148 夢を追う人
更新が遅くなってしまいました。来週も長期出張のため、更新が不定期になりそうです。来週末には何とか投稿したいと思っています。もしよかったらまた読んでいただけるとありがたいです。よろしくお願いいたします。
秋はあっという間に過ぎていき、2番目の月になった。王立学校の授業は少しずつ難しくなっているみたいで、エマはまたよく錬金術研究室のウルス王子のところに質問をしに来る。
「こんにちは、ウルス先輩はいらっしゃいますか?」
「おお、エマ。また来たな。だがウルスは今日は来てないぞ。魔力格闘の補習を自主的に受けているらしい。」
「あ、そうなんですか。」
私と一緒に魔力の流れを計測する魔道具を作っていたマルーシャ先生が、そういうとエマはちょっとがっかりしたような顔をした。
「なんだ、ウルスに会えなかったのがそんなに残念だったのか?」
「え? ああ、そうじゃないです。分からないところを聞きたかったので。」
「そうか。そりゃあウルスも気の毒に。」
「?? 何でですか?」
「いや、こっちの話さ。それよりもどうするんだ、その質問とやらは。残念だが私は答えてやれないぞ。」
マルーシャ先生は実験の手を休めず、エマにそう言った。
「じゃあ、イレーネちゃんのところに行ってみます。ドーラお姉ちゃん、魔道具作り頑張ってね!」
私は、笑顔で手を振って部屋を出ていくエマを見送った。エマは最近イレーネちゃんとよく交流している。エマが勉強で困っているのを見て、彼女が声をかけてくれたみたい。エマはその代わりにイレーネちゃんの魔力の鍛錬に付き合っているらしい。
光属性の魔力を持っている人は稀少なので、彼女の練習相手になる人がいないからだ。同じように稀少な闇属性の魔力持ちであるミカエラちゃんには、ガブリエラさんと言う相手がいたけれど、これは極めて珍しいことらしい。
バルシュ家は代々闇の魔力を持つ女性が多い。イレーネちゃんのカッテ家も光の魔力持ちが多いけれど、そのほとんどは男性で、しかもイレーネちゃんほど強い魔力を持っている人がいなかったために、今までは瞑想することで魔力の鍛錬を続けていたんだって。
エマとイレーネちゃんは、お互いに足りないところを補えるような関係を作れているみたい。本当にいいことだよね。
魔道具作りのお手伝いを終えた私は、《転移》の魔法で王都東門外にある農場へ移動した。いつものように半仮面で顔を隠し、フード付きの外套のを被って農場の管理事務所に向かう。
私に気が付いた農場の人たちが手を挙げて挨拶をしてくれる。最近、ここで働く人たちの身なりや顔色が良くなり、表情もすごく明るくなった気がする。以前はすれ違っても目を合わそうとしない人が多かったのに、今ではおずおずと挨拶をしてくれる人が増えた。
去年は麦の種籾こそ蒔けなかったものの、家畜の飼育や根菜類の栽培はすごく上手くいったのだ。少ないながらも収益も出たそうで、その分は農場で働く人たちの仕事量に応じて分配されている。
自分たちの働いた成果が手元に返ってきたことで、やる気や自信が出たのかもしれないね。今年は麦をたくさん撒けるように私が魔法で荒野を整地したし、大地の恵みを増やす魔法薬もたっぷりと準備してある。
来年の収穫時期には、皆の表情がもっともっと明るいものになっているかもしれない。笑顔で仕事に取り組む人たちを見て、私はすごく嬉しい気持ちになり、上機嫌で事務所の扉を叩いた。
「ダメだダメだ、そんなもの。うまくいくはずがないだろう。さっさと帰ってくれ。」
扉を開けた私に聞こえてきたのは、代理人さんのそんな一言だった。この農場の管理責任者であるカフマン商会の代理人さんは冷たい表情で、粗末な服を着た男性と向かい合っている。
代理人さんはびっくりして立ち止まっている私に気が付くと、明るい声で話しかけてきた。
「ああドーラさん、いらっしゃい。今年の収穫は上々でした。来年の準備も順調に進んでいますよ。」
「!! 待ってくれ! 私の話を聞いてくれ!」
代理人さんに無視された男性は必死の表情で、彼に縋りつくようにして訴えた。
「あの、お客さんが来ていらっしゃるなら私、作業が終わった後でもう一回来ますけど・・・。」
「ああ、いいんです。今ちょうど話が終わったところなんですよ。さあノーファさん、もういいだろう。」
私に話しかけるのとは、がらりと声の調子を変え、代理人さんはその男性、ノーファさんに冷たく言い放った。
「頼む、もう一度! もう一回だけやらせてみてくれ!! 今度こそ上手くいく。いや、上手くいかせてみせるから!」
必死に頼み込むノーファさん。すると代理人さんはすっとノーファさんの顔に自分の顔を寄せ、鼻と鼻を突き合わせるようにして言葉を吐き出した。
「なあ、あんた。そう言って、この農場の資金をいったい何D溶かしたと思ってるんだ? 幸い被害が軽くで済んだからよかったようなものの、他の作物にまで影響が出てたら、この農場の連中がみんな路頭に迷うところだったんだぞ! あんたその責任が取れるのか?」
「そ、それは・・・。しかし・・・。」
「あんた、自分の農園でも失敗してるんだろう。それで子供たちにまで辛い思いをさせてるっていうじゃないか。家屋敷や農園、持ってるものすべて手放してるあんたからすれば、今更やめられないっていうのは分かるがな。」
代理人さんの言葉に衝撃を受けたように黙り込むノーファさん。代理人さんは正面から彼を見据えて言葉を続けた。
「何事も引き際ってもんがあるんじゃねえのか? 少なくとも、あんたのバカげた夢に俺たちまで巻き込むな。」
強い視線で睨みつける代理人さんから、ノーファさんは気まずそうに視線を逸らした。そして代理人さんが体を離すと、無言で部屋を出ていった。茫然と歩くその姿は、魂がすべて抜け落ちてしまったのかと思うほどで、私は彼が今にも消えてしまうのではないかと、心配になってしまった。
私がノーファさんに声をかけようとしたとき、それを制するかのように代理人さんが私に話しかけてきた。
「お見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした。」
「いえ、あの、さっきの方は?」
私がそう尋ねると、代理人さんは苦虫を嚙み潰したような顔をして、足元にある箱から萎びた根菜を引っ張り出した。
「耕作地の端っこの方で、こっそりこれを作ってたんです。」
「これ、何ですか?」
「ルウベ大根です。農民たちは『飢饉大根』と呼んでますけどね。」
ルウベ大根は赤紫色をした丸っこい大根で、大地の恵みの少ない土地でも育つ植物だそうだ。大根の実の部分がエマの頭より少し小さいくらいの大きさにまで育つ。
味はやや薄味だけれど甘みがあり、煮物にするととても美味しいらしい。雪に強く冬の間中、実を収穫できるという素晴らしい野菜で、冬場に食料が足りなくなった時などはこの大根を食べて飢えを凌ぐことから『飢饉大根』という名前が付いているそうだ。
また豚やヤギもこの大根が大好物で、豚が食べると肉が柔らかくなり、ヤギが食べると乳の出がよくなった上に乳の味がまろやかになるという。
ちなみにこの大根、実も葉っぱも食べることができるけれど花には強い毒性があるため、花が完全に枯れ落ちるまでは触れないほうがいいらしい。
「毒は確かに困りますけど、それを除けばすごいいいこと尽くめじゃないですか。どうしてこの大根をもっと作らないんですか?」
「確かに魅力的な野菜です。魅力的すぎて魔虫まで引き寄せるのでなければね。」
魔虫は魔獣の一種で、体内に魔石と強い魔素を持つ虫のことだ。人喰蟻や殺人蜂、氷結甲虫など大型で人を襲うような魔虫は虫型魔獣と呼ばれるので、一般的に魔虫といったら直接人に危害を及ぼさない大きさのものを指す。
「ルウベ大根は腐蝕地虫という魔虫を呼び寄せてしまうんですよ。こいつはものすごく厄介な魔虫でしてね。現れただけで周辺の土地を全部腐らせてしまうんです。」
腐蝕地虫は私の指くらいの大きさの、灰色をした地虫だそうだ。太陽を極端に嫌う性質があるため、不死者が出るような腐敗しきった土地の物陰や、毒の沼地周辺の土中以外では見かけることがない。
ただなぜかルウベ大根のある場所になら、どこからともなく地面の中に湧きだしてきてしまうらしい。そして知らぬ間に土の中に広がり、ルウベ大根以外の作物をすべてダメにしてしまうという恐ろしい魔虫なのだそうだ。
だから農夫の人たちはルウベ大根の芽が生えてくるとすぐに駆除してしまう。もしうっかりそれを見逃してしまうと周辺の作物が一気にダメになり、土地が元に戻るまではルウベ大根しか食べるものがなくなってしまうのだ。
ルウベ大根の『飢饉大根』という別名には、飢饉を救う大根という意味以上に、飢饉を呼び寄せてしまう野菜という意味が込められているのだろう。
ちなみに腐敗した土地を元に戻すには、大地母神の祈祷師さんたちが長い時間をかけて少しずつ穢れを取り除いていかなくてはならないそうです。
「そんなに危険な野菜なんですね。でもノーファさんは、どうしてそんな危ないものをこの農場に持ち込んだんでしょう?」
私がそう尋ねると、代理人さんは吐き捨てるように答えた。
「馬鹿な夢に憑りつかれてるんですよ、あのノーファっていう爺さんは。昔はどっかの領の代々続く農園主の跡取りだったらしいんです。でもある時から自分の農園でルウベ大根を育てることに夢中になって、農園をすべてダメにしてしまったって聞きました。」
「そんなことが・・・でも、一体なぜそんなにルウベ大根にこだわっているんでしょう?」
代理人さんは少し遠い目をして考え込んだ後、私から目を逸らしながら言葉を口にした。
「あの爺さんの気持ちも分からないではないです。もしルウベ大根を安全に育てることができたなら、この王国に溢れる冬の餓死者を完全に無くすことができるかもしれません。もし実現できるならですけどね。」
代理人さんは私から表情を隠すように、さらに顔を伏せた。
「それは自分の持っているものすべてを引き換えにしても惜しくないほどの、見果てぬ夢です。運悪くそういうのに出会ってしまうと、まともな道は歩けなくなってしまうものなんですよ。馬鹿な話です。」
「そうでしょうか? 危険なものを持ち込んだのは間違っていますけど、見果てぬ夢を追いかけられるのは素晴らしいことだと思います。私はそういう人を応援したいです。」
私がそう言うと、代理人さんは背中を刃物で突き刺されでもしたかと思うほど鋭く、痛ましい目で私を見た。そしてちょっと泣きそうな目で視線を逸らし、呟くように「もし10年前に・・・」と小さく言葉を口にした。
「どうしたんですか?」と尋ねた私に彼は「いや、何でもありません」といつもの顔で答えた。
「ドーラさんの気持ちは分かりましたけどね。とにかくこの件に関わるのは絶対にダメです。多くの人の生活と未来がかかっているこの農場を、あんな危ないものの実験場にはできませんから。」
代理人さんは首を横に振ると、きっぱりとそう言った。でも私はノーファさんのさっきの表情が心に引っかかっていたので、代理人さんにお願いしてみた。
「せめて話を聞いてあげるくらいはできないのでしょうか。なぜそんなにルウベ大根にこだわっているのかとか、理由が分かれば・・・。」
「聞いたって何にもなりはしませんよ。この話は終わりです。」
「で、でも・・・。」
「面白い話をしていますね。私にも聞かせてもらえませんか?」
後ろから不意に声をかけられ、私は驚いて後ろを振り返った。話に夢中になっていて、全然気配に気が付かなかったのだ。
「カフマンさん!?」
「会頭!! どうしてこちらに?」
事務所の戸口に立っていたのは、カフマン商会の会頭カフマンさんだった。今年で21歳になった彼は、今や王国でも指折りの商会の若き会頭として活躍中だ。
ガブリエラさんの口利きで上級貴族とも直接取引をするため、その動きや言葉遣いは平民とは思えないほど洗練されている。数年前私が出会ったばかりの、行商人だった頃の面影は今やどこにもない。
「ドーラさんがこっちに来ているとさっき出入りの者に聞いたものでね。ちょっと寄ってみたんだよ。」
貴族と見紛うような仕立ての良い服を着て、彼は穏やかに笑う。でもそんな彼を一人の女性が後ろから睨みつけ、叱りつけた。
「何が『ちょっと寄ってみた』なの? 今日中に行かなきゃいけない取引先がまだ3つも残ってるっていうのに!」
きれいな薄茶色の髪をきちんとまとめ、銀色の小さな眼鏡をかけた女性は怖い顔をして立っている。けれど、背が低いのと顔立ちが丸っこくて優しいので、全然迫力がない。それどころか小鳥みたいで、逆に何だか可愛らしい感じがする。
「ペトラ、そう言うなよ。せっかく俺の女神に会える貴重な機会なんだからさ。」
カフマンさんは途端に口調を崩し、彼女に言い訳するように話しかけた。一気に昔のカフマンさんに戻ったみたいだ。
「ああ、はいはい女神様ね。もう何度もそれは聞いたわよ。そんなにご利益があるなら私にも拝ませてちょうだい。」
彼女はそう言って私に近づいてきた。人間姿の私はさほど背が高い方ではないけれど、彼女は私よりもずっと小さい。エマと同じか少し大きいくらいじゃないかな?
「あなたがカフマンの女神様? 私はペトラ。カフマンの秘書をやってるわ。よろしくね。」
私は差し出された彼女の手を握る。小さいけれどしっかりした働き者の手をしていた。指にペンの跡が付いているので、日常的に書き物をしているのだろう。
「あなたの手、ずいぶんきれいなのね。子供みたいにすべすべで、傷一つない。顔も見せてもらえるかしら?」
私は半仮面をとって彼女に顔を見せた。彼女のくりくりした丸い瞳が驚きに大きく見開かれる。そして次の瞬間、大笑いを始めた。
「ああ、確かにこれは女神様ね。カフマンが夢中になるのも分かるわ。」
「だろ? ドーラさんはきれいなだけじゃないぜ!魔法の力だってすごいし、何より俺の夢を叶えてくれた人なんだ。俺は一生かけてドーラさんに恩を返すつもりだぜ!」
それを聞いたペトラさんははーっと大きなため息を吐き、カフマンさんの腕をぺちんと叩いた。
「恩を返したいのは分かるけどね。女神様に付きまとうのは、いい加減やめときなさい。」
「付きまとうとはなんだ! これはこれの純粋な好意の表れであって、別に迷惑をかけてるわけじゃ・・・。」
「それが迷惑だって言ってんのよ。身の程を知りなさい。いくら金持ちになったからって、この女神とあんたが釣り合うわけないじゃない。それに横恋慕してもう何度も振られてるんでしょ? あんたは昔から未練たらしいのよ。きれいさっぱり諦めなさい。」
その言葉に衝撃を受けたようなカフマンさんを無視して彼女は笑顔で私に言った。
「私、カフマンとは幼馴染なの。私の父の商店とカフマンのおじいさんはもう長いこと取引しててね。おじいさんの紹介で私が秘書をすることになったのよ。」
カフマンさんは彼女の後ろで「まったくじいちゃん、余計なことを・・・」とぶつぶつ言っていた。彼を一睨みして黙らせた後、彼女は私に言った。
「カフマンは商人としての才覚はあるけれど、妙に夢見がちなところがあるの。だから時々暴走しちゃうのよね。もしこの馬鹿のことで困ったことがあったら、何でも私に相談してね。」
彼女はそう言ってにっこりと笑った。幼い笑顔がなんだか抱きしめたくなるほど可愛い。
彼女は今年で22歳。カフマンさんよりも一つ年上だそうだ。でも見た目的には子供にしか見えないような・・・。まあ、私は人間の年齢の見分けができないから、私の勘違いかもしれないけどね。
「それはともかくせっかく来たんだし、さっきの話の続きが聞きたいわ。カフマンが興味を持ったってことは、何か儲けにつながるかもしれないもの。」
彼女がカフマンさんを見てそう言うと、彼は一つ頷いてから、キリっとした顔で私に話しかけてきた。
「ドーラさん、さっきの話のこと、私たちに聞かせてもらえませんか?」
私はさっきまでの彼とのあまりの違いに、思わず吹き出してしまった。彼は片目をパチリと瞑ると「してやったり」と感じの笑顔を見せた。
代理人さんと私の話を聞いたカフマンさんは少し考え込み、ペトラさんと二、三言、言葉を交わした後、すぐに人を呼んでノーファさんを再び事務所に呼び戻した。
ノーファさんは最初少し警戒していたけれど、私とカフマンさんが真剣に話を聞きたがっているということを理解してからは、水が坂を流れ下るようにすごい勢いで話し始めた。
「・・・で、その年、私の農場でルウベ大根が大繁殖したんだ。それなのに腐蝕地虫は一匹も現れなかったんだよ!」
ノーファさんの話によると、ある豪雪の年に休閑地でたまたま見逃していたルウベ大根が、農地全体に大繁殖してしまったことがあったのだそうだ。彼は大慌てで大根と地虫を駆除しようとしたが、大雪で思うようにいかなかった。
だから自分の農地がダメになるのを覚悟して、他の農園に大根が広がらないように気を付けていたらしい。
その年は麦やジャガイモが不作で食べ物が足りなかったため、彼の一家は暗い気持ちで仕方なく大根を食べて過ごした。大根だけは雪を掘りさえすればいくらでも収穫できたので、家族だけでなくヤギや豚にも与えていたそうだ。
彼の住んでいた領ではその年、多くの餓死者が出たけれど、彼の家族だけは大根のおかげで冬を越すことができた。
雪が解けた後、早速、祈祷師を呼びに走った彼は、自分の農地を見て驚いた。農地が腐敗するどころか、大地の恵みに溢れていたからだった。半信半疑でその年の秋、麦を撒いてみると近年稀にみる大豊作になったという。
私は彼の話に引き込まれた。でも代理人さんやペトラさんは疑いの目で彼の話を聞いている。
「すごいじゃないですか! じゃあノーファさんの農園だけはルウベ大根の栽培ができるってことですよね。」
私がそう言うと、それまで嬉しそうに話していた彼が急にしょんぼりとなってしまった。
「いや、それがその後、何回試しても上手くいかなかったんだ。」
彼はルウベ大根が生えてくるのを見ても少しだけ残しておいて、様子を見ることにした。しかしその後はすぐに腐蝕地虫が湧きだして、農地を腐敗させてしまったそうだ。
色々条件を変えて試してみては、慌てて駆除することを繰り返すうちに農地はだんだんと荒れていき、しまいにはヤギの食べる草さえ育たなくなってしまったという。裕福だった彼の家は没落し、一家は離散。それでも彼は夢をあきらめきれず、ルウベ大根の栽培に適した土地を求めてここへ流れてきたのだそうだ。
「そうだったんですね。それでこの農場ではうまく行ったんですか?」
「そ、それが・・・。」
口ごもった彼に代わって、代理人さんが答えた。
「上手くいくはずがないでしょう。私が気が付いてすぐに祈祷師を呼んだからよかったものの、もう少し遅れていたら作物や家畜に甚大な被害が出るところでした。」
代理人さんは冷たい目でノーファさんを見た。ノーファさんが黙り込んでしまったため、その場に沈黙が下りる。
やがてその重苦しい空気を破って、ずっと黙って話を聞いていたカフマンさんが口を開いた。
「それが嘘や妄想じゃないなら、確かに追いかける価値のある夢だ。もし実現したらこの国の多くの人を救えるかもしれない。」
「う、嘘なもんか!! 私は確かにこの目で見たんだ! 丸々と太ったルウベ大根が農地中に広がっているのを!!」
彼はそう言って、縁が赤く爛れた自分の目を指さした。隈のある皺だらけの目の中で、瞳だけがギラギラと強い光を放っていた。
「だがいろいろな栽培条件は試してみたんだろう。それでもダメだった。そうだな?」
「あ、ああ。」
「安全に繁殖させる方法さえ分かれば・・・。しかし危険すぎるな・・・。」
カフマンさんは口に出しながらいろいろと考えた後、私に尋ねてきた。
「ドーラさん、例えばですが、あなたの魔法で農場から離れた荒野の一角に壁で囲った小さな繁殖場を作ることはできますか?」
「それは出来ると思います。私だけじゃなくてクルベ先生やノーファさんに手伝ってもらえばですけど。」
荒野に畑を開いて周りを囲むだけなら魔法を使えばすぐにできる。でも私だけではその大きさや形が分からない。建築術師のクルベ先生やノーファさんに教えてもらう必要があるのだ。
「会頭、危険です。もし万が一腐蝕地虫が広がったりしたら、大惨事になりますよ。そうなれば国王も黙っていないはずです。」
代理人さんがカフマンさんを正面から見て、強い調子でそう言った。言葉は丁寧だけれど、まるで脅しつけているみたいな口調だった。二人は黙って睨みあう。
「これは王国を救うかもしれない事業だ。安全対策には万全を期す。そのための条件を整備したい。君の元上司を通じて連絡を取ってもらえないだろうか。」
カフマンさんはちらりと私を見てそう言った。代理人さんは私を彼を何度も見た後、ゆっくりと言った。
「・・・承知しました。ドーラ様も同じお考えなんですよね。」
私は代理人さんに向かってこくりと頷いた。私は夢を叶えようとする人を応援したい。私が頷くと彼は少しホッとしたように笑って、すぐに事務所を出ていった。
その後、担当の官吏さんとカフマンさんとの交渉の結果、今ある農場から少し離れた場所に隔離実験農場を作ることになった。官吏さんが定期的に祈祷師を派遣し、周辺の土地の腐敗がないかどうかを確認することが最低条件として決まったそうだ。
祈祷師を派遣するといっても、農場の外は魔獣の出没する危険な荒野だ。だから護衛なども付ける必要がある。そのための費用及び、万が一被害が出た場合の補償費用などをすべてカフマン商会が負担することで許可を貰うことができた。
カフマンさんは嫌がったけれど、私も運営費を負担させて貰うことにした。渋る彼を説得してくれたのはペトラさんだった。私がお礼を言うと彼女は「金を払ってもらった相手から礼を言われたのは初めてです」といって笑った。
許可が下りた翌週には実験農場が完成した。作ったのはもちろん私とクルベ先生だ。ノーム族の血を引くクルベ先生は、新しい農業の実験に興味津々の様子だった。
完成した実験農場を見てノーファさんは涙を流した。
「まるで夢を見ているようです。」
「違いますよ、ノーファさん。これから夢を叶えるんです。」
私がそう言うと、彼は何度もうんうんと頷きながら言った。
「ドーラさんのおっしゃる通りですね。私の悪夢はここまでにします。思えばあの不思議な大豊作の年から、ずっと終わらない悪夢を見続けていたような気がしますよ。最後にぐっすりと眠れたのはあの年が最後だったような気がします。」
実験農場の管理人となったノーファさんは力強く私にそう言ってくれた。私は彼のそんな様子を見て、人間って本当に素晴らしい生き物だなと思い、ますます人間が好きになった。
こうして超危険植物であるルウベ大根の栽培実験が始まった。いろいろ条件を変えて栽培の様子を試し、それを王国の官吏さんと協力しながら記録・研究していくそうだ。
せっかくなので私も農場の一角を借りて、同じくらいの危険植物であるスクローラ草の栽培をさせてもらうことにした。これはエマとベルント先生が砂糖の代用品として研究していた植物で、ものすごく甘い蜜を出す猛毒草だ。
万が一他の人が近寄ると危険なので、この実験農場はとても都合がいい。私の魔法の《領域》で囲って他の人が入らないようにしておけば、農場内の人にも被害が出ないからね。
育てたスクローラ草はエマたちに少しづつ届ける予定だ。いっぺんに持っていくと、研究に熱中しすぎてまたエマたちが中毒を起こしてしまうかもしれない。私には毒が一切効かないけど、人間は毒に弱いから気を付けよう。
そんな風に物凄く成長の早いスクローラの花から蜜を少しずつ集めては魔法の《収納》の中にしまい込んでいるうちに、あっという間に秋は過ぎていった。エマの今年の王立学校での生活も残り2か月。あと一か月で一年生最後の季末試験が始まる。
エマは早めに試験を終わらせて、ハウル村に帰るつもりのようだ。そうすれば村の冬支度を二人で手伝えるかもしれない。そうなるように私もエマを応援しなくちゃね。
甘い匂いが立ち込めるスクローラの花畑で採集瓶を手にした私は、すっかり高く澄み切った空を見上げながら、そんな風に思ったのでした。
種族:神竜
名前:ドーラ
職業:上級錬金術師
中級建築術師
所持金:1871000D(王国銀貨のみ)
→ ゲルラトへ出資中 10000D
→ エマへ貸し出し中 5000D
→ 実験農場の建設費及び初期投資 100000D
→ 実験農場運営出資金 200000D
← カフマン商会との取引 10000D
← 薬・薬草茶の売り上げ 1000D
読んでくださった方、ありがとうございました。