91 採集
新章です。
長い長い冬が終わり、やっと春がやってきた。その日私は、魔法薬の調合に使う素材を集めるため、一人で森の奥へ入っていた。
この辺りにはまだ雪が残っているが、真冬に比べるとかなり歩きやすい。森の奥にある泉へと抜ける小道を辿りながら、溶けた雪の合間に見える薬草や食べられる山菜も少しずつ集めていく。
森の中は暗いため、手元を照らすために作り出した《小さき灯》の魔法を頼りに薬草を見つけている。毎年採取しているので、もう大体の場所は分かってるのだ。溶けた雪を少し掻き分けるだけで、簡単に目当ての物を見つけることができた。
摘み取った薬草や山菜は《収納》の魔法で作り出した空間にしまっておく。採集袋も持ってはいるけれど、《収納》内では時間が経過しないので、鮮度が落ちないのだ。
素材の効力を高いまま保持できるから、薬草を集めるときはいつもこうしている。本当にこの魔法は便利だ。私は伸び始めた芽を傷つけないように気を付けながら、集めた素材を次々と《収納》に放り込んでいった。
どんどん歩いていくと雪道の先、木々の間が明るくなり、木漏れ日が見え始めた。もうすぐ泉だ。この泉の周りには、多様な薬草がふんだんに生えている。思った通り、森が開けているこの辺りの雪はほぼなくなっていて、雪解け水にしっとり濡れた薬草が、太陽の光を受けてキラキラと輝いていた。
私は回復薬の原料となるマグルート草や香草茶の材料であるメリッタ草を中心に、様々な素材を集めていった。去年、冒険者ギルドの支部が東ハウル村にできてからというもの、回復薬はいくら作ってもすぐに売れてしまうような状態が続いている。
森の奥を探索している上級の冒険者さんたちによると、もしかしたら森の奥に『迷宮』が発生している可能性があるらしい。ガブリエラ様は村に人が増えた影響かもしれないって言ってたけれど・・・。危ないのは嫌だなあ。
せっせと薬草を集めていると、泉の向こう側、森の奥に続く道の脇にピカピカ光る特徴的な葉っぱが見えた。私はすぐに駆け寄って、雪を掻き分ける。
「やっぱり!カルメリアだ!」
雪に埋もれるようにしてそこにあったのは、カルメリアの芽だった。確か雪が降る前にはなかったと思うので、多分今年の春になって芽吹いたものだろう。この辺りにカルメリアの木はなかったはずなので、去年カルメリアの実を食べた動物が泉の側に移動してきたときにした、フンから芽吹いたものじゃないかと思う。
カルメリアは薬効成分の塊みたいな木だ。そんなに高くならない低木だし、日当たりの良い場所でないと育たないので、こんな森の奥で見つかるとは思わなかった。
もしかしたらこの奥に森が開けた場所があって、そこにカルメリアの木があるのかも?
ちょっと迷ったけれど、私は思い切って森の奥へと続く雪の残るけもの道に足を踏み入れることにした。
森は奥に入るにしたがって、暗くなっていった。鬱蒼と茂る木々が太陽の光を覆い隠してしまっているため、奥を見通すことは全くできそうにない。私は《小さな灯》の明かりを頼りに、どんどん奥へ進んでいった。
森の中には雪が残っているが、けもの道だけは雪が少なくなっているので、逆に辿りやすかった。足を痛めないように、慎重に進んでいく。
途中、木の陰に黒い葉が特徴的な黒羽草を見つけ、思わず小躍りしてしまった。これ、人間には基本猛毒だけれど、強い闇属性の魔力を含んでいる希少な素材で、闇属性の魔道具や魔法薬を作る際に効力を上げる効果があるのだ。
ミカエラちゃんにあげたらきっと喜んでくれるだろう。私は《領域創造》で黒羽草を周囲の地面ごと取り囲むと、そのまま《収納》の中に入れた。手で触ると危ないからね。
うれしくなった私は思わず鼻歌を歌いながら、森の奥へ奥へと進んでいった。
けもの道の先に少し明るい木漏れ日が差しているのが見えた。私は一生懸命に足を動かし、雪に隠れた根に足を取られないよう気を付けながら、先へ先へと進んだ。
「うわあ、カルメリアがこんなにいっぱい!」
暗いけもの道を抜けると、急に森が開けた場所に出た。そこはオークの木がまばらになっており、カルメリアの低木が生い茂る林が出来上がっていた。
多分、カルメリアの実を目当てにやってくる動物たちによって自然とできた林なのだろう。カルメリアの木は今ちょうど薄桃色の花が満開に咲き誇っていた。この花の花弁には強い消炎作用があり、鎮痛作用のある葉と合わせて使うと、強力な痛み止めの薬を作ることができるのだ。
花が冬の間にしか咲かないという珍しい木で、森の生き物にとっての大切な食糧にもなっている。私は手が届く範囲の花と葉を少しずつ集めた。木を傷めてしまっては大変だから、あくまで少しだけだ。
冬が終わったばかりで、まだ花が残っていたのは本当に幸運だった。いくつかの花はすでに実になりつつある。これも内臓疾患の治療薬になるのだ。花が完全に終わった頃にまた取りにこようっと。
カルメリアの低木の周りにはたくさんの動物のフンが落ちていた。実を食べにくる動物たちのものだろう。形から見て、鹿とイノシシじゃないかな。一応《鑑定》で確かめる。うん、やっぱりそうだ。
イノシシがいるのならと思い探してみると、カルメリアの根を掘り返した跡が見つかった。カルメリアの根には冬の間に小さなこぶが出来る。これはイノシシの好物なのだ。私もイノシシの空けた穴を掻きわけて、露出した根を少しだけ切り取った。
雪の残る地面を掘るのは大変だけど、イノシシが掘った後なら簡単に根を採取できる。私は切り取った根に《植物活性化》の魔法を使い、また根を丁寧に埋め戻しておいた。せっかく見つけた木だから、大事にしないとね。
素材を集め終わった私はホクホク顔で林の周囲を見て回った。もちろん他にも何か見つかるかなと期待してのことだ。でも雪が残っているため、大したものは見つからなかった。残念。
もう戻ろうかなと考えているとき、私は頭上から僅かな葉擦れの音を聞いた。私はそれを確かめることもなく、反射的に目の前の林に飛び込んだ。さっきまで私の立っていた場所に巨大な影が落ちてきて、地面を鋭い爪が抉った。
林の中にさっと隠れて振り返ると、そこにいたのは私の身長の3倍はあろうかという巨大な魔獣だった。梟の上半身と熊の下半身を持つ梟熊だった。梟熊が体勢を整え、私に向き直るより早く、私は《収納》から短杖を取り出し呪文を唱えた。
「荒れ狂う風の生み出す雷よ。我が手に宿りて敵を穿て。《雷撃》!」
短杖の先に収束した風の魔力が、青白い雷光となって梟熊の巨体を貫いた。暗い森の木々を青白い閃光が照らしだしたかと思うと、絶叫を上げた魔獣の体がどうと仰向けに倒れた。
梟熊の胸には《雷撃》による焼け焦げができ、体がびくびくと痙攣しているが、まだ絶命していなかった。怒りの声を上げ、何とか起き上がろうと必死にもがいている。
「さすがにこの大きさだと、一撃では無理ね。」
私は短杖を構えて、さらに呪文を詠唱する。
「すべてを閉ざす昏き闇よ。深淵より染み出し世界に潜む者よ。我が力によりて形を成し、命を断ち切る鋭き刃を顕現させよ。《闇の断頭刃》!」
仰向けになった梟熊の眼前に、真っ黒い半月形の巨大な刃が出現した。魔獣の体ほどもある巨大な刃は自重によって落下し、恐怖の叫びを上げる梟熊の首を一気に切断した。地面に落下した刃は、溶けるように消滅する。
梟の顔が《断頭刃》の勢いで森の奥へと吹き飛んで行く。びくびくと痙攣を続ける体からは、血が噴水のように吹き上がり、雪を真っ赤に染めていった。
「一気にとどめを刺そうと思ったけど、これ後始末がたいへんだなあ。《雷撃》をもう一度使えばよかったかも。失敗しちゃった。」
こうやって魔獣と戦うのはもう何度目かだけど、やっぱりまだ慣れない。よく考えたら風属性の梟熊に、風属性の《雷撃》の魔法は効果が薄かったのかも?
報告したら、後でガブリエラ様に叱られてしまいそうだ。私は魔獣の体から血が止まるのを待ち、持っていた採取用の短剣で魔石を取り出した。
カール様の剣と同じ素材でできているこの短剣は、冗談みたいに切れ味がすごい。硬い魔獣の毛皮を易々と切り裂いて、私の拳ほどもある薄紫色の魔石を取り出すことができた。
「風の魔石だ!何作ろうかな?」
私は手に入れた魔石の使い道を考えながら、魔石と短剣を《収納》にしまった。魔獣の素材の回収は私一人では無理そうなので、あとで誰かに手伝ってもらうことにする。私は村に帰るために《転移》の魔法を唱えた。
「世界を織りなす時と位相の糸よ。我が力によりてその理を解き、望む場所への扉を開け。我は望む。時と空間の間隙を越える魔力の翼をこの身に齎さん。《転移》」
次の瞬間、私は自分の家の前に立っていた。ちょっとだけふらっとめまいがする。軽い魔力切れだ。さすがに七語詠唱の魔法は消費魔力がすごい。魔力が完全に切れる前に、私は《収納》から山菜類を取り出して、採集袋に詰めなおした。
「あ、おかえり、おねえちゃん!」
「今日はどこに行ってたの?」
素材の詰め替えが終わった頃、学校が終わって家の前で遊んでいたアルベールとデリアが私に気付いて駆け寄ってきた。
「ただいまアルベール、デリア!いっぱい素材を集めてきたよ。中で話すね。ドーラお姉ちゃんは帰ってきた?」
「さっき帰ってきたばっかりだよ。おねえちゃんがいないから心配してすぐに追いかけようとしたの。それでお母さんにすごく怒られてた!」
二人の双子の弟妹がクスクスと笑う。私は苦笑しながら二人の頭をくしゃくしゃと撫で、家の扉を開けた。
「ただいま!」
「!! エマ!お帰りなさい!大丈夫だった!?どこもケガしてない!?」
私が扉を開けるなり、ドーラお姉ちゃんが私に飛びついてきて、私の体を撫でまわした。私はくすぐったくて思わず「きゃあ!」と声を上げてしまった。
「もう、ドーラお姉ちゃんたら!」
私は逆にドーラお姉ちゃんに抱きついて体をくすぐった。ドーラお姉ちゃんが「ごめんエマ!降参!降参するから!」って言うまでくすぐってから、私はお姉ちゃんに抱き着いた。
「おかえりなさい、お姉ちゃん。王様の用事はもう終わったの?」
「うん、今年も無事に終わったよ。」
私は見上げたすぐ先にあるドーラお姉ちゃんの顔をまじまじと眺めた。お姉ちゃんの顔をこうやって間近で見られるようになったのは、私の背が伸びたからだ。出会ってから5年も経っているのに、ドーラおねえちゃんは全く変わっていない。やっぱりエルフの血を引いているせいなのだろう。
「おや、おかえりエマ。もうすぐ昼ご飯の時間だよ。」
厨房の方からお母さんが大きなお腹をさすりながら出てきた。お母さんはまた妊娠中だ。多分、春のうちにもう一人家族が増えることになる。おじいちゃんとおばあちゃんが亡くなって寂しかった家の中が、また少し賑やかになるかもしれない。
「おう、エマ!ドーラも!戻ってたのか。」
「あ、お父さん、お帰りなさい!」
お父さんもお昼ご飯のために、一旦仕事を切り上げて戻ってきた。私たちは皆で食事の準備をした。家妖精のシルキーさんも給仕を手伝ってくれているため、お母さんもかなり助かっている。
「いつもすまないね、シルキーさん。」
お母さんがそう言うと、シルキーさんは優しい笑顔で微笑んだ。
「いえ、ご主人様のご家族のために働くのが、私の存在理由ですから。」
食事の準備が終わると彼女は厨房の奥に姿を消した。私たちは食卓に着き、お昼ご飯を食べる。今日は柔らかく焼いた黒パンと、ソーセージと乾燥野菜のスープ、そしてヤギの乳で作ったヨーグルトだ。私の大好きな蜂蜜もたっぷりと用意してあった。
「ねえねえ、エマおねえちゃん!今日はどんなことがあったの?」
「森のお話をきかせて!」
「今日はね、すごい発見があったのよ!森の泉の奥にね・・・。」
私は弟妹にせがまれるまま、今朝の出来事を話す。みんなはそれを楽しそうに聞いてくれた。
私は今年の春で9歳になった。来年には自分の仕事を決めて働き始めることになる。仲良しのハンナちゃんは、今年の春から宿の給仕見習いとして働いている。私もこの一年でどんな仕事に就くか、考えるつもりだ。
私はこうやって家族みんなで暮らせるハウル村での生活が、やっぱり一番好きだ。ハウル村にはいろいろな仕事がたくさん増えた。お母さんも「好きな仕事をすればいいよ」と言ってくれている。
ミカエラちゃんは来年から貴族の学校に通うそうだ。私はドーラお姉ちゃんみたいな錬金術師になって、村のために働けたらいいなと思っている。
冒険者の見習いをしているグスタフからは、冒険者にならないかと誘われているけれど、私は魔獣を倒すのはあんまり好きじゃない。素材を集めるためには戦うこともあるけどね。
この一年は私にとって、とても大事な一年になるはずだ。私の話を聞いて、目を丸くしたり大笑いしたりしている弟妹の顔を見ながら、私は家族のために役立てる仕事を選ぼうと、そう考えた。
読んでくださった方、ありがとうございました。