42 不安
短めのお話です。
少し時間が遡って、ガブリエラ一行が村を出発した頃。
ハウル村から王家の舟に乗せられた彼らは、四六時中、騎士たちに付き添われながら、胃が痛くなるような3日間を過ごした後、やっとサローマ領のスーデンハーフの町に到着した。
船は川の流れに乗って順調に南下していった。途中、森を抜けた辺りから川の両端にあった雪や氷が少なくなり、果樹畑が広がる丘陵地帯を抜ける頃には完全に雪がなくなった。川の上を吹く風もやや暖かく感じられる。
風に潮の香りが感じられるようになり、次第に船の揺れが大きくなって、三人は船酔いに苦しめられた。スーデンハーフの港に着いたのは、昼少し前くらいだった。
王家の騎士たちは三人を港に待っていた紋章付きの2頭立て馬車に乗せ換えると、三人の代わりに身なりの良い女性と小さな男の子を乗せて、再び王都に向けて帰っていった。
馬車の御者はきちんとした服を着た老人で、彼は三人を丁寧な口調で馬車に案内した。馬車の後ろには革の軽鎧をきた兵士が二人、馬を連れて控えている。
質素ながらも上品な内装の馬車に乗り込み、やっと三人だけで過ごせるようになったことで、フラミィとペンターは大きくため息をついた。
「いやほんとに参ったぜ。いくらきれいな寝床や美味い食い物があったって、あんな風にずっと見られてたんじゃ、落ち着かねえや。」
「ほんとにそうだよ。あの侍女の連中ときたら、便所にまでくっついてくるもんだから、おちおち用も足せやしない。まるであたしらが罪人かなんかみたいな扱いじゃないか。」
フラミィの言葉に、ガブリエラの目にほんの一瞬、動揺の色が差したが、二人はそれに気が付かなかった。
きれいな細工の施された馬車の窓は木戸で閉ざされているため、外の様子を見ることはできない。だが、雑踏のざわめきや物を運搬する馬車が行き交う音が絶えず響いているので、外の賑わいようが手に取るように伝わってきた。
「それにしてもここはすごい賑やかな街だよねぇ。」
「スーデンハーフは王国でも随一の港町だからな。遠い西国からの船も来てるし、でかい商会もいくつもある。王都も賑やかだが、あっちとはだいぶ雰囲気が違うよな。」
「そうか、あんた、以前に一度来たことがあるって言ってたね。あたしは王都にしか行ったことないからなあ。」
「ここはすげえ楽しいところだぞ。いろんな国から美味いもんがたくさん集まってきてる。特に魚料理が最高なんだ。酒も美味いしな。」
もうそろそろ昼に差し掛かろうとする時間のため、馬車の外からは様々な料理の香りが漂ってくる。それを感じ取ったペンターの腹の虫が盛大に鳴いた。
すこし硬い表情だったガブリエラが、それで少し笑顔を見せ彼に話しかけた。
「領主のサローマ伯爵の館で、きっと美味しいものを出してもらえると思うわ。」
「げえ、領主!!この馬車、現場に行くんじゃねえのかよ!?」
その言葉に、ガブリエラは呆れた声で言い返す。
「馬車にサローマ家の紋章があったでしょう。多分、今日は伯爵との顔合わせと宿泊場所の案内があるんじゃないかしら。」
「ちょっと待っておくれ!ひょっとしてあたしたちも、領主様のお屋敷に泊まるのかい?」
「そりゃあ、あなたたちは王家から差し向けられた客ですもの。伯爵だって無下にはできないわよ。宿泊場所は母屋じゃなくて客用の離れになると思うけど。」
「俺はこの町に友達がいるんだ。そいつのところに行きたいんだが・・・。」
「それは無理ね。この魔道具づくりは王国の命運を左右する国家事業よ。下手に動き回ったりしたら、あっという間に他の貴族の密偵に攫われることになるわ。」
「え、なんで・・・?」
「王がわざわざ近衛騎士と魔導士を使って送り届けたのよ?その理由を探り出そうとするに決まってるじゃない。捕まったら、酷い拷問を受けて情報を聞き出された挙句、殺されて川に投げ込まれて終りね。」
「そんな危ない仕事だったのか、これ・・・。」
フラミィとペンターの二人はすっかり怯えてしまった。
「そこまで分かってるのに、どうしてあんたはそんなに落ち着いてるんだい?」
ガブリエラはちょっと考えてから、答えた。
「単純に慣れ、かしら。」
船旅の間も食事の前には、ごく自然に《分析》の魔法を使っていたし、座るときは周囲を見渡せる席を選んでいた。長年沁みついた上級貴族としての習慣だ。
無意識のうちに眠りが浅くなり、常に周囲の気配に注意し、侍女や護衛たちの会話にも耳をそばだてる。そのおかげであまり聞きたくない噂や陰口も耳にしたけれど、そんなものをいちいち気にしていては上級貴族は務まらない。
かつてのガブリエラと比べようもないほど下級とはいえ、貴族である騎士や侍女たちの間で過ごすうちに、侯爵令嬢時代の習慣が戻ってきてしまったようだ。
そこまで考えて、そういえばハウル村にいるときには、一度もこんなことをやったことがなかったなと独り言ちる。あの愚かしいほど善良な人々との暮らしは、ガブリエラを一人の年頃の娘にしてしまっていた。
心やすい人たちに囲まれて、研究に打ち込むことができたのは、彼女にとって新鮮な喜びだった。
だが私の望みはこの仕事を成功させ、貴族としての地位を取り戻すこと。殺された家族の無念を晴らし、妹の出自にふさわしい暮らしをさせるために、そんな喜びに溺れるわけにはいかないのだ。
「これに慣れてるって、あんた一体、どんな暮らしをしてきたんだか。ドーラといい、あんたといい、最近の若い娘は本当に変わってるよねぇ。」
ドーラと比べられるなんて心外だ。ガブリエラがそんなことを考えているうちに、馬車はスーデンハーフを一望できる白亜の館に到着したのだった。
館に着いた三人を出迎えてくれたのは、サローマ伯爵その人だった。ガブリエラの予想通り、三人は伯爵から昼食の招待を受けた。
「身に余る光栄でございます、サローマ伯爵閣下。ですが私たちは平民の身。会食の作法なども身についておりません。閣下と食事を共にさせていただくには不調法が過ぎます故、どうかご容赦いただきたく存じます。」
ガブリエラの丁重な断りの言葉にも、伯爵はわずかな淀みも見せず答えた。
「おっしゃる通りですね。確かに配慮が足りませんでした。ガブリエラ殿が連れてきてくださったお二人には、離れに部屋を準備してありますので、そちらで食事を摂っていただきましょう。・・・ガブリエラ殿は、招待を受けてくださいますよね。」
伯爵は探るような眼で、彼女をじっと見つめた。
ガブリエラは耳を澄まし、周囲の気配を探る。彼女は伯爵が彼女たちの命を奪おうとするのではないかと警戒していた。
ガブリエラは王の計画にとって欠くことのできない駒だ。もちろん本当のキーマンはドーラで、自分は囮に過ぎないのだが、王の敵にとってはガブリエラこそが王の切り札に見えていることだろう。
王の計画を邪魔するか、あるいは乗っ取ろうとするならば、ガブリエラの命が狙われる可能性は極めて高い。そして現在、動機・機会の両面で最も警戒すべき相手こそ、サローマ伯爵だ。
彼女の身柄を確保できれば、王に対して大きなアドバンテージを得ることができるのだから。ガブリエラはこの部屋に入るまでの光景を瞬時に思い描いた。
ここに来るまでに見た兵士は二人。他には屋敷の外にいる衛士だけだった。部屋の中にいるのは御者を務めた老人と同じくらい年老いたメイドだけ。
王国でも随一の商業都市を抱える伯爵家にしては少なすぎる数だ。だが伏兵の気配は感じられない。命を取られる危険性は少ないだろうか?
だが最も手強いのは他の誰でもないサローマ伯爵自身だ。彼は吟遊詩に歌われるほどの一騎当千の勇者。彼が奥方を手に入れるために3つの試練に挑んだ逸話はあまりにも有名だ。
ガブリエラとて優れた魔導士として、戦う力は十分に備わっていると自負しているが、強者と名高い伯爵に対抗できるかどうか。やはりここは断るべきだろう。
だが彼女が口を開く前に、伯爵は彼女に語り掛けてきた。
「『不滅の薔薇姫』として名高いガブリエラ殿を我が家に招待できるなど、またとない機会です。いろいろとお話ししたいこともあります。例えばあなたの御父上のことなど、ですね。」
伯爵の言葉を聞いて、フラミィとペンターは怪訝そうな顔でガブリエラを見つめたが、彼女にはそんなことを気にする心の余裕などなくなっていた。
父上のこと?父が殺された時、サローマ領は中立派だったはずだ。そんな伯爵が一体何を話すというのか。
これはただの見せかけだ。私をおびき出す罠に違いない。頭ではそう思っていながらも、彼女の口から出たのは全く違う答えだった。
「それは非常に興味深いことですわね。ぜひお聞かせ願いたいです。」
老側近に案内されてフラミィとペンターが応接室を出ていった。ガブリエラは伯爵とともに領主一族の食堂へと向かう。
付き従っているのは老メイド一人だけ。護衛の兵士すらいない。だがガブリエラは油断なく杖を握り、伯爵との距離を不自然でない程度に取りながら、歩いていった。
食堂では領主の席に近い上座に案内された。伯爵は剣を持っていない。だが安心はできない。慎重に間合いを測りながら席に着いた。
開口一番、伯爵は彼女に告げた。
「ガブリエラ殿、私の妻と一人息子があなたと入れ違いで王都に向かいました。」
ガブリエラは驚いて伯爵を見た。確かに三人と入れ違いで、身なりの良い女性と子供が船で王都に向かったのを見た。だが顔をはっきりと確認したわけではない。
最愛の妻と子を王の下へ。それではまるで人質を差し出すようなものだ。伯爵は王に臣従を誓ったということか?
疑わしそうな彼女の様子を見て、伯爵はゆっくりと頷いた。
「あなたの考えている通りです。私は陛下とともにこの国を守ろうと誓ったのですよ。陛下もそれに応えてくださいました。私はあなたの味方です。」
「・・・計画のこともご存じなのかしら?」
「ハウル村にいる不思議な娘のことは聞いています。ドーラという名だとか。」
伯爵はドーラのことを知っていた。だがこれくらいは密偵を通じて調べることができる。それに妻や子供のことも見せかけという可能性がある。まだ信用はできない。
そんな彼女の様子を面白がるように、伯爵は言葉を続けた。
「王はドーラが訪ねてくるのをとても楽しみにしていらっしゃるようですね。《どこでもお風呂》のためにドワーフ銀貨を準備しているのだと笑っていらっしゃいましたよ。」
「・・・どうやら閣下は、本当に王党派に入られたようですわね。」
「分かっていただけたようで何よりです。」
「ずっと中立を守っていたサローマ領がなぜ王党派に?」
「理由はいろいろとあります。ドーラの存在。塩の流通。サローマ家の財政。しかし一番の理由は、王の理想に賭けてみたくなったのですよ。我が子のためにより良い国を残したいと思ったのです。あなたもそうではないのですか?」
ガブリエラは訳が分からなかった。そんな彼女の表情を見て、伯爵は彼女に問いかけた。
「私はあなたが御父上の死に関する真実を掴んで、王に与しているのだと思っていました。違うのですか?」
「父の死の真実?それは一体どういうことですの?」
「私も確証があるわけではありません。しかもあなたにとっては辛い内容だと思います。それでもよければお話しします。」
「構いませんわ。ぜひお聞かせいただきたいです。」
ガブリエラはいつしか杖を構えることも忘れ、身を乗り出して伯爵の話を聞いていた。伯爵はあくまで噂ですがと前置きしてから、バルシュ家断絶のきっかけとなった事件を話し始めた。
「おお、ガブリエラ!やっと戻ってきたね。・・・あんた、ひどい顔だよ。あの伯爵から何かされたのかい?」
「大丈夫か、ガブリエラ!?」
客用の離れにやってきたガブリエラの様子を見て、フラミィとペンターが心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫よ。ちょっと難しい話をしていたから疲れてしまっただけ。今日は先に休ませてもらうわね。」
彼女はそう言って、自分用に割り当てられた部屋に入ると、柔らかい布団の敷かれた寝台にうつぶせに寝転がった。
先ほど伯爵から聞かされた話は当時、王立学校の学生として領地を離れていた彼女が全く知らないことばかりだった。
反王党派の内紛、領地の混乱、他国との内通。その結果、領主一族が手を染めた恐ろしい犯罪行為。信じられない思いでいる彼女に、伯爵は語った。
「あなたの御父上、バルシュ侯爵がなぜそのような犯罪に加担したのか。その真相は分かりません。ですが侯爵は陥れられたのだという噂が上級貴族の間で、実しやかに囁かれたのは事実です。」
「一体誰がそんなことを・・・?」
「反王党派の誰かだろうと噂されています。あなたがそれをご存じないのは、王があなたをその者たちから遠ざけたからでしょう。」
「そんな・・・!それでは王は・・・!!」
「王の思惑は分かりません。ただバルシュ領の領民を救うためには、あのような手段しか取りえなかったのだと思います。」
誰もいない暗い寝室で、彼女は先ほどの伯爵との会話を反芻していた。
これまで彼女を駆り立てていた王への復讐の気持ちが、足元から揺らいでいくような気がする。しかし真実はまだ分からないままだ。
しかもこれは王党派になったばかりのサローマ伯爵の語った内容だ。すべてを鵜呑みにして信じることはできない。
「私が本当のことを突き止めるしかない。でももしも・・・。」
彼女は恐ろしかった。突き止めた先にあるもの。そこにあるのが目を背けたくなるような、醜悪で残酷な真実だとしたら。
それを知った時、私はいったいどうなってしまうのか。そしてたった一人の大切な妹は。
彼女は真理の探究者たる錬金術師だ。この世のすべてを知ることが、彼女の生き甲斐であり誇りでもある。
だが今、目の前に横たわる不気味な真実によって、彼女は押しつぶされそうになっていた。
彼女は真実を知る勇気とそれに耐える力が欲しいと神に願った。だがそれに応えるものはない。彼女の前に光はなく、目の前には茫漠とした不安の闇が広がるばかりだった。
種族:神竜
名前:ドーラ
職業:ハウル村のまじない師
文字の先生(不定期)
土木作業員(大規模)
鍛冶術師の師匠&弟子
木こりの徒弟
大工の徒弟
介護術師(王室御用達)
侍女見習い(元侯爵令嬢専属)
錬金術師見習い
所持金:4603D(王国銅貨43枚と王国銀貨78枚とドワーフ銀貨9枚)
読んでくださった方、ありがとうございました。