166 秘密
週末、久しぶりに帰省しました。
エマが復活したテレサと共に牢獄を出ると同時に、上層の階段から多くの騎士たちを引き連れたダウード隊長が姿を現した。彼はテレサの姿を見て、警戒するように眼を細めた。
「その姿、神聖魔法によるものか?」
「答える必要はありません。道を空けなさい。私はスタリッジ枢機卿に用があるのです。」
問いかけを無視し、テレサは隊長に命じた。隊長はわずかに眉を動かし、剣を抜き払った。
「胡乱な神を奉ずる背教者を通すわけにはいかん。大人しく牢に帰れ。」
テレサは心底残念そうに息を吐きだし、目を瞑った。
「愚かなこと。聖女に剣を捧げた神聖騎士ともあろう者が、信仰の何たるかを見紛うとは。」
隊長の目が剣呑な光を帯びる。エマは背筋がぞくりと震えるのを感じた。
テレサがとても強いことは、エマも知っている。
だが凄まじい剣技を持ち鎧に身を固めた隊長に対し、テレサは徒手空拳でろくに服も着ていない。しかも階段からは続々と騎士や僧兵たちが押し寄せてきているのだ。
エマの大規模殲滅魔法は、狭い室内では威力が高すぎて使えない。あまり高威力の魔法を使えば、この地下牢獄自体が崩壊しかねないからだ。
それ以前に、呪文を詠唱するための時間を隊長がくれるとも到底思えない。詠唱を始めた途端、あの見えない斬撃で切り裂かれてしまうだろう。
それに加え、今のエマは気を失ったエウラリアを背負っている。素早く動くことすらおぼつかない状態では、とても大勢の敵から逃れられるわけもない。
前衛でテレサが時間を稼いでくれれば《炎の槍》や《雷撃》などの比較的狭い場所でも有効な魔法で戦えるけれど、彼我の戦力差を考えれば、それも絶望的。
最後の手段はテレサとエウラリアを連れて《集団転移》することだが、エマはいまだに《集団転移》を成功させたことがなかった。それにどのみち詠唱時間が長すぎるため、戦いの最中に使うことは不可能だ。
いざとなったら道連れ覚悟で敵の中に飛び込んで、範囲攻撃呪文を使うしかない。そうすれは最悪、テレサとエウラリアだけは助けられるかもしれない。エマはそう決心して、テレサと隊長の戦いの成り行きを見つめた。
先に動いたのは隊長の方だった。といってもエマには隊長がいつ動き出したのかを見定めることは出来なかった。エマが気が付いたときには、隊長はすでにテレサに接近していたのだ。
剣の閃きと思われる銀色の光が一瞬輝くのが見えた。剣速が速すぎてまったく目で捉えられない。魔力を帯びた剣がテレサを切り裂く様子を思い浮かべ、エマは小さく息を呑んだ。
「な、何!?」
隊長が驚きの声を上げる。テレサの腕を狙った彼の剣は、彼女の両手の平にしっかりと挟み込まれていたのだ。
隊長は慌てて剣を引こうとしたが、剣は大岩にでも挟み込まれたかのように微動だにしなかった。焦る隊長に対してテレサは冷たい表情で剣を押さえ込んでいる。
追い詰められた隊長が剣に力を込めるタイミングで、テレサがそれとは逆の方向に両手を捻った。装飾の施された美しい剣は、刀身の中程からあっけなく折れた。隊長は思わず折れた剣を手放し、テレサから距離を取ろうと後ろを確認した。
「戦いの最中に剣を手放すとは、騎士の風上にも置けぬ!」
テレサの声がびりびりと牢獄内の空気を震わせた。彼女は折り取った刃をその場に投げ捨てると、剣を失くした隊長に肉薄した。
「ちょ、っまっ・・・!!」
防御のために隊長が咄嗟に突き出した腕が、テレサの手刀によって跳ね上げられる。腕の肘があらぬ方に曲がり、隊長の顔が苦痛と恐怖に歪んだ。テレサは目をギラリと輝かせ、後ろに大きく引いた拳を全力で振りぬいた。
「粉砕!聖女ブロォォォーオ!!」
テレサは気合と共に右拳を彼の輝く白銀の鎧に叩き込んだ。衝撃で鎧が粉々に砕け、隊長の胴体に彼女の拳が深々と突き刺さった。
隊長は口と鼻から血と吐瀉物を撒き散らしながら吹き飛んでいき、彼の背後にいた騎士たちを巻き込んで壁に叩きつけられて気絶した。
汚物まみれになった彼を見て、テレサは悲しそうに言った。
「以前のあなたはもっと強かったはずです。ですが信ずるものを失った神聖騎士などただの剣士。小手先の剣技が私の信仰に届くはずがありません。」
気を失った隊長にそっと祈りを捧げ、彼女は他の騎士たちに向き直った。おびえた様子で武器を構える彼らに彼女は言った。
「武器を引き、道を空けるならば法に則った裁きを受けさせて差し上げます。そうでなければ神聖騎士らしく、己の信仰を剣で示して見せなさい。」
その後、自棄になった騎士が数人、一斉にテレサに斬りかかってきたが、彼女の振り回す鎖の一薙ぎで全員鎧を打ち砕かれ、持っていた剣ごと床に叩き伏せられた。
テレサは跪いて恭順を示した騎士や僧兵たちに「スタリッジ枢機卿を捕らえなさい」と命じた。そして意識を取り戻したエウラリアと引き攣った笑顔のエマを伴い、地上へ戻った。
地上に戻ったテレサを迎えたのは、困惑した様子の聖職者たちだった。彼らは枢機卿に加担し、テレサを排除しようとした者たちだ。テレサが囚われていた数か月の間に、反枢機卿派の者たちは粛清されたり辺境へ追いやられたりしていたのだ。
テレサがすでに死んだか、もしくは再起不能であると思い込んでいた枢機卿派の聖職者たちは、テレサが生きていたという知らせを信じられず、その確認のために集まってきていたのである。
そのため彼らは、テレサの神々しい闘気を目にするなり脱兎のごとく逃げ去って行った。
「この分では騎士たちがスタリッジを捕らえるのも難しそうですね。エマ、エウラリア、私たちで捕まえましょう。ドーラさんに使った儀式の術式は、おそらくスタリッジが準備したものですから、解除するには彼の力が必要です。」
テレサはそう言うと、手にした鎖をガチャガチャと鳴らしながら走り出した。首輪の支配が解けたエウラリアが、それに付き従って走る。エマも追いつこうと頑張ったが、二人があまりにも速いので結局魔法のホウキに飛び乗って二人を追跡することにした。
大聖堂の馬車溜りにやってきたテレサはそこにいた僧兵たちにスタリッジ枢機卿の行方を尋ねた。すると彼らは「枢機卿の馬車はすでにありませんでした。逃亡したものと思われます」と報告をした。
「どうしましょうお師匠様! 逃げられたらドーラおねえちゃんが! すぐに追いかけましょう!!」
焦るエマをテレサは落ち着くように諭す。
「あの臆病者のことですから味方が逃げ去り、趨勢が逆転したことを悟って泡を食って逃げだしたというのは分かります。ですが強欲なあの男が着の身着のまま逃げ出すとはとても思えません。」
「?? どういうことですか?」
「それは・・・そこです!!」
テレサは今まさに馬車溜りから門を潜って大通りに出て行こうとしていた幌付きの荷馬車に向かって、自分の持っている鎖を振った。先端に大きな石塊が付いた鎖は、まるで生きているかのように荷馬車に向かって真っすぐに伸び、馬車を粉々に破壊した。
御者台の上の、下働きの格好をした男三人が「ぎゃあ!」という汚い悲鳴と共に地面に投げ出された。幌も破壊され、積んであった穀物袋や木箱が散乱する。
突然の出来事に、大通りにいた大勢の巡礼者たちが驚いて悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。彼らは何事が起きたのかと、遠巻きに荷馬車を見た。
「お師匠様!?」
「ふむ。数か月間、私の血と神力を吸い続けた鎖ですから、よく手になじみますね。」
驚くエマを横目に、テレサはエウラリアに向かって「行きなさい!」と声を掛ける。エウラリアはすぐに「はい!」と応じて矢のように走り出し、逃げ出そうとしていた下働きの男に勢いよく跳び蹴りを見舞った。
彼女は地面に転がった男の背中に馬乗りになると、彼の太い右腕を掴んで力いっぱい背中の方へ捻じり上げた。男の肩からゴキリと嫌な音が響く。男は盛大に悲鳴を上げた。
エマはテレサと共に「逃げないから離してくれ!」と泣き叫んでいる男に歩み寄った。テレサの姿に気付いた巡礼者たちは驚きの表情を浮かべて、その場に跪き祈りを捧げた。
半裸の彼女の姿を見た女性信者の一人が、自分の持っていた長衣を彼女に差し出す。テレサは彼女に丁寧に礼を言ってから、それを纏った。
「もういいでしょう。エウラリア、離しておあげなさい。」
「はい、お姉様。」
エウラリアが男の腕を離すと、男は肉付きの良い腕を痛そうに抱え、その場に座り込んだ。
「あれ?この男の人・・・スタリッジ枢機卿さん!?」
座り込んだ男の顔を覗き込んだエマは驚きの声を上げた。粗末な下働きの服を纏い、炭で顔を黒く汚しているので最初は分からなかったが、間近で見るとダウード隊長と一緒にいた、あの枢機卿だった。
エマの声に反応した民衆が男を見て、やはり同じように驚きの声を上げた。聖女教の象徴である聖女と、教会の最高責任者の一人である枢機卿が、供回りの者も連れず、粗末な服を着て路上で向かい合っている光景に、人々は何事が起きているのかとざわめきたった。
人々の視線を避けるようにさっと顔を伏せたスタリッジにテレサは言った。
「あなたが行った儀式魔法のことで聞きたいことがあります。」
スタリッジはその言葉にびくりと体を震わせ「知らん! 私は何も知らんぞ!」と目を伏せたまま、頭を振った。その様子を見たエウラリアがスタリッジに歩み寄った。
スタリッジは怯えた表情でエウラリアを見つめた。しかし再び彼の腕を掴もうとしたエウラリアを、テレサは制止した。
「スタリッジ卿、儀式魔法を解除したいのです。協力してください。」
スタリッジはハッとした顔でテレサを見つめ返す。だがすぐにまた顔を伏せた。呼吸が荒くなり、顔面は蒼白。エマは今にも彼が倒れるのではないかと心配になった。テレサは静かな声で、囁くように彼に言った。
「強引な手段は使いたくありません。ですがどうしても協力していただけないなら、無理にでも聞きださなくてはならなくなりますよ。」
テレサは言葉を切り、スタリッジに歩み寄ると彼の肩にそっと手を乗せた。
「あなたが私にしたのと同じことを、あなたにもして差し上げましょうか。」
その途端、スタリッジの目がかっと見開かれた。彼はわなわなと震え出し「ああああ」と言葉にならない呻きを漏らして、失禁した。顔面は蒼白を通り越して土気色となり、死相がはっきりと浮かび上がっている。
「ゆ、許してくれ! できない!! 私にはできないんだ!!」
「・・・それは、どういうことですか?」
彼はすべてを諦めたように、語りだした。
「ぎ、儀式魔法に私は関与していない。私の神力では儀式に参加できなかったんだ。だ、だからすべては協力者が・・・。」
「協力者? 聖女教の秘儀に他の者が関われるはずがないでしょう。」
「きょ、協力者がカタリナ様と『乙女団』を・・・操って儀式を行ったのだ。」
スタリッジは消え入りそうな声で言葉を絞り出した。テレサとエウラリアの目が途端に険しくなる。
『乙女団』という名前にはエマにも聞き覚えがあった。確か聖女とその候補者を警護するための挌闘僧部隊だったはずだ。現在はハウル村の司祭となっているハーレも、元は乙女団の一員だったらしい。正式名称は確か『鐵の乙女団』だったと思う。
「あなたは以前、カタリナ様が儀式でお命を落とされたと言っていましたね。では儀式に関わった乙女団の者たちはどこにいるのです?」
テレサが厳しい調子で問い詰めると、スタリッジはガタガタと震え出した。
「乙女団の者たちの行方は・・・分からない。きょ、協力者が全員連れ去ってしまったんだ。おそらくもう生きてはいないはず・・・。」
震え声でそう言った彼の言葉を聞いた民衆たちは大変驚き、騒ぎ始めた。中には悲鳴を上げる者もいる。神力の高い女性聖職者だけで構成される乙女団は聖女を守る精鋭部隊としてだけではなく、聖都の守り手としても高い人気を誇っていたからだ。
「・・・では儀式魔法を解除できる人間は、すでに残っていないということですね?」
その言葉に、スタリッジは顔をガクガクさせて頷いた。
「!! そんな! じゃあ、ドーラお姉ちゃんは!? 村はどうなってしまうんですか!!」
エマは衝撃の余り、悲鳴のような声で叫んだ。魔法を解除できずドーラを救えないのだとしたら、せっかくここまで来た意味がなくなってしまう。死に瀕した母の下を離れ、敵に襲われている村の人々を置いてまで続けてきた旅がすべて無駄だったと知って、エマはがっくりとその場に崩れ落ち、声を上げて泣いた。
テレサは蹲って泣くエマにそっと寄り添い、スタリッジに尋ねた。
「先程からあなたの言っている協力者というのは、何者なのです? その者の目的は一体何なのですか?」
スタリッジは俯いていた顔を上げ、テレサを見つめた。その目は真っ赤に充血し、異様な輝きを帯びていた。
「名前は知らん。だが『老頭』と呼ばれる導師とその仲間たちだ。信徒の力を捻じ曲げて、聖女を意のままに操る方法を考え出したのも老頭だ。彼らは『失くしたものを取り返すのだ』と言っていた。」
「・・・どういうことですか?」
テレサが問い返すと、スタリッジは急に立ち上がり両手を広げた。
「分からんのか、偽りの聖女よ? この世界を再び人間の手に取り戻すためだ。偽りの神や精霊たちからこの世界を守るのだ。それこそが正しき世界。それこそが正しい信仰のあり方なのだ。そして私は世界を導く皇帝となる!この地上に生きる全ての者を導く法皇をなるのだ!!」
彼は引き攣った高笑いをしながらそう叫んだ。彼が狂ったように笑い声を上げるにつれ、彼の目が内側から押されたように飛び出し始める。目鼻と口、耳の穴からはどす黒い血がダラダラと流れ落ちた。
「危険です!! 皆、この場から離れてください!!」
エウラリアが民衆に向けて叫んだ。彼らはスタリッジの異様な雰囲気にただならぬものを感じ取り、我先にその場を離れようと一斉に動き出した。しかし大勢の人間がひしめき合う大通りでそんなことが簡単にできようはずもない。
たちまち、あちらこちらで押し合いになってしまった。力の弱い年寄りや子供が通りに引き倒され、怒号と悲鳴が溢れる。
テレサはエマの側からすっくと立ちあがると、スタリッジに近づき祈りを捧げた。
「世界を守りし大いなるものよ。わが祈りによりてここに顕現し全き盾となり給え。世界を照らす聖女の光よ。悪しきもの退け、弱きものを守る力を我が身に宿し給え。《聖女の護封》」
天から降り注いだ巨大な光の柱が、テレサとスタリッジを包み込んだ。騒乱の渦中にあった人々はその美しい光景に目を奪われたように動きを止め、その場に平伏して祈りを捧げ始めた。
光に包まれたスタリッジは、口から泡の混じった血をごぼごぼと吐きながら、叫びを上げた。
「我々に神など要らぬ! 私自身がこの世界の神となるのだ! 天空城を・・・!」
次の瞬間、スタリッジの体が大きく膨れ上がり、爆炎を上げて激しく爆発した。しかし、その炎はテレサの作り出した神聖魔法の結界を越えることはなかった。吹き上がった赤黒い炎はすべて、天から降り注ぐ美しい光に溶かされて消え去った。
テレサが祈りを止めると、降り注いだ光は再び天へと戻って行った。スタリッジの立っていた場所の石畳は表面が融解していた。彼の体は灰さえ残っておらず、彼の痕跡は一切なくなってしまっていた。
衝撃的な場面を見た人々が聖女に感謝の祈りを捧げる中、テレサはその場に抜け殻のように横たわるエマを両手に抱え、エウラリアと共に大聖堂へ戻った。
大聖堂内の自室に戻ったテレサは手つかずで残されていた白い法服に着替え、エウラリアと共にエマに向かい合った。その頃にはエマも少し落ち着いていたがその目は真っ赤に腫れあがり、酷い有様になっていた。
エマはエウラリアの持ってきてくれた冷たい手拭で目を冷やした。
「ありがとう、エウラリアさん。取り乱してしまってすみませんでした、お師匠様。」
エマが二人にそう言うと、テレサは優しく微笑んだ後、表情を引き締めて言った。
「ドーラさんを救うことは、もはや人間の力では不可能です。」
分かっていたことだが、改めて言葉にされたことでエマは、胸を強く殴られたような痛みを感じた。自分は失敗したのだ。愛しい母も、大好きな姉も、そして大切な村も、何一つ守れなかった。
目の奥が熱くなり、涙が溢れそうになるのを必死に堪える。泣いている場合ではない。今すぐにでも村に戻らなくてはならない。間に合わないかもしれない。たとえ自分には何もできないとしても、それが彼女に残された唯一出来ることなのだから。
しかし次のテレサの言葉に、エマは自分の耳を疑った。
「よく聞いてください、エマ。たった一つ、ドーラさんを救うことができるかもしれない方法があります。」
エマはハッとしてテレサの目を見た。しかしテレサは目に厳しい光を湛えて、彼女を見つめていた。エマは気持ちを引き締め、拳を握りしめながら強い調子でテレサに訴えた。
「お師匠様、その方法を教えてください。」
二人の視線が絡み合う。しばらく無言で見つめあった後、テレサは話し始めた。
「これは代々の聖女が守り続けたこの世界の秘密に関わることです。この話を聞いたら、引き返すことはできません。場合によっては、私があなたの命を奪うことになるかもしれない。それでもいいですか。」
「!! お姉様!?」
驚きの声を上げたエウラリアを、テレサが目で制する。エマは奥歯をぐっと噛みしめてから、テレサに答えた。
「たとえ私の命を投げ出すことになったとしても構いません。」
「・・・分かりました。ではあなたに話しましょう。エウラリア、あなたは外に出て、この部屋に誰も近づかないように見ていてください。」
エウラリアはほんの一瞬、逡巡した様子を見せたが、すぐに頷いて部屋を出て行った。
「この街の西にある闇の領域を見ましたか。」
「はい。黒い瘴気の広がる場所ですよね?」
エマが答えると、テレサは軽く頷いて話し始めた。
「闇の領域は私たちとは全く異なる種族が暮らす世界だと言われています。表向きには、あの瘴気がこちらの世界に流れ込まないようにするのが聖女の役目とされていますが、正確には少し違うのです。」
テレサは言葉を切った。いよいよ秘密が明かされるのだろう。エマは気持ちを落ち着かせるため、ごくりと唾を飲んだ。
「あちらの世界と私たちの世界を隔てているのは、聖女の力だけではないのです。あちらの世界にも同じように世界を隔てている存在がいるのです。代々の聖女はその存在と力を合わせることで、互いの世界の行き来を封じてきたのですよ。」
「闇の領域にも、お師匠様と同じような力を持つ人がいるということですね。それはどんな人なんですか?」
すぐに話を理解して聞き返したエマに、テレサは軽く苦笑しがら言った。
「やはりあなたは聖女教徒ではないから、それほど衝撃を受けることはないのですね。この話を聞かされた時、私はひどく取り乱してしまったものなのですよ。」
重大な秘密を打ち明けてくれた、テレサに対する気遣いが足りなかったとエマは少し恥ずかしくなった。テレサは少し肩の荷が下りたという表情をして話を続けた。
「それがどんな存在なのかは私も知りません。ただ言い伝えによれば、世界を覆すほどの力を持った存在だと言われています。」
「世界を・・・。それって、神様ってことですか?」
「それは何とも言えません。そもそも二つの世界がなぜ隔てられているかも、分かっていないのです。もしかしたら世界を破壊しようとする邪悪なものを封じるために、あの闇の領域が作られているのかも知れないのですよ。」
エマはテレサの顔をじっと見つめながら、これまでの話を振り返って考えてみた。
「つまり、ドーラお姉ちゃんを救うために、その神様の力を借りろってことですね?」
「そうです。ただ、私が出来るのは二つの世界を結ぶ扉をこちら側から開くことだけなのです。」
テレサは苦しそうな表情でそう言った。エマは大きく頷いて彼女に言った。
「分かりました。私はその扉を通ってあちらの世界に行き、その神様を見つけ出してお姉ちゃんを助けてくださいってお願いすればいいんですね。」
明るい調子でそう言ったエマを、テレサは痛ましい目で見つめた。
「簡単に言えばそうなります。ただ闇の領域がどんな世界なのか、誰も知らないのですよ。人間が生きていける環境かどうかも分からないのです。それに運よくあなたの言う『神様』に出会えたとしても、こちらの世界に帰ってこられるという保証はありません。もしかしたら『神様』はあなたに助力の代償を要求するかもしれないのです。」
テレサはエマの両手を取って言った。
「私は、あなたをそんな場所に追いやろうとしているのですよ。あなたに死ねと言っているのと同じです。」
痛みを堪えるような表情をしたテレサに対し、エマは明るい調子で問い返した。
「ではなぜお師匠様は私にこの話をしたのですか?」
「それは・・・あなたなら、もしかしたらやり遂げられるかもしれないと思ったのです。」
エマはにっこり微笑んで、ぺこりと頭を下げた。
「きっとそうだと思いました。私を信じて大事な秘密を教えてくださってありがとうございます、お師匠様。私、頑張りますね!」
「エマ・・・!」
「私、お師匠様のおかげですごく希望が湧いてきました。さっきまで心がぺしゃんこになってたのが嘘みたいです。」
エマはテレサの手を強く握った。
「私、どんなことをしても絶対に神様を見つけてみせます。もうこの世界には帰ってこられないかもしれないけど、絶対にドーラお姉ちゃんと村のみんなを助けてみせます。」
「エマ、私は・・・!」
テレサは顔を歪めて言葉を呑み込んだ。何を言っても言い訳にしかならないと分かっていたからだ。彼女は顔を上げると、エマをまっすぐに見つめて言った。
「あなたの覚悟は分かりました。ではあなたを世界を繋ぐ門へといざないましょう。」
読んでくださった方、ありがとうございました。