日の終わりには、ほんのちょっとだけ貴族らしい動きが出来るようになってきたのでした。
種族:神竜
名前:ドーラ
職業:上級錬金術師
中級建築術師
読んでくださった方、ありがとうございました。




