149 一年生終了
やっと一話書き終わりました。来週はもう少し書きたいです。
秋の三番目の月が半分過ぎた。最近エマはものすごく忙しい毎日を過ごしている。まずは午前中、1年生の術師クラスの授業に出てしっかりと勉強をする。授業内容はますます難しくなっているみたいだけど、ウルス王子やイレーネちゃんのおかげで授業にも何とかついていけているみたい。
午後は無属性魔法研究室のベルント先生と一緒に魔法や魔道具の研究だ。風で遠くの人に声を届ける《通話》の魔法も、少しずつ通話出来る距離が伸びているみたい。今では王都とハウル村くらいの距離なら、ほとんど問題なく通話できるようになってきている。ただ天候や障害物に影響を受けるのはどうしても避けることができないし、距離が長くなると返事が返ってくるまでものすごく時間がかかるのが欠点だ。《念話》の魔法ならこういう欠点は無いんだけどね。
今は風を飛ばす向きや速さを変えられないか、精霊魔法の術式を取り入れて障害物を避けて行くことはできないか、みたいなことを実験してるみたい。うまくいくといいなあ。
研究室での実験がない日は、騎士クラスの格闘演習場でウルス王子やサローマ伯爵の息子のニコルと一緒に格闘訓練をしたり、錬金術研究室で試験勉強をしたりしている。
ウルス王子は体を動かすのが苦手みたいなんだけど、エマの前でニコルくんにコテンパンにされるのがよほど悔しいみたいで、最近は自分から進んで格闘練習をやっているんだって。
まだエマやニコルくんには全然敵わないけど、それでも基礎訓練でへばってしまうことはなくなり、訓練終了まで立っていられるようになったそうだ。
ウルス王子にはエマが基本の動きを細かく教えているんだけど、彼は細かい魔力の操作がとても上手いそうだ。エマはそのことをすごいすごいといつも私に話してくれている。
そのせいでニコルくんとウルス王子は張り合うように体を鍛えているんだと、リンハルト王子の様子を見に行っていたミカエラちゃんが、私にこっそり教えてくれた。
試験勉強するときは格闘訓練とは逆で、ウルス王子がエマの先生役になっている。でも最近はイレーネちゃんやニコルくんも錬金術研究室に顔を見せるようになり、研究室の客間がいつもいっぱいになっている。
本当は他の研究室の特別研究生が勝手に入るのはダメらしいのだけれど、主任教師のマルーシャ先生が物凄くいい加減な(というか自分の研究以外にはほとんど興味がない)人なので、こんなことになってしまっているのだ。
ミカエラちゃんは「ゴルツ学長に知られたらまたお小言を言われますよ」と先生を窘めているけれど、マルーシャ先生は「あの小僧には好きに言わせておけばよい」と一向に気にせず、イレーネちゃんとニコルくんに手土産のお菓子を要求する始末だった。
「え、イレーネちゃんってウルス先輩の婚約者なの?」
勉強が終わって皆でお菓子を食べながらお茶を飲んでいたとき、エマがそんな声を上げた。それに対してウルス王子が焦ったように返事をする。
「い、いや正式に取り決めが行われたわけではない。」
「しかし殿下、臣下の間ではそのように言われておりますよ。家柄や年齢の釣り合いを考えても、イレーネ様よりほかに殿下の正妃にふさわしい方はいらっしゃらないでしょう。」
笑顔でそう言ったニコルくんの言葉に、イレーネちゃんが顔を赤らめて俯いた。そう言えば彼女はいつも王子の正面の席に座っている。
ウルス王子も目の前のイレーネちゃんの方を見ると夕焼けみたいに顔を赤くして、横を向いた。すると笑顔のミカエラちゃんと目が合って、慌ててお茶を手に取って一口飲んだ。
「そうなんですね。二人はとってもお似合いだと思います。」
エマがそう言うと、ウルス王子はちょっと困ったような顔を、イレーネちゃんは嬉しそうな顔をした。
「ありがとうエマさん。でもそんなに直接的な言い方をされると、ちょっと困ってしまいますわ。」
そう言って透き通るように白い頬を薄桃色に染めたイレーネちゃんは、私から見ても驚くほど可愛らしかった。彼女に対してニコルくんとエマが一緒に謝罪し、彼女はそれを受け入れた。
「私、ウルス殿下にずっとお会いしたいと思っていたのですけれど、なかなかその機会がありませんでしたの。こうやってお話させていただけるのは、本当に光栄です。」
イレーネちゃんの言葉にびっくりしたようにウルス王子が彼女の方を見た。王子と目が合ったイレーネちゃんは恥ずかしがりながらも、花が綻ぶように美しく微笑んだ。
「そ、そうなのか? 私はてっきり・・・。」
王子は何か言いかけたけれど、皆に見られてるのに気が付いてすぐに言葉を止め、軽く咳払いしてからお茶を手に取った。でも中身がないのに気が付いてすぐに器をテーブルに戻し、気まずそうに身じろぎをした。私は席を立って、王子のお茶を給仕した。エマも一緒に手伝ってくれた。
お茶を給仕し終えたエマに、ミカエラちゃんが尋ねた。
「エマちゃんは将来結婚したい相手っていないの?」
その質問に王子、ニコルくん、イレーネちゃんが一斉にエマの方を見た。でもエマはそれを気にする風もなくあっけらかんとした調子で答えた。
「私はそんな人いないねー。多分、村の誰かと結婚することになると思うけど・・・。」
「エマちゃんならどんな貴族家にだって、堂々とお嫁入りできると思うけど?」
ミカエラちゃんの言葉にエマ以外の三人の目が真剣な光を帯びる。
「ええ、それはないよ。だって私、平民だし、貴族の暮らしなんて出来るわけないもの。お姉ちゃんみたいな錬金術師になって村で暮らすほうがいいかな。」
私はそれにうんうんと頷いて同意した。
「そうだよね。平民の女の人が貴族と結婚すると、酷い扱いを受けるって聞いたことあるし。」
「ドーラさん! わ、私はエマさんをひどく扱ったりはしませんよ!」
私の言葉にニコルくんが立ち上がって反論した後、ハッとしてエマの方を見た。
「ありがとう。ニコルくんて優しいよね。最初に会った時も助けてくれたし。これからもいいお友達でいてくれると嬉しいな。」
「と、友達? ああ、そうですね。エマさんは大切な友人です。これからも仲良くしてください。」
ニコルくんはしょんぼりしたように椅子に座り、ウルス王子とミカエラちゃんは彼を気の毒そうな目で見ていた。
その後、お菓子を食べ終わって満足したマルーシャ先生に見送られて、私たちは研究室を出た。
寮の部屋に戻ると珍しく同室のゼルマちゃんとニーナちゃんが中にいて、二人でおしゃべりをしているところだった。
「今日はたまたま一緒になったんですよ。エマ様も試験勉強が終わったところですか?」
技能クラスの所属している二人は、午前の授業が終わった後はいつもそれぞれの得意なことを伸ばすための訓練を受けている。ニーナちゃんはいつものように手芸や裁縫を、ゼルマちゃんはカールさんに頼んで格闘訓練をしていたらしい。
「難しいところはウルス殿下が丁寧に教えてくれたよ。あ、そういえば殿下とイレーネちゃんって、将来結婚するかもしれないんだって。」
エマはさっきのお茶の時間に聞いたことを二人に話した。
「まあ、イレーネ様がそんなことを?」
すると話を聞いたニーナちゃんがひどく驚いた調子で言った。
「?? 何か変だった?」
エマとゼルマちゃんが尋ねると、彼女はちょっと声を潜め顔を近づけて言った。
「イレーネ様とウルス殿下が結婚することになるだろうというのは周知の事実ですわ。ただイレーネ様は殿下をあまりお好きではないともっぱらの噂でしたの。」
「ええ、そうなの? とてもそうは見えなかったけど・・・。」
エマが不思議そうに言った。私もさっきの様子を思い返してみたけれど、イレーネちゃんはウルス王子に好意を持っているように私には見えた気がする。
「そう言えばイレーネ様は最近、人が変わったように明るくなったと他の女子生徒たちが噂していたぞ。何か心境の変化があったのかもしれないな。」
ふむふむ、そう言われると思い当たることがあるよ。
「イレーネちゃんが変わったのって、エマと一緒にいるようになってからじゃないかな。」
私がそう言うと、皆はうんうんと頷いて同意してくれた。やっぱりエマは可愛くて賢くて、皆を明るくしてくれる素敵な女の子だよね。
「エマちゃんの影響もあるのでしょうけど、エマちゃんがウルス殿下に関心がないっていうことが分かったからっていうのもあるのかもしれませんよ。」
ミカエラちゃんの言葉にエマがきょとんとした顔をする。
「私が殿下に? なんで?」
「正妃は無理でしょうけど、エマ様の魔力ならウルス王子の側妃にって求められても不思議はありませんよ。」
ゼルマちゃんがそう言うとエマはあははと笑って言った。
「私、木こりの娘だよ。そんなの無理に決まってるって。」
「・・・殿下はそうは思っていらっしゃらないみたいだけど。エマちゃんは殿下のこと、どう思ってるの?」
ミカエラちゃんの問いかけに、ニーナちゃんとゼルマちゃんの目が真剣な光を帯びた。エマは皆の真剣な様子にちょっとたじろぎ、ゆっくりと言葉を選ぶようにそれに答えた。
「ウルス殿下はとてもいい方だと思う。親切だし、努力家だし、自分の役割を一生懸命果たそうと頑張っているところはすごく尊敬してるよ。でも好きかどうかって言われるとよく分からない。だってそんなの考えたこともないもの。」
「じゃあ、今後好きになる可能性もあるってこと?」
重ねて問われてエマは言葉に詰まった。私は心配になりエマをじっと見つめた。しばらく胸に手を当てて考えた後、エマは言葉を出した。
「殿下自身のことは嫌いじゃないわ。でも今はやりたいことがいっぱいあるの。だって村のために役に立つ大人になりたいんだもん。だから男の子のことはまだ考えられそうにないよ。それに私の気持ちに関係なく、殿下がそう望めば私は従うしかないんだし。」
「そんなダメ!! エマの気持ちを無視するような相手なんか、私がやっつけちゃうよ!!」
私が鼻息を荒くしてそう言うと、エマはにっこり笑って「ありがとうお姉ちゃん」と言ってくれた。
「ドーラさんとは少し違うけれど、私もエマちゃんの気持ちに反して事が進みそうなら、全力で阻止するつもりよ。」
「ミカエラちゃん・・・。」
ミカエラちゃんの言葉に、ニーナちゃんとゼルマちゃんも同じように頷いた。エマは恥ずかしそうに、でもちょっと嬉しい様子で微笑んだ。
「エマさんは魔力だけでなく、とても可愛らしいですもの。殿方が夢中になるのも無理ありませんわ。」
ニーナちゃんがそう言うと、エマは照れて顔を赤くした。私はエマを抱きしめたくなり、椅子に掛けているエマの後ろからそっと体を寄せ、その方に頭を乗せた。
「エマは私が守ってあげる。エマは自分の好きな人と一緒になればいいよ。そして私と一緒にまた村に帰ろう。」
エマは私の髪に手を伸ばし、私に囁いた。
「うん、そうだねお姉ちゃん。私の魔力の成長が終わる15歳になったら、また皆で一緒に暮らそうね。大好きよ、ドーラお姉ちゃん。」
寄り添ったことでエマの心音がはっきりと聞こえるようになった。トクントクンと規則正しく響く優しい鼓動は、私の心を穏やかにしてくれる。
そうしているうちに夕食の時間を知らせる鐘がなり、私たちはおしゃべりを中断して、夕食を摂るために大広間へ向かったのでした。
私もエマも忙しく毎日を過ごすうちにあっという間に秋の三番目の月が終わり、一年生最後の季末試験が行われることになった。
エマと同室の皆は実技の試験に初日合格を果たした。エマとミカエラちゃんは言うまでもないけれど、ニーナちゃんとゼルマちゃんも魔力量が飛躍的に伸び、魔力の制御力が上がったらしい。
「騎士クラスの聴講生として魔力格闘訓練が受けられるかもしれないのです。これもすべてエマ様のおかげです。」
ゼルマちゃんはそう言って嬉しそうにエマと私に報告してくれた。ニーナちゃんも魔力量が増大したことで身につけられる生活魔法が増え、将来職人として働くために有利な技能をたくさん身につけられそうだと喜んでいる。
私たちは皆でそれを喜び合った。
エマの筆記試験はいくつかやり直しを受けることになったものの、ウルス王子やミカエラちゃん、イレーネちゃん、そしてニコルくんの助けを借りて何とか最初の週ですべて合格することができた。
おめでとうと言った私に対してエマは「もう王家の年表は二度と見たくないよ」と、苦笑いしながら答えた。
すべての試験が終わったので、私とエマ、そしてミカエラちゃんはハウル村に戻ることになった。春に学校にやって来る時には馬車を使ったけれど、帰りは私の《集団転移》で帰る予定だ。
馬車代や宿代もかなり負担になるし、何より馬車だとどんなに早くても7日以上、トラブルがあると10日くらいかかっちゃうからね。
同じように試験を終えたニーナちゃんとゼルマちゃんも荷造りを済ませ、私たちよりも先に寮を出て行った。
「私たちの家は王都にありますし、準備も少ないですから。」
「それに寮の滞在期間が長くなると、侍女に支払う謝礼も嵩みますからね。」
二人はそう言って両家が折半して調達した馬車に乗りこんだ。次に会うのは来年の春以降になる。
「よかったら是非一度、私たちの所にも遊びにいらしてくださいましね」と言い残し、二人はそれぞれの実家へと帰っていった。
私もエマの荷造りを手伝いながら、二人でこの一年の学校生活を振り返った。ちなみに荷物はエマが自分の《収納》の魔法で持って帰ることになっている。
「最初はどうなることかと思ったけど、皆のおかげで何とか頑張れたよ。本当にありがとう、ドーラお姉ちゃん。」
「私はエマの頑張る姿が見られて、とっても楽しかったよ。でも早く村に帰りたいね。」
私たちは「そうだね」と笑いあった。そのときふと、エマがガブリエラさんから送られた社交用のドレスを手に取りながら言った。
「学校って秋でおしまいなのに、どうして冬用のドレスもあるのかな。」
そう言われてみればそうだ。エマのその問いかけに答えてくれたのは、一緒に荷造りをしてくれているバルシュ家の筆頭侍女ジビレさんだった。
「本当は冬が一番の社交の季節だからですよ。学校のない時期に互いの家に招待しあったり、一緒に観劇に出かけたりするのです。王都内は除雪の魔道具によってそれほど雪が深くなりませんから。」
ジビレさんによると、秋祭り(王都では『感謝祭』と呼んでいるみたい)から、春の祝賀までの間、貴族社会では様々な催しや交流が行われるのだそうだ。特に雪の少なくなる冬の終わりには遠くの領地の貴族も春の祝賀に参加するために王都にやってくるので、交流がとても盛んになるらしい。
「エマさんにもおそらく社交の招待状がたくさん届くはずですよ。あとドーラさんにも。」
私とエマは二人で顔を見合わせて苦笑いをした。せっかく村で過ごせるのに、わざわざ王都に戻って来たくはない。でも王族や貴族に招待を受けたら、出ないわけにはいかないんだろうな。
私たちがそう言うのを聞いて、ジビレさんはくすくすと笑った。
「ガブリエラ姫様も在学中は、お二人と似たようなことをおっしゃっていらっしゃいましたよ。『せっかくバルシュ領に帰れるのに』と。」
「ええ! あのガブリエラ様がですか!?」
ジビレさんは懐かしそうな目をして頷いた。小さいころからガブリエラさんは侯爵令嬢として一分の隙も無い完璧な振る舞いをしていたけれど、本当は人と会うよりも引き籠って魔法の研究をしているのが好きな子供だったらしい。
「領内のお屋敷には姫様専用の工房や薬草園もあり、人目を憚らずに研究に没頭出来ていたからでしょう。そのことをよく姉上のウリエーラ姫様から窘められていらっしゃいました。」
彼女はそう言って遠くを見るような目をした。焼き討ちに遭って焼失したという旧バルシュ侯爵邸のことを思い出しているのかもしれない。
そしてぼんやりと髪に隠れている自分の顔を触り、ハッとしたように手を引いた。
「お邪魔をしてしまいましたね。申し訳ありませんでした。」
彼女はそう言って丁寧にお辞儀をした。
「いえ、ちっとも邪魔なんかじゃありません。もしよかったらもっと聞かせてください。ガブリエラさんのこと。」
私がそう言うと、彼女は痛みを堪えるような表情をしながらも、少し嬉しそうな目で「はい」と頷いてくれた。
王国西部のバルシュ領と国境を接する東ゴルド帝国の内情を探ると言って旅立っていったパウル王子からの連絡はまだない。冬の間にガブリエラさんの消息を知ることができるだろうか。
私はジビレさんの話を聞きながらここからは見ることができない西の空の方に目を向けて、その下にいるはずの彼女のことを思った。
「ところでお姉ちゃん、私がお姉ちゃんから借りてるお金のことなんだけど。」
ジビレさんの話の後、ぼんやりとしていた私はエマの言葉で想像から引き戻された。
「あ、ちょっと待ってね。今、家計簿出すから。」
《収納》にしまってある家計簿を取り出して、ページをぺらぺらとめくってみる。使ったお金を大まかな月ごとに大まかに記録してあるので、私は最初から内容を確認しいていった。
「んーと、エマに貸してるのお金って入学前の準備で私服類を準備した時の5000Dでしょ? ちゃんとここに書いてあるよ。」
私がそう言うとエマは不満そうな声を上げた。
「その他にもお出かけした時のお金を出してもらってるじゃない。あれも私の借りたお金に足しておいて。」
「ええー、あれはいいよ。だって私も一緒に出掛けたんだし。」
入学してから何回かだけど、エマやその友達を連れて王都へ出かけたことがあったのだ。馬車を何台も使うような大掛かりなお出かけもあったけれど、ほとんどはバルシュ家の家令マルコさんが準備してくれたものを使わせてもらった。
その時はほんの少ししかお金を使っていないので、それは記録していない。なぜかというと家計簿をつけ始めるときにカールさんが「あんまり細かい記録をつけると逆に分かりにくくなりますから、最初は大まかに記録していくといですよ」と言ってくれたからだ。
私がそう説明したけれどエマは「記録にある分だけでも半分払うから」と言って聞かなかった。結局、払う払わないで言い合いになってしまい、見かねたジビレさんに仲裁される羽目になった。
「差し出口を聞いて申し訳ありませんがエマ様、今はまだ収入を得る前の身なのですから、ここはドーラ様に甘えてしまわれるのがいいと思います。きちんとした品物があるものは時間をかけてお支払すればよいです。ですがそうでないものまで負担しようとするには、エマ様はまだ力が足りていらっしゃらないのではないでしょうか。」
ジビレさんにそう言われてエマはぐうの音も出ないという感じで黙り込んだ。それを見たジビレさんは今度は私の方を向き直った。
「ドーラ様、エマ様を思ってのことだとは思いますが、お金を簡単に持ち出してしまうのは感心致しません。お金は人の心を狂わせ、身を亡ぼすもとになります。エマ様の保護者として、エマ様のために使うお金をきちんと管理なさいませ。」
私もエマと同じように何も言えなくなってしまった。ジビレさんは私たちに「出過ぎた真似をして申し訳ありませんでした」と丁寧に謝った。私たちはジビレさんにお礼を言って、お互いに「ごめんなさい」と謝りあった。
そうだ。王立学校の一年生も今日で終わりだし、ここで一度、家計簿をまとめてみたらいいんじゃないかな。確かカールさんも「最初の
年に使ったお金をもとにして次の年の計画を立てるといですよ」って言ってた気がするし。
私がそう言うとエマも賛成してくれた。私たちは荷造りを終えた後、ミカエラちゃん、ジビレさん、そしてルッツ家の侍女リアさんも交えて家計簿のまとめをしてみることにした。
〔収入〕
カフマン商会との取引 140800D
薬・香草茶の売り上げ 24560D
ドゥービエ工房のモデル謝礼 200D
金物修理の謝礼 160D
〔支出〕
実験農場関連費用 300000D
東門農場関連費用 275000D
衣装調度代 39000D
錬金材料代 10000D
委託販売料 2000D
お出かけ代 1500D
お買い物代 720D
「改めてみると、額が物凄いですね。個人の家計簿とはとても思えません。中規模領主の収支表を見てるみたいです。」
まとめ終わった用紙を見ながらリアさんがそう言った。
「農場関連の費用が大きいのは仕方ないとして、それ以外は完全に黒字ですね。カフマン商会との取引額がこんなに大きいのは何でですか?」
ミカエラちゃんが収入の欄を指さして聞いてきた。
「ほとんどは魔法のお化粧品とガラス代かな。上級貴族の人に大人気だって、カフマンさんがすごく喜んでたよ。」
私の作る品物はカフマン商会が独占して販売している。特に大判のガラスや鏡は品質の良い品を信じられないほど安い値段で扱うことから、商会の看板商品になっているそうだ。彼に言わせると「儲かって仕方がない」らしい。
そのお陰でカフマン商会の本店があるハウル村にも、かなりの額の税金が入って来ているとカールさんが以前言っていたっけ。
「この委託販売料っていうのは何、お姉ちゃん?」
「それはね、東門農場の近くにある貧民街の人たちのために、薬をいっぱい作ったんだよ。でも私が直接売ることはできないから、カフマン商会の人に頼んで売ってもらってるの。」
東門農場近くの貧民街には重い病気やケガのために働けなくなった人が多くいた。でも私の薬を使ったことでそれが改善し、たくさんの人が健康を取り戻した。
薬の代金は農場で働いて返せばよいことになっているので、生活に困らない範囲で少しずつ返してもらっている。本当は「お金はいりません」と言えたらいいのだけど、それは絶対ダメだとカールさんをはじめいろんな人に反対されたので、出来るだけ安い値段にしてもらった。
「こうやって見ると貴族の衣装や調度代ってものすごくお金がかかってるんだね。そんなに必要なのかな。」
私の言葉にエマもうんうんと頷いた。それに対してミカエラちゃんが答えた。
「もし貴族がお金を貯めこんでいたら、いろんな人が困ることになるんです。だから使えるお金はどんどん使った方がいいんですよ。そうすることで多くの人たちが仕事を得ることができ、さらに多くの物を生み出すことができるようになるんです。」
ふむふむ、そう言えばカールさんも以前同じようなことを言っていた。お金というのは使えば使うほど増えていくものらしい。
その理屈はよく分からないけれど皆にただお金を配るよりも、お金を払って仕事をしてもらう方がお金がどんどん増えていくのだそうだ。カールさんはこれを『価値の創造』って呼んでいた。
言われてみれば貴族がお金を出さなければ、ターニアちゃんのような吟遊詩人さんたちや楽師さん、絵師さん、それに劇場で働くような人たちは仕事がなくなって困ってしまうだろう。
それにドゥービエさんのようにすごい時間をかけてきれいな衣装をつくる人たちもいなくなってしまうに違いない。お金というのは人間の生み出す素敵なものを支えているのだなと、私はこの時初めて気が付いた。
「じゃあ、私がこうやってお金を貯めこんでいるのって、あんまりよくないのかな?」
私は《収納》から銀貨を一掴み取り出して見せながら、皆に聞いてみた。
「そうですね。貯めておくよりは使った方がいいと思いますけど・・・。」
ミカエラちゃんがぴっかぴかに磨かれた私の銀貨を見ながら言葉を濁した。これは私の宝物だ。夜中にこっそり取り出して磨いたり、眺めたり、寝台の上に敷き詰めてコロコロ転がったりして楽しんでいる。
「それはお姉ちゃんの宝物でしょ?」
エマに問いかけられて私は少し考えた後、返事をした。
「エマのためになるべくお金を貯めておいた方がいいかと思ったんだけど、こうやって家計簿を見てみたら今あるお金は十分すぎるほど多い気がするの。だからエマ以外の人のためにも何かの形で使いたいんだけど・・・。」
貯えとして必要な分以外はそんなにいらない気がしてきた。人間の姿で寝台に敷き詰めるだけなら10万Dもあれば十分だしね。皆には内緒だけど。
「それならカール様やカフマン様に相談なさってみてはいかがでしょうか。」
リアさんの提案に皆も賛成してくれた。私はその日のうちに、二人に会いに行くことにした。
その日の午後、カールさんと一緒にカフマン商会の王都支店に向かった。一度代理人さんと一緒に行ったことがある場所なので、《不可視化》で姿を隠した上で《集団転移》の魔法で移動した。急に現れると他の人をびっくりさせちゃうからね。
カフマンさんは秘書のペトラさんと一緒に打ち合わせ中だった。忙しそうにしていたのに、二人は私の話をじっくりと聞いてくれて、それから口を開いた。
「ドーラさんの『他の人の夢を応援したい』っていう気持ちを優先するなら、新規事業への融資専門の金貸しをするのがいいんじゃないかな。俺もそうやってドーラさんに助けてもらったんだし。どう思うペトラ?」
「それでいいと思う。資金は十分だしね。ただ融資した分をどうやって回収するか、資金の保全や管理をどうするかなんかの問題があるから、細かいところを詰めなきゃいけないけどね。ドーラさん、カフマン商会に任せてもらえるの?」
「もちろんです。よろしくお願いします。」
「ドーラさんの宝物ですからね。大事に使わせていただきますよ。カール、これは新事業の立ち上げになるけど、王国の法令上の問題はお前に任せていいか?」
「ああ、陛下にも奏上申し上げておく。中規模領主の資産を丸ごと運用するようなものだからな。他の金貸しや商業ギルドとも競合しないように差異をつけるためにも、融資の基準や利息についての条件をまとめておこう。」
その後は三人でものすごく白熱した議論になったけれど、私は話を聞いていてもさっぱりだったので、王様からもらったドワーフ銀貨を磨きながらそれを眺めていた。
最終的にカフマン商会とは別に新しい商会を作ることになったみたい。どうかなと聞かれたので、私はそれでいいと思うと答えた。でもそれに対してカールさんが異議を唱えた。
「商会っていっても物を売り買いするわけではない。別の名前を付けたらいいのではないだろうか。」
「確かにそうだな・・・銀貨をやり取りする商会だから『銀行』っていうのはどうだ?」
カフマンさんの意見で新しい商会は『ハウル銀行』っていう名前になった。最初は私の名前を付けるって言ったのだけれど、私が反対して結局ハウル村の名前を付けることにしたのだ。私の大好きな村の名前が付いたことで、私はとても大満足した。
ハウル銀行の本店は商業ギルドのないハウル村に作ることになった。銀行立ち上げのための仕事はカフマンさんが人と大勢雇ってしてくれることになったので、私はエマのための残しておく以外のすべての銀貨を彼に預けることにした。
木箱いくつ分も積み上がったピカピカの銀貨を見て、ペトラさんは目を丸くしていた。
こうしてハウル村に銀行が出来ることが決まった日の翌日、私とエマ、ミカエラちゃん、リアさん、ジビレさん、マルコさん、そしてカールさんの7人は《集団転移》の魔法で、ハウル村に移動したのでした。
種族:神竜
名前:ドーラ
職業:上級錬金術師
中級建築術師
所持金:271000D(王国銀貨のみ)
→ ゲルラトへ出資中 10000D
→ エマへ貸し出し中 5000D
→ ハウル銀行への出資金 1600000D
次回でこの章は終わりです。閑話を一話挟んで、151話から新章になります。




