77 宿屋
あと1話か2話、村づくりのお話が続きます。多分。
夏の半ば過ぎ、改装を終えたばかりの事務所に座り、歓楽街の復興計画を検討していたベテラン冒険者マヴァールのところに、一人の男が駆け込んできた。
「ボス、今、よろしいですか?」
マヴァールは倒壊した酒場の再建費用の請求書を机に置いて、男に答えた。
「その呼び方やめろ。俺はボスじゃねえって何回も言ってんだろ。」
「へい、すんませんボス。・・・あ。」
「・・・まあいい。それでなんだ?」
「へい、例の男爵の使いって奴が手紙を持ってきました。」
マヴァールは男爵の手紙と聞いて思わずびくりと体を震わせた。ガブリエラの、あの氷の女王のような冷たい目を思い出して、背中にぞくっと寒気が走ったような気がしたのだ。
彼は手紙を受け取ると、男に下がるように言った。手紙の内容は歓楽街の復興の様子を報告するようにという指示と、宿屋で働いたことのある人間を探して送ってほしいという依頼だった。最後に復興費用が不足している場合は、報告書に明細を記入しておくよう添え書きがあり、明細を確認次第、資金を送ると書かれていた。
手紙の終わりには流麗な文字でマヴァールを労う言葉と共に、ガブリエラ・バルシュのサインがしてある。
彼は手紙を机に置いて考える。この手紙の内容は決して恐ろしいものではない。むしろ歓楽街の住民たちを気遣うような印象すら受ける。あの時の平民を人とも思わないような冷たい目をした女が書いた内容とはとても思えなかった。
マヴァールはあの後、歓楽街に戻るとバルシュ男爵の指示にしたがって顔役のジーベックを糾弾して失脚させ、奴を衛士隊に突き出した。まるですべてが仕組まれていたかのように、ことは順調に進んだ。あっけなくジーベックの支配は崩れ去り、すんなりとマヴァールを中心とする体制が出来上がったのだ。
歓楽街の住民たちは、歓呼の声を上げて彼を新しいリーダーとして迎え入れてくれた。あの時はジーベックの側近と戦った後の興奮もあり、また歓楽街の連中をあの冷酷な男爵から守らなくてはという使命感みたいなものに囚われていたので、あまり深く考えなかった。だが冷静に考えると、どうにもおかしい気がする。
あれから男爵からどんなひどい指示が届くのかと戦々恐々としていた彼だったが、特にそんなものはなかった。むしろ歓楽街を健全に運営していくようにという指示や援助の申し出、難民たち特に孤児や年寄りの暮らし向きを案じる言葉ばかりが届いている。
ここに至って彼は、自分があの女に一杯食わされたのではないかという結論に達した。あの女は俺を脅し危機感を煽ることでジーベックを倒させ、歓楽街の連中やジーナたちを解放したかったのだろう。俺はあの女の思惑通りに、踊らされたってわけだ。
それは彼にとって非常に腹立たしいことであった。だが、決して不愉快ではなかった。
もしもあの時、あの女が俺に「ジーベックを倒してくれ」と依頼していたとしたらどうだっただろう。
俺は絶対にそれを断っていたはずだ。もちろんジーベックの胸糞悪いやり口にはほとほと嫌気が差していたし、ジーナたちを気の毒に思う気持ちもあったが、そんな面倒な依頼を引き受ける義理なんてなかったからだ。ジーナを連れ帰って、ジーベックから報酬だけせしめ、さっさと別の仕事にかかっていただろう。
おそらくそれが分かっていたから、あの女はジーベックを倒すだけじゃなく、歓楽街の住民を守るために、俺を脅し利用したのだ。
もちろんあの女の力なら、歓楽街の顔役一人潰すくらい造作もなかったはずだ。衛士隊を乗り込ませ、ジーベックを逮捕すればいい。ただそうなると、歓楽街全体を巻き込んでの掃討戦になる恐れがある。ジーベックは総力を挙げて対抗したはずだ。多くの住民、特に弱い立場の人間の血が流されることになっただろう。
ではジーベックのみを狙って逮捕・暗殺したらどうか。恐怖で歓楽街を支配していた奴がいなくなれば、その後釜を奪い合って血で血を洗う抗争が起こっていたに違いない。そして新たなリーダーは、自分の支配を強固なものにするため、より過激な方法で住民を恐怖に陥れたはずだ。
あの女の目的はこの歓楽街をジーベックから解放すると同時にリーダーを作り出し、新たな秩序を生み出すことだったってわけだ。なんて甘っちょろい計画だろう。とてもあの悪名高いバルシュの娘とは思えないようなやり口だ。
つまりあの女は、そんな甘っちょろい本音を必死に隠して、俺を散々脅しつけてたってことだ。ウェスタ村一の腕利き冒険者であるこの俺を。傑作だ。とんだ茶番じゃねえか!
マヴァールはこみ上げてくる笑いを堪え切れなくなり、声を出して笑いだした。可笑しくてたまらなかったのだ。本音を隠して悪役を演じきったあの女の心の内を想像して。そして、それにまんまと乗せられた自分の間抜けさを思って。
「ボス、どうかしたんですかい!?」
見張りをしていた男が彼の笑い声に驚いて部屋に飛び込んできた後も、マヴァールは笑いを収めることができず、腹を抱え涙を流しながら笑い続けた。騒ぎに気付いて何人もの男たちが事務室を覗き込みはじめて、彼はやっと笑いが収めることができた。そして涙をぬぐいながら、男たちに指示を出した。
「おい、代筆屋を呼んで来い。男爵様に返事を書かなきゃならん。あと歓楽街にいる連中の中から、宿屋で働いたことのある奴を探して連れてきてくれ。売春宿じゃねえ、ちゃんとした宿屋だぞ。俺が直接面接する。急げ!」
男たちが弾かれたように事務室を飛び出していった。彼はガブリエラに書く手紙の内容を考えた。
さてなんて書いてやろうか。俺がこの茶番劇のからくりに気付いたことを知らせてやるべきか?
いや、ダメだな。せっかくあの女が必死に頑張ったんだ。もうしばらくはあの女の芝居に付き合ってやるとしよう。
彼はあの夜の村の様子を振り返ってみた。
そうだ。そもそも、あの村の連中を見れば分かりそうなもんだ。あの連中はあの女に心からの信頼の笑顔を向けていたじゃないか。あの女が本当に悪辣な貴族なら、村人があんな目を向けるはずがない。俺はあの夜、信じられないようなものをたっぷり見せつけられたせいで、よほど舞い上がっちまってたらしい。
あの女が村の連中を変えたのか。それとも村の連中があの女を変えたのだろうか。それは分からない。だがあの村がただの村じゃないというのは分かる。あそこには、なんかすごい秘密があるような気がする。確証はない。冒険者としての勘だ。
マヴァールはハウル村に興味を持った。歓楽街の仕事が落ち着いたら、俺もあの村に行ってみよう。そしてあの女にもう一度会おう。それで村の連中がいる前で、あの女があの夜、どんな風に俺を脅したか話してやるんだ。きっと村人は大笑いするに違いない。そうしたらあの女、一体どんな顔をするだろう。
彼は再びこみ上げてきた笑いを噛み殺し、事務机に座った。そしてこれまでになく楽しい心持で、代筆屋に依頼する手紙の内容を考え始めたのだった。
ちょうどその頃、ドルアメデス国王ロタール4世の私室では、部屋の主である国王が、彼の親友にして腹心の部下でもある王立調停所長官ハインリヒ・ルッツ男爵からの報告を受けていた。
「なるほど。ガブリエラ殿が捕らえさせたジーベックという男。なかなか興味深い情報を持っていたわけだな。」
「関わりのあった貴族について情報の裏付けを進めています。表立って処分するのは難しいでしょうが。」
ハインリヒの言葉に国王は頷く。つい数か月前に内乱を企てたグラスプ伯爵に連座した咎で、大量の貴族が処分されたばかりなのだ。これ以上の処分は王国の内政に大きな混乱をきたす恐れがある。
「大半はすでに処分済みの貴族ですが、一部中立派の貴族の中にも不正な金を受け取って、犯罪を見逃したという証言が出ています。」
「・・・許すわけにはいかんが、全員を捕らえるわけにもいかんだろうな。罪状を精査したうえで、自主的に表舞台から退いてもらおうか。証拠固めと合わせて、各貴族家の内情についての報告もまとめておいてくれ。」
王の言葉に黙って頷くハインリヒ。王はあえて彼をねぎらう言葉などはかけない。彼の忠誠と信念を信じているからこそだ。
「それで気になるのはジーベックの最期の様子だが。」
王は報告書を読みながらハインリヒに声をかけた。
「はい。カールが戦ったという複合獣の女についての情報を聞き出そうとしたのですが、何も知りませんでした。ただ・・・。」
「『天空城』という言葉を口にした途端、体が崩れ落ちるように腐って死んだ、か。呪いか?」
「事前の調べたときには、呪術等の痕跡は見られませんでした。おそらく特定の条件でのみ発現するよう、本人も知らないうちに仕込まれたものではないかと。」
王はジーベックの最期の言葉について思いを巡らす。天空城はこの世界のどこかにあると言われる。そこにはありとあらゆる神々の御業が納められ、それを手にしたものはどんな願いも思うままに叶えることができるという。有名なおとぎ話だ。
ジーベックが口封じのために呪いをかけられていたことは間違いない。だがなぜそんな夢物語を封じる必要がある?奴らは一体何を隠そうとしているのだろう?
「天空城については私が伝承を当たってみるとしよう。お前は絶対に調べないでくれ。どうにも嫌な予感がするのだ。配下の者にも決してこの件に関わらないよう厳命を。よいな?」
王の目には親友である彼を案ずる気持ちが溢れていた。ハインリヒはその場に跪き、王に頭を下げた。
「はい。御心のままにいたします。私のすべては王と人民のためにあるのですから。」
夏の最後、4番目の月のはじめ、ハウル村に宿屋さんが出来ました。
「でもガブリエラ様、どうして2軒も宿屋さんが必要なんですか?」
そう、宿屋さんは西と東に一軒ずつあるのだ。しかも二つの作りはかなり違っている。
「それはねドーラ。二つの宿屋は客層が異なるからよ。」
「客層?」
西ハウル村と東ハウル村では、利用する人たちの目的が違うから、ガブリエラさんはわざわざ二つも宿を作ることにしたらしい。
「西ハウル村は街道沿いにあるでしょ?当然利用客は街道を行き来する商人や旅人が中心になるわ。だから短期の滞在でゆっくり休養が取れるように作ってあるの。」
ハウル村は王都領のちょうど南の玄関口に当たる。ハウル村の南は魔獣の森で安心して休憩できる場所は少ない。だからそこを抜けてきた旅人や、これからそこへ向かう旅人が安心して過ごせるような宿を作る必要があるのだと、彼女は説明してくれた。
確かに西ハウル村の宿は、部屋ごとにきちんとした寝台が設けられ、料理を提供する食堂や厨房、そしてお風呂までが備えられている。宿屋で働く人もたくさん配置され、至れり尽くせりのサービスが受けられる癒しの宿屋なのだ。一泊の値段は一人銅貨5枚。4人家族なら数日生活できるだけのパンが買えるくらいの値段だ。かなりの高額だが、街道沿いの宿屋としては一般的な価格設定だ。
それに対して東ハウル村の宿屋は、普通に区切られた部屋の中に簡素な寝台があるだけ。食事の提供はなく、厨房やお風呂も共同。ただし料金は一泊銅貨1枚。ちなみに納屋で寝るなら、1週間で銅貨1枚という格安の価格設定がされている。
「東ハウル村は魔獣の森を探索する冒険者が長期に渡って滞在出来るようにしてあるのよ。街道を行く商人たちと違って、冒険者は数日から数か月かけて探索を行うのが普通だから。」
その話を聞いて、なるほどなーと、すごく感心してしまった。
「でもガブリエラ様は冒険者や商人でもないのに、よくそんなことが分かりますね。すごいです!」
「私がそんなこと分かるわけないじゃない。マヴァールがウェスタ村から送ってくれた人たちに、教えてもらったのよ。」
一月ほど前に村にやってきた人たちは、ガブリエラさんがウェスタ村から宿の従業員や支配人として呼び寄せた人たちだ。彼らの意見を細かく取り入れることで、二つの宿屋を作ることにしたらしい。さすがはガブリエラさん!
私がそう言うと、彼女は顔を赤くして、怒ったような調子で私に言った。
「私はこの村の開発責任者なんだから、そのくらい当然よ。ドーラ、あなたにもこれからどんどん働いてもらいますからね!」
彼女は私に各種回復薬や、状態異常の治療薬、魔力回復薬などをどんどん作るように言った。東ハウル村の宿のカウンターには売店が併設されていて、そこで薬の販売を行うのだそうだ。
「売り上げがたくさん出たら、あなたにもちゃんと報酬を上げます。冒険者の宿の経営が軌道に乗ったら、魔道具類も販売する予定よ。」
「報酬がもらえるんですか?私、銀貨がいいです!」
「それは薬の売れ行き次第ね。頑張っていい薬をたくさん作って頂戴。」
思いがけないところで、大好きな銀貨を手に入れるチャンスがやってきた!よし、頑張ろうっと!!
宿屋さんが開業するのと前後して、ハウル村に冒険者の人たちが少しずつ訪れるようになった。ガブリエラさんが王都をはじめとする冒険者ギルドに魔獣の討伐依頼を出したかららしい。
最初はギルドの依頼を引き受けてきた冒険者さんたちだったけど、しばらくすると彼らはガブリエラさんの思惑通り、東ハウル村を活動拠点として魔獣の討伐に臨むようになった。おかげでジーナさんの酒場は大繁盛。宿屋も順調に『黒字』を出しているそうだ。
冒険者さんの集めた魔石や素材はガブリエラさんがすべて買い取っている。彼女は「安い値段でたくさんの素材や魔石が手に入って最高ね」とホクホク顔をしていた。なんでも『ギルド』っていうところを通すよりも、格段に安い値段で手に入るのだそうだ。
しかもガブリエラさんが素材の代金として支払ったお金は、冒険者さんたちが使う宿代や酒代、薬代として村のお金になり、それがまたガブリエラさんに返ってくるという流れになっているらしい。
ガブリエラさんに言われた通り、私が地味なローブを着、仮面をつけてジーナさんの酒場に届いた酒樽を運んでいると、こんな会話が聞こえてきた。
「この辺りって強力な魔獣が魔獣が出るんじゃなかったか?なんか東門の周辺は、森林狼や一角兎ばっかりだったけど・・・。」
「ああ、王都周辺の駆けだし冒険者が狩るような魔獣ばかりだ。拍子抜けだよな。」
「いやそうでもねえぞ。ちょっと奥に入ったら梟熊やら、化茸が出るらしいぜ。」
「剣歯狼に遭遇した奴もいるらしい。すぐ逃げてきたらしいけどな。」
「いやいやおかしいだろ。なんでこんな狭い地域に、そんなに強さの違う魔獣が一緒くたに住んでるんだ?」
「そうだよなあ。まるでこの村を中心に強い魔物たちが住み分けしてるみたいになってやがる。」
「だけどよ、俺たちにとっちゃ都合がいい話だよなあ。自分の力量や仲間の構成で狩場を選べるんだから。」
「確かにそうだ。いろんな種類の魔石や素材が一度に手に入るのもありがたいぜ。」
「薬草類も豊富だし、駆け出しの連中は採集だけでも食っていけそうだよな。」
「薬草って言えば、ここの宿の売店の薬、すげえぞ。」
「ああ俺も思った。下級回復薬なのに傷の治りがすげーいいんだよな。他の薬もすげえ効果のが多いぜ。しかも安い。」
「おまけに西ハウル村に住んでるあの聖女教の司祭。回復魔法が半端ねえって噂だぜ。瀕死の奴が何人も命を救われたらしい。そんで聖女教に入信するって奴が増えてるんだと。」
「気持ちは分かるぜ。安心して仕事が出来て、実入りもいい。・・・俺、ここに定住しようかな。」
「悪くねえよな。ここは酒も食い物も美味いし、きれいな女が多い。風呂も毎日入り放題だしな。」
「今度、まとまった額の報酬を手にしたら、俺、家を探してみる。そんで嫁さんもらうんだ!」
「お前が嫁さんを?どの面下げて、そんな夢みたいなことほざきやがる。寝言は、あの舞台の上にある鏡でてめえの面、見てから言いな!」
「なんだとてめえ!上等だ!表に・・・!」
戦斧を持った二人の男の人が立ち上がりかけたところに、小山のような影がのっそりと厨房から現れて二人の後ろに立った。黄色いエプロンをつけた熊人のハンクさんだ。ハンクさんは無言で二人を見下ろしていたが、二人が冷や汗をかきながら「いやーマスター、冗談ですって!く、黒エールお代わり!」と言うと、またのっそりと厨房に戻っていった。
冒険者さんたちがジーナさんの運んでいった黒エールで乾杯するのを見届けて、私は店を出た。
ハウル村にたくさんの人が来るようになって、私は人間の面白さに改めて魅かれる思いだった。花や鳥や動物たちは、同じ種類であれば一体一体の違いはほとんどない。でも人間は違う。
人間はとても同じ生き物とは思えないほど、その考え方や行動、生きる目的や好き嫌いが一人一人まるで違うのだ。でもそんな風に全く違う彼らが、自分の夢のために時には反目し合い、また時には手を取り合って生きている。
人間ってなんて素敵なんだろう。私は人間がますます好きになった。そして無性にエマやカールさんに会いたくなり、辺りに人影がないのを確認すると、《転移》の魔法を使って西ハウル村に帰ったのでした。
種族:神竜
名前:ドーラ
職業:錬金術師
見習い建築術師
所持金:66483D(王国銅貨43枚と王国銀貨117枚と王国金貨36枚とドワーフ銀貨26枚)
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読んでくださった方、ありがとうございました。