83 エルフの里 前編
感想を書いていただきました。その中で指摘していただいた部分を、前半部に書いてあります。感想をお寄せくださった方、本当にありがとうございました。
ドルアメデス国王ロタール4世は、執務室の机の上に置かれた虹色の石を見ながら、腹心の部下であるハインリヒ・ルッツ男爵に言った。
「ドーラさんの正体が神竜だったとは・・・。いやまさかとは思っていたが・・・。」
「本当に驚きました。これが竜虹晶ですか。初めて拝見いたしました。」
ハインリヒは机の上の宝石箱の中で虹色の輝きを放つ小石を一つ摘まみ上げる。息子のカールと同じく、ほとんど魔力を持たない自分であっても、体の中の魔力を揺さぶられるほどの力を感じる。まさに高純度の魔力の塊だった。
「この石は竜涎石と並んで王家、ひいては我が国の富の源泉だからな。その存在は王家の人間を除けば、ごく一部の神殿関係者と王立魔法院の研究者しか知らない。まさに王国の秘中の秘。ガブリエラ殿は知っていたようだがな。」
本来なら加工した状態でしか流通することのない希少な素材のことを、彼女は知っていた。恐らく父親である故バルシュ侯爵を通じて、実物を手にしたことがあるのだろう。それを聞いたハインリヒが、神殿や王立魔法院の身辺を洗いなおす必要がありそうだと考えていると、王は呟くように彼に言った。
「私自身もこれほど高純度の竜虹晶を見たのは初めてだよ。神殿で採取される竜虹晶は、虹色の輝きを帯びた鉱石だが、この石は輝度、透明度共に宝石と言っていい。内包されているまさに魔力量も桁外れ。並みの錬金術師では《分析》することもままならないはずだ。」
「それは、彼女が人間の姿をしていることに関係しているのでしょうか?」
「おそらくはそうだろうな。これまでも幸運の女神だと思っていたが、まさか大地母神様そのものだったとは・・・。一時は彼女を葬ろうなどと考えたこともあったが、今になって思えば本当に馬鹿げたことを考えたものだと思うよ。」
そう言って苦笑する王に同意するように、ハインリヒは言葉を重ねた。
「彼女が冬の終わりから春の初めに姿を消したという報告があったのは、そういうことだったのですね。」
「おそらくはな。神事のために神殿に帰っていらしたのだろう。」
王は毎年神事で彼女と対面していたにもかかわらず、それに気づけなかったことを自嘲するように笑った。
「今後はどうなさるおつもりですか?彼女の下に神殿関係者を差し向け、神として遇するのでしょうか。」
「・・・いや、それはやめておこう。彼女がそれを望んでいないことは明らかだ。ガブリエラ殿もそれが分かっているから、彼女に対してこれまで通りに振舞っているようだしな。我々もこのまま、我が国の守り神を見守ろうではないか。」
守り神を見守るという矛盾した言い回しに、王がクスリと笑みをこぼす。それに対しハインリヒの表情は暗いものだった。
王の言う通りの対応が最も良いのだろうとは思いつつ、ハインリヒは不安を隠せずにいた。大地母神はこの国の根幹と言ってよい存在だ。それが市井の人々に交じって生活するなど危険すぎはしないだろうか。
何らかの対策を講じるべきかと策を巡らす親友を、窘めるように王は言った。
「ハインリヒ、彼女に何かしようなどと考えるなよ。神に対して我々人間などがどうこうできる筈がない。それは傲慢というものだ。神に対してはただ祀ろうのみ。」
「はい。承知いたしました。」
そうやって頷く親友を苦笑しながら見つめるロタール4世。それでもハインリヒは、私と王国のためとなれば、神ですら殺そうとするのだろうな、と思えてしまう。忠誠心の高すぎる配下を慮って、王は彼に命令を下した。
「ただ竜虹晶や竜涎石が国外に流通しないようにだけ、気を付けておいてくれ。もし市場に出回っているものがあれば、すべて回収し私の元へ届けてほしい。強引な手段はなしだ。あくまで適正な価格での買取をするんだ。」
「心得てございます。」
適正、つまりは希少な素材だと知られない程度の価格で秘密裏に、ということ。王の意を察して、ハインリヒは頷く。
「くれぐれも大地母神様の意に背くことがないように留意せよ。彼女の正体については出来るだけ伏せるのだ。」
王は願いを込めるかのような口調で、呟くように言った。
「気まぐれな女神が、この国を嫌ってふいっと出ていくことなど、決してあってはならないのだからな。」
柔らかい木漏れ日が差す緑のトンネルを抜けていくに連れ、次第に強い魔力と妖精の匂いを感じるようになった。
「森の妖精の匂いがします。」
「おお、お分かりになるのですね。あなたはやはり我々の世界で暮らすべき方・・・。」
「フルタリス殿、今はその話をする時ではないはずだ。」
嬉しそうに口に出したエルフ族のフルタリスさんの言葉を、カールさんが横から遮った。フルタリスさんはコホンと小さく咳払いをして、カールさんに詫びた。
「そうであったな。ではまずは我らが里をドーラ様に見ていただき、我が氏族の者と話をしていただくとしよう。」
馬車は長い長い緑のトンネルを進んでいくけれど、その途中で何回か、魔力の膜のようなものを通り抜ける感覚があった。
「あなた方の里は随分厳重な結界で守られているのですね。」
ガブリエラさんがそう問いかけるけれど、フルタリスさんはあえてそれに答えなかった。でも耳が僅かに震えたから、きっと驚いていたんだと思う。ガブリエラさんは人間の中でもずば抜けて魔力が高い。
カールさんは分かっていなかったみたいだし、フルタリスさんは人間なんかに気づかれるはずがないと思ってたんじゃないかな。
これは森の妖精たちがいたずらでよく使う、相手を道に迷わせるときの魔力のような気がする。正しい道を見つけられないと、ずっと同じ場所をさまよい続けることになるのだ。
私が昔、森の妖精たちと遊んだ時のことを思い出していると、特に強い魔力を通り抜けた感じがあり、不意に緑のトンネルを抜けた。
人間たちが一斉に驚きの声を上げる。フルタリスさんは私たちを馬車から降ろして言った。
「ようこそ我が氏族タラニスの里へ。我々はドーラ様と同盟者殿を心から歓迎いたします。」
私は目の前に広がる光景に目を奪われた。フルタリスさんが自慢げなのも納得できる。なんて美しい場所なのだろう。
緑のトンネルの先に広がっていたのは、美しい水を湛えた巨大な湖だった。その湖にはいくつもの小さな島が浮かんでおり、その一つ一つに巨大な木がまっすぐに生えていた。
大きく枝を張った木の上には、赤や青や黄色、その他あらゆる美しい色合いを持つ素材で作られた小さな建物がいくつも連なっている。下から見上げると、枝一杯に色とりどりの小鳥たちが止まっているように見えた。
巨大な木の周りには、木と蔓で作られた小道があり、それは吊り橋で他の木と繋がっている。空中で無数に道が交差する様は、ワクワクするような光景だった。
小島には色とりどりの花が咲き乱れ、たくさんの蝶や蜜蜂が飛び交っている。湖の上にいた水鳥たちが、煌めく水飛沫を飛び立ち、天辺が見えないほど巨大な木々の間を、他の鳥たちに交じって飛び去って行った。
巨大な湖には何艘もの美しい小舟が浮かび、多くのエルフさんたちが乗っている。革鎧とマントを付けていないことを除けば皆、フルタリスさんと同じような格好をしていた。舟には様々な木の実や茸、そして魚がたくさん載せられている。きっとあれがエルフさんたちのご飯なのだろう。
驚きに目を見張り、口をあんぐり開けてエルフさんの空中の町を見上げる私たちに向って、湖の奥から一際大きく美しい舟が滑るように近づいてきた。帆も漕ぎ手もいないのに静かに進むその不思議な舟には、色とりどりのローブを着、杖を持ったエルフさんたちが一杯乗っていた。
舟はひとりでに岸に作られた桟橋に止まった。そして舟から降りた、たくさんのエルフさんたちが私の方に向って歩いて来た。彼らは私の前に跪いた。彼らの先頭にいる、豪華な装飾の施された額冠を付けた男性のエルフさんが、私を見上げて話しかけてきた。
「ドーラ様でいらっしゃいますね。戦士フルタリスより話を聞いております。ようこそ我らがタラニスの里においでくださいました。私はこの里の長老、ナギサリスと申します。歓待の用意ができておりますので、どうぞ舟にお乗りください。」
いつの間にフルタリスさん、連絡してたのかしら。戸惑う私に代わり、ガブリエラさんとカールさんが前に進み出てそれに答えた。
「ドルアメデス王国男爵、ガブリエラ・バルシュでございます。以後お見知りおきを。」
「同じくカール・ルッツ男爵です。此度の件について国王の名代としてご説明に上がりました。」
私を守るように立つ二人に対して、長老さんの後ろに控えていたエルフの女性が立ち上がり、声を荒げた。
「定命の者の分際で、我らの言葉を遮るとはなんと無礼な!やはり人間と相いれることなどできぬ!」
彼女に同調する声と、それを非難する声が同時に上がる。だが声を荒げるという感じではなく、静かなざわめきのような声だった。きっと声を荒げた彼女が特別なのだろう。
「ロウレアナ、大妖精様にも匹敵する方の御前でそのような振る舞い、どちらが無礼か考えてみよ。」
長老がロウレアナと呼ばれた女性に声をかけると、彼女は憮然とした表情で再び跪いた。でも彼女の目には隠しようのないほど、ガブリエラさんたちへの敵意が満ちている。
「氏族の者が失礼をしました。彼女はまだ200年も生きておらぬのです。若さ故の不明、どうかご容赦いただきたい。」
「いえ、そもそも我々の不手際をご説明に参ったのですから、そのようなお気遣いは無用です。」
カールさんと長老さんがお互いにお辞儀をし合う。その後、話し合った結果、カールさんとガブリエラさんだけが、私と一緒に舟に乗ることになった。馬車の御者さんや護衛の騎士さんたちには帰ってもらうことにした。
「ガブリエラ様、馬車を帰しちゃってよかったんですか?帰りはどうするんです?」
「バカね、あなたが転移魔法で連れて帰ってくれるでしょう?」
「あ、そうか!そういえばそうですね!」
私たちが小声で話しているのを聞いて、フルタリスさんが苦々し気な表情をした。ガブリエラさんは彼に対して「してやったり」と言わんばかりの目線を送る。なんでだろう?
私たちを乗せた舟はまた滑るように水面を進んでいった。
「この舟、どうやら大きな魔道具みたいね。私たちの魔術とはずいぶん違うみたいだけど。」
ガブリエラさんが興味深げに、舟の動く様子を見つめている。多分《分析》したくてうずうずしてるんだろうな。でも周りをエルフさんたちに取り囲まれているから、我慢しているみたいだった。
やがて舟は巨大な湖の中央付近にある、一際大きな島に着いた。その島には途方もない大きさの木が生えている。
「ここが我らの祖たる大妖精様が住まわれている聖地です。氏族の主だったものの住居も兼ねているのですよ。さあ、こちらへ。」
私たちは長老さんに案内され、彼らの住居である巨木に向って歩いた。巨木の添うように作られている階段と小道を辿って、枝の上に作られている丸い形をした建物に入った。装飾の施された両開きの扉の内側には広間があり、そこには歓迎の宴の用意がされている。
私たちが席に着くと、きれいな刺繍のあるドレスを着たエルフの女性たちが、飲み物の入った壺を持って入ってきた。
「ではドーラ様の歓迎の宴を始めようではないか。皆の者、酒杯を手に取れ。」
私の席に置かれた木の酒杯にも、エルフの女性が飲み物を注いでくれた。金色のとろりとした液体がなみなみと入っている。ガブリエラさんはこっそり《毒物探知》の魔法を使っていた。長老の乾杯の声と共に皆が飲み物を口にする。私も一口飲んでみた。
すごく甘い花の香りが口いっぱいに広がる。これは花の蜜を集めて発酵させたお酒のようだ。ものすごく甘くて美味しい。私はまた一口、もう一口と飲んで、すっかり気持ちよくなってしまった。
「お気に召していただけましたかな?我が里に伝わる秘伝の酒なのです。ここにドーラ様がいてくださるならば、いつでも振る舞わせていただきますぞ。」
こんなに美味しいお酒がいつでも飲めるなんて、すごく素敵だ。
「すごく気に入りました。でも私は家に帰らないと・・いけないので・・・。」
あれれ、何だかすごく眠たくなってきた。どうしたんだろう。ふと見ると、ガブリエラさんとカールさんも、テーブルに突っ伏してしまっている。私の手から酒杯が零れ落ちた。いけない、起きていないと。
そう思ったのに、どうしても瞼が降りてしまう。私はそのまま深い眠りに落ちていった。
「長老!こんな騙し討ちのような真似、私は聞いておりませんぞ!」
戦士フルタリスが長老を大音声で怒鳴る。だが長老はそれを意にも介さず、彼に向って言った。
「この方の力は、定命の人の子には過ぎたるもの。この方は我らの里に居ていただく。それがこの方のためでもあるのだ。悠久の時を生きる者にとって、定命の者との暮らしは悲劇しか生まぬ。それはお主も分かるであろう、フルタリスよ。」
「!! それは・・・。ですが、こんなやり方はあんまりです!里の大妖精様に会っていただき、その上でドーラ様自身に決めていただくという話だったはず。神霊を欺くようなことをして、よい結果が得られるとは思いませぬ!」
長老はその叫びを無視し、配下の者に指図をした。
「この方は人間たちに騙されておられるのだ。このまま100年程眠っていただけば、人の子とのつながりも途絶えよう。ドーラ様を大妖精様の寝所へお連れしろ。この人間たちは・・・そうだな、ロウレアナ、そなたに任せる。好きにするがいい。」
長老に名を呼ばれた戦士ロウレアナが、恭しく頭を下げる。その眼には人間への憎しみが溢れていた。
フルタリスにも長老の言っていることは痛いほどわかる。定命の者との関わりが彼らにとって耐えがたい悲しみをもたらすことを、フルタリスはよく知っていた。
だが彼の脳裏にはこの数日間で目にした、人間たちとにこやかに会話し共に笑いあうドーラの姿が強く焼き付いている。これが本当に一番良いやり方なのだろうか。胸を引き裂くような彼自身の心の痛みと、ドーラの笑顔が彼の思いを強く揺さぶる。
フルタリスはどうすることもできないまま、茫然とその場に立ち尽くしていた。
配下の者に眠ったままのカールとガブリエラを聖樹の外へと運び出させたロウレアナは、柔らかい草の上に二人を投げ出させ、人払いをした。二人は死んだように眠っている。他愛もないものだ。女の方は多少魔術の心得があったようだが、大妖精様の寝所に咲く『時騙しの花』のことは感知できなかった。
時騙しの花の蜜は毒ではない。一時的に過去の記憶を呼び覚ますために使われる薬だ。悠久の時を生きるエルフ族にとって、過去の記憶は時として毒となる。だから彼らは日頃、それを意図的に封印して生きている。それを呼び起こすための薬がこの花の蜜から作られるのだ。
ただエルフ族にとっては一時的に眠った記憶を呼び起こすだけだが、定命の者が摂取すれば、醒めることのない眠りに囚われることになる。彼らはこれでもう二度と目覚めることはない。夢の世界をさまよっている間に、私がこの手で息の根を止めてやる!
ロウレアナは倒れている二人のうち、無意識に女の方に近づいた。それは彼女自身の心の奥底に眠る、人間の男への恐れがそうさせたものだが、彼女は気が付いていない。彼女は白いローブを着た女の体を乱暴に足で蹴って転がし、仰向けにさせた。
白い髪に縁どられた顔を見た瞬間、彼女の心の奥から激しい憎悪の念が沸き上がる。かつて人間に騙され囚われたときの屈辱と恐怖、そしてそれが原因で大切な両親を失った悲しみ。百数十年経った今でも消えることのない思い。彼女は装飾の施された母の形見の短剣を握る手に力を込めた。恐怖に打ち克つべく、奥歯を噛みしめ、震える左手で女の髪を掴む。
喉をむき出しにするため、髪を後ろに引いたところで、眠っているはずの女が突然彼女に語り掛けてきた。
「殺さないで・・・。」
恐怖のあまり、思わず髪を掴んだ手を放してしまうロウレアナ。人間に対する恐怖心が憎しみを上回る。ガタガタと震える体を両手でしっかりと抱き、女を見つめる。意識を取り戻して命乞いをしたのかと思ったが、女は深い眠りの中にあるようだ。ただのうわ言だったらしい。
「命乞いなんて!私を攫い、父様と母様を殺しておいて、そんなこと許すものですか!」
彼女は再び、女の白い髪をぐっと掴む。また女が「殺さないで」と呟いた。憎しみが彼女の視界を赤く染める。彼女は女の細く白い首を切り裂こうと、持っている短剣を振り上げた。
「お願い、もう殺さないで。私の大切な人をこれ以上もう・・・。お父様、お母様、お兄様、お姉様。ああ、みんな、私を置いて行ってしまう。」
女がそう呻くように呟くのを聞いて、彼女は振り上げた刃を止めた。女の目から透き通った涙が一筋、頬に流れ落ちていく。女は今、夢の中で心に封印した記憶を見ているのだ。
「あ、あなたも、家族を・・・!?」
憎い仇としか思えなかった目の前の女が、自分と同じ痛みに耐えているのだと思った瞬間、彼女は自分のしていることが恐ろしくなった。彼女の右手から力が抜け、短剣が滑り落ちる。だが眠っているはずの女が、彼女の問いかけに答えるはずもない。
「・・ピエー・・ル様。」
女の目からは涙がとめどなく溢れてくる。ロウレアナは彼女をそっと抱き起こした。女の首にかかっていた銀の首飾りが、服の隙間から零れて落ちた。涙の形をしたその首飾りは、その女が抱える悲しみと痛みが形になったようだと彼女は思った。
彼女は泣いている女を苦労して抱きかかえると、もう一人横たわっている男の横にそっと寝かせた。この二人は私から大切な人を奪った人間たちではない。今この二人を死なせたら、私も奴らと同じことをしてしまうことになる。
ロウレアナは持っている短剣を腰のベルトに戻すと、ローブを翻し、大妖精の眠る寝所へと駆け出した。
種族:神竜
名前:ドーラ
職業:錬金術師
見習い建築術師
見習い給仕
所持金:66243D(王国銅貨43枚と王国銀貨107枚と王国金貨36枚とドワーフ銀貨27枚)
読んでくださった方、ありがとうございました。