5 ハウル村のまじない師
月曜日はいやだー!
「・・・おはようございます。」
窓から明るい光が差し込んできて、起き抜けの私を照らす。夏の西日が目に眩しい。
「おはようドーラ。もう夕方だけどね。でも今回はずいぶん短いじゃないか。」
「はい。私、頑張りました。誉めてください。」
「ああ、こっちにおいで。」
夕飯の支度をしているマリーさんは、その手を休めて私を呼んでくれた。私はトトトと歩き、マリーさんの胸に飛び込む。
「おお、いい子だねドーラ。よく頑張った!えらいえらい!」
マリーさんの柔らかい胸に顔を埋めて、頭を撫でてもらう。ああ、気持ちいい。マリーさんからは何とも言えないちょっと甘い香りがする。エマはこれを「お母さんの匂い!」って言っていた。
お母さんというのは本当に素敵なものだと思う。これも人間の世界に来て、初めて知ったことだ。あ、そういえばそのエマは?
「エマならついさっき川に水を汲みに行ったよ。今ならまだ追いつけるかもしれないね。手伝ってくれるかい?」
もちろん私が断るはずがない。私はかまどの脇にある水を貯めておくための大甕をよいしょっと持ち上げると、エマのいる川を目指して小走りに駆け出した。
「おおドーラちゃん、相変わらずすごい力だね。良かったらあたしの家のも頼めるかい?」
「いいですよ。」
近所のおかみさんたちが私に声をかけてくれる。うーん、まだ4か月しか経ってないけど私も随分とこの村に馴染んできた気がするなー。
川にある水汲み場の少し手前で、小さな水汲み桶を持って歩いているエマに追いついた。隣の家のハンナちゃん、イワンくんと一緒におしゃべりしながら歩いている。
「エっマちゃーん!!」
「あー!!ドーラおねえちゃん、もう目が覚めたの?一昨日、寝たばかりなのに!」
「ふふーん!すごいでしょう!私は日々成長しているのです!誉めてください!」
私が甕を抱えたまましゃがみ込むと、エマは私の頭と耳の後ろをわしゃわしゃしてくれた。マリーさんのなでなでも気持ちいいけれど、エマのわしゃわしゃはもっと気持ちがいい。
「ふふふっ、ドーラおねえちゃん、猫ちゃんみたいね。」
目を細めてエマに甘える私を見て、ハンナちゃんが笑った。『猫』っていうのが何なのかよくわからないけど、ネズミを捕る動物だというのは教えてもらった。
はっ!!いけない、いけない!人間らしくしなきゃだった。私は慌てて立ち上がり、甕を抱えて歩き出す。そんな私の姿を見て子どもたちは笑い声をあげながら、一緒に歩き出した。
川に着いた私はエマにスカートの裾を太もものあたりまで上げてもらった。私がやると途中でずり落ちてしまうのだ。エマみたいに器用にできるようになりたいのだけれど、指先が上手に動かせないから、私にはまだ難しい。
私は水汲み場の脇から川に入り、大甕を水で満たす。これで水汲みはおしまいだ。暗くなる前によそのお家の手伝いもしておこう。
「・・・ドーラねえちゃん、相変わらずすごい力だよね。」
イワンくんが私の抱えている大甕を見て呆れたように呟く。大甕は私とエマが隠れられるくらいの大きさがあるが、私は別に重いと感じたことはない。本当は片手で一つずつ持てるのだけれど、そうすると確実にバランスを崩して落としてしまうので、運ぶときは一回に一つと決めている。
「ほんとだよね。腕とかこんなにぷにぷになのに、どこにこんな力があるんだろう。」
ハンナちゃんが私のむき出しの二の腕をぷにぷにした。急にくすぐられて「ふひゃあ」って変な声が出た。それでみんなで大笑いする。楽しい。人間の世界に来てよかった!
私がみんなとおしゃべりしながら歩いていると道の向こう側から、何人かの男の子たちが現れて、私たちを囃し立てた。
「「「やーい!!ねぼすけドーラ!!怪力ドーラ!!やーい!!」」」
エマが「こらー!グスタフー!!」って言いながら走りだすと、男の子たちは「イー!!」と顔を歪めて舌を出し、一斉に逃げ出した。私も笑いながら同じように「イー!!」と返す。楽しい!
年かさの男の子たちに逃げられたエマが悔しそうな顔をして戻ってきた。私が「エマありがとう」というと、エマは花が咲くように微笑んだ。
その後、日が暮れるまで子供たちと一緒に、何件もの水汲みを済ませた。残りは明日、またやらせてもらおう。
私はフランツさん一家の居候となってから、エマや村の人たちにいろいろ迷惑をかけながらも、少しずつ人間の暮らしについて学んでいる。
この水汲みも最初はすごく驚かれた。フランツさんの家ではその日使う分の水を大甕に入れている。水汲みは朝か夕方のどちらかにすることになっていて、普段はエマが担当していた。
マリーさんに「エマの水汲みを手伝ってあげて」と言われたとき、私は迷わずこの大甕を持ち上げてしまった。その時のマリーさんの驚いた顔は今でもはっきり思い出せる。当時は知らなかったのだが、エマは小さな水汲み桶で何回も往復して水を汲んでいたのだ。
普通の人間の女性は大甕を持ち上げたりしないと聞いて、私は恥ずかしさのあまり、大甕を持ったまま水汲み場まで走って行った。そして大急ぎで水を汲み終えると、自分の寝床である屋根裏の寝台に潜り込んで隠れた。
マリーさんは私がすごく力持ちなことに驚いていたけれど、それは別に恥ずかしいことじゃないと言って、フランツ家の水汲みを手伝わせてくれるようになった。
私が大甕を運ぶのを驚いて見ていた近所のおかみさんたちも、マリーさんが取りなしてくれたおかげで私に水汲みをさせてくれた。私はみんなの役に立てるのが、とてもうれしかった。
ただ私は相変わらず一度眠りにつくと数日寝たままになるため、あまりフランツ家のお役に立っているとは言い難い。だから最近はできるだけ人間の生活に合わせられるように努力している。
今のところ10日間ずっと起きて2日眠るというリズムができつつある。一日で目が覚めるようになれば、大分人間に近づけると思って頑張っているのだ。いいぞ、私!!
ちなみに皆が寝ている夜の間は退屈なので《収納》から宝物を取り出して眺めたり、魔導書を読んで魔法の練習をしたりしている。この間《転移》っていう魔法が出来たので、機会があったら使ってみようと思っている。
その日の夕食の時は、いつも陽気なフランツさんがむっつりと黙り込んでいた。マリーさんも心配そうな顔をしている。何かあったのかな?
「ああ、実は仕事でへまをしちまってな。」
エマが寝床に入ってから、フランツさんは仕事で使う斧を見せてくれた。エマの顔よりも大きな斧の刃が、大きく欠けてしまっていた。
フランツさんの仕事は木こりと炭焼きだ。この村のほとんどの男たちはそれを生業としている。村の中には畑もあるが、畑の世話をするのは女性と子供たちだ。
この小さな木こりの村では十分な耕作地を確保できないため、畑は自分たちの家族が食べる分を何とか作れる程度しかない。足りない分は時折やってくる行商人から買っているそうだ。
フランツ家で足りない分とは、つまり私が食べる分ということだ。行商人などの説明の中に私にはよくわからない言葉が多かったけれど、フランツ一家が私のために余計な苦労を背負い込んでいるということは、私も知っている。
私は食べ物はいらないと言ったのだけれど、マリーさんもフランツさんもエマも聞き入れてくれなかった。「ドーラは家族なんだから遠慮はいらない」フランツさんはそう言って笑ってくれた。
そのフランツさんが今、顔を歪めて悩んでいる。聞けば斧で木を切るときに手元が狂って、刃を打ち欠いてしまったそうだ。
「鍛冶師のいる里はここから北に2日程も歩かなくちゃならない。それに斧を直すための金も今は無いんだ。」
実はフランツ一家にはエマの下に妹がいたのだが、昨年熱病にかかって死んでしまったのだそうだ。その子の薬代や葬儀の費用で、これまでの貯えを使い切ってしまったらしい。
「エマは妹のマリアをとても可愛がっていてね。あの子が死んだときはしばらく口もきけなかったのさ。だがドーラが来てからまた以前のように笑うようになった。」
エマはマリーさんに「おねえちゃんなのに妹ができたみたい」って言ってくれていたそうだ。その話を聞いたとき、私の胸がずきりと痛んだ。今まで経験したことのない痛みだ。うれしいような、泣きたくなるような、そんな思いが胸の中に渦巻いていく。
私はいても立っても居られなくなり、フランツさんにお願いをした。
「フランツさん、その斧、私に直させてくれませんか?」
「・・・こんな時にふざけるのはやめてくれ、ドーラ。慰めてくれるのはありがたいが、今はそんなものに付き合ってられるような気持じゃねぇんだ。」
フランツさんは怒りを抑えるような調子でそう言った。頼み方が悪かったのかな?私は一生懸命、頼み方を考えた。
「私、直す方法を見つけます。だからお願いします!」
私はフランツさんに気持ちを伝えようと必死になって頼んだ。私の様子を見てフランツさんとマリーさんが顔を見合わせる。
「あのねドーラ。どうやって直すつもりなの?」
「えっと、魔法で・・・。」
「魔法!?ドーラ、あんた、まじない師なのか?」
フランツさんが驚いて大きな声を出し、エマの寝ている部屋を見て慌てて声を潜めた。
私は魔法のことを二人に話すのが怖かった。この村では誰も魔法を使う人がいない。だから、きっと魔法を使うことはいけないことなのだと思って、私はずっと黙っていたのだ。
でも魔法を使うことで三人を助けることができるなら。言ってしまったら村を追い出されるかもしれないと覚悟を決めて、私は自分が魔法を使えることを話した。
「まじない師っていうのはよく分かりません。でもきっと直し方を見つけますから!」
二人が私の方をじっと見つめている。弱くなったかまどの火が照らす二人の顔には、戸惑いの影がはっきりと見えていた。
「わかった。ドーラ、あんたを信じよう。ただし一日だけだ。」
「あんた!それは・・・!」
マリーさんの言葉をフランツさんは手を挙げて制した。
「ありがとうございます、フランツさん。」
「ドーラ、もし直せなくても気にするな。金は何とかするつもりなんだ。」
フランツさんは何か吹っ切れたような表情をしていた。マリーさんは俯いて歯を食いしばっていた。目には涙が溜まっている。私はフランツさんから斧を受け取ると、自分の寝台がある屋根裏へと入った。
「あんた、いくら何でも無理だよ!まじない師に一日で斧を直せなんて!」
ドーラがいなくなると、マリーはフランツに抗議した。だがフランツはそれを正面から受け止め、言葉を返した。
「だからだよマリー。普通、まじない師は刃物の切れ味を長持ちさせるくらいの魔法しか使えない。欠けた刃を直すなんてできっこないさ。俺はドーラの気持ちがうれしい。だけどドーラにそのことで無理してほしくねえんだ。これは俺のやらかしたことなんだから。自分のケツは自分で何とかするつもりだ。」
「あんた・・・。」
「斧が使えないんじゃ木こりはできねえ。・・・俺は傭兵になるよ。」
その言葉に顔を歪めるマリー。傭兵は危険な魔獣の討伐や戦場の捨て駒として投入される場合がほとんどだ。そのため常に新しい傭兵が求められている。貧しい男たちが家族に金を残すための最後の手段が傭兵なのだ。
「なあに俺は運のいい男だ。斧の修理代を稼いで、必ず生きて帰ってくる。待っていてくれ、マリー。」
マリーはフランツの胸に顔を埋めた。小さく震えるその細い体をフランツは暖炉の火が消えるまでじっと抱きしめ続けた。
私の耳にも階下の二人の会話が聞こえていた。『傭兵』というのが何かは知らないが、フランツさんは家族のために命を懸けようとしている。
絶対に成功させなくてはいけない。私は《収納》から魔術書を取り出すと、斧を直すために必要な魔法を探す。
私が今使えそうなのは、物をくっつける《接着》と金属を研ぐ《研磨》という二つの魔法だ。フランツさんが欠けた刃を回収してきてくれていたので、これを欠けた部分に足せれば良いのだけれど。
《接着》の魔法はくっつけるだけで強度は全くない。手で簡単にはがせるくらいなのだ。見かけは直せたとしても斧としては役に立たない。
私は今まであまり見ていなかった属性魔法を読んでいく。私は洞穴に閉じ込められていた時に土魔法の《大地形成》という魔法を自分で作り出していた。
これはもともと魔導書に書いてあった《石壁創造》という魔法を改造して作ったものだ。洞穴の祭壇に私そっくりの壁を作るときに使ったのもこの《大地形成》だ。
石を動かせるなら金属も動かせるんじゃない?私は早速試してみたが全くダメだった。どうやら金属を動かすには火の属性が必要みたいだ。
火魔法の《煉獄》という魔法を使えば、金属を溶かし形を変えることが出来そうだが、これは広範囲に影響を及ぼす大規模破壊魔法だ。斧を直すような繊細な魔法ではない。
《煉獄》の効果をごく一部にだけ発生させることができれば。巨大なものを一部切り取るみたいに。・・・そうだ!あの水甕!
大きな川から水を汲みだすみたいに、斧の周りに仕切りを作ればいい。私は空間魔法で特定の空間を固定する魔法を作ることにした。これは以前《収納》に仕切りを作ったから、割とすぐにできた。
私は斧の刃の周りにだけ他の空間と隔絶した固定空間を作りながら、《煉獄》と《大地形成》を組み合わせた魔法を発動させた。隔絶した空間の中で、斧の刃だけが赤熱した塊となり自由に形を変えることができるようになった。成功だ。
私は一連の魔力の流れを整理し、新しい魔法として完成させた。これは《金属形成》と名付けようと思う。
斧の形は出来たけれど、私はちょっと心配になる。またすぐ壊れちゃったらどうしよう?どうせなら、もっと丈夫にできないだろうか。
何か固い素材を混ぜたらもっと丈夫にできそうだけど、私は固い素材って持ってないし。・・・いや、持ってた。ものすごく固くて、私の魔力との相性も抜群にいい素材。私の糞だ。
でも、恩人の大切な道具に、自分の糞を混ぜるってどうなの?
でもでも、混ぜたらきっとすっごく丈夫になる気がする。それに今から新しい素材を見つける時間もないし・・・。
でもでもでも、ねえ、考えてあたし!糞だよ、糞!!いくら丈夫だからって、糞を混ぜられて喜ぶと思う?
私は散々頭を悩ませた。はっきり言って《金属形成》を生み出すより、悩んでる時間の方が遥かに長かったくらいだ。
空が白々と明るくなり始めるまで悩んだ末、私は一つの妥協点にたどり着いた。素材として使った後、不純物(糞成分)をできるだけ除去してしまおう。そうだ、そうしよう。
私は自分の糞を《収納》から取り出す。こうしてみるときらきら輝く鉱石にしか見えないかも?知らない人が見たら、糞とは思わないんじゃないかなー、多分。
私は《金属形成》の要領で糞を溶かし、同じように溶かした斧の金属と混ぜ合わせた。二つの素材を混ぜるのはなかなか難しかったけれど、私の魔力の通りがよかったせいか、ちょうどよい配合の割合にすることができたと思う。この魔法は《錬成》と名付けよう。
次に不純物を最適な割合で取り除き素材を強化する。これも割と簡単だった。これは《素材強化》という名前にした。最後に《研磨》で磨いて出来上がりだ。
出来上がった斧は、なんだか虹色に輝く波紋みたいな模様が浮かび上がった銀色の刃になってしまった。
試しに屋根裏にあった木切れを刃の上に乗せたら、何の抵抗もなくスッと二つに両断されて、床に落ちた。コロンと澄んだ音を立てて私の足元に転がる木切れ。・・・これ、ちょっとやりすぎちゃったかしら。
で、でも、切れ味が悪いよりはいいよね?ね?
翌朝、出来上がった斧をフランツさんとマリーさんに見せに行ったら、絶句されてしまった。
その日の夕方、仕事から帰ったフランツさんから、他の木こりたちの斧の修理も頼めるかと聞かれた。フランツさんの斧は大木をバターみたいにスパっと切り倒したそうです。
こうして私はハウル村のまじない師となったのでした。
種族:神竜
名前:ドーラ
職業:木こり村の居候→ハウル村のまじない師
所持金:83D(王国銅貨43枚と王国銀貨1枚)
読んでくださった方、ありがとうございました。