93 決断
やっぱり書くのは楽しいです。
ドーラが神事を終えてハウル村に帰宅してから二日後。明るい朝日の差し込む執務室で、ガブリエラ・バルシュ令外子爵は今朝ドーラが届けてくれた王の書状を読みながら、深いため息を吐いた。
「どうかなさいましたか、姫様。」
侍女服姿の女性が心配そうに主であるガブリエラに声をかけた。
「いいえ大丈夫よ、ジビレ。マルコにカール様への面会依頼を出すように言ってきて頂戴。出来るだけ早くお会いしたいと。」
「かしこまりました姫様。」
恭しく礼をしたジビレの髪が動き、隠されていた顔の片側にある火傷の跡がちらりと見えた。片足を軽く引きずりながら、家令である夫のマルコのところへ向かうジビレを見送る。
ジビレはガブリエラが侯爵令嬢だった頃、乳母としてずっと彼女の側に仕えてくれていた。ところが父であるバルシュ侯爵が王家への反逆と領民虐殺の罪で捕らえられる直前、彼女は突然解雇を申し渡され、ガブリエラの使用人頭だったマルコと共に、着の身着のまま屋敷を追い出されたそうだ。
その原因は二人がガブリエラの父である侯爵を諫めようとしたかららしいと聞いてるが、二人にいくら聞いてもそのあたりの経緯を詳しく話してはくれなかった。
バルシュ家が取り潰され、バルシュ領が王家の直轄地となった後、バルシュ家に関わりのあった人間たちは怒り狂った領民たちに嬲り殺された。二人もその例に漏れず、ひどい暴力に晒されたらしい。
二人はそれについてもガブリエラに話すことはなかったが、ジビレの半身に残る酷い火傷の跡と、マルコの奪われた片腕が、それがいかに激しいものだったかを如実に物語っていた。二人が命を奪われなかったのは事前に解雇され、屋敷を追い出されていたという事実があったからだろう。
2年前の夏に、二人はガブリエラを尋ねてハウル村にやってきた。てっきりガブリエラが死んだものとばかり思っていた二人だったが、バルシュ家が再興されたと聞いて、遠く旧バルシュ領からやってきてくれたのだ。
それ以来、ジビレはガブリエラの筆頭侍女として、マルコはバルシュ家の家令として、彼女を支えてくれている。
「再び姫様にお仕えすることができて、こんなにうれしいことはありません。」
再会して二人を迎え入れた時、ジビレは涙を流しながら彼女にそう言ってくれた。その時、二人の間にいたはずの彼女と同じ年の息子の消息について尋ねたが、マルコはただ一言「病気で死にました」とだけしか言わなかった。
ガブリエラはただ「ごめんなさい」と言うことしかできず、自分の罪と無力を二人に詫びたが、二人は一言も彼女を責めることなく「バルシュ家を再興してくださって、本当にありがとうございます」と言ってくれた。
今、バルシュ家では何人もの使用人や侍女たちが働いているが、彼らを教育してくれているのもこの二人だ。ガブリエラは二人の気持ちに報いるためにもバルシュ家をかつてのように復興させなくてはと、心に誓った。
その日の午後、カールがガブリエラを尋ねてきた。
「カール様、よく来てくださいました。」
挨拶もそこそこにガブリエラは王の書状の内容を、カールに話す。側で聞いていたジビレがちょっと苦い顔をしているのは、二人の様子が貴族の社交儀礼から大きく逸脱しているせいだろう。だが、そんなことを気にしている場合ではないのだ。
後でジビレからお小言をもらうことを覚悟しながら、ガブリエラはカールに話を続けた。
「エマを王立学校に入学させる!?まさか陛下がそんなことを・・・!!」
「私も驚きましたわ。あくまでもエマの意思を尊重するので、強制するつもりはないとのことですが。」
「ドーラさんはこのことを知っているのですか?」
「いいえ、知らないようです。まずはエマの意思を確認してほしいとのことです。」
厄介事を押しつけたられたと言わんばかりの苦々しい表情をするガブリエラ。カールが深い憂いを含んだ目でそれを見つめる。それに気づいて、彼女は苦笑いしながら彼に言った。
「カール様の心配も当然です。しかしこのことについては私も考えていたことなのですよ。」
「エマを王立学校に、ということをですか?一体なぜ?」
「それはエマの魔力が膨大になりすぎてしまったからです。現在のエマの力は人間の限界を遥かに逸脱してしまっています。まるで神に愛された神話の英雄のようにね。」
ガブリエラが意味ありげに唇を歪め、カールがジビレを気にしながら僅かに頷く。彼女は言葉を続けた。
「これまでは急激に成長する魔力に対応できるよう、エマに修行を続けさせてきました。ですが、このころは私一人の力に限界を感じています。私では錬金術と闇の詠唱魔法しか教えられませんし、どうしても魔力の調整に偏りが出てしまうんですよ。」
確かにエマは全属性の魔力を持っている。これだけでもありえないことだが、それが彼女の体を飲み込むほどの勢いでどんどん成長を続けているのだ。
「カール様もご存知のように、魔力の成長が最も著しいのは10歳から15歳にかけての五年間です。これまではいくつかの属性の詠唱魔法を教えることで、何とかバランスを取ってきましたが、これ以上ははっきり言って難しいんです。闇以外の属性について、出来るだけ高位の魔術を学ぶ機会を持ち、バランスよく成長できる環境を整えなければ、最悪命に係わるかもしれないのですよ。」
確かに魔力が急激に成長しすぎると、自分の魔力に飲まれて命を落とすことがある。強い魔力を持つ者が多い貴族の子弟が王立学校への入学を義務付けられているのは、それを防ぐためでもあるのだ。
「しかし、だからと言ってエマを王立学校に入学させるなど・・・私は反対です。苦労するのが目に見えている。全属性を持つ魔術師であればドーラさんが師匠となればよいではありませんか。」
「本当にカール様はドーラにそれができるとお考えなのですか?」
「・・・無理ですね。すみません。発言を取り消します。」
人外の存在であるドーラに人間の子供の成長をサポートできるとは到底思えない。ちょっと考えただけで、どんな酷いことになるか容易に想像できた。
「エマには我が家か、もしくはカール様のルッツ家に養子という形で入ってもらい、貴族としての体裁を整えてから入学させられないかと考えていたのです。ですが王も同じようなことを考えていたようですね。まさか平民のままで入学させるとは予想外でしたけれど。」
「事情は分かりました。ですが私は賛成できません。」
カールは自分の王立学校時代のことを思い出しながらそう言った。下級貴族で魔力をほとんど持たない彼は、ひどい差別と偏見に晒されながら5年間を過ごしたのだ。そこに平民であるエマが入ったらどんなことになるか。
それを考えると、いくらエマの命を守るためとはいえ、簡単に賛成することなどできない。
「・・・王はこれを機会に王国の仕組みを大きく変えようと考えているようです。まずはエマにこのことを話してみましょう。彼女の選択は、今後の王国の未来を大きく左右することになるでしょうから。」
これは単に平民が貴族の領域に立ち入るというだけでの問題ではない。エマを愛するドーラがこのことをどうとらえるか。ガブリエラの言葉の意味を理解したカールは、彼女と目を合わせると、無言で頷きあった。
私が現在拡張工事中の東ハウル村での仕事を終え《転移》で家に戻ると、ガブリエラさんとカールさん、それにミカエラちゃんが家にやってきていた。
三人はこれまでも時々、『お忍び』でこんな風にやってくることがあったけれど、三人が一緒にやってくるのは初めてだ。カールさんとガブリエラさんはフランツさんと話をし、ミカエラちゃんはエマやアルベールくん、デリアちゃんと一緒にマリーさんのお手伝いをしていた。もちろん家妖精のシルキーさんも手伝ってくれている。
家の外に何人か人の気配がするので、多分カールさんの侍女のリアさんとガブリエラさんの護衛の人だろう。いつもだったらリアさんは夕食の準備を手伝ったり、給仕をしてくれたりする。
でも今日は家に入ってこない。そのことを不思議に思いながら、私も一緒に準備を手伝った。夕ご飯が終わり、みんなで干した果物を摘まみながら香草茶を飲んでいるときに、ガブリエラさんが「今日は大事な話があってきたのです」と言った。
彼女は魔力をバランスよく成長させるために、エマを『王立学校』というところに入学させるという話をした。私を含め、皆はそれを聞いて、言葉が出ないほど驚いた。
「エマをお貴族様の学校に通わせるんですかい!?」
沈黙の中、フランツさんが出した大きな声に、デリアちゃんとアルベールくんがビクッと体を震わせた。顔を赤くするフランツさんとは対照的に、ガブリエラさんは冷静にそれに答えた。
「はい。先ほどお話した通りこれはエマのためでもあり、また王国の改革のためでもあるんです。」
王様は貴族だけでなく、魔力を持った優秀な平民が活躍できる国を作りたいのだそうだ。その最初の一人として、エマを入学させたいらしい。まあ、それは分かる。エマは可愛いだけじゃなく、すごく優秀だからね。うんうん。
「俺は反対だ!なんで王様の都合でエマをそんなところに行かさなきゃならないんだ!お前もそう思うだろう、マリー!?」
「・・・あたしはエマの好きにすればいいと思うよ。この子は特別な力がある。それをどう使うかは、エマが決めることさ。」
マリーさんの言葉に目を剥いて驚くフランツさん。エマはそんな両親の様子をじっと見つめていた。
「エマ、今の話が分かったかしら?」
ガブリエラさんの言葉にエマがこくりと頷いた。彼女が「エマはどうしたいと思っているの?」と尋ねると、エマはガブリエラさんをまっすぐに見て答えた。
「私はドーラお姉ちゃんみたいな錬金術師になりたいです。その学校に行けば、ドーラお姉ちゃんみたいになれますか?」
「そうね、様々な魔法をより深く学ぶことができるわ。それにあなたの努力次第でさらにいろいろな技術や知識を身に着けることもできる。もちろん15歳になって卒業した後は、あなたの好きな生き方をして構わない。これは強制ではないの。あなたの意思で決めてもらいたいのよ。」
ガブリエラさんはそう言ってエマに微笑んだ。ミカエラちゃんは何か言いたそうな顔をしてエマをじっと見つめていた。その時、カールさんが口を開いた。
「エマ、正直に言うと私はこの話には反対だ。貴族の中に平民である君が入ることになれば、酷い差別を受けることになるだろう。もちろん、表立っては陛下が止めてくださるだろうが、子供の世界というのは、そんな理屈が通用する場所ではない。」
カールさんの言葉を聞いて、エマはこくりと頷いた。私はそれを聞いて、たちまち不安になってしまった。エマが辛い思いをしたり、傷つけられたりするのは絶対に許せない。ミカエラちゃんもカールさんの言葉で、しゅんと下を向いてしまった。
「ほ、ほら見ろ!カール様だってそう言ってるじゃねーか。俺は反対だ!エマはずっとこの村にいればいい!」
その場に沈黙が降りる。その間に、マリーさんがアルベールくんとデリアちゃんを立ち上がらせ、シルキーさんと一緒に寝室に連れて行った。誰も一言も発しない中で、マリーさんは戻ってくるとエマに向ってこう言った。
「エマ、あたしも本当はあんたを王都に行かせたくはないよ。苦労するのが分かってるのなら猶更さ。」
「そ、そうだろ!俺もそう言いたいんだよ!」
声を上げたフランツさんを手で制してから、マリーさんは言葉を続けた。
「でもね、あんたが大きな夢を持っているのもあたしは知ってる。ハウル村は変わったんだ。ちょっと前ならこの村の女の子は、木こりの女房としての生き方しかできなかった。もちろんあたしは、それを後悔してないし、誇りを持ってるよ。でもあんたには他の生き方を選ぶ力とチャンスがあるんだ。」
マリーさんは大きなお腹に気を付けて立ち上がると、エマの頭を撫でながら言った。
「あんたは賢い子だ。どんな道を選んだって、きっとうまくやっていけるさ。あんたが決めたことを、あたしは母親として全力で応援するよ。」
「お母さん・・・!」
エマの目に涙が光る。ミカエラちゃんはガブリエラさんの手をぎゅっと握った。フランツさんは不貞腐れたように顔を背けたが、何も言わなかった。心配そうに見つめる私とエマの目が合った。
「もし王立学校に行かなかったら、私は魔力に飲まれて死んじゃうかもしれないんですよね?」
エマがガブリエラさんにそう尋ねる。エマが死んでしまうという言葉が、私の胸に締め付けるような痛みを感じさせた。
「そうならないように私が全力でサポートするわ。どんな伝手を使ってでも、あなたの魔術の師匠になれる人間をこの村に連れてきてあげる。」
ガブリエラさんはエマの目を見ながら力強い口調でそう言った。でもエマはそれを聞いて軽く頭を振った。
「ガブリエラ様がこの村のみんなのためにどれだけ苦労しているか、私も知ってます。私のためにそんなことさせられません。私、王立学校に入学します。」
エマの答えを聞いてフランツさんは何か言いかけたが、結局何も言わなかった。マリーさんがフランツさんに寄り添う。彼は「父親ってのは女々しいもんだな」って小さく呟いてから立ち上がると、ガブリエラさんに深々と頭を下げた。
「ガブリエラ様、エマのこと、よろしくお願いします。」
「お父さん・・・!!」
「エマ、頑張れよ。でも嫌になったらすぐに止めていい。俺も母さんもお前の味方だからな。」
エマとフランツさんは二人とも顔中、涙と鼻水だらけにして抱き合った。ミカエラちゃんは涙を流しながらすごく嬉しそうにガブリエラさんと見つめあっている。
話が終わったようなので、私はガブリエラさんに言った。
「エマが王立学校に通うなら、私、毎日送り迎えしますね。」
「んん?・・・あなた何言ってるの?」
「え、だって学校って村の集会所でやってるあんなのでしょう?王都まで往復するのは大変じゃないですか。」
ガブリエラさんが頭を抱えて黙り込み、カールさんが私に説明してくれた。
「ドーラさん、王立学校は『全寮制』で、学生は年に数回しか親元に帰ることができません。」
「え、それじゃあ、エマがこの村からいなくなっちゃうってことですか!?そんな、私はどうすればいいんですか!!」
「あなたはこの村でエマの帰りを待つしかないわね。5年経ったらエマは卒業して戻ってくるから・・・。」
5年!?人間の寿命は短いのに、6年間もエマと離れ離れになるなんて、信じられない!!
「私、てっきりエマはここから学校に通うんだとばかり思ってました。私もエマと一緒に学校に入れてください!!」
「それは無理ね。王立学校は10歳から15歳までと決められてるの。あなた何歳なの?」
「えーっと、それは・・・よく分かんないです・・・。」
多分この世界ができたときには、もう生まれてたと思うんだけど、はっきりした年は分からない。でも15歳以上なのは確実だ。おろおろする私にエマが言った。
「ドーラお姉ちゃん、この村に最初に来た時『王都に行きたい』って言ってたでしょう?私と一緒に王都に行く?」
「え、でも私、まだ色々分かってないこと多いから、失敗しちゃうかもだし、もう少ししてからでいいかなって思ってたんだけど・・・。」
「もう少しってどのくらい?」
「ひゃ、百・・・えっと五十年くらい、かな?」
少なくともエマが生きているうちは、一緒にこの村にいるつもりだったのだ。でも私がそう答えると、みんな呆れ顔で私のことを見た。そんな中、エマが私の手を取って言った。
「私、ドーラお姉ちゃんが一緒に来てくれるなら、すごく心強いよ。私と一緒に王都に行ってくれる?」
「そうだね!私もエマと一緒がいい。ガブリエラ様、エマと一緒に居られるように、王様に頼んでみてください!」
ガブリエラさんはすごく嫌な顔をしたけれど、カールさんが苦笑いしながら「やっぱりこうなりましたね」と言うと、大きなため息をついてから私に言った。
「分かったわよ。でも絶対に余計なことはしないって約束しなさい。いいわね?」
「も、もちろんです!余計なことはしません!約束します!!」
彼女は疑り深い目で私のことを見たが、何も言わなかった。カールさんが私とエマの手を取って言った。
「私は二人のために、何でもするつもりです。ドーラさん、私も一緒に参ります。」
「カールさん!」「カールおにいちゃん!!」
カールさんが来てくれるなら、安心だ。ミカエラちゃんもエマに抱き着いてきた。
「エマちゃん、一緒に学校に行けるなんて夢みたい!!私、すっごく嬉しい!」
エマはミカエラちゃんと手を取り合って笑っていた。私はカールさんと手を繋いだまま、二人の様子を眺めた。そこでガブリエラさんが持っていた杖でこつんと床を軽く突いて、私たちの注目を集めた。
「話は決まりましたね。では明日から早速、そのための準備を始めます。」
「準備?一体何をするんですか、ガブリエラ様。」
彼女はふふっと笑って言った。
「やることはそれこそ限りなくあるわ。でもまずはエマを徹底的に鍛えます。平民だからと貴族に侮られないよう、十分な実力と功績を積み上げなくては。あなたにも協力してもらいますからね、ドーラ。」
種族:神竜
名前:ドーラ
職業:上級錬金術師
中級建築術師
読んでくださった方、ありがとうございました。