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Missドラゴンの家計簿  作者: 青背表紙
182/188

176 天空城

やっと一話書けました。隙間時間でちょっとずつ書いているので、一貫性が・・・。


【追記】177話から時間が大きく進みます。その間のお話を読んでみたいという方がいらっしゃいましたら『missドラゴンの備忘録』をご覧ください。最終回まで一気に読みたいという方は177話をお読みください。ご面倒をおかけして申し訳ありません。


 冬の2番目の月が終わり、冬が半ばに差し掛かった頃、それまで音信不通だった王立学校教師のジョン・ニーマンドが突然エマを訪ねてやってきた。エマが夕食後の片付けを終えた時にやってきた彼は、小さな居間のテーブルでマリーの入れたお茶を飲みながら、機嫌よく話しはじめた。


「久しぶりだね、エマ。やっと厄介な連中から逃れられたんだ。だから借りを返しにもらいに来たよ。」


 明るい様子の彼とは対照的に、フランツ一家は緊張で顔を強張らせた。皆が固唾を飲んで見守る中、エマは意を決したように彼に尋ねた。


「分かりました。私に何か手伝ってほしいって言ってましたよね。何をすればいいんですか?」


 すると彼は糸のように目を細くしてニンマリと笑った。


「話が早くて助かるよ。『契約を結んだのはアルベールだから私は手伝いません』ってごねられたら、どうしようって思ってたからね。」


「そんなことしません。先生こそ私が手伝った後に『借りは弟くんに返してもらうことになってるから君の手伝いは無効だよ』なんて言わないでくださいね。貸し借りはこれっきりにしてください。」


 エマがそう言うと、ジョンは一瞬きょとんとした顔をしたけれど、すぐに声を上げて笑い出した。







「やっぱりこの国の子供たちはしっかりしてるなあ。平和ボケしてる僕の国とは大違いだよ。」


 エマはその言葉を不思議に思った。ジョンは王国の中級貴族ニーマンド家の四男だと聞いている。それなのにまるで他の国の人間のような言い方をする。一瞬迷った後、エマは思い切ってジョンに尋ねてみた。


「先生はこの王国出身ですよね?」


「うん? ああ、そうだね。それについても話さなきゃいけない。ただここで話すのは良くないかな。」


「どうしてですか?」


「君の家族を危険に晒してしまうかもしれないからさ。君に頼みたいことも含めて説明したいから、僕の『隠れ家』に来てくれないかい?」


 ジョンがそう言うと、エマの父フランツが血相を変えて立ち上がり声を荒げた。






「先生、あんたにはマリーを助けてもらった恩がある。だがエマを危ない目に遭わせるつもりなら、俺は黙っちゃいないぞ!!」


 木こりの親方として多くの荒くれたちをまとめるフランツの声は、大の男であっても思わず怯んでしまうほどの迫力がある。実際、エマの双子の弟妹アルベールとデリアはその声に驚いてべそをかき、マリーの腕の中で眠っていた末妹のグレーテは驚いてむずがりはじめた。


 だが当のジョンは眉一つ動かすことなく、ちらりとフランツを見ただけだった。


「僕はエマさんに危害を加えるつもりはありませんよ。」


「だがあんた、今・・・!!」


「大丈夫だよ、お父さん。」


 掴みかからんばかりの勢いで何か言いかけたフランツを、エマが制止した。







「大丈夫だよ、お父さん。ニーマンド先生は自分の身が危なくなるのを承知で、お母さんを助けてくれたんだから。」


 その言葉を聞いてフランツは不承不承、腰を下ろした。ジョンは目を細め、エマに尋ねた。


「お母さんの命を救った僕に恩義を感じてくれてるってわけだね?」


「もちろんです。それに先生が私を傷つけることはないって分かってますから。」


「それはどうして? 僕のことをあのカールみたいに、危険を承知で人助けをする善人だって思ってくれているのかい?」


 感動して涙を拭く真似をしながら、面白がるように彼はそう言った。だがエマはその言葉の中に含まれた冷笑と侮蔑を敏感に感じ取っていた。







「違いますよ。この交渉の主導権は、私にあるって言っているんです。」


 エマがそう言うと、ジョンは眉をピクリと動かした。そしてゆっくりと確かめるようにエマに言った。


「・・・なぜだい? よかったら理由を教えてもらえるかな。」


「先生は危険を冒して母を助けてくれました。それはそうしてでも、私に言うことを聞かせたかったからでしょう。もし無理矢理、協力させるならもっと違うやり方があるはずです。こんな回りくどいやり方をしたのは、私が自分の意志で先生に協力するように仕向けるため。そうじゃありませんか?」


 エマがそう問い返すと、ジョンはしばらく無言で彼女を見つめていた。だがやがて口の中で小さく「最年少迷宮討伐者の名は伊達じゃないってことか」と呟いた。彼は表情を引き締め、姿勢を正してエマに向き合った。


「エマさん、君に頼みがある。僕の大切な人たちを守るために、どうか君の力を貸してほしい。」

















「天空城の防空半径到達まで30秒です。『朱鷺』の航行を中断し次元錨アンカーを展開します。」


 小さな窓に映る星の様子に釘付けになっていたエマは、白い室内に響く涼やかな女性の声でハッと顔を上げた。


「ありがとうマナ。エマさん、あれが天空城だよ。」


 隣の椅子に座ったジョンが目の前の大きな窓を指さした。一面の星空の中に、光の線で巨大な構造物が描き出されている。その形は球を軽く上下から押しつぶしたような太った円盤型だ。


 その下にあるのは大きく湾曲した青い海と緑の大地。あれがさっきまでエマが立っていた地面だなんて、とても信じられない。


「私があそこに行けばいいんですよね?」


 エマがそう問いかけると、ジョンは複雑な表情で頷いた。


「そうだよ。私の予想が正しければ、天空城は君を迎え入れてくれるはずだ。ただ・・・。」


「分かってます。もし先生の予想が外れていたら攻撃されるかもしれないってことですよね。大丈夫です。その時はちゃんと逃げ出しますから。」







 ぐっと拳を握るエマを、ジョンは不安そうに見た。これまで幾度も挑んだことで、天空城の防空能力の高さは身に染みて分かっている。


 万が一の場合には『朱鷺』の次元防壁を最大限にして守るつもりだが、防壁が発動する前に攻撃される可能性もある。天空城の対空レーザーの直撃を受ければ、生身の人間など一瞬で蒸発してしまうだろう。


 別にエマの命など惜しくはない。だが彼女は数年間探し回ってようやく見つけた大事な鍵だ。同じような力を持つ人間を見つける時間はもう残されていない。


 ジョンは、祈るような気持ちでエマに気密服を身に付けさせていった。






 全身を包み込む白くてごわごわした服を身に付けたエマは、ジョンの『隠れ家』を離れ星空へと飛び出した。


 真っ暗な星空には足場などない上に、体がふわふわと浮いてしまうような感じがして、すごく頼りない。まるで深い海の底を泳いでいるような不思議な感じがする。


 出発前に彼が教えてくれた通り、《飛行》の魔法で体の動きを調整したり移動したりすることはできるので、困ることはなかったけれど、そうでなければ不安の余りパニックを起こしていたかもしれないと思った。


 エマは体に魔力を満たすと目の前の暗い星空を目指して加速した。それに伴ってジョンの『隠れ家』がどんどん遠ざかり、被っている兜のガラスごしに全体の様子がうっすらと見えた。


 こうして見ると彼の『隠れ家』は翼を広げた大きな鳥のように見える。薄赤色と朱色が混ざったような不思議な色合いをした美しい鳥。彼はこの隠れ家のことを『朱鷺』という名前で呼んでいた。朱鷺というのは彼の国を代表する鳥の名前なんだそうだ。


 エマはどんどん遠ざかる美しい鳥を見ながら、ジョンから聞いた話を思い出していた。





















「実を言うと僕はこの世界の人間じゃない。こことは別の世界からやってきたんだ。」


 エマを隠れ家に案内したジョンは開口一番、エマにそう言った。彼は『大日本皇国』という国の出身らしい。エマはすごく発音しずらいヘンテコな名前の国だなと思った。


 ちなみに彼の本名もその時教えてもらったのだけど、発音が複雑で全然覚えられなかった。大陸公用語と余りにもかけ離れていて、それだけでも彼が別の世界から来たんだということが分かったくらいだ。


 彼の説明によると彼の世界は超魔力彗星というものが引き起こした大災害によって、すでに滅んでいるらしい。







「僕は世界を滅びの運命から救うために、この世界にやってきたんだ。」


 彼の世界には魔法というものがないのだそうだ。世界が滅びてしまったのもそれが原因だったという。外科医という仕事をしていた彼は、偶々大災害を生き残ることができた。そして同じように生き残った僅かな人々と共に協力してこの『朱鷺』を作り上げ、世界の壁を越えてこの世界にやってきたのだと語った。


「この世界に存在する魔法の理論を持ち帰り、僕の世界の滅びの運命を回避すること。それが僕の目的だよ。」


 彼は数年間かけて魔法の理論を学び、自分の世界を救える手立てを見つけることができたそうだ。


「でも先生、先生の世界はもう滅んでるんですよね。今から帰っても間に合わないんじゃないんですか?」


「僕の世界と君のいるこの世界には時間のズレがあるんだよ。それを利用すれば、僕は滅びを迎える前の時間に戻ることができるんだ。」


 説明してもらってもよく分からなかったけれど、とにかく元の世界に帰ることができれば世界を救うことができるらしい。







「一体どうやって帰るんですか?」


「それは極めて強い重力源を同時に二対生成させることで空間を引き延ばして・・・いやまあ、簡単に言うとこの世界との間にある壁の『穴』を通って帰るつもりなんだ。」


 エマがぽかんと口を開けたのを見て、彼はそう説明した。何でもエマのいるこの世界と彼の世界の間には『壁の綻び』があるのだそうだ。彼によると以前、何者かが無理矢理壁を通った時にできたものではないかということだった。


「だけど僕がこっちに来たことが、天空城にバレてしまってね。穴を塞がれちゃったんだよ。」


 ジョンは情けない顔で肩を竦めた。彼は元の世界に帰れなくなってしまった。滅びの運命を止めるために残された時間は限られている。彼は何とかして元の世界に帰る方法を探したそうだ。でも悉く天空城に潰されてしまったらしい。


 彼は世界中に残る記録や鹵獲した刺客などから天空城に関する情報を集めた。その結果、天空城の管理者に直接会って交渉するしかないという結論に達したという。







「それで私にその、管理者って人に会ってほしいってことですね。」


「そうだよ。それで天空城の塞いでる穴をちょっとだけ開けて欲しいんだ。そしたら僕は自分の世界に帰れるってわけさ。」


「先生が直接お願いに行くわけには・・・いかないんですね。」


 エマはジョンの苦り切った顔を見て途中で尋ねるのをやめた。多分すでに何度も試してみてダメだったに違いないと悟ったからだ。彼は疲れた表情で、はあっと息を吐きだした。


「管理者はカチカチの石頭の上に、僕は彼らにとって天敵のような存在みたいなんだ。だから近づいただけで問答無用で攻撃される。通信も試してみたけど、全然受け付けてくれないんだよね。」


 ジョンは表情を引き締めると、真剣な口調でエマに言った。


「僕に残された時間は少ない。君だけが頼りなんだ。頼む。この通りだ。」


 両手の平を合わせて頭を下げたジョンにエマは返事をした。


「分かりました。じゃあ、私が何をすればいいか具体的に教えてください。」

















 暗い星空を《飛行》の魔法で滑るように進みながら、エマがジョンから聞いた手順を思い出していると、兜の中にジョンの声が響いた。


「(エマ、今ちょうど中間地点だ。天空城は姿を次元迷彩で姿を隠しているから、朱鷺が探知したものを映像として送るよ。)」


 その声が終わると同時に、エマの兜の内側に光の線で天空城の形が描き出され、目の前の星空と重なった。もうすでにかなりの距離を移動したと思っていたのに、ジョンの隠れ家で見たときとさほど大きさが変わっていないような気がする。


 周りに何も比べるものがないので分からないけれど、天空城というのはとてつもなく大きい建物のようだとエマは思った。


 エマはさらに《飛行》を続けた。全身をすっぽり包むこの服と兜(ジョンは『気密服』と呼んでいた)の中では、周りの音を聞くことも風を感じることもないので、今どのくらいの速さが出ているのか全く分からない。


 ただこれまでの魔力消費の感覚から、地上にいる時よりも少ない魔力消費でかなりの速度が出ているような気がする。しかも速度はどんどん上がっているような感じだ。ただ周りは真っ暗闇の星空なので、本当にそうなのかは分からない。なんとなく感じる程度だ。


 彼女の足元、遥か下には緑と青の巨大な球体が浮かんでいる。あれはエマたちの暮らしている大地なのだとジョンは教えてくれた。エマはそれが不思議で仕方がなかった。だってあんなにまん丸だったら、大地を歩くのも家を建てるのも一苦労のはずだ。


 黒い星空に浮かぶその球体は、思わず吸い込まれそうになるほど美しかった。ジョンから、球体に近づきすぎると空から落っこちるから気を付けるようにと言われていなければ、近寄ってしまっていたかもしれない。







 その後も飛行を続け、お腹がくうくうと鳴りだした頃、それまでほとんど大きさが変わらないように見えた天空城が急に大きく見えるようになった。


 今や天空城はエマの視界いっぱいに広がっている。とてつもない大きさだ。この中に入って『管理者』という人を探さなきゃいけないのかと思ったら、頭がくらくらするような感じがした。


 目の前に壁のように立ちふさがる天空城に向けてさらに飛行を続け、彼女が空腹と尿意を強く感じ始めたとき、ジョンの声が再び聞こえた。


「(エマ、もう少しで天空城の次元迷彩の域内に入る。おそらく何らかの反応があるはずだ。準備はいいかい?)」


「準備はいいですけど、その前におトイレに行きたいので、この服脱いでもいいですか?」


「(いいわけないだろ。脱いだら死ぬよ。その気密服には自動浄化機能があるから、漏らして大丈夫。そのまま垂れ流しちゃって。)」


「え、嫌ですよ、そんなの!!」







 仕方がないから天空城に着くまで我慢しようとエマが思ったその時、虚空に描かれた天空城の一部がキラリと光ったかと思うと、その光がすごい速さで接近してきた。


「先生!!」


 エマが慌てて回避行動しながら声を上げると、兜の中でジョンの焦った声が聞こえた。


「(マナ、防壁を・・・!!)」


「(いいえ、幻壱郎。レーザーじゃないわ。これは・・・。)」


 そこで突然、兜の中の声が聞こえなくなった。同時にエマは目の前浮かんでいる巨大な球体から光を浴びせられた。







 大型の馬車ほどもある銀色の金属製の球体は、真ん中にある目玉のようなまん丸の窓から、白い光をエマに向かって放った。回避しようにも球体は恐ろしい素早さで回転し、エマの動きをぴたりと捉えている。


 何とか球体から逃れようとしたが、ついには正面から白い光を浴びせられてしまった。思わず目を瞑り、体を魔力の防壁で守ったエマだったが、どこにも痛みなどは感じなかった。


「あれ、なんともない・・・?」


 そう思った瞬間、エマは強烈な眠気に襲われた。まずいと思ったときには、すでに手足が痺れ体を動かすこともできない。エマは兜の中で必死にジョンに呼び掛けたが、返事は返ってこなかった。


 意識を失う直前にエマが見たのは、球体から伸びた金属製の腕が自分の体を掴もうとする光景だった。












 エマは暖かい日差しと花の香りを感じ、目を開けた。白い雲が浮かぶ青空からは、燦々と太陽の光が降り注いでいる。


 エマは慌てて飛び起きて、自分の体を確かめた。白い気密服は着ておらず、家を出たときに着ていた冒険装束姿をしている。どこにもケガはしていない。腰のベルトに付けた短刀や短杖もそのままだ。ただちょっとだけ、下半身が湿ってる気がする。


 苦笑いしながら杖を取り出し《洗浄》と《乾燥》の魔法を使ったところで、エマの背後から落ち着いた女性の声が響いた。


「気が付いたようですね。体に異常はありませんか?」


 顔を赤くし慌てて振り向いた先にいたのは、銀色の球体だった。ただ白い光を浴びせてきた球体よりもかなり小さい。エマが両手で一抱えできるくらいの大きさだ。球体は地面を覆う白い花の上に、エマの膝くらいの高さでふわふわと浮かんでいる。


 エマは立ち上がると同時に短杖を構えて球体と対峙した。だが球体は浮かんでいるだけで、特に何もしてこない。エマは身構えを解いて、球体に話しかけた。


「ここはどこ? あなたは誰なの?」


「ここは天空城カナン。私はこの天空城を維持するためのAI、カナニーネです。」









 エマは驚いて周囲を見回した。エマがいるのは白い花が咲き乱れるお花畑の真ん中だった。白い花の上には黄色や白の美しい蝶たちが舞い、蜜蜂が忙しなく動き回っている。


 このお花畑は周囲を小さな森に囲まれているようだ。まばらな木々の向こうには山の影のようなものが見えた。森の向こうからはせせらぎの音が小さく聞こえるから、おそらく小川が近くに流れているのだろう。


 ここが本当に天空城? 私まだ夢を見ているのかしら?


 王様の住んでいるような城を想像していたエマが、周囲の状況との落差に戸惑っていると、カナニーネと名乗った球体が再び話しかけてきた。


「あなたは始まりの大地ヴァースから来たのですね。名前を教えてくれませんか?」


 始まりの大地とか、AIとか分からない言葉だらけだ。けれど、この球体カナニーネからは敵意を感じない。エマは管理者のことを彼女に聞いてみることにした。


「私の名前はエマです。あの、カナニーネさん、私、お願いしたいことがあって、この天空城の管理者さんに会いに来たんです。」


 エマが事情を簡単に説明すると、カナニーネは時折頷くように動きながらそれを聞いてくれた。







「なるほど。それでやっとあなたが排除対象の服を着て、星空を漂っている理由が分かりました。では現在行っている追撃は中断しましょう。」


 どうやらカナニーネはジョンの隠れ家である『朱鷺』を追撃していたらしい。彼女はジョンに囚われたエマが、そこから脱出してきたと思い、救助するためにエマをここに連れてきたのだと教えてくれた。


「ありがとうございます、カナニーネさん。お願いです。先生が元の世界に戻るために力を貸してもらえませんか?」


 エマがカナニーネに向かって頭を下げると、彼女は申し訳なさそうに言った。


「残念ですが私にはその権限がありません。権限を持つ精霊に直接会って話をしてみるとよいでしょう。」


 彼女はそう言うと、球体の真ん中にあるガラスの目から光を発し、エマの前に青い光の輪を作り出した。







「中央制御城コントロールセンターへご案内します。転移門へ入ってください。」


「ありがとうございます、カナニーネさん。」


 エマは彼女に丁寧に礼を言うと、青い光の輪を潜った。一瞬のめまいの後、エマは先程とは全く別の場所に立っていた。


 そこは白い石で作られた美しい城の入り口だった。その城は優美な尖塔をいくつも持つ背の高い建物だったが一切、人の気配がなかった。


 エマの背後、城の周囲には美しい石畳を持つたくさんの通路があり、城と同じ石で作られた建物が規則正しく並んでいる。ここはどうやら街の中心のようだ。そしてその街を取り囲むように、湾曲した大地が周囲にせりあがっている。まるで巨大なすり鉢の底から上を見上げたような風景だ。


 この街にも城と同じく人の気配はない。ただ時折、カナニーネと同じ銀色の球体が建物の間を行き来するのが見えた。






 エマが呆然と街の様子を眺めていると、背後の城の巨大な扉が音もなく開き、そこから銀色の球体がふわふわとこちらに向かってやってきた。


「エマさん、こちらです。」


「カナニーネさん、ですか?」


「ええ、そうですよ。さっき森であなたとお話したのも、これも無数にある私の体の一つなんです。」


 彼女は天空城内にある球体すべてが、彼女の体なのだと教えてくれた。そんなにたくさん体があって、こんがらがらないのかと尋ねたエマに彼女は「ええ、時々混乱することはありますよ」と少し笑いながら答えてくれた。


 エマはカナニーネに案内されて城の中を歩いて行った。どこもかしこも白い壁が続く城内には、人間が一人もいない。だけどところどころに人間の使う椅子やテーブルなどがあり、どれもきれいに手入れされている。廊下のあちこちには、美しい花が生けられた花瓶なども置いてあった。


「カナニーネさん、ここには誰も住んでいないんですか?」


「ええ、ここに人間がやってきたのは1000年以上ぶりです。昔は多くの人で賑わっていたのですけれどね。」


「1000年!? そんなに・・・?」


 エマは改めて周囲の様子を見た。どの部屋の調度も驚くほどきちんと整えられている。とても1000年間も誰も使っていないとは思えないほどだ。エマがそう言うと、カナニーネは少し寂しそうに答えた。


「私が毎日、手入れをしていますから。いつかの日か封印が解かれ、始まりの大地から再び人間がやってくる日のために。」


 彼女は誰も居なくなったこの城をたった一人で、1000年間も守ってきたのか。エマは彼女をかわいそうだと思った。







「え、エマさん!?」


 気が付くとエマはカナニーネの丸い体を抱きしめていた。その場にぺたんと座って、冷たい金属の体を胸に押し付ける。知らず知らず流れた温かい涙が、カナニーネの体に付けたエマの頬を伝い流れていく。


「・・・ありがとうございます、エマさん。私のために泣いてくださったのですね。」


 カナニーネは静かに泣くエマに抱きしめられたまま、そっと呟くように言った。やがて泣き止んだエマに、彼女は言った。


「あなたのような人がいれば、封印が解かれる日も近いかもしれません。それまで私は待ち続けます。さあ、こちらですエマさん。」


 カナニーネはエマを案内するため、エマの前に再び浮き上がった。その距離が先ほどまでよりもエマと近くなっていることに、カナニーネ自身も気が付いていなかった。






 二人はいくつもの廊下を抜け、長い螺旋階段を下りて、ついに大きな両開きの扉の前に辿り着いた。エマが扉にふれると、扉は音もなく開いた。扉の先は背の高い円筒形の部屋だった。さっきの螺旋階段はこの部屋の周りを回っていたのだと、エマは気が付いた。


 部屋の中央には、いくつもの台座が並んだ祭壇のようなものがあるだけだった。緑色の光の膜で包まれた台座には、様々な輝きを放つ魔石がいくつも並べられている。


 そして台座に取り囲まれた中央にそびえる祭壇の上には、銀色をした大きな球体が浮かんでいた。魔石や球体からは離れていても、はっきりと分かるほどの強大な魔力を感じることができた。


 カナニーネに促されてエマが部屋に一歩足を踏み入れると、銀色の球体が青い光を放った。そして光の中から青い半透明の体を持つ美しい女性が現れ、エマの前に降り立った。


 まっすぐした長い髪と何枚もの衣を重ねた不思議な衣装を着た女性は、エマに向かって話しかけてきた。






「私はこの天空城を守護する精霊ツクーミィア。私はあなたを歓迎します。」


 エマはツクーミィアと名乗った女性に、ここにやってきた理由わけを説明した。ツクーミィアはそれを黙って聞いていた。


「お願いです。先生を元の世界に帰してあげられないでしょうか?」


「その人物は排除対象ですから、元の世界に帰すのは構いません。ただしその話は本当に真実なのでしょうか?」


「・・・え?」


「この天空城は、かつて世界を滅ぼした邪悪な力を排除し封印するために存在しています。彼はもともと持っていた力とこの世界で学んだ魔法を使って、極めてそれに近い力を有するに至りました。私が彼を排除しようとしたのもそのためなのです。彼がその力を悪用し、自分の世界を害しようとする可能性はないのですか?」






 彼女にそう問いかけられ、エマは困惑した。確かにそう言われてみると、ジョンの話が真実だという証拠はどこにもない。


 ジョンはエマの母マリーの命を救ってくれたが、それは善意ではなくあくまで利己的な目的のためだ。これまでのやり取りからジョンが単純な善人ではないことを、エマは何となく察していた。おそらく彼は目的のためならば躊躇いなく人を殺すことができる人物だ。


 では彼が邪悪な存在かと言われれば、そうとも思えない。弟たちの扱いやエマをここまで連れてくるやり方を考えれば分かる。それにエマに向かって「大切な人を守りたい」と言ったときの彼の目は、嘘をついているようには見えなかった。


「先生が元の世界に帰ってから何をするかは、私には分かりません。でも先生が自分の世界を救いたいと言った言葉には嘘がないと私は思っています。」


「では、あなたは彼を信じるというのですね?」


「はい。信じます。」


 きっぱりとそう言い切ったエマをツクーミィアは黙って見つめていたが、やがてエマに手を差し出した。






「ではその者に機会を与えましょう。」


「精霊様、これは?」


 エマはツクーミィアから手渡された小さな果実を見ながら尋ねた。


「それは『精霊の実』です。それを口にしたものは体内に精霊の力を宿すことができるようになります。」


 精霊の力を宿した者は周囲の精霊と交信し、力を借りることができるようになるという。


「ただし、その者が悪しき心を抱いて自らのために力を振るい他者を害すれば、身に宿した精霊の力がその者を滅ぼします。彼がその実を口にするなら、世界の扉を開きましょう。」


「ありがとうございます、精霊様!」


 エマがそう言うと、ツクーミィアは優しく微笑んだ。


「さあ、お行きなさい、古き神々に愛されし娘よ。あなたの行く末に恵みと慈しみが溢れんことを。」


 ツクーミィアが手をかざすと、エマは青い光に包まれた。一瞬の後、エマは見慣れた屋敷の一室に立っていた。






「・・・ううーん、ありがとう青い月の精霊・・・。」


 目の前の寝台でドーラが眠ったまま、そう呟いた。むにゃむにゃと寝言を言う彼女の耳元でシャリンと銀貨がぶつかり合い、きれいな音を立てる。


「ありがとうドーラお姉ちゃん。お姉ちゃんが守ってくれてたんだね。」


 エマは乱れたドーラの寝具を直し、彼女の髪を撫でた。嬉しそうににへへと笑うドーラの寝顔を見てにっこり微笑んだ後、エマは寝台の側に置いてある椅子に腰かけた。


 今はどうやら真夜中のようだ。家を出たのは明け方すぐだったから、ほぼ一日経っていることになる。エマのお腹がくうくうと鳴った。


 エマは《収納》から携帯糧食と水袋を取り出し、ドーラの寝顔を見ながら食事を済ませた。そして一心地着いた後は、眠るドーラの胸に覆いかぶさるようにして眠りに就いた。その夜に見たのはドーラと出会った頃の幼い日の夢だった。






 それから数日後、全身傷だらけになったジョンがエマを訪ねてフランツ家にやってきた。


「いやあ、酷い目に遭ったよ。君との通信を探知されてたみたいで、ずいぶん天空城の連中に追い掛け回されてね。昨日まで『朱鷺』の修復に掛かりきりだったんだよ。」


「大丈夫ですか、先生。教会か神殿で治療してもらった方がいいんじゃ・・・。」


「ああ、大丈夫。それに僕には神聖魔法の治癒が効かないんだ。多分、この世界の理から外れた存在だからじゃないかと思うんだけどね。それよりもどうだった。管理者には会えたのかい?」


 エマは精霊ツクーミィアから聞いた話をし、ジョンに精霊の実を差し出した。すると彼は迷わずその実を食べた。






「あ、イチジクの味がする。うん、とっても美味しいよ。」


「先生、話聞いてましたか!? それ食べたら・・・!」


「分かってるよエマ。でもこれでやっと僕の目的が達成されるんだ。後のことは帰ってから考えるよ。」


 目を糸の様に細くしてにんまりと笑うジョンを見て、エマは呆れたように息を吐いた。でも一方でそれがとてもジョンらしいなと彼女は思った。


「じゃあ僕はこれで失礼するよ。もう会うことはないと思うけど、元気で。あと最後に僕の秘密を話しておくね。」






 そう言うと、灰色がかったジョンの銀髪と瞳の色がみるみる黒く変わっていった。


「これが僕の秘密。これが本当の僕だよ。僕はこの国に入り込むために自分の存在を変えてたんだ。」


「存在を変える? どういうことですか?」


「この世界に来たことで身に付いた力でね。僕に関わる全ての人の認識を自由に変えることができるのさ。僕はこの力を『改変』って呼んでるよ。何でこんな力が身に付いたかは分からない。いわゆる異世界転移特典ってやつなのかな。」


「えっと、それってつまり、先生は私を騙してたってことですか?」


「ある意味、そうだね。でも君に対しては身分を偽っただけ。僕の目的に関する話は全部本当だよ。そしてこの秘密を話した人には『改変』の力が効かなくなるんだ。」


 ジョンはそういうと少し寂しそうに笑った。






「多分、僕が帰った後、『改変』の力が消えるとともに僕の存在はこの世界から完全に消える。ジョン・ニーマンドという男は最初からいなかったことになるんだ。」


「そんな、じゃあ先生が私に秘密を話したのは・・・!」


「うん、君にだけは本当の僕を覚えておいてもらおうと思ったんだ。この世界を騙し続けた僕の、最後のお詫び? とでも言うのかな。全然論理的じゃないけど、まあ、ちょっとした感傷だよ、うん。」


 目の前で穏やかに作り笑いをする彼を見ているうちに、エマは何とも言えない気持ちになってしまった。エマは自分ではどうしようもない衝動に襲われ、泣きながらジョンに抱き着いた。ジョンからは今まで嗅いだことのない奇妙な草のような香りがした。でも決して嫌な香りではない。


「私、先生が無事に世界を救えるように祈ってます。」


 溢れる涙をジョンの胸に押し当てながら、エマは彼に言った。エマの様子に驚いていたジョン・ニーマンドこと伊集院幻壱郎は熱くなった目をぎゅっとつぶった。そしてエマを抱きしめると、その髪を優しく撫でた。


「本当にありがとう、エマ。君と君のお姉さんのおかげで、僕は自分の世界に帰れる。必ず世界を救ってみせるよ。」


 その言葉を最後にジョンはエマの元を去っていった。エマは大地母神と精霊に、ジョンの無事を祈ったのだった。












「あなたがあんなことをするなんて、思わなかったわ。」


 『朱鷺』に戻った幻壱郎はマナにそう言われ、形の良い黒い眉をほんの少し寄せた。


「『大災害』で大半生身の体を無くしたけどね、僕にだってまだ少しくらいは人間の心が残っているのさ。」


誰でもないジョンジョン・ニーマンドなんて、名前を付けておいてよく言うわね。いくらこの世界の人にドイツ語が分からないだろうからって、ふざけ過ぎでしょ。」


「それは反省してるよ。最初はどんなことをしてでも、魔法の力を持ち帰るつもりだったからなー。誰とも深く関わらないっていう決意の表れというか、なんというか・・・。」


「ふーん、でも、楽しかったんでしょ?」


 からかうようにそう言われたジョンは、不意に黙り込んで俯いた。


「・・・ごめんなさい。言い過ぎたわ。」


「いや、実際この数年間はとても楽しかった・・・まるで『大災害』の前に戻ったみたいだったよ。」


「幻壱郎・・・。」


 口の中に溜まった熱いものをごくんと飲み込んで、彼は顔を上げた。この体にもまだ涙を流す機能が残っていたことに、彼はこの時初めて気が付いた。







「マナ帰ろう。目的の魔法は手に入った。後はあのくそったれな彗星を止めるだけだ。まだ間に合いそうかい?」


「計算では彗星が地球に衝突する30年以上前に戻れるはずよ。ズレが生じなければだけど。」


「僕が生まれる前に戻れるんだね。」


「そうね。理論上はすでにあなたの存在している世界に、再びあなたが生まれることはない。だから・・・。」


「いいんだよ、僕の時間軸では世界はすでに滅びている。だけどその未来を回避できるなら。君を守れるなら僕は・・・。」


 彼は映像だけの存在となったかつての恋人と目を合わせると、深く頷きあった。






 その日、夜明けの空を横切る美しい巨大な鳥の姿を、王国の多くの人々が目にした。


 美しい朱色の鳥は驚くべき速さで天空を駆けると、やがて雪雲を割って差す明るい光の柱を潜り、雲の向こうへと溶けるように消え去っていったのだった。

読んでくださった方、ありがとうございました。残り話数が少なくなり、積み残した伏線がないかと今までの話を読み返しています。改めて読み返すと設定ががばがばだったり、表現がおかしかったりと、赤面することばかりです。一応全部の伏線を回収できるよう頑張るつもりですが、もしよかったら「これってどうなったの?」等、教えていただけるとありがたいです。よろしくお願いいたします。

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