2 追い剥ぎ
もう一話書けたので投稿します。
ドルアメデス王国の王、ロタール四世は玉座の前に片膝をついたまま報告を終えた騎士に向かって、念を押すように確認した。
「それでは山頂の神殿には何の異状も見られなかったのだな?」
「はい。騎士団だけでなく、大地母神殿の神官長様にもご同道頂き調査いたしましたが、何の異状も見られませんでした。」
王は手にした王笏を何気なく持ち替えそうになり、慌ててその手を止めた。考え事をするときに手にしたものをつい弄ってしまうのが彼の癖だったが、歴史ある王国の王たるにふさわしくないと侍従に叱られたことを思い出したからだ。
「ご苦労だった。世話をかけてすまなかったな。もう下がってよい。神官長殿には改めて礼状を送るとしよう。」
騎士は優雅に一礼し、王の前から辞去した。この一週間は本当に気が気でなかったが、何事もなかったようでとりあえずホッとした。
山頂の神殿がある洞穴からは、貴重な魔法薬の原料となる『竜涎石』が採れる。千年以上続くこのドルアメデス王国が生まれるきっかけとなった聖なる場所だ。
その神殿で巨大な地鳴りがあったと報告があったのは1週間前のこと。聖地に何事か異変があったかとロタールは直ちに騎士団を派遣し調査を命じた。その報告がたった今終わったのだ。
記録の残る限りの歴史書を紐解いてみても、そんな地鳴りが起こった記録はない。何かの凶事の前触れではないかと、調査が終わる今日まで気の小さいロタールは幾晩も眠れぬ夜を過ごしていた。
今日はようやくゆっくり眠れそうだ。眠る前に飲んでいた胃痛の薬も少し減らすとしよう。ロタールは書記官に神官長への礼状の発送と主治医への連絡を命じ、人知れずそっとため息を吐いたのだった。
「あいたたた、まだお尻が痛い。」
痛むお尻を気にしながら私は今、森の中を歩いている。
《人化の法》を使って洞穴を脱出した私は、用を足すべくいつもの谷へと向かった。だがそこで私が目にしたのは、谷の淵に寄り添うようにあるいくつもの小さな建物だった。
あれはきっと人間たちの巣に違いない。私はいつも、谷の両淵に足をかけて用を足していた。同じことをすれば、きっと私の大きな足であの巣を壊してしまうだろう。私は人間の巣を壊すのは嫌だった。
私は再び雲の上へと飛び上がり、用を足すのによい場所はないかと探し回った。しかし周辺の水場にはどこもかしこも人間たちの巣ができていて、用を足せそうな場所がなかった。
「人間ってずいぶんたくさんいたのね。いつの間にこんなに増えたのかしら。」
そんなことをつぶやきながら私は遠く海を目指して飛んだ。海のそばにも大きな人間の巣がいくつも出来ている。私はうんと遠く、いつも暖かい日差しが差している島々を目指した。たくさんの島があるそこならば、人間の巣がない島があるのではないかと思ったからだ。
思った通り島にはほとんど人間たちが住んでいないようだった。私は人の気配のない島の一つに降り立ち、本当に久しぶりにお手洗いを済ませた。
無理やり魔力で圧縮し続けた糞は、カチカチに固まり、きらきら輝く塊になっていた。排泄には太陽が何回も昇るくらい時間がかかった。苦労して排泄を終えた後は、お尻がひりひりと痛んだ。
私が出した糞は人間の私の何倍もの大きさがある。朝日を受けてきらきらと輝く糞は、ある意味美しかったが、さすがにキラキラ好きの私でも自分の糞を持っていく気にはならない。
「でもこれ見られたら、ちょっと恥ずかしいかも?」
仲間の竜に見られたら、どんだけお手洗いを我慢してたんだと笑われそうだ。訳を聞かれても「洞穴から出られなくなって我慢してました」なんて、恥ずかしくてとても言えない。
気は進まないけれど証拠隠滅するために、持ち帰るのがよさそうだ。どこかで少しずつこっそりと処分するのがよいだろう。カチカチなのでにおいがないのが、不幸中の幸いだと思う。
私は痛む尻を押さえながら苦労して島にある池に糞を沈めた。小さな池はすぐにいっぱいになってしまったので、残りは《人化の法》で人間の姿になり、《収納》の魔法を使って魔力の倉庫にしまい込む。
ただ糞を宝物と同じ倉庫に入れるのが嫌だったので、魔法をちょっとだけ改造して、魔力の倉庫をいくつかに分けることにした。糞は糞専用の倉庫にしまうことにする。こうしておけば取り出すときにも便利かもしれない。
出すものを出すとお腹が減る。私は再び竜の姿に戻ると、近くの海にいるイカを捕まえて食べた。あんまり大きいのは獲れなかったけれど、久しぶりのまともな獲物だ。ゆっくりと味わうようにイカを食べる。うーん、美味しい。
腹ごしらえを終えて一心地ついた私は、念願だった人間の『王国』へ行ってみることにした。
ここに来るまでの間に、人間の巣がたくさんあることは分かったし、どこに行っても良かったのだけれど、最初に行くのはやっぱりあの『王国』がいい。
私の前に美味しいお酒を置いてくれていた人間たちがどんな暮らしをしているのか、私はずっと知りたいと思っていたのだ。それに機会があるなら、彼らが身に着けていたきらきらする飾りも欲しい。私は翼に魔力を込め、大空へと舞い上がった。
『王国』は私の洞穴のある山のすぐ下にあった。深い森だったはずのところが大きく切り開かれ、山から流れ出る川を挟んでたくさんの建物が並んでいる。ただ雲の上からだとよく見えない。
もっと近寄りたいけど、竜の姿のままでは人間たちを怖がらせてしまうかもしれない。何しろ彼らはあの小さな空飛ぶトカゲにも簡単に殺されてしまうくらい脆弱なのだ。私は人間のことを知りたい。怖がられるのは本意ではなかった。
私は《人化の法》で人間の姿になると、『王国』の真ん中を流れている川の下流の方に降り立った。空から見ていたせいで、思ったよりも王国から離れた場所に降りてしまった。まあでも、ここから川を遡っていけばそのうちに『王国』にたどり着けるだろう。
私は春の木々の香りを楽しみながら、森の中を川に沿ってどんどん歩いて行った。
隣を歩いていた相棒が「ふぁっ!?」と間抜けな声を出した。俺は相棒の顔を覗き込む。
「どうしたんだ、急に変な声出して?」
「お、おま、あれ、見てみろよ!裸の女がいる!!」
ついにこいつ酒が頭に回っておかしくなっちまったのか?それとも欲望のあまり幻覚でも見ちまってるんだろうか?
こんな街道から外れた森の中に人がいるわけない。いるとすれば食い詰めて追い剥ぎまがいのことをする俺たちみたいなはぐれ冒険者くらいだ。そんなところに裸の女なんて・・・。
だが相棒の指さすほうを見た俺も、奴と同じように「へぁっ!?」とおかしな声が出てしまった。
森の中の下ばえをかき分けながらこっちにやってくるのは、確かに裸の女だった。女の顔は長い虹色の髪で隠されていてよく見えなかったが、輝くような白い肌と控えめな胸のふくらみから、おそらく美しい娘ではないかと思われる。
だが虹色の髪?そんな人間がいるなんて聞いたこともない。ひょっとして未知の亜人だろうか?美しい亜人は奴隷として高値で取引されている。無傷で捕らえることができれば、こんな生活ともおさらばできるだろう。
しかしここは魔獣が出ることもある森の中だ。聖なる川ドルーアに近いため、強力な魔獣が出ることは少ないとはいえ、まったく出ないわけではない。とするとあの娘は魔物だろうか?
遠目に見える姿からは危険な魔物のようには見えない。鋭い爪も尖った牙もなさそうだ。正体を確かめるためにも、ここは近づいてみるのがいいだろう。
俺たちは娘の様子を探るために簡単な打ち合わせをすると、そろそろと側に近寄って行った。
押し茂った草をかき分けながら森の中を歩いていくと、こちらに近づいてくる人間の気配を感じた。気配は二つ。
さっきから森の中にいるのは気づいていたけれど、今は明らかに私に近づいて来ようとしている。どうやら彼らも私の姿に気が付いたらしい。初めての人間との遭遇だ。
すごくワクワクする。私はうれしくなって、思わず彼らに声をかけた。
「はじめまして。あなたたちは誰ですか?」
私の声に反応して彼らは体をびくっと震わせ、動きを止めた。しまった。怖がらせてしまったかな?それとも言葉が間違っていた?
どちらにせよ、もっと慎重に話しかけるべきだったかもしれない。私はその場に立ち止まり、再び声をかける。
「私は何もしません。姿を見せてください。」
私の声に応えるかのように、私の前後から二匹のオスが現れた。手には剣を持っている。
剣は光と闇の神の眷属たちが持っていたので見たことがある。彼らは何かというと剣を持って互いに争ってばかりいたので、私はあまり好きではなかった。
ただこのオスたちが持っている剣は、ただの金属の棒のような剣だ。光の神の眷属が持っているような光り輝く剣でもなければ、闇の神の眷属が持っている黒い瘴気を放つ剣でもない。
きっと私が怖がらせてしまったから、身を守るために、しかたなくあんなものを持ち出したのだろう。私はオスたちに申し訳なく思った。
私の前にいるオスが、震える声で私に話しかけてきた。
「お、お前は、な、何者だ!?」
やはり怖がらせてしまったみたいだ。ここで正直に「竜です」と答えたら、きっと逃げ出してしまうに違いない。嘘を吐くのは好きではないけれどここはひとまず、ごまかすとしよう。
「私は人間です。怖がらないでください。」
「う、嘘を吐くな!!本物の人間が『私は人間です』なんていうわけないだろうが!!それにその髪、虹色の髪の人間なんて聞いたことねえぞ!!」
私の後ろのオスが大声で叫ぶ。簡単に嘘がバレてしまった。やっぱり慣れないことはするものじゃないなあ。
言われてみれば私の返答は怪しかったかもしれない。それに髪のことも言われて初めて気が付いた。そういえば洞穴に来ていた巫女たちは、薄茶色や金色の髪をしていたっけ。
どうしたら敵意がないと信じてもらえるんだろう。とりあえず髪の色を変えてみたら?私は《人化の法》を使って髪の色を金色に変化させた。ついでに顔がよく見えるように髪型も変えてみることにする。顔が見えたら安心してもらえるかもしれないし。
なんだか薄い金色にしかならなかったけれど、とりあえず虹色に輝くことはなくなった。私は目の前のオスににっこりと笑いかけて一歩彼に近づいた。
俺の目の前で娘の虹色に輝く髪が、透き通るような白金色に変わった。娘は手を軽く前に出したまま、俺の反対側にいる相棒に向かって一歩踏み出した。
その瞬間、相棒は魂がつぶれるような甲高い悲鳴を上げて、一目散に逃げ出した。相棒に逃げられた娘は、くるりと俺の方を振り向いた。顔を隠していた前髪が短くなり、娘の顔がはっきりと見えた。
娘は見たこともないほど美しかった。俺も王都にいた頃には様々な美しい女たちを見てきた。だがこの娘はそんなものとはまるで別格だった。
俺は確信を持った。こんなに美しい娘が人間であるはずがない。娘は俺に向かって、ちょっと困ったような顔をしてにっこりと微笑みかけた。
魂が溶け堕ちるかと思うほどの愛らしい微笑み。これが王都の置屋の寝台の中であれば、俺は有頂天になっただろう。だがここは魔物の出る暗い森の中だ。
間違いない、こいつは化け物だ!俺の魂を食らい尽くす悪魔が化けているに違いない!俺は叫び声をあげると手にした剣を放り出し、森の中を全力で逃げ出した。
だが娘は俺を追ってきた。
「待って!待ってください!!」
待つわけないだろう、この化け物め!俺は震える足を叱咤して全力で森を駆ける。途中、枝に引っかかって邪魔になるので持っていた荷物を放り出した。
それでも娘は俺についてくる。暗い森を、輝くように美しい裸の娘が「待って!待って!」と言いながらついてくるのだ。俺は走りながら、いまだかつてないほどの真剣さで大地母神様に祈った。
お願いです大地母神様!もうこんなことは辞めます!今度こそ真面目に働きます!隊商の下働きでも、鉱山の重課役夫でも、何でもします!どうか俺をお救いください!!
でたらめに暗い森の中を走っている俺の前に川のせせらぎが見えた。女神さまのお導きだ!聖なる川に飛び込めば逃げられる!俺は全力で川めがけて飛び込んだ。流れの緩やかな川に流されながら後ろを振り返ると、川岸に立ち尽くす娘の姿が見えた。やはり川に入れないようだ。
助かった!!俺は全身の力を抜き、仰向けになって流れに身を任せた。空には大地母神様の化身といわれる青い月が浮かんで、俺を照らしてくれている。俺は静かに涙を流し、これからの人生を大地母神様にささげようと誓った。
人間との初めての出会いは失敗に終わってしまった。だが彼らのおかげでいろいろと分かったことがある。
まずは髪のこと。そして服だ。これまでに見た人間は皆、服や道具を持っていた。私も人間らしく振舞うためには服や道具を手に入れたほうがいいみたい。
私は川に流れて行ってしまったオスが持っていた荷物を調べてみることにする。今更、返すこともできないし、これは私がもらっても構わないだろう、多分。
薄汚れた厚手の布袋の中には、小さな革袋がいくつかと見たこともない道具類、それにボロボロになった布が入っている。革袋の一つからは酒の匂いがした。酒を持ち運ぶための入れ物だったようだが、中身は空っぽだ。残念。
そしてしゃらしゃらと金属の触れ合う音のする革袋が一つ。中を開いてみると、金属で作った小さくて丸い薄い板がたくさん入っている。ほとんどは色褪せ、錆の浮いた薄茶色のものだが、中に銀色のものが一枚だけ入っていた。
私はそれを月の光にかざしてみた。鈍い輝きを放つ小さな板を見ていると、なんだか心が浮き立つような感じがする。私は試しに板の表面を指でこすってみた。
途端に鈍い輝きが、美しいきらきらした銀色の輝きに変わった。これは良いものだ!私は薄茶色の金属の板もこすってみた。表面のくすみは取れたが、銀色の板ほどの輝きはない。
この銀色の板、もっと欲しいな。『王国』に行ったら、もっといっぱい手に入るだろうか。私は銀色の板を宝物の入っている《収納》の中に大切にしまい込んだ。
そしてぼろ布をつなぎ合わせて体を覆う簡単な服を作ると、落ちていた剣と厚手の布袋を手に持って、再び森の中を歩き始めた。
種族:神竜
名前:なし
職業:追い剥ぎ(本人自覚なし)
所持金:83ドーラ(王国銅貨43枚と王国銀貨1枚)
読んでくださった方、ありがとうございました。