3 木こり村の居候 前編
お休みの日はたくさん書けて楽しいです。
人間のオスからもらった(?)道具と服を持って、私はどんどん歩き続けた。
ちなみにオスの道具袋に入っていたぼろ布はひどく汚れてきつい匂いがしていたので、私は念入りに《洗浄》と《消臭》の魔法を使って汚れと匂いを取った。
おかげで布はきれいになったけれど、ボロボロなのはどうにもしようがない。できればあの祭壇に来ていた巫女たちが着ていたような衣装が欲しかったのだけれど布が足りなかったのだ。
いくら便利な生活魔法でも、無から有を作り出すことはできない。仕方がないからとりあえず、今あるだけの布を《接着》の魔法でくっつけて体に巻きつけている状態だ。
でも初めて手に入れた服に私は大満足していた。これでちょっとは人間らしく見えるようになったかな?
あとは『王国』に行くだけだ。ああ、本当に待ち遠しい。『王国』はどんなところなんだろう?あのきれいな銀色のピカピカがたくさんあるといいなあ。
やがて青い月が沈み、夜が明けてきた。今日は春らしく優しい雨が降っている。昨日の夜は月に霞がかかっていたし、雨の匂いもしていたから、予想通りだ。
木々の香りを嗅ぎながら森を歩くのはとても楽しい。しゃらしゃらと私の腰くらいまである草をかき分けて歩くのも、初めての体験だ。水の中を泳ぐのとはまた違った抵抗感がある。
うろこのある竜の体では、草が体をひっかくようなこの感覚も味わうことがなかった。くすぐったくて気持ちがいいけれど、体に巻いた服が引っかかって破れたり、脱げたりするのだけはちょっと困った。
人間は一体どうやって服を着たまま、森の中を移動してるのかしら?
私は一旦、服を脱いで道具袋にしまい、裸のまま草の中を歩くことにする。人間の気配がしたら、また身に着ければいいのだ。服を脱いだり着たりするのも、なんだかすごく人間っぽい気がする。
私はうれしくなって、昔、花の妖精たちから教わった歌を鼻歌で歌いながら、川に沿って歩き続けた。
太陽が完全に顔を出し、森の中が大分明るくなってきた。私はある程度なら暗い中でも行動できるし、物を見ることもできるけれど明るいほうが好きだ。
私の右側、つまり川の方から日が昇ってきている。人間は日が昇る方をなんと呼んでいたっけ?えーと、確か、そう!!『東』だ!!
私は今、川を東に森を西に見ながら、北に向かって歩いている。川の上に見える薄曇りの雨雲の間からは、登り始めた朝日が幾筋もの光の帯になっていて、思わず見とれてしまう。
幾度となく体験した夜明けの景色だけれど、洞穴の中からは見ることができなかった光景だし、人間の目線で見ると、また違った感慨があるなあと感動してしまった。
私の横を流れるこの川はとても流れが緩やかで、水もきれいだ。川幅は竜の私がちょうど後ろ脚を開いたくらい。私が洞穴で眠りにつく前にはこんな川はなかったので、眠っている間にできたのだろう。
人間たちが『王国』を作ったのもこの川ができたからかもしれない。水場の周りには生き物が集まるからね。
そういえばちょっと喉が渇いたかも。せっかくだから人間の姿で水を飲んでみよう。これも初体験だ。
私が歩いているのは川岸の土手が少し高くなった場所だ。川は今の私の身長の倍くらい下にある。飛び降りられないことはないけど、せっかくもらった荷物を濡らすのが嫌だったので、川に降りられる場所を探して歩くことにする。
しばらく歩くと、川に降りられそうな場所を見つけた。川が緩やかに曲がっているところで、川の側はちょっとした岩場になっている。私は土手から下の岩場に飛び降りて、川の水辺へ向かった。
近くにいた水鳥や小さな魚たちが驚いて逃げていく。私は水辺にうずくまり、顔を水につけて水を飲んだ。・・・美味しいけど、なんかどこかで嗅いだことのある匂いがする。なんだろう?
そう思って水を飲んでいると、すぐに息が苦しくなってきた。人間の肺は小さいからかな?いつものように鼻で呼吸しようとして、思い切り鼻から水を吸い込んでしまう。
「ゲッホ、ゲホッ、ゲホッ!!」
鼻の奥がツンとしてものすごく痛い!あまりの痛さに岩場で転げまわって、水を吐き出した。咳とともに涙と鼻水がどんどん出てくる。
私の流した涙の粒は地面に落ちるとたちまち、虹色に輝くきらきらした石となって周囲に飛び散っていった。
なにこれ。一体、人間はどうやって水を飲んでいるのかしら?
人間の顔は口と鼻の穴が近すぎるのだ。顔を水につけると、どうしても鼻に水が入ってしまう。おまけに竜のように鼻の穴を閉じることもできない。
転げまわったことで、濡らさないようにしようと思っていた大事な道具袋が濡れてしまった。私は生活魔法の《乾燥》を使い、濡れてしまった道具をきれいに乾かした。
そこではたと気が付いた。そうだ。お酒の入っていた革袋!これはあの甕と同じように飲み物を入れるための道具だ。きっとこれを使って水を飲んでいるに違いない。
革袋の先は動物の角で作ったと思われるものがくっついていて、そこに木で作ったふたがしてあった。私はふたを取ると、革袋を水に沈めて中を満たした。
持ち上げてみると、中が空洞になっている角の先端の穴から水があふれてくる。私はその先を口に含んだ。簡単に水が飲めた!これなら全然苦しくない。人間てなんてすごいのかしら!
でも革袋から飲む水は、なんだか黴臭くてあまり美味しくなかった。でもこれも人間らしくするためだ。がまん、がまん。
喉の渇きを潤した私は土手にぴょんと飛び上がり、再び北に向かって歩き出した。しばらく歩いていると、次第に森の木々がまばらになってきて、先が明るくなっているのが見えた。
そこにあるのは複数の人間の気配。火を使っている匂いもする。どうやら小さめの人間の巣がこの先にあるみたいだ。やった、また人間に会える!
喜び勇んで駆けだそうとして、服を着ていないことに気が付いた。危ない危ない。また逃げられちゃうところだった。私は道具袋から服を取り出すと体に服を巻きつけ、自信満々で森を出て、人間の巣へと向かった。
「ねえお母さん、あそこに誰かいるよ。」
今年で4歳になる娘のエマが洗濯を終えたあたしにそういった。エマは村の洗濯場の南側にある森を指さしている。
この村は王都領の一番南側にある村だ。この先は魔獣が出ることもある深い森。そんなところから人が来るわけがない。大方、木の陰でも見間違えたのだろう。
「あらそう。森の妖精さんかしらね。」
あたしはエマの方を振り返りもせず、水を絞り終わった洗濯ものをカゴに詰めて立ち上がった。
「さあ、エマ。洗濯も終わったし、おうちに帰りましょう。おまえは洗濯桶を持ってちょうだい。」
エマも最近は手がかからなくなり、私の手伝いを進んでしてくれるようになった。こうやって落ち着いて洗濯ができるようになったのもそのおかげだ。心の中でわが子の成長を大地母神様に感謝する。
「違うよ。妖精さんじゃない。だって剣を持っているもの。」
エマの言った『剣を持っている』という言葉で、あたしはすばやくエマを自分の後ろに隠し森の方を見た。最近、このあたりに剣を持ったごろつきが出ると聞いている。おそらく食い詰め者の冒険者くずれの連中だろう。
自警団のあるような大きな村の側や騎士団が定期的に巡回している街道沿いとは違い、ここは王都領の辺境だ。警備も薄いし、村の男たちは森へ仕事に出かけている。
ちょっとの時間だからと油断したあたしが馬鹿だった。エマを抱えて村まで逃げられるだろうか?いざとなったらあたしが犠牲になってでも、エマを逃がさなくちゃ!
一瞬でそこまで考えたあたしが見たのは、おかしな格好をした、見たこともないような美しい娘だった。
透き通るような白金色の髪をしたその娘は、ほとんど裸と言っていい体に、申し訳程度の布をでたらめに巻き付けている。左手には刃こぼれのひどい片手持ちの直剣を抜身のまま持ち、背負い袋だと思われる古びた布袋をなぜか右腕に巻き付けていた。
「きれー!女神さまみたい!」
エマが言う通り天から舞い降りた女神様のような美しさだ。だがこんなおかしな姿で剣を持ったまま近づいてくる娘が女神様のはずがない。エマの手をしっかりと握り、逃げるべきかと迷っていると、あたしの気持ちを察したかのように、娘が軽く左手の剣を上げて話しかけてきた。
「はじめまして。お会いできて光栄です。」
神官様や貴族様が使うような丁寧な言葉遣いで話しかけられて、頭が混乱した。この娘は貴族様なのだろうか?確かに容貌だけなら、おとぎ話にでてくるお姫様のように美しい。
でもなんでこんな場所に貴族様が?
あたしは精一杯頭を働かせて考える。供回りのものもつけず、貴族の姫様が裸で森の中を彷徨っている。ひょっとして街道を旅しているときにごろつきどもに襲われた?そしてそこから必死に逃げ出してきたのだろうか?
供回りのものが全員殺され、この娘だけは奴隷として売り飛ばすために生かされた。ありそうな話だ。持っている剣はごろつきから奪ってきたものかもしれない。だがおそらく一度も剣を持ったことがないのだろう。
どう見ても人を切れるような持ち方ではない。見るからに危なっかしい。だがあたしの想像していたような体験をしたとしたら、この娘の表情は明るすぎる。初めて人に出会った小さな子供のような無邪気さしか感じられない。もしかしたら・・・。
「ねえ、あんた、剣を下ろしてちょうだい。あたしはハウル村のマリーだよ。あんたの名前は?」
あたしの方に近づいていた娘の足が止まった。娘は剣を下におろした。よかった。ちゃんとこっちの言葉も通じるみたいだ。
「私の名前・・・?」
やっぱり!この娘、ひどい体験をしたせいで、頭がおかしくなっているに違いない。魔獣に襲われて生き残った男の中に、こんな風に子供に返っちまった奴がいた。あの男もこんな風に明るく笑っていて、自分の名前も家族の顔もすべて忘れてしまっていた。そいつは魔獣の毒が体に回って三日と待たずに死んでしまったけれど。
そう思うと、このきれいな娘が途端にかわいそうに見えてきた。
「ああ、いいんだよ。こっちへおいで。あたしの村に連れて行ってあげる。もう怖いことはないからね。安心おしよ。」
あたしは娘に近寄って、彼女の右手を取った。すべすべとしたきれいな指をしている。あたしより少し年下だと思うが、おそらく一度も働いたことのない手だ。よほどのお姫様なのだろう。
「あんた、そんな物騒なものは捨てておしまいなさいな。もう誰もあんたを傷つけたりしないんだから。」
私がそういうと娘はちょっと迷ったような様子を見せた後、剣をその場に投げ捨てた。カランと乾いた音を立てて、洗濯場の石の上に剣が転がる。エマが娘の空いた左手を取って、にっこり微笑んだ。
「ねえ女神さま!あたしはエマよ。」
「エマ?・・・マリー?」
「マリーはお母さんの名前!女神さまには名前がないの?」
娘は不思議そうに首をひねっている。自分の名前も思い出せないくらいなのだから、きっと心細いだろう。
「じゃあね!あたしが女神さまに名前を付けてあげる!いい?」
「・・・人間はみんな名前を持っているの?」
「うん、そうだよ!」
「じゃあ、付けてくれる?」
「えーとね!すごくきれいな金色の髪をしてるから、ドーラ!どうかな?」
エマの名付けがぴったり過ぎて思わず笑ってしまう。ドーラは幸運と富を司る女神で、金色の美しい髪を持つとされている。思いがけず幸運に恵まれた時などに使う『ドーラの髪に触れた』というのは、有名な言いまわしだ。この国の通貨の単位にもなっている。
娘はしゃがみ込むと、エマの顔を覗き込んだ。
「ドーラ。素敵な名前ね!私はドーラ。これからよろしくね。」
ドーラがそういった瞬間、雲の切れ間から太陽の光が差し、あたしたちを照らした。太陽の光を受け、ドーラの髪は自ら光を放っているかのように輝いて見えた。
ドーラが優しくエマの頭をなでる。この娘は悪い人間ではない。何とかして家族のもとに返してあげないと。
あたしはドーラとエマを連れて、家に向かってゆっくりと歩き出した。さっきまで降っていた雨粒が太陽の光を受けてきらきらと輝く。
まるで宝石でできた道を歩いているみたいだなんて、柄にもないことを考えながら、あたしは洗濯カゴをしっかりと抱えなおした。
種族:神竜
名前:ドーラ
職業:追い剥ぎ→木こり村の居候
所持金:83D(王国銅貨43枚と王国銀貨1枚)
読んでくださった方、ありがとうございました。