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Missドラゴンの家計簿  作者: 青背表紙
184/188

178 悪意と悲劇 前編

あと2話。仕事に追われてますが、最後まで頑張ります。

 王様の挨拶が終わると同時に魔術師たちが打ち上げた色とりどりの魔法の花火が、王都の中央広場の上空を彩った。穏やかな春の空の明るさに負けないよう工夫された花火を見て、広場に集まった多くの人たちから歓声が上がる。


 それが合図になったみたいに、広場のあちこちで乾杯の声が上がり、楽師たちの奏でる賑やかな曲が響き始めた。集まった人たちの顔には笑顔が溢れ、国を挙げてのこの慶事を心から喜んでいるのが、私にも伝わってきた。






 今日は春の三番目の月の最初の日。つまりちょうど春の中日に当たる日だ。もう冬の気配はすっかりなくなり、穏やかな太陽が芽吹き始めた草花を優しく照らしている。


 この素敵な日にドルアメデス王都では王家の二人の王子、ウルス王子とリンハルト王子の婚礼の祝祭が開かれていた。


「ああ、本当に素晴らしかったですわ! 私も頑張った甲斐がありました。」


 目の下に深い隈を作ったニーナちゃんが夢見るような表情で、大きくため息を吐いた。


「ミカエラ様のウェディングヴェールはニーナが作ったのだったな。確かにあの刺繍は素晴らしかった。また腕を上げたな。」


 私たちと一緒に婚礼の様子を見物していたゼルマちゃんが、心から感心したと言わんばかりにニーナちゃんの肩に手を置く。ハウル領の衛士服をきっちりと着込んだ長身の彼女が小柄なニーナちゃんと並ぶと、本当に大人と子供のように見えてしまう。






「でも本当は少し悔しいのですわ。だって今回作らせてもらえたのはヴェールだけだったのですもの。もし次に機会があれば、今度こそドレス全部を作れるようになってみせます。」


 ぐっと拳を握るニーナちゃんを労わるように、ゼルマちゃんは手をそっと彼女の頬に当てた。


「王都一の服飾工房で王族の婚礼衣装作成に携われるだけでも、新人のお針子としては大抜擢だと思うが。まあニーナのそういうところ、私は好きだけどな。」


「ゼルマ・・・ありがとう。」


 彼女に褒められたニーナちゃんは顔を赤くして俯いた。男装の麗人である彼女が小柄なニーナちゃんに寄り添っている様子は、まるで舞台の一場面のようだ。私たちと同じ仮設の観覧席にいた女性たちが、うっとりとした様子で二人を見つめているのに、私は気が付いた。






「それにしても残念でしたね。エマ様もこちらで一緒に見られたらよかったのですが。」


 お祭りの様子を見ようときょろきょろしていた私に、ゼルマちゃんがそう話しかけてきた。


「そうだよねー。でも仕方ないよ。エマもそれは分かってると思うし。」


「ではやはりエマさんは・・・。」


「うん、サローマ伯爵家の人たちと一緒にいるはずだよ。」


 私はエマにかけた《警告》の魔法をこっそり確認しながらそう答えた。エマのいる方角から魔力の繋がりを通して、エマが緊張している様子が伝わってくる。私は心の中でエマを応援した。


「ではエマ様は本当に次期伯爵夫人になってしまわれるのですね。」


「さすがはエマさんですわ。エマさんの婚礼のドレスは是非私に作らせていただきたいです。」


 二人はエマの婚礼と学生時代の話で盛り上がり始めた。この二人はエマ、ミカエラちゃんと4人で6年間、同室の仲間として過ごした仲だ。二人の話をぼんやりと聞きながら、私はエマのことを考えていた。






 今年の春の祝祭の日、王城の祝賀会でサローマ伯爵は王党派の貴族たちに、エマとニコルくんの婚約を発表した。今や王国貴族の最大派閥となった王党派の領袖であるサローマ家に、平民の娘が正妻として嫁ぐという前代未聞の発表にもかかわらず、派閥の貴族たちは特に驚くことなくそれを受け入れた。


 王国で最も力のあるサローマ家の動向については敵味方問わず、各貴族家が密偵を使って具に情報を集めている。エマとニコルくんの関係については、彼らにとってはすでに周知の事実に他ならなかったのだ。


 そしてそれ以上に、エマの名声が王国内外に広く知れ渡っているというのもあるのだろう。平民の娘でありながら全属性の魔力を使いこなし、数々の魔術式を編み出した若き天才魔導士。


 さらに武勲詩ジェストに歌われるほどの数々の功績と、春の女神フリューレに例えられるほどの美貌。生半可な貴族家の令嬢ではとても太刀打ちできないほどの価値がエマにはあるのだという。


 そのため多少強引な手段を使ってでもエマを手に入れたいと思った貴族は数多いそうだ。しかし王家とサローマ家ががっちり結託して、それを防いでいたらしい。






 これらはすべて、リアさんを通じてカールさんが集めた情報だ。エマがそんな風に皆に認めてもらえるのは素直にうれしい。けれど本当のことを言えば、ほんのちょっとだけ寂しくもある。エマが何だか遠くに行ってしまうような気がするからだ。


 もちろんそれが気のせいなのは自分でも分かっている。仮にエマに言ったとしても、きっと笑い飛ばされてしまうだろう。「おねえちゃん、私はいつまでも変わらないよ」と。


 ただエマはもう多くの人にとって大切な存在になってしまったのだ。あの小さなハウル村で私だけにたくさんの「いいこと」を教えてくれていたエマではない。それはエマの努力と成長の証であり、喜ばしいことのはずだ。


 でも「あたし、いいこと考えたよ!」と顔をほころばせていた小さなエマの姿を思い描くたびに、私の胸は締め付けられるような寂しさに襲われる。


 たとえどんなに時が流れても、エマからもらった愛が無くなることは決してない。だけどこの胸の痛みが消えることも、きっとないのだろうなと私は考えた。






 今、私の目の前にいる二人も、初めて会った6年前とは見違えるほど変わっている。


 ニーナちゃんは学生時代から通い詰めていたドゥービエ工房に就職し、今はお針子として活躍している。彼女は魔力で処理した魔石を装飾に使う方法を考え出したことで、一躍有名になった。新しい服を作る時に、彼女をわざわざ指名する貴族の婦人たちも少なくないそうだ。


 ゼルマちゃんはカールさんに仕えるハウル領の衛士をしている。エマやカールさんと鍛錬を積んだことで魔力が向上し、魔槍術を使いこなす戦士として今や同僚の男性衛士からも一目置かれる存在だそうだ。各地の冒険者ギルドからのスカウトも多いと聞いている。


 エマやミカエラちゃんの成長ぶりも言うまでもない。今年の春に16歳になり成人を迎えたことで、彼女たちは今後ますます活躍していくことだろう。


 でも私はちっとも変わっていない。どうして人はあんなに早く変わってしまうのだろう。どうして私はいつまでも変わらないのだろう。


 もちろん答えは分かり切っている。私は竜で彼らは人だからだ。こんな問いかけは無意味。だけどそう思わずにはいられない。


 私は二人に暇を告げその場を離れた。祝祭に浮かれる人々の間を縫って行く当てもなく街を歩く。私の大好きな、人間たちの笑顔に囲まれているのに、その時の私にはそれがなぜかとても遠くにあるように思えてならなかった。






「おお、ドーラではないか。どうしたんだ、そんなに暗い顔をして。」


「ヴリトラ!それに妖精騎士も!」


 そこにいたのは暗黒竜ヴリトラと妖精騎士だった。二人とも《人化の法》で人間の姿になっている。ぼんやり歩いていたせいで、声を掛けられるまで全然気が付かなかった。


「ドーラちゃん、こんにちは。人間のお祭りもなかなか賑やかで楽しいわね。」


 白銀の軽鎧を着た妖精騎士は周りを見回しながらそう言った。黒いドレスを着こなしているヴリトラと並ぶとまるで一対の絵のように美しい。ただヴリトラが口いっぱいに食べ物を頬張っているせいで、その魅力は大分損なわれているけれど。


「そうであろう、妖精騎士よ。この街のことなら、我が知り尽くしておるからな。ああ、あの店が屋台を出しておるとは! さあ、次はあそこに行ってみようぞ。ドーラも一緒に来るがよい。」


 両手いっぱいに屋台の食べ物を持ち、口をもぐもぐさせながらヴリトラが言う。私は二人と一緒に歩きながら、自分のもやもやした気持ちを二人に打ち明けた。


 二人は黙って私の話を聞いていたけれど、やがてヴリトラが呆れたように大きく息を吐いた。






「お主は昔から賢いが、相変わらずバカじゃのう。」


 広場の隅にあった長椅子ベンチに腰かけ、くちゃくちゃと噛んでいた肉を冷えたエールで流し込んでからヴリトラが言った。


「?? どういうこと?」


「我ら竜は個としては最強不滅の存在。それに対して人間の個としての力など高が知れておる。おそらく魔法や道具なしではこの犬にすら敵わんだろうよ。」


 ヴリトラは食べ終わった骨を近くにいた野良犬に向けて放った。犬は骨を器用に空中で加えると、嬉しそうに走り去っていく。私は彼女に問いかけた。


「つまり人間は取るに足らない存在だから、相手にするなってこと?」


「そうではない。我は最初に『個としては』と言ったであろう。人間は個としては脆弱そのものの生き物。じゃが彼らの本質は種としての力なんじゃ。」


 何のことを言われているか分からず彼女の横顔を見つめる私に、彼女は向き直って言った。






「相変わらず察しが悪いの。人間種の本当の力は他者との関わりから生まれるということよ。彼らは自分のためでなく、顔も知らぬ他者のために生きることができる唯一の生き物じゃ。そういうところはお主にも似ておる。お主が人間に魅かれるのは必然なのかもしれんな。」


 ヴリトラはふっと視線を緩めた。だが次の瞬間、その目の中に暗い翳が差した。


「積み重なり絡み合った彼らの力は本当に恐ろしく強い。時には自らの世界を滅ぼしてしまいかねない程にな・・・。」


 ヴリトラは少し目線を逸らし遠い目をした。でもすぐに顔を上げて私に言った。


「お主の愛するあの娘。あれは人間という一つの個に過ぎん。じゃがあの娘は決して一つの力で出来てはおらぬということだ。あの娘を形作っているのは、人間という種がこれまで作り上げてきたすべてじゃ。細い糸が寄り集まって美しい布が織り上がるように、あの娘の中にはお主の愛する人間の美しさがすべて詰まっておる。そうではないか?」


 私はヴリトラの言葉を聞きながら、祭りを楽しむ人々に目を向けた。生きることを心から楽しんでいるその笑顔をじっと見つめていた私は、ヴリトラがぎょっとして上げた声で我に返った。






「ド、ドーラ、どうしちゃったの? 私、なんかやっちゃった!?」


「え・・・?」


 焦った彼女の声ではっと自分の手元を見ると、キラキラと輝く虹色の粒が周囲に散乱していた。私は知らぬ間に大粒の涙を流していたのだ。慌てて涙を拭い、散りばめられた涙を《収納》の魔法で片付ける。


 急に泣き出した私を見てオロオロするヴリトラと妖精騎士に謝ってから、にっこり笑って私は言った。


「ありがとうヴリトラ。私、もう大丈夫だよ。」


「よ、よかったー。もう、びっくりしちゃっ・・・ごほん。ま、まあ少々驚いてしまったが、元気になったようで何よりじゃ。それで、何事か悟れたのじゃな?」


「うん。私、やっと分かったよ。私がエマに魅かれる理由が。」


 私はそう言って周囲の人々に目を向けた。どの人の顔もキラキラと輝いて見える。まるでよく晴れた新月の夜空を見上げたときのようだ。一つ一つの小さな輝きが互いに寄り添い、混ざり合い、渦を巻き、大きな大きな流れとなって私を包み込んでいた。


 それは彼らの魂が放つ煌めきだった。互いを愛し、慈しみ、そこに誰かがいることを喜び合う魂の輝き。遥かな時間、脈々と受け継がれ広がってきた魂の絆だ。限られた時間で愛する人のために精一杯生きようとする人間の魂の光が、この時の私の目にははっきりと見えていた。






 私はいつかエマがいなくなってしまうと思っていた。でもそれは間違いだった。エマの肉体は滅んでも、その思いは決して消えない。エマと同じように、この世界を大切に思う誰かがいる限り、エマの思いはその誰かに引き継がれ、永遠に残り続けるのだ。


 私は自分の見たものを、ヴリトラと妖精騎士に話した。二人はそれを真面目な顔で聞いた後、顔を見合わせて感心したように頷いた。


「お主はバカじゃが、やはり賢いの。」


「ドーラちゃんは本当に人間が好きなのね。」


「うん。私、これからも人間とずっと一緒にいるよ。」


 私がそう言うとヴリトラは少し目を伏せて考えた後、私に言った。






「永きに渡り人間種と共にいた我・・・いいえ、私から一つ言っておくわ、ドーラ。人間種の命は短いからこそ、その輝きは強く美しい。でも命が短いからこそ大きな過ちを招くこともある。この世界はこれまで人間種によって何度も滅びの危機を迎えたわ。」


 ヴリトラの瞳に痛ましい光が灯る。私が永い眠りに就いたあの神々の戦いで、彼女は闇の神の軍勢と共に戦った。そして神々が地上から消え去ってからもずっと闇の種族を見守ってきたのだ。


「それでも人間種はそのたびに危機を克服してきた。だからドーラ、あなたもそれを知っていてほしいの。彼らが過ちを犯しそうになった時のために。」


「分かったよ、ヴリトラ・・・私たちが不滅の存在なのは、きっとそのためなのかもしれないね。」


 私が呟くようにそう言うとヴリトラは「・・・そうね」と少し寂しそうに笑った。そして頭を軽く振ってから私にエールの酒杯ジョッキを差し出した。






「さあ、乾杯しようぞ。この美しい日々がこれからも永遠に続くようにな。」


 私たちは高らかに声を上げて酒杯を打ち合わせ、中身を一気に飲み干した。するとその声を聞きつけた見知らぬおかみさんが私たちに笑いながら声をかけてきた。


「お嬢さん方、いい飲みっぷりだねぇ! お代わりはどうだい? 王様からの祝いの振る舞い酒はまだまだたっぷりあるんだ。さあ、こっちにおいで!」


 私たちはすぐに「いただきます!」と返事をして長椅子から立ち上がった。そして三人で手を取り合うと、楽しそうにお酒を酌み交わす人たちの輪に加わったのだった。
















 ドーラがヴリトラたちと楽しく酒杯を空けている頃、カールは王派閥の宴席の隅でじっとエマの様子を観察していた。

 彼がいるのはサローマ家王都別邸の大広間。現在ここには王家の婚礼を祝う多くの貴族たちが集まっている。しかし彼らの本当の目的は、サローマ家の後継者ニコルと彼の妻となる予定のエマとの顔つなぎだ。


 美しいドレスを纏い、婚約者であるニコルに寄り添うように立つエマは、どこから見ても上級貴族の令嬢にしか見えない。もうすぐ日が沈もうとしている時間にもかかわらず、二人の下には祝いの挨拶をしに来る貴族たちがひっきりなしに訪れている。


 エマの内心はともかく、その堂々とした立ち居振る舞いからは、平民であることへの引け目など微塵も感じられなかった。エマのことを心配してずっと見守っていたカールだったが、それが取り越し苦労であることが分かってほんの少し肩の力を抜いた。


 その分、周囲の様子に目を配る。本来ならば宴席での帯刀は認められていないが、令外子爵であるカールだけは護身用の細剣を持つことを許されている。何かあればすぐに対応できるようにしてあるとはいえ、油断はできない。


 サローマ伯爵夫妻には現在跡取りであるニコルしか子供がいない。もし彼に何かがあれば、王国貴族最大派閥の領袖の跡目争いは避けられない。王国の貴族社会に与える影響は甚大だ。王国に波乱を巻き起こしたい勢力にとって、ニコルは格好の標的なのだ。






 それが分かっているから、当のニコルだけでなくその隣に立つエマ、そしてサローマ伯爵もにこやかに客に対応しながらも、周囲への目配りを欠かさず、時折無言で視線をやりとりしている。


 三人とも王国有数の戦士だ。しかし複数に至近距離から同時に一人を狙われれば対応は遅くなる。だからカールは少し離れた位置から、おかしな動きや連携をする者がいないか気を付けているのだ。


 一応、神聖魔法の《悪意の看破》も使っているが、今のところは怪しい輩はいないようだ。ただ5年前の王都襲撃で使われたような呪術による人間の操作と自爆を仕掛けてくる可能性もある。


 会場の壁や出入り口に配置された護衛騎士たちが緊張した面持ちなのは、自分と同じことを警戒しているからだろうと彼は思った。






「カール・ルッツ令外子爵閣下、踊りの輪に入られないのですか。先程からあちらのご婦人方が、誘っていただきたいという顔でソワソワしていらっしゃいますよ。」


 不意に声を掛けられて、カールは後ろを振り向いた。


「・・・カフマン殿、来ていたのか。」


「ええ、お得意様であるサローマ伯爵夫人からご招待を受けました。平民である私がこの場にいられるとは、誠に身に余る光栄でございます。」


 仰々しく頭を下げながら、カフマンはちらりと後ろで遠巻きにこちらを窺う婦人たちに目を向け、一瞬だけ面白がるような表情をした。カールはそれを見て苦いものを口にしたかのように僅かに唇を歪めたが、すぐに表情を取り繕って言った。


「王国随一の商会の会頭である貴殿にくらべれば、辺境領主である私など何ほどでもなかろうに。」


「いえいえご謙遜を。ハウル領は今や王都防衛の要衝にして、南部領交易の重要な中継地ではございませんか。その領主をお勤めになるルッツ卿と少しでもお近づきになりたいというご婦人方の気持ち、私にはよーく分かります。」


 彼の言葉通り、多くの貴族女性たちがそわそわとこちらに目線を向けていることに、カールも気が付いていた。だがあえて無視していたのだ。表向きになっていないとはいえ、カールはすでにドーラと婚約している。


 ただドーラから「エマが結婚するまでは待ってください」と言われているので、5年前から二人の仲はほとんど進展していない。カールは今年で27歳。自分を憎からず思ってくれている女性が一人や二人ではないことを、彼自身もよく分かっている。


 だからといって今更、他の女性に手を差し伸べる気にはならなかった。それにこのような場で女性を踊りに誘うほど、社交慣れもしていない。カフマンもそれが分かっているから、こんな風にカールをからかっているのだ。


 カールはカフマンに手を差し出し、楽師たちが演奏している近くの席へと導いた。テーブルに置かれた葡萄酒の酒杯ゴブレットを二つ取り、一つを彼に渡す。






「御託はいいから早く用件を言ってくれ、カフマン。ただ、からかいに来ただけではないのだろう。」


 《毒物感知》の魔法を使ってから葡萄酒を飲む振りをしながら、手にした酒杯で口元を隠しカフマンに囁く。くだけた調子で話しても、すぐ近くでテンポの速い舞踊曲を演奏しているので彼以外に話を聞かれる心配はない。カフマンも読唇術を警戒したカールの意図を察して、同じように答えた。


「もう5年もドーラさんをほったらかしにしている誰かさんを、もっとからかってやりたいのは山々だがな。王国西部の商人たちにおかしな動きがある。連中、帝国から手当たり次第に魔石をかき集めてるぞ。」


「帝国から? どういうことだ。」


 カールが聞き返したのも無理はない。4年前にドルアメデス王女ガブリエラが帝国の皇太子妃となって以来、帝国と王国間では交易が正式に行われるようになった。主な交易品として帝国から様々な農産物、王国からは魔石や魔法薬、魔道具などがやり取りされている。






 帝国は王国に比べ魔獣や迷宮が少なく、自国内で魔石を調達することが難しい。帝国が王国の支配にこだわる理由の一つは、貴重な資源である魔石を手に入れるためというのが大きい。


 これまでは敵対関係であったため、交易など考えられもしなかった。しかしガブリエラの輿入れを機に両国間での停戦及び平和条約の締結が行われ、国交が可能となったのだ。開戦以来、実に300年ぶりのことだった。


 当初は軍事力増強に直結する魔石を帝国に売り渡すことに難色を示す貴族や軍閥関係者が多かったが、4年が経過した現在まで、大きな問題は起きていない。寧ろ西方の守りに就かせていた騎士団が国内の魔獣討伐を行えるようになったため、王国民の生活は安定しつつある。


 ただ火種がまったくなくなったわけではない。帝国から安く質の良い食料品が大量に輸入されることになったことで、これまで王国の食糧生産を独占していた西部の貴族たちの力が相対的に弱くなった。それに対して不満を燻ぶらせている連中も少なくない。






 カールを始め王に近い者たちは、この連中が何かやらかすのではないかと警戒していた。しかしいくら何でも、今カフマンが話したことは、にわかには信じられなかった。


 逆ならともかく、帝国から王国に魔石が流入するはずはないからだ。もしかしたら帝国に大規模な迷宮が出現し、自前で魔石を調達できるようになった可能性もないわけではないが・・・。


 カールの訝しむ視線を受けて、カフマンは一層周囲を警戒しながら言った。


「おそらく帝国側に手引きしてる奴がいる。王国から輸出された魔石の一部を王国西部領の商人たちに流してるようなんだ。まだ確証のない不確定な情報だ。だが早く知らせた方がいいと思ってな。」


 そう言って酒杯を空けたカフマンはがらりと表情を変え、芝居がかった仕草で一礼すると「閣下のお気持ち、確かに承りました。ではご婦人方には私からお伝えいたしましょう」と、至極残念そうに身悶えしてみせた。


 そして干した酒杯の彼に返すと、二人の様子をやきもきしながら見つめていた婦人たちの下へと帰って行く。ところが期待を込めた目でカールをちらちら見ていた彼女たちにカフマンが何事か囁くと、婦人たちは一斉に耳まで赤くなり、カールを涙目で見つめながら、あっという間にその場からいなくなってしまった。


 お前何言ったんだ!?


 カールはそんな思いでカフマンを睨んだが、彼はしてやったりという顔で軽く一礼するとその場から立ち去って行った。カールは釈然としない気持ちをぐっと押さえ、再び会場内の様子を探った。






 ここに集まっているのは王党派及び中立派の貴族たちばかりだ。カフマンの言っていた王国西部地方の貴族たちは、別の場所に集まっている。リアの情報によれば、彼らの領袖であるデッケン伯爵の別邸がその会場らしい。


 5年前に王都及びハウル村が襲撃された事件後の調査で、王国内に敵を引き入れたのはデッケン伯爵率いる反王党派の貴族たちではないかという疑いが浮上していた。


 しかし確たる証拠がない上に、彼ら自身の保有する王都内の資産にもかなりの被害が出ていたため、訴追するには至らなかったのだ。






 ただこれは彼らも、あの複合獣キメラの女や黒衣の老人に騙されていたからではないかという気がしている。彼らはおそらく、あの老人たちの力を使って動乱を引き起こし、王家とハウル村を手に入れようとしていたのではないだろうか。


 これまでの彼らの動きを見ていれば、その理由は容易に想像がつく。王都襲撃によって王家の力を弱めると共に、ハウル村を人質とすることでドーラとエマの力を手に入れるためだ。ついでに彼らにとって邪魔な自分と父を殺すという目的もあったのかもしれない。


 しかしその思惑を、逆にあの老人たちにまんまと利用されてしまったのだろう。あの老人たちの目的は王都領とそこに暮らす全ての民を灰燼に帰し、それによって『天空城』と呼ばれる空飛ぶ島を呼び出すことだったと、事件後にエマが教えてくれた。


 反王党派もいくら王家を倒すためとは言え、王国の命脈ともいえる王都と聖なる山を失ってしまっては意味がない。聖女教の叛徒や黒衣の老人たちが暴走を始めたときの、彼らの焦りはいかばかりだったろう。それに同情する気にはならない。でも哀れな連中だなとカールは思った。






 現在、反王党派の勢力は極めて弱くなっている。帝国との交易によって、王国の食糧生産を担ってきた彼らの発言力は低下した。もっとも王国内での貴族としての位置づけが多少下がっただけで、西部地方の領民の暮らしは寧ろ向上している。彼らの生産した食糧が領内に行き渡るようになったからだ。


 楽観的な王党派の多くの貴族たちは、反王党派がこのまま自然消滅していくだろうと信じているようだった。王家の力が増すことで国内が安定し、帝国との交易によって各領が好景気に湧いている。この状態で王家に歯向かっても何の利もないからだ。


 カール自身もそれを信じたい気持ちがある。しかし彼らの悪意を何度も目の当たりにしてきた彼は、このまま何事もなく彼らが引き下がるとはとても思えなかった。






 今回の二人の王子の結婚は、彼らにとっては見逃すことの出来ない好機だ。兄である王太子と事あるごとに対立してきた第二王子パウルの子リンハルトがミカエラと結ばれ、バルシュ公爵位を得たからだ。


 王国西部で最大の版図を持ち、さらに帝国との交易で繁栄を約束されたバルシュ領に新たな公爵家が立つことになる。もともと旧バルシュ領には王国軍魔法騎士団の駐留地があり、それを率いる第二王子パウルの人気が高い地域。これにより第二王子の王国西部に対する影響力は非常に大きくなったと言えるだろう。


 さらに王太子の正妃となったイレーネは、反王党派の大物であるカッテ伯爵の姪。王家としてはこれによって反王党派の勢力を切り崩すとともに、国内の貴族の融和を図ろうとする意図があるに違いない。


 しかし見方を変えれば、王国の中枢に反王党派に所縁の者を送り込まれてしまったということもできる。第二王子パウルは無双の勇者だが、国内政治に関心がないことでも有名だ。もしこの状態で王と王太子に何かあれば、反王党派の貴族たちは外戚として第二王子を操ることで、労せずして大きく熟れた王国という果実を手に入れ、思う様味わうことができる。





 それでも国内の勢力図が塗り替わる変わるだけならば、大きな混乱は生じない。問題は反王党派の貴族たちの目的が、現在東ゴルド帝国に支配されてしまっている地域の奪取にあるということだ。


 元々彼らは帝国との戦いによって治めていた領土を失った小王国の末裔。父祖の領土の回復は彼らの悲願であり、彼ら自身もそれを公言して憚らない。ただそれに対する他の諸侯たちの反応は冷ややかだ。


 現在の王国の形が定まってからすでに300年近い時間が経っている。彼らが失ったかつての支配地は何世代もの人々が暮らすうち、文化や習俗などがすっかり帝国のものとなってしまっているのだ。今更、彼らが力で旧領を取り返したとしても、統治に困難が生じるのは目に見えている。


 それにいざ戦いとなれば、両国で多くの血が流れることになる。長きに渡る戦争がようやく終わりを告げ、両国の民がやっと安寧を享受しているというのに、再び血を流し合うなどどちらにとっても利のない話ではないか・・・。






 そこまで考えて、彼はハッと気が付いた。両国が争い合うことで利を得る者。東ゴルド帝国とドルアメデス王国の二つを手中にし、大陸に覇を唱えようとしている西ゴルド帝国皇帝の存在に。


 現在、東ゴルド帝国皇太子ユリス率いる軍は、破竹の勢いで西ゴルドの拠点を次々と攻略していると聞いている。ただ両者の国力差にはまだまだ大きな差があり、これがいつまで続くかは分からない。


 ユリスの快進撃は王国との同盟が成立したことによるところが大きい。東ゴルド帝国は後顧の憂いを無くすことができただけでなく、王国からもたらされる魔石によって軍事力を飛躍的に向上させたからだ。


 東ゴルド帝国軍の主力は現在、西部戦線へ投入されている。手薄になった東ゴルド東部に西ゴルドと呼応した王国の反王党派が襲い掛かれば・・・。東ゴルド帝国首都オクタバを守るガブリエラの身が危ない!






 カールはすぐにサローマ伯爵にカフマンから聞いた情報を伝え、会場を飛び出した。一刻も早く父と王にこのことを知らせなければ。


 すでに日は落ち、一番星が春の薄雲の向こうに見え始めている。今ならまだギリギリ王城の閉門時間に間に合うはずだ。


 しかし会場を出て停車場へと向かった時、《悪意の看破》の魔法が彼に危機を知らせた。咄嗟に護身用の細剣を引き抜き振るう。彼を狙って飛来した短い金属製の矢が、細剣によって弾かれ鋭い金属音を立てる。しかしその衝撃で細剣は根元から折れてしまった。


 彼は出入り口の石柱の陰に身を潜めながら、咄嗟に叫んだ。


「狙撃者がいる! 物陰に身を隠せ!!」


 会場に出入りしようとしていた多くの人々がその声に驚き、混乱しながら馬車や建物へと避難し始める。カールは物陰から矢の飛んできた方角に目を向けた。深くなる夕闇の中、はるか遠くの離れの屋根の上に、黒い人影が見える。全身を黒い外套マントで覆い、フードで顔を隠している。


 フードの中に白く見える顔を確かめようとして驚いた。その顔は髑髏だったのだ。いや、よく見ればどうやら髑髏の半仮面をかぶっている。黒い眼窩の奥に、瞳の輝きが見えた。ほっそりした顎をしているようだが、まさか女か・・・?


 そこまで確かめたところで、彼の隠れている柱に向かって再び矢が飛来した。慌てて身を隠すが、矢は彼の頭を正確に狙っていた。これだけ距離があるにもかかわらず、恐るべき腕前だ。






 外れた黒い矢は足元の石の床に突き立っていた。短い矢全体がてらりとした光沢を帯びているのは、おそらく毒が塗られているからに違いない。


 再び慎重に顔を出し相手の様子を窺う。刺客はそれを待っていたかのように再び武器を構えた。黒く塗られているためか、その形は判然としないが構えや大きさからいしゆみではないかと思われた。


 カールは相手の動きを油断なく見つめていたが、その構えから奴の狙いが自分ではないことに気が付いた。カールからやや離れたところに真新しいドレスを着た幼女が、避難する人々の群れに押され倒れている。


 刺客の『悪意』はその幼女と倒れた我が子を助け起こそうとしているまだ若い母親に向けられていた。それに気が付いた途端、彼は柱を飛び出した。その時、彼には刺客のニンマリと笑った顔が見えた気がした。






 黒い矢が母子に向けて放たれた。どういう仕組みかは分からないが、ほとんど時間を置かず三本の矢が同時に飛んでくる。カールは矢の前に立ち塞がると、折れた細剣で何とか二本を弾き落とすことができた。


 彼は両腕を胸の前で組むと、落とせなかった一本を自分の腕で受け止めた。飛来した矢は彼の右腕を撃ち抜き、左腕を半ば貫いたところで止まった。途端に激しいめまいを感じ、彼はガクンと姿勢を崩した。


 そのまま崩れ落ちそうになるのを必死で堪え、カールは叫んだ。


「今のうちに建物に入るんだ、早く!!」


 母親はおぼつかない足取りで必死に我が子を抱きかかえると、自分の体で庇いながら建物に駆け込んでいった。それを見届け物陰に隠れようとした時、彼は胸の真ん中にドンという衝撃を感じ仰向けに倒れた。






 地面に横たわったところで、胸を撃ち抜かれたのだと分かった。だが信じられない。矢を放つ間隔が短すぎる。一体どうやって弩を連射しているんだ。もしやもう一人、襲撃者がいたのだろうか・・・。


 起き上がらなければと思ったが、まるで凍ってしまったように手足が動かない。胸の中心から急速に体の熱が失われていく。まだ死ぬわけにはいかない。まだ、こんなところで・・・。


 暗くなる視界の端に、ルッツ家の馬車から飛び出してきたリアの姿が見えた。彼女は倒れたカールを見て顔を歪めたが、すぐに呼子を取り出して大きく吹き鳴らした。ああ、これで大丈夫。リアの仲間たちがあの刺客を追うだろう。


 リアが彼の目を覗き込み、名前を叫んでいる。その声がひどく遠くに聞こえた。まるで水底で聞いているようだ。そう思った途端、まるで水に沈んでいくように彼の視界がぐにゃりと揺れた。彼の目から透明な涙が一粒、流れた。視界が白い光に包まれ、その中に無邪気な笑顔が見えた。


「・・・ドー・・・ラ・・・。」


 彼は最愛の人の名を呼んだ。だがその言葉は彼の口から溢れるごぼごぼという血の泡に紛れて、誰の耳にも届くことはなかった。

読んでくださった方、ありがとうございました。

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