155 遺物
少しずつ終わりが近づいています。あと25話でまとめられるかなー。
「エマ、一体どうして君がこんなところに? もしかしてハウル村で何か起きたのかい?」
明け染める朝日を顔に受けながら、ファ族の若者ディルグリムは右目に心配そうな色を湛えて、エマにそう尋ねた。冒険で視力を失った左目は、今も眼帯で覆われている。
エマは村とドーラに起こった出来事を簡単に話した。ディルグリムは真剣な表情で話を聞いた。特にテレサの生死が不明であり、儀式の犠牲となって死んでいる可能性が高いということを聞いたときは、驚きと怒りを隠せない様子だった。
「なるほど、それでエマがお師匠様の国まで行くことになったんだね。あのお師匠様が簡単に亡くなるとは思えない。無事でいてくださるといいのだけれど・・・。」
沈痛な面持ちでそう呟くように言った彼に、エマは尋ねた。
「お兄ちゃんが私を助けてくれたの?」
「そうだよ。君を見つけたのは僕の部族の者だけどね。皆、気味悪がって近づかないから、僕が調べに来たんだ。草の上に寝ころんでいる君を見つけたときは、本当に驚いたよ。」
「そうか、私、確か魔力切れを起こして、空から落っこちたんだっけ・・・。」
慌てて自分の体をまさぐってケガの有無を確かめる。肩や背中に少し痛みはあるけれど、大きなケガはしていないようだ。
魔力切れが原因の激しい頭痛も今はもうすっかり治まり、体力・魔力共に十分回復していた。気を失う前に飲んだ魔力回復薬が効果を表したおかげだろう。ただ腰のベルトに付けていた薬瓶は全て割れてしまっていた。
周りを見ると少し離れたところに魔法のホウキが置いてある。エマが今いるのは腰の高さくらいの柔らかい草に覆われた平原だが、草の倒れ具合から見てどうやら上空から落ちた後、ホウキと共に草の上を滑り、投げ出されたらしいことが分かった。
「ここは僕らが暮らしている平原なんだ。狩りをしていた部族の者が、空から落ちてくる君を見かけて大慌てで僕に知らせに来てくれたのさ。地面に落ちる寸前、君の体がふわりと浮き上がって止まり、そのまま草の上に滑り落ちたそうだよ。」
それを聞いて、エマは置いてある魔法のホウキに目を向けた。
「そうか、ドーラお姉ちゃんの『安全装置』のおかげだ!」
エマはドーラが初めて魔法のホウキに乗った時の様子を思い出した。確か乗り手が魔法のホウキから投げ出されたら、自動的に《浮遊》の魔法がかかるように、ドーラがしてくれていたんだっけ。
《浮遊》で一度落下が止まったものの、勢いが強すぎたために草の上を滑って転がったのだろう。
「ここは僕らが今いる集落から半日くらい離れてるんだ。僕が君を見つけたときはもう夜中だった。この辺りは結構、魔獣が多いはずなんだけど、よく襲われなかったね。」
そう言われてふと胸を見ると、皮鎧の隙間からうっすらと虹色の輝きが見えた。ドーラの涙で作った首飾りだった。
ここでもお姉ちゃんが守ってくれてたんだ。エマは離れてみて改めて、ドーラの存在の大きさを感じた。
「助けてくれてありがとう、ディルグリムお兄ちゃん。じゃあ私、もう行くね。」
本当はしっかりお礼を言って再会を喜びたいところだけれど、一刻を争う旅の途中だ。《転移》の呪文でかなり距離を稼げたといっても、まだやっと王国を出たばかり。先はまだまだ長い。
すると急いでホウキを手に取ろうとするエマを、ディルグリムが引き留めた。
「待って、エマ。もしかしたら君の旅の手助けができるかもしれない。」
思いがけない言葉に目を見開くエマに、彼は優しい笑顔で大きく頷いてみせた。
ディルグリムが奇妙な節をつけて口笛を吹いた。夜明けの草原に伸びやかな音が響く。
すると遠くの方から馬のひづめの音が聞こえてきて、葦毛の美しい馬が風のように駆け寄ってきた。
「僕の今の相棒の『西風』だよ。僕が悪者たちに捕まった時に殺された『東風』の妹なんだ。」
西風はディルグリムに鼻を摺り寄せて甘えた後、エマにぺこりと頭を下げた。エマも同じようにお辞儀をする。
ディルグリムは西風に素早く馬具を付けるとさっと飛び乗り、自分の前にエマを引き上げた。その力強い動きは、迷宮攻略後の弱り切っていた彼の姿からはかけ離れたものだった。
「お兄ちゃん、力が戻ったんだね。」
「あの頃の力が完全に戻ったわけじゃないけどね。でもかなり動けるようになったよ。」
彼は腕の中のエマを気遣いながら、風を切って西風を南西へ走らせた。
ディルグリムによるとここは、ファ族の冬の宿営地であるファラン平原だそうだ。夏になると部族全体で、より北方のスタン草原へ移動するという。
「お兄ちゃん、ファ族って何人くらいいるの?」
揺れる馬上で舌を噛まないように気を付けながらエマが尋ねると、彼は少し困ったように答えた。
「部族全体の人数や支族数は秘密なんだ。ごめんね。でもこれから行く、僕の支族のことなら教えてあげられるよ。」
彼の支族である『歌う風』族は、10家族150人程の集団だそうだ。これは氏族としては一般的な規模で、同じような支族が広大な平原全体に無数に散らばって生活しているという。
「支族にはそれぞれ決まった装飾があってね。それでどこの支族なのか、誰の家族なのかが分かるようになっているんだよ。」
そう言われてみると彼は色鮮やかな美しい刺繍がされた服を纏っている。さらに貴金属や宝石の付いた飾り帯や指輪、腕輪、首飾り、耳飾りなどで着飾っていた。
村にいたときには単純にまとめているだけだった銀灰色の長い髪もいくつもの細かい編み込みがされ、そこに宝石の飾り玉や金銀の輪が結びつけられている。
「とってもきれいだね、お兄ちゃん。ドーラお姉ちゃんが見たらすごく喜びそう。」
シャラシャラと音を立てる飾りを見てエマがそう言うと、彼は顔を赤らめて言い訳するように言った。
「僕らの部族はお金をやりとりする習慣がないし、定住もしないから、持っている財産は全部身に着けることになってるんだよ。」
美しい貴金属類を装飾にするのは支族の中でも優れた戦士である証だそうだ。女性や子供は刺繍のされた服や帯を付けるだけだという。これは外敵に襲われたとき、女性や子供を守るための工夫らしい。
「もっとも平原でファ族を襲うような愚か者はいないけどね。」
彼は隻眼に不敵な光を湛えながら、最後にそう付け加えた。
雲一つない冬空の下、途中、平原を流れる小川や泉で休息をとりながら進む。そして太陽が頭の真上に近くなった頃、草原の先に点々と影が見え始めた。それは近づくにつれ、装飾のされた天幕であることが分かった。
色とりどりの旗が靡く十数個の天幕の周りでは薄茶色や黒色の毛をしたたくさんの羊と、美しい姿の馬たちがのんびりと草を食んでいる。
さらに接近していくと、天幕の方から数騎の人影がこちらに向かって猛スピードでやってくるのが見えた。
白馬にまたがり先頭を切って駆けてくるのは美しい刺繍の入った衣装を着た鋭い目つきの少女だった。エマより少し年上に見えるから、13~14歳くらいではないかと思われる。
彼女は輝くような金色の髪を揺らし満面の笑顔で手を振っていたが、ディルグリムの前にちょこんと腰かけているエマに気が付くと、途端に険しい顔つきになった。
「族長、お帰りなさい。その娘は?」
「ただいま、パリザーダ。前に話をしただろう、僕の『試練の支え手』、ドルアメデス王国のエマだよ。」
その言葉を聞いた騎手たちは顔色を変えて馬から飛び降り、その場に跪いて頭を垂れた。
「支え手様とは知らず、大変無礼な振る舞いをしてしまったことお詫びいたします。どうかお許しください。」
パリザーダと呼ばれた娘が丁寧な口調でエマに謝罪の言葉を述べた。戸惑うエマにディルグリムがそっと「許すといってあげて」と耳打ちした。
エマが「許します」と言うと、彼らは「慈悲深いお言葉、感謝いたします」と跪いたまま深々とお辞儀をした。
それからは大変な騒ぎになった。ファ族の全支族を率いる族長の試練を助けた『支え手』は、部族に恩寵を齎す者として尊敬されてるのだと、ディルグリムがエマに説明してくれた。
支族の者たちはエマの来訪を心から喜び、歓迎の宴を開こうと奔走し始めた。そんな彼らを大声で止めたのは、他ならぬディルグリムだった。
「『支え手』エマは、使命を帯びた旅の途中だ。今は休息をとることは出来ぬ。語り部殿はいずこか?」
使命という言葉にその場にいる全員が慄いた。エマに話す時とは打って変わって、堂々としたディルグリムの呼び掛けに応えて天幕から這い出てきたのは、一際鮮やかな衣装を纏った老婆だった。周囲の人々が敬意を表し道を開ける中、彼女はディルグリムの前に進み出た。
「族長様、お呼びでございましょうか。」
「語り部殿、墓所を開いていただきたい。エマを霊廟へ案内してほしいのだ。」
彼の言葉に支族の者たちが顔を青ざめさせ驚きの声を上げる。語り部の老婆は彼に問い返した。
「彼の御仁は資格を持つとおっしゃるのですな。」
「ああ、私の『拒む者』にかけて誓おう。」
彼は腰から黒い小太刀を引き抜くと、自分の左手の平を薄く傷つけ強く握りしめた。拳から溢れ出した血が大地に染みていく。それを見た語り部は深く頷いた。
「そこまでの覚悟がおありならば、その願いに応えましょう。」
彼女が口笛を吹くと、灰色の斑模様の馬が彼女の元へ駆け寄ってきた。彼女はその見た目からは想像もできないほどの身軽さで馬に飛び乗ると「こちらです」と言って、後ろも見ずに走り出した。
ディルグリムも同じように駆け寄ってきた西風に飛び乗ると、エマを鞍の上に引き上げた。そして老婆の後を追って走り出した。エマが後ろを振り返ると、支族の者は皆地面に平伏して、彼らを見送っていた。
エマは《収納》から回復薬を取り出し、ディルグリムに差し出した。彼は少し驚きながらも、先程までの厳しい顔つきとは全く違う悪戯っぽい表情で「ありがとうエマ」と言って笑った。
その後、語り部はジグザグに平原を走り続けた。どうやらエマには分からない目印を辿っているらしいのだけれど、どちらを見ても地平線しか見えない大平原の中を走っているうちに、エマは自分の居場所がすっかりわからなくなってしまった。
平原に夕日が沈み一番星が見え始めた頃、突然語り部は馬を止めた。周囲はこれまでとまったく変わりない平原があるだけ。しかし、語り部が腰の高さほどもある草を掻き分けると、そこに地下へ続く石造りの階段が現れた。
日が沈んだ直後の薄闇の中、目を凝らしてみると階段はかなり古い時代の物のようだ。あちこちが欠け角が摩耗してすっかり丸くなっている。
語り部は風属性の明かりの呪文《雷精の瞬き》を唱えて足元を照らすと「こちらです」と言って階段を降り始めた。エマとディルグリムはその後について階段を下りた。
折り返しながら続く階段をかなりの深さまで降り切ると、やがて扉に行き当たった。重い両開きの石の扉の表面には、多くの騎士の姿が浮き彫りされている。その中央には両手に白い長曲刀と黒い短刀を持った人物が大きく描かれていた。
「ここが僕たちの墓所だよ。」
ディルグリムがエマに囁く。語り部の老婆が扉に手を添え何事か呟くと、扉は重い音を立てながら左右に開いた。
扉の奥は闇が広がっている。中からは乾いた砂の匂いがした。語り部が明かりを前方に差し出すと、薄紫色の明かりに照らされ、厳めしい顔をした騎士が姿を現した。
思わず悲鳴を上げ身構えたエマにディルグリムが「大丈夫、ただの石像だから」と声をかけた。確かに落ち着いてみてみれば、それは石で作られた像だった。だがどれも今にも動き出しそうなほど精巧に作りこまれている。まるで生きた人間が衣装ごと石になってしまったみたいだと、エマは思った。
死んでしまった人のために永遠に時を止めておくための場所。きっとここが霊廟なのだろう。
石像の間を抜けてさらに奥へと進む。石像は広い空間を埋め尽くすほど無数に置かれていた。一体どこまで続くのだろうとエマが思った時、突然強い光がエマの方に差してきた。
驚いて目を向けたエマの目の前にあったのは、エマの身長の三倍はあるだろうと思われる巨大な金属製の門だった。エマの目を差した強い光は、磨き上げられた門の表面に反射した、語り部の明かりだったようだ。
高さと同じくらいの横幅を持つ巨大な門は、たった今研いだばかりの刃物のように滑らかな光沢を放っていた。左右に円柱の足があり、その上に二本のやや湾曲した梁が乗っている。しかし扉は付いていなかった。門の向こうには何もない空間が広がっているだけだ。
「お兄ちゃん、これは?」
「僕たちの祖先が残してくれた古代遺物なんだ。僕たちは『旅立ちの門』って呼んでいるよ。」
彼の説明によると資格のあるものが触れることで、今ある場所とは違う場所に一瞬で移動できるようになるという遺物らしい。しかし語り部の記録によれば、ここ数百年は動いたことがないそうだ。
「でもね、僕はもしかしたらエマならこれを使えるんじゃないかって思ったんだ。」
「?? どうして?」
「これを動かすにはすごくたくさんの魔力が必要らしいんだ。これを作った人たちは今よりもずっと魔力が強かったのかもしれないね。それにね。」
ディルグリムは面白そうな口調で、エマをからかうように言った。
「君はあの幸運の女神の愛し子だからね。君が僕らのところに落っこちてきたのも、きっとこれに引き寄せられたんじゃないかって思ったんだよ。」
思ってもみない答えに目を白黒させるエマを見て、彼は思わず噴き出した。ひとしきり笑った後、不満そうに口を尖らせるエマに彼は言った。
「じゃあ動かしてみてくれる?」
「そう言われても・・・どうすればいいの?」
「伝承によれば資格ある者が触れれば、門はひとりでに動き出すといわれております。」
語り部の言葉に従い、エマは門に触れてみた。一体どうやって作ったのか分からないが、古代の物とは思えないほど滑らかな手触りだ。以前マルーシャに見せてもらった古代遺物と似ている。
門に触れていると、体内の魔力が門に吸い寄せられるような感じがしてきた。エマは魔力を操作し、手を通じて門に魔力を流し込んだ。
門が虹色の光を帯び始めたのを見て、後ろで見ていた語り部とディルグリムが驚きの声を上げた。それに続き、門からきれいな女性の声が響いてきた。
「中央諸国同盟ポータルネットワークサービスへようこそ。現在、中央暦1897年13月3日です。ただいま戦時体制のため、民間人の方は登録されたホームポイント経由の移動になりますのでご了承ください。軍属の方は生体IDを確認しますので、認証端末に触れてください。なお天空城への渡航ルートは現在封鎖されております。渡航を希望される方はシャトル発着場へお問い合わせください。」
「「「門が、しゃべった!!」」」
急に饒舌に話し始めた門に驚いて、三人が同時に声を上げた。しかし門はそれに反応しなかった。一定の時間ごとに、同じ内容の言葉を繰り返している。
「語り部殿、一体どういうことか分かるか?」
「い、いえ、このようなことは語り継がれておりませぬ。門が光を帯びた時、見知らぬ場所へ移動できるとしか・・・。」
ディルグリムの問いかけに語り部の老婆は狼狽するばかり。彼女は恐ろしいものを見るような目で、エマと門を交互に見た。
「エマ、どうする?」
そう問われたエマは、門の側に浮き出た光の板を指さした。
「うーんとね、この手の平の形のところに触ってみればいいのかな?」
光の板には人間の手の平の形が描いてある。エマはそれに自分の手の平を合わせてみた。
「生体IDを認証しました。迷宮核討伐履歴を確認。ご希望の移動拠点を選択してください。」
光の板が消え、今度は光の球体が浮かび上がった。球体の表面には縦横に走る線と模様のようなものが描かれている。模様の一点には小さな三角形の印が浮かび、その横に『現在地点』と書いてあった。他にもいくつかの光点があり、そこには地名らしきものが書かれている。
「これってひょっとして、地図?」
模様のように見えるのは地図のようだった。よく見れば川や湖ではないかと思われるものも描かれている。でも地図ならまっすぐな面に描いてみせてくれればいいのに、どうしてこんなにまん丸にして表示してるんだろう?
エマは丸い地図を一生懸命観察してみた。どうやら球体の上の方が北を示しているようだ。それならばここから一番西側にある点を選べばいいのだろうか。
誰かに聞くわけにもいかないので、おそらく一番西側にあると思われる点に触れてみる。それは海に突き出した大きな半島の途端にある点だった。今表示されている大きな模様が大陸だとすれば、中央よりやや西寄りの場所だ。
「移動先はヒムヤル王国首都アトホルでよろしいですか?」
よろしいですかと聞かれてもエマに分かるわけがない。とりあえず光の球体の上に浮かび上がった『はい・いいえ』のうち、『はい』の方を選んでみた。すると何もなかった門の内側に光の幕のようなものが現れた。
「座標固定完了しました。準備が出来ましたらゲートをくぐってください。」
エマは後ろにいるディルグリムを振り返った。彼はこちらを心配そうに見つめている。語り部の老婆は大地に伏して震えていた。
「なんかよくわかんないけど、移動できるみたい。私、行ってみるね。」
「うん、気を付けて行っておいで。君なら絶対にドーラさんを助けられるよ。お師匠様もきっと生きてる。なんたって聖女様なんだからね。」
二人は笑い合い、エマは光の幕の中に入った。
「大事な遺物を使わせてくれてありがとう、ディルグリムお兄ちゃん。」
「ううん、こっちこそありがとう。君がこれを動かしてくれてよかったよ。もし動かなかったら、僕は左腕を切り落とさなきゃいけないところだった。」
冗談とも本気ともつかない調子で両手を広げるディルグリムの姿が光の中に消えていく。こうしてエマは虹色の光に包まれながら門から踏み出し、新たな地へと降り立ったのだった。
読んでくださった方、ありがとうございました。




