閑話 炎の絆
閑話です。本編には関係ありませんが、よかったらお読みください。
そぼ降る雨の中、南方の最前線を目指して街道を進んでいた北朝軍輜重部隊は、荒野の岩山を抜ける隘路で南朝軍遊撃部隊による奇襲を受けた。積み荷を守るために兵士たちは奮闘する。
だが彼らを取り囲むように配置された伏兵により、進退窮まった状態での戦闘では、勝てる見込みがあるわけもない。必死の抵抗虚しくじりじりと追い込まれ、今や部隊は崩壊の危機に瀕していた。
それでも彼らには簡単に降伏し、積み荷を渡すわけにはいかない理由がある。
彼らが運んでいるのは、南朝軍との戦いが行われている最前線の兵士たちの大切な糧食である。現在北朝軍は、南部戦線でも最大のサスール砦を包囲攻略中だ。この砦に辿り着くまでに、北朝軍は多大な犠牲を払ってきた。
もしこの糧食が届かなければ、包囲を解かなくてはならず、これまでの犠牲がすべて無駄になってしまう。だから物資集積所を兼ねている前線基地から、およそ馬車で二日の道のりを、伏兵を警戒しながら慎重に慎重に進軍してきたのだ。
にもかかわらず奇襲を受けてしまった。なんと南朝軍は岩山の絶壁の上に伏兵を配置していたのだ。
彼らは部隊が岩山の隘路に入り込むのを待って、絶壁の上から突然駆け下りてきた。砂漠を拠点に活動する騎鳥傭兵団による奇襲攻撃だった。
馬よりもやや小柄で身軽な二本足の騎鳥たちを操る彼らは、見上げるような絶壁の僅かな足掛かりを使って、部隊の前後を挟むように滑り降りてきた。部隊を守る歩兵たちは槍と盾を構えて密集陣形を形成し、騎鳥たちを寄せ付けまいとしたが、身軽な彼らは動きの遅い歩兵たちを易々と翻弄する。歩兵たちは一人また一人と倒されていった。
雨が降っているため、運んでいる糧食に火を掛けられないで済んだことが、不幸中の幸いだったと言える。だが、雨のために伏兵による奇襲を許してしまったのも、また事実であった。
「おい、いい加減、降参しちまいな!俺たちの仕事は補給の妨害だ。お前らと命がけで戦う理由も義理もねえ。このまま逃げるなら追わねえぞ!」
相手の指揮官らしい隻眼の男が、輜重部隊を守る歩兵部隊の隊長に呼び掛ける。だが彼はそれを一切無視して生き残った部下たちに、号令をかけた。
「盾を構え、前進せよ!ここを抜ければ包囲戦をしている本隊がいる!隊列を組め!」
隊長の号令に隊員たちは一糸乱れぬ動きを見せ、ゆっくりと前進を開始する。部隊後方を守っている者たちは何とか持ちこたえてくれているが、最初の奇襲で戦列の内側に入り込んだ敵により攪乱され、十分な力を発揮できずにいた。
馬車を守るために配置していた兵士たちが剣で必死に応戦しているものの、岩壁を利用して立体的に攻撃を仕掛けてくる騎鳥たちを牽制するだけで精一杯。こうなれば後方の味方を犠牲にしてでも、前方の敵を討ち破り、本隊の待つ平原に辿り着くしかない。
強行突破を敢行しようとした歩兵部隊の動きを見て、隻眼の男は大きく舌打ちをした。
「伏兵に気付かず、奇襲を許した時点でもう負け確定だってのに、厄介な相手だぜ。おう、矢を上空に放て!奴らに矢の雨をお見舞いしてやるんだ。」
指揮官の命令に従い、騎鳥に乗った傭兵たちが一斉に矢を放つ。軍装が統一されていないため、大小さまざまな大きさの矢が、バラバラと歩兵たちに降り注いだ。防具の隙間に刺さった矢によって傷つく兵士たち。だが彼らは歩みを止めることなく、盾をしっかり前方に構えたまま、前進を続けた。
矢が上から降り注げば、盾を頭上に構えたくなるのが人間の心理というものだ。指揮官はそうやって戦列が崩れたところを突いてやるつもりだったのだが、当てが外れてしまった。
「ちっ、本当に厄介な仕事を受けちまった。火矢か火の魔法が使えりゃあ、積み荷を燃やしてドロン出来るのによ。おめえら、距離を取りながら矢を撃ち続けろ。」
数度に渡る矢の攻撃によって兵士たちが倒されるが、すぐにその穴を別の兵士が補う。降り注ぐ矢の恐怖に耐えながらじりじりと前進できるのは、彼らの高い士気・練度によるものだ。軍の生命線ともいえる輜重部隊の守備隊は、北朝軍の中でも最も防御に優れた精鋭によって構成されている。
だがそんな彼等とて不死身ではない。あとわずかで隘路を抜けるというところまで辿り着いたものの、ついに部隊の前進が止められてしまった。まさに絶体絶命。
歩兵部隊の隊長がもはやここまでかと思ったその時、絶壁の隘路に響き渡るほどの大音声が、前方に陣取る騎鳥部隊の後ろから響いた。
「朝敵に与する鳥頭どもめ!俺の炎で燃え尽きるがいい!!」
次の瞬間、騎鳥を操る傭兵たちの頭上に、炎でできた槍が無数に出現し、騎鳥めがけて一斉に降り注いだ。騎鳥の羽は雨でぐっしょりと濡れているにも関わらず、炎の槍は騎鳥たちの体を次々と燃え上がらせた。
苦手な炎の攻撃を受け、混乱して制御を失う騎鳥たち。傭兵の指揮官は、彼らの後ろに現れた赤い髪の男を目にするなり、部下たちに叫んだ。
「撤退だ!『狂皇子』が来やがった!」
「この雨の中であんな高威力の炎魔法だと!?!バケモンかよ!」
「なんであいつが!?サスール砦にいるんじゃなかったのか!!」
必死に鳥たちを宥め、岩壁を蹴りながら次々と傭兵たちが戦場を離脱しようとする。それを見た赤い髪の男は、傍らに控えていた戦友に叫んだ。
「逃がすものか!タリス、いつもの奴を頼む!!」
「私の名はフルタリスだと何度も言っただろうが。」
ぶつぶつ言いながらも長身のエルフの剣士、フルタリスは自分が最も得意とする精霊魔法を詠唱した。
「炎の精霊と縁を結びし森の子が呼び掛ける。世界の根源たる炎より生まれし、力強き翼を持つ者よ。今、我が求めに応じ、ここに現界せよ!《霊獣召喚:炎舞鳥》!」
フルタリスの足元に描き出された魔方陣から、巨大な炎が吹き上がる。上空に舞い上がった炎は、たちまち形を変え、長い尾を持つ美しい鳥の姿になった。だが召喚された炎舞鳥は、雨の中に呼び出されたことに対して不満の鳴き声を上げた。
「よしいいぞ!来いタリス!!」
フルタリスは炎舞鳥を宥めつつ、我儘な相棒に向けて霊獣を突進させた。赤い髪の男の全身が炎に包まれ燃え上がる。彼の着ていたゆったりとした白い服はあっという間に燃え上がり、灰となって消え失せた。
だが彼の体には火傷の後一つない。それどころか炎を纏うように腕を大きく振るうと、マントのように広がった炎によって彼の体がさっと宙へ舞った。
彼は上空から魔法を使って、逃げていく傭兵たちに向って散々《炎の槍》を降らせた。
「畜生、なんてデタラメな野郎だ!『紅蓮の狂皇子』め!!」
傭兵隊の隊長はわずかに生き残った部下をまとめながら、彼らの領域である砂漠へと這う這うの体で落ち延びていった。
兵士たちが自分たちを救ってくれた北朝の第二皇子に対して、歓呼の声を上げた。上空からそれに手を振って答えた皇子は、雨の中で不満そうに立っている相棒の元へ降り立った。
「殿下!それにフルタリス殿!本当に助かりました!しかし殿下は攻城戦の最中ではなかったのですか?」
「隊長殿、ご無事で何よりです。このバカ皇子が『城攻めは退屈だ』などと言い出して、勝手に抜け出したのです。私はそれを追いかけてきたのですが・・・。」
「結果として糧食を守れたからよかっただろう?俺に城攻めは向いておらん。兄上がいれば大丈夫だ。隊長、俺たちが部隊の護衛をする。安心していいぞ!」
はっはっはと高笑いする皇子を、じっとりとした目で見つめるフルタリス。炎舞鳥は機嫌を損ねて帰っていった。次に呼び出すときには、かなりの魔力を消費しなければならないことだろう。
それにも気づかず笑っている皇子に、隊長が自分の着ているマントを差し出した。
「殿下、これをお召しになってください。今、代わりの服を持ってまいりますので・・・。」
「ああ、すまん!助かる!」
炎に焼き尽くされ、火鼠の毛皮で作った腰巻一丁になった皇子は、隊長のマントをさっと羽織った。
「さあ、行くぞ!タリス!」
「・・・けが人の手当てが済んでからだ、バカ者。それに私の名を人間風に縮めるな、アウレルム。」
「お前だって、俺の名をエルフ風に長くしてるじゃないか!まあ、おあいこだな!」
そうやって高らかに笑う、うんと年下の親友を、フルタリスは苦笑しながら見つめていた。
フルタリスはエルフの森に住むタラニス氏族出身のエルフだ。だが彼は自分の里で浮いた存在だった。
それは彼が森の子であるにも関わらず、炎の精霊と強い縁を持っていたからだった。
エルフ族は森の守り手として、生まれながらにして精霊との強いつながりを持っているが、通常は風や水の精霊とのつながりを持って生まれてくる。強い力を持ちながらも、森に破壊を齎す炎の精霊は、エルフ族では忌避される傾向が強かった。
そのためフルタリスは150歳を過ぎた頃に自ら森を出て、人間の世界を放浪して歩いた。当時の大陸は『大変動』から400年程が経過した頃。荒廃した大地が元に戻りつつあったとはいえまだまだ地の恵みは乏しく、僅かな土地を巡って戦乱の絶えない時期であった。
彼は炎の精霊の力を使って傭兵となり各国を渡り歩いた末、100年程後に大陸の西にある大国へと流れついたのだった。そこでは巨大な帝国が南北二つに分裂した後の覇権をめぐり、長く激しい戦いが繰り広げられていた。
彼はたまたま辿り着いた北朝軍に参加し戦った。別にどちらに与してもよかったのだが、南朝の暑い気候が体に合わなかったというのが、北朝側に付いた最大の理由だった。
100年間、ひたすら戦い続けたことにより、彼は大陸西部では並ぶ者がないほどの無双の剣士となっていた。だが彼にとって、人間同士の戦いはひたすらに虚しいものだった。それでも戦い続けたのは、そうしなければ自分が消えてしまうような気がしていたからだ。
アウレルムと出会ったのはそんな時だった。北朝軍でもめきめきと頭角を現した彼に、アウレルムが勝負を挑んできたのだ。
「お前は炎の精霊の力を持っているそうだな!ならば俺とも互角に戦えるかもしれん!」
自分の十分の一も生きていない子供の言い分など聞き流せばよかったのに、彼はその誘いに応じた。なぜなのかはいまだによくわからない。もしかしたらアウレルムの燃えるような赤い髪と、紅玉のような瞳に魅せられたのかもしれない。
結果、彼は人生で初めての敗北を経験した。もちろん全力で戦ったわけではないし、勝負自体は互角だった。だが彼は、自分以上に炎との縁の強い人間がいるということを、その時初めて知ったのだ。
アウレルムは彼の呼び出した精霊をことごとく自分に憑依させ、それを己の力として戦った。
「我が国に伝わる古の戦闘術でな。『精霊憑依』という技だ。」
彼は人間の身でありながら精霊に愛されるほど、生まれつき強い炎の魔力を持っていた。まさに炎の化身ともいうべき存在だったのだ。その日以来、二人は親友として、相棒として、そして戦友として共に過ごしてきた。
彼はアウレルムに自分の持つ剣士としての技や精霊についての知識を授けた。アウレルムは戦士としてもすぐれた資質を持っており、乾いた砂が水を吸うようにそれを吸収していった。やがて彼はその凄まじい戦いぶりから、味方からは『炎の守り手』、敵からは『紅蓮の狂皇子』と呼ばれるようになっていったのだった。
フルタリスとアウレルムの活躍により、包囲戦を継続することができた北朝軍は、サスール砦を陥落させ、南朝の拠点を次々と攻略していった。二人は常に最前線に立ち、数多の強敵との死闘に明け暮れた。そんな日々が10年余りも続いた後、ついに南朝が北朝に降伏し、大陸西部に巨大な帝国が誕生したのである。その時にはすでに、アウレルムは40歳間近になっていた。
南北朝統一を果たした帝国の初代皇帝にはアウレルムの兄が即位した。アウレルムも皇弟として広大な領土を持つ貴族に推挙された。だが彼は「自分は兄上の臣下だから」とそれを固辞し、帝国軍の一将軍職に留まった。
その後も彼は特定の拠点も、家族すらも持たず、生涯帝国のために力を尽くし続けた。
「俺はこれまで戦いで多くの者を傷つけてきた。やっと多くの民が平和に暮らせるようになった今、それを守るのが俺の償いだ。」
彼はいつもフルタリスにそう言って笑った。燃えるように赤く美しかった髪にも白いものが混じり始め、目尻に深い笑い皺が刻まれてはいたが、彼の瞳はいつまでも出会った時のまま、キラキラと輝いていた。
それからおよそ20年の後、アウレルムの兄である初代皇帝が病に倒れると、彼はすべての官職を辞し、荒野へと旅立った。フルタリスはそんな彼に付き従い、彼の旅を支えた。
気ままな二人の旅は本当に楽しかった。二人は互いを思い合い、より絆を深めた。旅の空で、彼の甥である次期皇帝が無事に戴冠を終えたという噂を耳にした。彼は「よかった。本当によかった」と涙を流した。この頃の彼はとても涙もろくなっていた。
そんなアウレルムもついに病に倒れた。その頃には彼の燃えるように赤かった髪も、すべて白い色に変わっていた。フルタリスは彼の病を癒すために奔走した。だが彼はそれを笑顔で拒んだ。
「もう・・・いいんだタリス。俺はもう十分生きた。」
「そんな!お前が死んだら、この国はどうなる?私はどうすればいい!?」
涙ながらに彼の手を握るフルタリスを、アウレルムは笑った。
「はっはっは・・・お前は自由に生きてくれ。俺は、俺の死んだ後のことまで、面倒見切れないぞ。」
「いやだ!アウレルム!死ぬな!私を置いていかないでくれ!!」
「・・・しょうがない奴だな、タリス。じゃあ俺が死んだら、精霊になってお前を助けてやるよ。だから最期はお前の炎で燃やしてくれ。」
フルタリスは何と言ってよいか分からず、ただひたすらに泣き続けた。それから3日の後、アウレルムは彼の腕の中で眠るように息を引き取った。病の床にあっても最期まで笑顔を絶やさなかったアウレルムの死に顔は、とても穏やかだった。
フルタリスは約束通り、自分の精霊魔法で彼を荼毘に付した。どんなに炎にまかれても焼け焦げ一つ付かなかった彼の体は、精霊の生み出す炎であっけなく燃え尽くされ、灰さえ残らなかった。
彼は精霊魔法でアウレルムを呼び出そうと必死に努力したが、アウレルムがそれに答えることはなかった。アウレルムの魂は炎に焼き尽くされてしまったのだろうか。彼は置き去りにされたことに深い深い悲しみを覚えた。
彼はその後も、アウレルムの作った国を時には陰から、また時には表舞台に立って守り続けた。だが彼の願いも虚しく、150年を過ぎた頃に帝国は大規模な内乱によって瓦解し、再び別の王朝が勃興した。その頃にはアウレルムの名を覚えている者など、もう一人も残っていなかった。
フルタリスは定命の者、人間をひどく軽蔑するようになっていた。彼は心に深い傷を負い、生まれ故郷であるタラニス氏族の森へと帰った。彼は大妖精の力によって記憶の一部を封印し、一族の守り手となった。そして多くのエルフの戦士を育てることに注力した。
やがて彼はタラニス氏族で最も尊敬される戦士となり、森の導き手の一人として確固たる地位を得ることができた。
それからおよそ300年後、フルタリスはドーラに出会った。かつての自分と同じように、人間と深い縁を持つ人外の存在。彼はドーラを放っておけなかった。このままではきっと、彼女は心に深い傷を負うことになるだろう。今の私と同じように。そうなる前に、何とかして止めなくては。
しかしドーラと過ごす数日間で、彼はかつてアウレルムと駆け抜けた日々を鮮やかに思い出した。彼が魅かれたアウレルムの奔放さ、矜持、そして笑顔。すべてが心の奥底から蘇ってくるようだった。胸を締め付けるような悲しみと焼けつくような切なさと共に、大きな喜びが彼の心を満たした。
アウレルムは彼を残して消えたが、アウレルムのくれた思い出は消えることなく彼の中で生き続けていたのだと、その時はっきりと自覚した。だから、ドーラが人間と過ごした大切な記憶を奪われることを許せなかったのだ。
ドーラを『妖精の揺り篭』から解放するため、彼は自分の精霊力を限界まで引き出した。彼は無意識にアウレルムの名を叫んでいた。その時、炎の中から確かに聞こえたのだ。「しょうがない奴だな、タリス」と。
タラニス氏族の長老となった彼は今、ドーラと妖精たちの力によって再生した里を眺めて考える。私の選択は間違っていなかった。
胸に手を当てて自分の魔力を探ると、あの赤い瞳をした自由な男の笑顔が見える気がする。今は里を導くという大切な役目があるが、いつかは自分にも森に還る日が訪れるだろう。
その時には自分を待ってくれている親友に堂々と胸を張って「私も十分に生きたぞ」と言えるようになりたい。フルタリスは胸に当てた手で拳を作ると、かつて親友同士で交わしたようにその拳を大きく前に突き出した。
「待っていてくれ、アウレルム。」
彼は呟くと、彼を待っている多くの弟子たちの元に、一歩一歩確かな足取りで歩いて行った。
読んでくださった方、ありがとうございました。