最終話 愛に生きた竜
ドルアメデス王国西部国境に位置する城砦都市。デッケン伯爵領の辺境にあり、かつては帝国との戦いの最前線であったこの街で包囲戦が開始されてから10日が経過しようとしていた。
都市につながる小街道を封鎖しているのは、王国軍守備隊およそ1万。魔法の防具と盾を装備し、極めて高い防御力を誇る彼らの本来の仕事は、西部国境の防衛である。
しかしデッケン伯爵が王国衛士隊の追撃の手を逃れてこの都市に立て籠もったことで急遽、この都市の封鎖と包囲を担当することになったのだ。彼らが抜けた国境警備の穴はパウル王子率いる王国第二軍が埋めてくれている。
デッケン伯の手勢はおよそ2千。デッケン伯爵領の領軍兵士と傭兵、そして魔導士からなる混成部隊だ。
現在、防衛隊が造営した仮陣地の天幕内では、今後の作戦に向けての軍議が行われている。彼我の兵数差はこちらが圧倒的に優勢。しかし、軍議に臨む面々の顔は一様に暗く沈んでいた。
重苦しい沈黙を破って口を開いたのは、この戦場の最高指揮官である守備隊長だった。
「ではやはり奴らが都市内の住民たちを『盾』にしているのは、間違いないんだな?」
その問いに対し、斥候隊を率いる小隊長が頷いた。
「はい。住民たちは一様に魔石の嵌った首輪を装着させられています。侵入を試みていた先遣隊が、住民たちの自爆攻撃によって大きな被害を被りました。被害状況から考えて一人一人の攻撃が上級攻撃魔法に匹敵するほどの威力です。」
「信じられん。小さな魔石一つでどうやってそれほどの火力を引き出しているのだ!?」
若い副隊長が青筋を立てて叫び、籠手をはめた拳を仮設の木のテーブルに叩きつけた。白湯の入った器がその衝撃で跳ね、中身が僅かに飛び散る。それに対して部隊付きの老魔術師がゆっくりとした声で答えた。
「おそらく5年前の王都襲撃に使われたのと似た術式でしょう。魔力の代わりに装着者の生命力を使っているのです。間違いなく呪術によるものですな。」
「馬鹿な! その術式は国王陛下の考案された対抗術式によって無効化された。それに襲撃に使われた術式も禁術としてすべて廃棄されたはずではないか!?」
「・・・内通者か。」
黙ってやり取りを聞いていた隊長の発言で、天幕内は水を打ったように静まり返った。
「残念ながら、その通りです。廃棄に関わった魔術師ギルド内に情報を流した者がいるのでしょう。おそらく彼の者もあの砦内にいるものかと思われます。」
老魔術師は淡々とそう言ったが、長年共に戦ってきた隊長はその声に強い軽蔑の響きがあることを感じ取っていた。
「なるほど。それでは都市内の住民4万の一人一人が上級攻撃魔法並みの火力を持った兵士と考えてよいわけだな。」
「なんと卑劣な!! 領民を何だと思っているのだ!!」
副隊長が拳を握り締め、歯を食いしばる。怒りと悔しさで彼の目は大きく見開かれ、今にも血の涙を流しそうなほど充血していた。守備隊は民を守るために命を懸けて戦う。同意の声が上がりこそしなかったものの、その場にいる全員が彼と同じ気持ちだった。
しかしいくら怒ったところで状況が好転するはずもない。隊長は軽く息を吐いてから話しはじめた。
「こちらから無理に攻めることは出来ぬ。奴らの狙いは帝国からの援軍との合流だ。援軍の動きは捉えられたのか?」
「いいえ、王国第二軍からはまだ何の報告もありません。」
隊長は「そうか」と頷いて考え込んだ。帝国と王国の間には山岳地帯が広がっている。敵はそのどこかに潜んで移動しているに違いない。おそらく山岳地方を根城とする傭兵たちが主体の部隊ではないかと隊長は予想した。
その実態は傭兵とは名ばかりの山賊まがいの連中だ。神出鬼没の彼らにこれまでも周辺の村や街が襲われ、少なくない規模の被害が報告されている。西帝国の手の者が彼らをまとめ、動かしているのだろう。
隊長は顔を上げ、隣に座っている中年の士官に尋ねた。
「最悪、挟撃されることも覚悟しておかねばならんな。兵站の確保はどうか?」
「敵が周辺の村々から物資をあらかた収奪してしまっていて、現地での調達は難しい状況です。購入に向かった兵たちからは、逆に食べ物を分けてほしいと頼まれたと報告が上がっています。」
「もうすぐ夏が近いとは言っても、冬越ししたばかりの辺境の村々では自分たちの食べ物を確保するだけで精一杯でしょうな。」
隊長も老魔術師の言葉に無言で同意した。このまま包囲を続けることは不可能。部隊を帰着させる分の糧食等のことを考えれば長くとも、持って後2日と言ったところだろう。
もちろん補給物資の運搬も行っているがここは貴族領内の辺境であり、王家に仕える彼らが自由に物資を供給できる拠点からは距離がありすぎるため、その効果はほとんど期待できない。いわゆる補給限界距離というわけだ。
住民と部隊の安全を考えればこのまま包囲を解いて伯爵を逃がすのが最も良いやり方だ。しかし王国の将来を考えれば、それは最悪の選択である。
デッケン伯の持っている危険な魔道具と術式が敵の手に渡ってしまうことになるからだ。奴らの狙いは間違いなく東ゴルド帝国帝都オクタバの攻略だろう。
現在、オクタバにはわずかな数の帝都防衛軍が残されているのみ。帝国軍の主力はエリス大河を越えた先、西部戦線に投入されていると聞いている。
同盟国である王国の貴族が齎した魔道具が原因で帝都が襲われたとなれば、東ゴルド皇帝も黙ってはいないだろう。なにより王国から嫁いだ皇太子妃ガブリエラの身に何かあれば、同盟そのものが瓦解してしまう。
三百年の時を経てようやく勝ち得た平穏は消え去り、再び血で血を洗う戦乱の日々が訪れることになる。それだけは何としても避けなくてはならない。
王党派の貴族でもある隊長は、部隊を進発させる前にそのことを王の密使から伝えられていた。もちろん王からの命令は理解している。
しかしあくまで最後の判断を下すのは、戦場の最高責任者である彼だ。砦の住民と配下の命か、それとも王国の将来か。彼は国家の命運を左右する選択を迫られていた。
配下の者が固唾を飲んで見守る中、彼は目を瞑りじっと黙り込んだ。そしてしばらく後、重々しくも、きっぱりとした口調で配下に下知を下した。
「日没後、一斉攻撃を行う。遠隔攻撃の準備を。住民たちがこちらに接近する前にすべて殲滅するのだ。」
住民を皆殺しにするという隊長の言葉に全員が息を呑んだ。副隊長が顔を上げ何か言いかけたが、隊長の目を見た途端、拳を握って俯いた。隊長の目に宿る決意の光と涙を見たからだった。
「魔術師殿、攻撃魔法を使える者たちを集めてまとめてください。副隊長は投擲部隊の編成を。魔法騎士と兵士たちには・・・。」
ぐっと目を瞑って涙を飲み込んだ隊長が天幕内の配下たちに次々と指示を出し始めた時、突然上空から聞いたこともないような鳴き声が響いた。それは甲高い霊鳥の声の様にも、また美しい管楽器の音色のようにも聞こえる不思議な声だった。
「なんだ、あの声は?」
隊長がそう言うと同時に、天幕の入り口を守っていた兵士が飛び込んできた。
「隊長殿、空に何か不思議な影が見えます!!」
その場にいた者たちは一斉に天幕を飛び出した。陣地内にいるすべての者が手を止め、白い薄雲が浮かぶ青空を見上げていた。
彼らの目に遥か雲の上、太陽に光を受けてきらりと虹色に輝く鳥のような影がちらりと見えた。大きく翼を広げたその影はとても小さく見える。しかし飛んでいる高さを考えれば、その影の主が恐ろしく大きいことは容易に想像できた。
「あれは・・・飛竜でしょうか?」
「いや、あれほど巨大な飛竜など見たこともない。それに飛竜があんなに美しい声で鳴くことなど・・・。」
隊長が副隊長の問いにそう答えた時、彼は目に見えない何かに全身を圧迫されるような感覚を味わった。まるで自分の周囲を巨大な魔力の壁で包み込まれたような感じがした。
そして上空から再び美しい声が聞こえたかと思うと、彼は強烈なめまいを感じその場に膝を付いた。
「ぐっ、何だ!?」
彼はめまいを振り払おうと首を振った。どうやら一瞬気を失っていたようだ。敵の攻撃かと上空を睨んだが、その時にはすでに謎の影は消え去っていた。
配下に指示を出そうと周りを見て、彼は驚きのあまり声を上げた。何と陣地内のすべての人間が、地面に横たわり気持ちよさそうに寝息を立てていたのだ。
彼の声に驚いて目を覚ました数人が、自分の状況に混乱しながらも周りの人間を起こしていく。やがて全員が起きた時には、中天にあった太陽がやや傾き始めていた。
「なんだったのでしょう、あの影は?」
「分からん。敵からの攻撃とも思えんが・・・。」
副隊長の言葉に隊長は首を傾げる。眠っていた者たちは誰も異常がなかった。それどころかやけにさっぱりとした気分で、体の疲れがとれたと口々に言っている。
隊長自身もまるで気持ちの良い風呂に入った後の様に、気力が充実しているのを感じていた。再び軍議を再開しようとした彼らの元に、斥候隊長が泡を食って駆け寄ってきた。
「しゅ、守備隊長殿!! 敵も砦の住民たちも全員が眠っています!!」
驚いた隊長が砦の門に向かうと、そこで見張りをしているはずの敵兵や彼らに従わされていた住民たちが、全員深い眠りに落ちていた。そして住民の首に巻かれていた魔石の首輪は、なぜが青と黄色の花びらを持つ可愛らしい花の輪に変わっていた。
「隊長殿、これは一体・・・?」
「分からぬ。だがこれは好機だ! 全員砦内に入り敵を捕縛。住民たちを救出するのだ!!」
その後、守備隊はひとりの被害も出すことなく、デッケン伯爵を含む敵たちを捕縛することができた。王国の危機は去った。この戦いで守備隊長を務めていた彼は大殊勲を上げ、その功績は長く王国に語り継がれることとなったのだった。
《人化の法》で人間の姿に戻った私は、私の首の後ろに乗っていたカールさんたちと共に《集団転移》の魔法でハウル領のカールさんの家に戻った。
「ありがとうドーラちゃん! 久しぶりに空を飛べて、すっごく楽しかったよ!!」
「こっちこそありがとうルピナス! また遊ぼうね!」
青と黄色のドレスを着たルピナスは私が出した魔法陣に飛び込むと「またね!」と言って、王都のサローマ邸に帰っていった。ルピナスを見送った後、エマが私の手を取って言った。
「うまくいってよかったね、ドーラおねえちゃん。」
「うん、エマとルピナス、そしてカールさんのおかげだよ。カールさん、ありがとうございました。」
「いいえ、こちらこそ王国の危機を作っていただき、ありがとうございます。」
カールさんは恥ずかしそうに顔を赤くして俯いた。私もそれを見て、なんだか急に恥ずかしくなってしまった。
砦の人たちを助けるためにエマが考えたのは、私がその場にいる人を全員眠らせてしまうという方法だった。私はこれまでにもたくさんの人を同時に魔法で眠らせたことがある。でもエマはそれを知らないはずだ。
私がそのことを尋ねるとエマは「うん知らないよ。でもおねえちゃんだったらできそうだと思ったんだ」と笑った。うーん、やっぱりエマは可愛くて賢くて、私のことをよく分かってるよね!
カールさんに一緒に来てもらったのはもちろん、砦の場所を教えてもらうためだ。私たちだけだとどこにあるか分かんないからね。そしてルピナスには、デッケン伯爵さんが持っているという魔石を何とかするために手伝ってもらった。
やり方はとても簡単で、砦を含む周辺の兵士さんたち全員を私の魔力の《領域》で囲い、その中を《安眠》の魔法で満たす。あとは嫌な臭いのする魔石をすべて《花生成》の魔法で花に変えるだけだ。この魔法は花の妖精ルピナスの持っていた力をもとに私が作り上げたものだ。
ルピナス自身は妖精の力を無くしちゃったけど、それは無くなってしまったわけではなくて私の魔力の中にちゃんと残っている。今回はその力を使うために手伝ってもらったのだ。
移動するのに時間がかかると砦の人たちが危ないと思ったので、私は竜の姿になって皆を一緒に連れていくことにした。私の翼ならヴリトラの住んでいる大陸の端まででも半日とかからず着くからね。王国内ならどこでもあっという間だ。
多くの人を傷つけずに助けることができて、私は本当にうれしかった。
でも終わってから改めて考えてみると私、今回初めてエマとカールさんに竜の姿を見せたんだよね。
出発前は助けるのに夢中でよく考えてなかったし、一度竜の姿について話していたから特に気にしなかったんだけど、振り返って考えるとなんだか急に心配になってきた。
もしかしたらカールさんに嫌われちゃったかも!?
私は私から目を逸らしているカールさんを見た。ちょっと泣きそうになりながら、恐る恐る彼に尋ねてみる。
「カールさん、あの、私の、あの竜の、姿ですけど・・・。」
「え、あの、私は、その、何というか、すごく感動しました。と、とってもきれいで、見惚れてしまって。あの、それでドーラさん・・・。」
彼は真っ赤になると目をぎゅっとつぶって私に背中を向けた。
「お願いですから、服を着てください!」
彼にそう言われて初めて、私は素っ裸だったことに気が付いた。《人化》を解除した時に服が破けないように裸になったのをすっかり忘れてた。
私は慌てて《収納》から服を取り出し身につけた。エマがくすくす笑いながらそれを手伝ってくれた後「もう大丈夫だよ、おにいちゃん」とカールさんに声をかけた。
「もう、おねえちゃんは相変わらずだね。」
「ごめんなさいカールさん。ありがとうエマ。」
てへへと笑う私と一緒にカールさんとエマが笑う。ああ、私、この人たちと一緒にいられて本当に幸せだ。
そうやって笑っていたら、声を聞きつけたリアさんとテレサさんがやってきた。二人はあらかじめカールさんが休めるように準備をしておいてくれたのだ。
「カール様、お加減はいかがですか。まだ無理をなさってはいけません。さあ、寝室へ参りましょう。」
リアさんとテレサさんがカールさんの両脇にぴったりとくっついて、その体を支えた。空を飛んでいる間は私が《領域》の魔法で守っていたとはいえ、カールさんはまだ病み上がりだから心配だ。
「じゃあ、私たちもついて行こうか、エマ。」
「うん、そうだねドーラおねえちゃん。」
私たちは小さいころからそうしていたように手を繋ぎ、目を合わせてにっこり微笑みあうと、カールさんたちの後ろを着いて歩いて行ったのでした。
それからおよそ一年後。エマはニコルくんと結婚しサローマ伯爵領に行くことになった。そしてその半年後、ハウル領の秋祭りで私はカールさんと結ばれた。
私は貴族の奥さんとして色々なことを学びながら、領内の様々な仕事を手伝って歩いた。ドーラ魔術工房もハンナちゃんたちに手伝ってもらいながら、続けさせてもらった。
私はルッツ家の家計簿をつけることにした。今までにずっと一人でつけていた自分だけの家計簿ではない。家族の家計簿だ。
私の、カールさんの、リアさんの、家族となった私たちの様々な暮らしの様子を記録していく。
楽しい時間はあっという間に過ぎていった。たくさんの出会いや別れ。季節の移り変わりとそこで起こる様々な出来事。それに伴う小さなお金の出し入れすべてが私の家計簿に綴られていく。
この家計簿は人間としての私の暮らしのすべてが詰まっている。それは竜として生きる身では絶対に体験できない、かけがえのない宝物だった。
時の流れは私から幾人もの大切な人を奪っていった。でも彼らとの交流の思い出の一つ一つが私の家計簿に残っている。
そんな果てしなくもあまりに短い時間の後、ついに私の家計簿を閉じる日がやってきた。
その頃の私はベールと半仮面で容姿を隠して生活していた。春の終わりのある日。年老い、死を目前にしたカールさんは私の手を取って言った。
「ドーラさん、最後に私の願いを聞いてくれませんか。」
「ええもちろんです、あなた。」
カールさんの願い。それは私のねぐらであるドルーア山に上ることだった。私たちは養子となったエマの末息子にハウル領のことを任せ、身辺の整理をして二人きりでドルーア山を目指して旅立った。
「これまで領のために働くことしか考えていませんでしたから、いつかこうしてあなたと旅をしてみたいと思っていたんです。」
彼は少しバツが悪そうに言って笑った。それまでは少し弱っていた彼だったけれど、旅に出てからは日に日に元気を取り戻していった。それはまるで燃え尽きようとする蝋燭が最後の炎を上げているみたいだった。
夫婦二人の気楽な旅はとても楽しかった。国王に即位したかつてのウルス王子、現ウルス3世の治世の下、街道は整備され護衛なしでも安全に旅ができるようになっている。
私たちは思い出の場所を辿りながら王都を、そしてドルーア山を目指して歩いた。私はその間もずっと家計簿をつけていた。
ドルーア山は王国にとって聖なる山。本来は上級貴族であっても立ち入ることはできない。入ることができるのは王族と契約魔法で縛られた神殿の関係者のみだ。
しかし私たちはウルス3世から特別に許可をもらっていた。
ドルーア山に上るには、大人の男の人でも2日程かかる。
私たちは時間をかけてゆっくりと山を登っていった。途中、カールさんは何度も蹲って休まなければならなかった。それでも時には私の手を借りながら、彼は頂上を目指して歩き続けた。
私のねぐらの入り口にある大神殿を通り過ぎ、私たちは山頂を目指した。そして登山を始めて4日目の朝、私たちはついに山頂に辿り着いた。眼下には雲海が広がっている。辺りにはまだ少し雪が残っていた。
私たちは山頂の岩に腰かけ、朝日に照らされる王都の街並みと王城を眺めた。
「さすがにハウル領は見えませんね。」
私がそう言うと彼は黙って頷いた。私の手を握る彼の手に力が籠る。彼が大きく息を吸うと、胸の奥からひゅうひゅうという音が響いた。彼は私の仮面とベールを取り払い、目をじっと見つめて言った。
「ドーラさん、私はあなたと共に生きることができて本当に幸せでした。」
「私もです、あなた。」
私がそう言うと彼は私の手をしっかりと握って俯いた。
「私はあなたからすべてを与えてもらいました。生きる目標も、誓いも、この命さえも。」
そこで彼は言葉を切った。やがて顔を上げると、痛ましい目をして彼は私に問いかけた。
「私はあなたを守ると誓った。その誓いは・・・果たせたのでしょうか?」
彼は私をじっと見た。深い皺の刻まれた目。しかしその誠実な眼差しは、出会った頃と全く変わっていない。私は彼にそっと口づけをした。
「あなたは私を守ってくださいました。私が人外の存在でなく、ただの一人の女として生きられたのは、あなたが私を受け入れ、守ってくださったからです。そうでしょう?」
私の言葉を聞いた彼は軽く目を瞑った。そして再び目を開けた時、私の大好きな優しい光を湛えた瞳がそこにあった。彼は私を抱き寄せ、口づけをしてくれた。
「そんな分かり切った答えを聞きたがるなんて、相変わらず真面目ですね。でも私はあなたのそういうところが好きです。」
私がそう言うと、彼はまるで少年のように少しはにかんで笑った。
「・・・安心したら少し疲れてしまいました。横になってもいいですか?」
「ええ、さあ私の膝に。」
私は地面に座り、彼の頭を膝に乗せた。すっかり白くなった髪を震える指でそっと撫でる。彼は安らかな表情で目を瞑った。彼の胸から聞こえる息が、次第に細く高い音に変わっていく。
「ドーラさん・・最期は・・・あなたの炎で・・天に還してください。」
「・・・分かりました。安心して休んでください。」
私がそう言うと彼は僅かに微笑んだ。そして最期に小さく呟いた。
「愛して・・います・・いつまでも・・永遠に・・・。」
大きく息を吐きだした後、彼の体から力が抜けた。その瞬間、彼の傍らに置かれていた魔法剣がパンという澄んだ音と共に砕け、虹色に輝く小さな欠片となって風に溶けるように消えた。
「私もです、カールさん。いつまでもあなたのことを愛しています。」
私は彼の顔に掛かった髪をかき分けると、その額にそっと口づけをした。春の明るい光に包まれながら、私はそのままずっと愛しい人の亡骸を抱きしめていた。
カール・ルッツ令外伯爵とその妻ドーラの痕跡はその日を境に、王国から消えた。
二人がハウル領に残した功績は多くの人々に語り継がれたが、それも長い長い時の流れに埋もれ、やがては語られることのないおとぎ話となって忘れられていった。
その後、その大陸にはいくつもの国が生まれまた消えていった。しかし大陸の東の端にある、深い森に囲まれたその小さな王国だけは、少しずつ形を変えながらもずっとそこに在り続けた。
王国に暮らす人々は、王国を守る聖なる山とそこに暮らすという大地母神を大切に崇め続けた。
その頂に、ずっと昔から消えることなく燃え続けるという不思議な炎を持つ聖なる山には、今でも王家の選ばれた者だけが登ることが許され、毎年春の最初に日に供物を供え、巫女たちが舞を奉納しているのだという。
読んでくださった方、ありがとうございました。これでドーラのお話はおしまいです。最後まで書くことができたのは、読んでくださった方のおかげです。本当にありがとうございました。