147 光と影
※ 書いているうちに物凄く気持ち悪い話になりました。前半胸糞注意です。
後半、錬金シーンの調べものしてたらすごい時間がかかって、投稿間隔が空いてしまいました。化学は難しいですね。
「どうしたんだい、イレーネくん。結界に緩みが生じているよ?」
糸のように目を細くして笑う銀髪の青年にそう声をかけられ、イレーネは先程から魔力を注ぎ込んでいた魔法陣に意識を戻した。
「も、申し訳ありません、ニーマンド先生。」
「ジョンでいいよ。少し休憩しようか。」
光属性魔法研究室の主任教師ジョン・ニーマンドは、自分の研究室の特別研究生であるイレーネ・カッテを気遣ってそう声をかけた。そして魔法陣の前から離れると、いそいそと自分でお茶を淹れ始める。
「先生、私もお手伝いします。」
「いいからいいから、座ってて。私はついこの間まで研究員だったからね。君よりはずっと美味しいお茶が淹れられると思うよ。」
銀色の髪を短く刈り揃えたジョンは恐縮するイレーネを席に座らせ、二人分のお茶をテーブルに並べた。勧められて飲んだお茶は確かにとても美味しい。確かにジョンの言う通り、いつも侍女にお茶を淹れてもらっている自分では、こんな風に美味しくはできないだろうとイレーネは思った。
「イレーネくん、最近よくぼんやりしていることがあるよね。何か悩み事でもあるのかい?」
切り揃えた銀髪をさらりと揺らし、ニコニコとジョンが彼女に尋ねた。ジョンは一昨年引退した先任者の跡を引き継いで主任教師になったばかり。
他の教師たちに比べると年齢が生徒に近いため、いつもこうやって気安く生徒たちに声をかけている。貴族社会から隔絶した王立学校の中にあってもかなり異色な存在であり、この研究室に通ううようになって数か月が経った今でも、イレーネはその飄々とした雰囲気に戸惑うことが多かった。
「別に何でもありませんわ。ご心配をおかけして申し訳ありません。」
丁寧に詫びるイレーネを笑顔で見つめ、彼は言った。
「そうか。それならいいんだけどね。君は私よりもうんと優秀な術者だし、無理をさせてしまっているんじゃないかと心配していたんだ。」
あまりにも開けっ広げな物言いに驚いて目を丸くするイレーネ。いくら事実であっても、師匠であるジョンからそれを言われるとは思っていなかったので、イレーネは何も言えずただ恐縮するしかなかった。
魔力を持つ者は普通、生まれつきどれか一つの属性に分かれている。
子供がどの属性を持つかは両親の属性に影響される場合が多いが、母親側の影響を強く受ける魔力量ほど確定してはおらず、両親にまったく関係ない属性の子供が生まれることも少なくない。
地方によって多少のバラつきはあるものの、火水風土の四属性については大体どれも同じ確率で生まれてくる。
ただ光と闇属性については、特殊な血統を持っている場合を除けばほとんど出現しない。その原因は不明だがとにかく、光と闇の術者はとても稀少な存在なのだった。
そのため、この研究室にいるのも今は二人だけしかいない。他の研究員たちも季末試験の後処理に追われて、今は席を外している。
魔力の属性は髪の色として発現することが多く、内包する魔力が強いほど鮮やかな色として現れる。鮮やかな水色の髪を持っているアンフィトリテや緑の髪のミカエラなどがその例だ。
光属性を持つ場合は白に近い銀髪になる。つまりジョンもイレーネも髪の色が変わるほど強い魔力を持った、極めて稀少な光属性の術者ということだ。
イレーネの生家であるカッテ家は、代々光属性の術者を輩出することの多い血統だった。現在生きている中では彼女だけだが、彼女の祖父である前カッテ伯爵も強い光の魔力を持っていた。前伯爵は帝国の侵攻を幾度も退けた名将であり『王国の守りの盾』と呼ばれた人物だ。
イレーネはその祖父に匹敵するほどの力を持っていると言われて育ってきた。同時に「イレーネ様が男の子だったらどんなによかったでしょう」とも。彼女にとって自らの強力な魔力は、祖父から受け継いだ祝福であると同時に呪いでもあったのだ。
その魔力についてあまりにも明け透けな言い方をされたことで、イレーネは二の句が継げなくなってしまったのだった。
「気に障ったらごめんね。でも私は、思ったことを何でも言ってしまうんだ。君は私よりもずっと優秀さ。まさに王国の至宝ともいうべき存在だね。」
ニコニコしながら悪びれもせず言葉を重ねるジョンに、イレーネは多少の苛立ちを感じつつ言葉を返した。
「たとえどんなに優秀だったとしても、女の身では何の役にも立ちませんわ。」
そう言う彼女の脳裏に一人の少女の姿が過る。最近の彼女の集中を乱し、ため息の原因となっている少女の姿が。彼女であれば、たとえ女であってもその力を思う存分振るって自分の人生を切り開いていくだろうに。
「そんなことはないさ。君ほどの魔力の持ち主なら、どの貴族家でも最高の待遇で迎え入れてくれるはずだ。それどころか王家だってね。次代の国王を産み育てること以上の功績は、他の男がどんなに頑張ったって出来ることじゃない。君はそれに誇りを持つべきだと思うよ。」
少し前まで彼女自身が思っていたことを改めて言葉にされ、彼女の胸がずきりと痛む。彼女と同年代で、彼女ほど強い魔力を持つ上級貴族の子女はいない。
強いてあげればミカエラだが、彼女はバルシュ家唯一の生き残りで他家に嫁ぐことはない。つまり現時点で次期王太子であるウルスの結婚相手は、イレーネだろうと目されているのだ。ただ・・・。
「でも君とウルス殿下は相性が悪そうだよね。」
自分の心を見透かすようなジョンの言葉に、イレーネは思わず目を見開いた。
「ど、どうして、何を根拠に、そんなことを・・・?」
「別に根拠なんてないさ。私が見てそう感じただけなんだ。ああ、あと魔力属性による性格診断の結果かな。」
「性格診断? 何ですかそれは?」
初めて聞く言葉に面食らう彼女に、彼はクスクスと笑いながら言った。
「いや、保有魔力って性格に現れるでしょ? 火属性は暑苦しいとか、土属性は石頭、風属性は気まぐれとかさ。」
何の根拠もなくそんなことを言い出す彼を、目を白黒させて彼女は見つめた。でも確かにそう言われたら、思い当たる節もある。
「ウルス殿下は確か水属性だよね? 水属性って闇ほどじゃないけどねちっこいし、色々貯めこんじゃう人が多いもの。」
「ね、ねちっこい!? 先生、それはあまりに不敬ではありませんか。」
仮にも王族に対してあまりの言いように思わず声を上げる。しかし彼はそれを気にするふうもなく、明るい調子で言った。
「君は本当に真面目で正義感が強いよね。融通が利かないっていうか。そういう所も光属性っぽいと思うけど。」
自分でも思っていた性格の欠点を指摘され、言葉を失うイレーネ。そんな彼女に笑いかけながらジョンは言葉を続けた。
「じゃあ、言い方を変えるよ。水属性は粘り強くて、思慮深い人が多い。どちらかと言えば闇属性と相性がいいよね。例えばあのミカエラくんとかかな。」
青ざめるイレーネと対照的に、面白がるように言葉を続けるジョン。
「でも彼女と殿下は結婚できない。バルシュ家が今でも存続していたら、きっとミカエラくんが未来の王妃になっていただろうに、世の中って上手くいかないものだよね?」
そう言って笑う彼の顔を、イレーネは恐ろしいものを見るような思いで見つめた。かつて自分の家が関わったのではないかと噂されている恐ろしい疑惑。それを指摘されたような気がしたのだ。
帝国と通じ、バルシュ領の内乱を手引きしたのは・・・。
イレーネはジョンの目から意図を読み取ろうとしたが、糸のように細めた彼の瞳の奥を見ることは叶わなかった。
彼女は混乱した頭で、自分とウルスのことを考える。彼女がウルスの正妃の最有力候補であることは彼女も、そしておそらくウルスも知っていることだ。ただ彼女はウルスのことがあまり好ましく思えなかった。
見た目の地味さはもちろん、引きこもりがちな性格も彼女の好みとは正反対だ。もしも次期王太子がリンハルト殿下だったらと思ったことも一度や二度ではない。
そうは言っても彼女も上級貴族の娘。どんな相手であろうと家のため、そして自分と自分の子の将来のために最良の選択をするつもりでいた。王妃になるためであれば、性格の不一致などほんの些細な問題だと。
しかしここ最近になって、ウルスがエマに対し特別な思いを抱いているのではないかという噂が出てきたのだ。
エマは平民らしからぬ絶大な全属性の魔力を持つ。しかも最年少で迷宮討伐を成し遂げ、物語に歌われるほどの英雄だ。
普通に考えたら平民が王妃になることなど、天地がひっくり返ったとしてもあり得ない。だがエマにはそれを容易に覆す程の名声と実力、そして美貌を兼ね備えている。
もしかしたら王はエマを貴族に昇爵させ、王妃候補とするかもしれない。あるいは王党派の上級貴族の養女とし、王族に迎え入れることでその家との結びつきを強めようとするかも。王国の慣習を変えてまで彼女を王立学校に入学させたのも、その布石なのではないか。
もしそうなってしまえば、イレーネの立つ瀬はなくなってしまう。「男の子だったら」と言われ続けた自分が、唯一拠り所としていた王妃候補という立場。それがエマに奪われてしまうかもしれないのだ。
このところイレーネをずっと悩ませていたのはそのことだった。彼女はエマを意識せざるを得なかった。
そしてエマを意識することで、それまで何とも思っていなかったウルスのことが気になって仕方がなかった。自分の中にウルスへのそんな気持ちが隠れていたことに、彼女は初めて気が付いたのだった。
ジョンは感情の読み取れない表情でニコニコと笑っている。一見、人のよさそうなその笑みが、その時の彼女には何とも不気味で悍ましいものに見えた。まるですべてを見透かされているような居心地の悪さと、相手に思い通りに動かされてしまうのではないかという恐れを強く感じた。
だからだろう。彼女はつい、彼にこんなことを尋ねてしまった。
「その『性格診断』って面白いですわね。それでは全属性の性格は一体どんなものですの?」
これではエマを意識していますと、自分から告白したようなものだ。いつもなら絶対に口にしない言葉が、するりと出たことにさらに混乱する。
顔を青ざめさせ、震えた声でそう尋ねた彼女の姿を楽しむかのように、ジョンは機嫌よく答えた。その明るい声色はあっけらかんとしていたが、この場にはあまりにも不釣り合いなものだった。
「そうだねえ。一言でいえば『得体が知れない』かな。」
得体が知れない。まさに今のイレーネがエマに対して思っていることそのものだった。彼女の存在はあまりにも不条理過ぎる。
そんなものに自分が脅かされているという事実を、彼女はジョンの言葉をとして目の当たりにさせられることになった。そんなはずはない、あり得ないと否定してきた自分の思いが、ただのまやかしであることに気付かされたのだ。
彼女は体の震えが止まらなくなってしまった。奥歯がカチカチと音を立て、視点が定まらない。涙が溢れそうになるのを、彼女は足をぎゅっと合わせることで必死に耐えた。
「イレーネくん、そんなに本気にならないでね。何の根拠もないただの雑談なんだからさ。」
ジョンは明るい穏やかな口調でそう言った。それは例えるなら自分が追い詰め、竦み上がってしまった子猫にそっと両手を差し伸べるような、優しい声だ。
その手で子猫を抱き上げることも、縊り殺すことも思うがまま。そんな愉悦が込められていることに、その時のイレーネは気が付けずにいた。
彼女はまた彼に勧められるままにお茶を口にした。美味しいけれど、ほんの少し風味が違う気がするのは、お茶が冷めきっているせいだろうか?
「あ、そうそう。そう言えばこんな噂を聞いたことがあるかい?」
まるで楽しいことを提案しようとするような晴れやかな声。しかしイレーネは体の芯から震えがくるほどビクリとして彼を見つめ、じっと次の言葉を待った。
「エマさんはね、実は王族の血を引いてるんじゃないかっていう話があるんだよ。正確にはエマさんとドーラさん、あの姉妹だね。」
イレーネは頭を殴りつけられたかのような衝撃を感じた。エマとの身分の差だけが唯一彼女の強みであったのに。それさえも奪われてしまうのか。
感情が乱れて収まらない。こんなことは、これまでになかったことだった。恐れや不安のあまり考えがまとまらず、思考することができない。彼女は縋るような気持ちで、ジョンに問いかけた。
「そ、そんな・・・! では私はどうなってしまうのですか!」
「ああ、イレーネくん。そんなに怯えてしまって可哀想に。君の望みは絶たれるんだ。君には何の落ち度もないというのに、運命と言うのは本当に残酷なものだよね。」
つけ離すような言い方をされ、恐怖に苛まれた彼女はジョンの前に体を投げ出し懇願した。そうするしかないと、彼女は錯乱した頭で考えた。
「先生、私を、私を助けてください!」
上級貴族の令嬢とは思えぬその姿をじっくりと眺めた後、ジョンは彼女に手を差し伸べその頭にそっと触れた。
「イレーネ。私が君を導いてあげるよ。私の言う通りにしていればすべてうまくいく。私の言うことに従うと誓うかい?」
「はい、誓います。私は先生の言うことに従います。」
誓いの言葉を口にした瞬間、彼女は体の中に何か暖かいものが流れ込んでくるのを感じた。
「いい子だね。さあ、涙を拭いて。」
ジョンは優しい手つきで彼女の涙を拭い取った。彼の手に触れられるだけで、イレーネの不安が嘘のように消え去っていく。彼女は心からの喜びに満たされ、穏やかな気持ちで彼の足元に座った。
「それじゃあ、さっきの続きをしようか。あと、さっきの誓いのことは他の人には内緒だよ。約束できるかい?」
「はい、約束します。私は先生の言うことに従います。」
満面の笑顔でそういう彼女の頭を、彼は満足そうにポンポンと叩いた。嬉しそうに表情を緩めるイレーネ。傍目には心が通い合った師弟の姿にしか見えない光景だ。二人は立ち上がり、再び魔法陣の前に立った。
休憩前にあった不安が消えたおかげで、彼女は魔力をよりスムーズに扱えるようになった。ああ、やっぱり先生の言う通りにして本当によかった。彼女は心の底からそう思った。
その表情は彼女自身の強い光の魔力を象徴するように、一点の曇りもなく光輝いていた。青ざめていた頬には瑞々しい朱が差し、彼女の美しさをますます強くしていた。
彼女を見つめるジョンの表情もまた明るく輝いていた。彼女は思った。ああ、先生は私の光だ。私を導いてくれる明るい道標なのだと。
彼女は気が付いていなかった。強い光はすべてを明るく照らすと同時に、強い影を生み出すものだということに。
ジョン・ニーマンドは、自身の強い光の魔力を示すように底抜けに明るい男だ。しかしその裏に隠された昏い影にどんな思いが潜んでいるのか。明るい光に照らされたイレーネには、それを窺い知る術などあろうはずもないのだった。
季末試験のお休みも終わり、王立学校は秋の授業に入った。
私はお休みの間、エマたちと過ごしたり、村に出かけたり、王都の農場を尋ねたりと、毎日忙しく過ごしていた。
週末の休みを利用してエマと同室の皆でお芝居を観に行ったり、仕立て屋のドゥービエさんのところに秋の衣装合わせに行ったり、吟遊詩人見習いのターニアちゃんに会いに出かけたり・・・。
本当に人間の世界は、私の知らないこと、面白いことで溢れているね!
今日の私はハウル村で次の収穫に向けて、畑に大地の恵みを増すための薬を撒きに来ている。大地の恵みはいろいろなもので出来ているけれど、主な成分は3つ。カリム土とフォスファ灰、それにケール溶液だ。
カリム土はカリム大地虫という大きなミミズの糞を土属性の魔力中和液と反応させ、それに動物の骨とよく太陽に晒した土を加えて、土属性の魔力を流すと出来上がる。
カリム大地虫は森の中の湿った土の中ならどこにでも住んでいるミミズで、その糞は特徴的な銀白色の色をした塊になる。王都の冒険者ギルドではこの糞の回収が初級冒険者の依頼でよく出されているそうだ。もちろんハウル村でもね。
人間はこんな風に魔獣の糞などもうまく活用して生活している。そう考えると私の糞もいろいろな素材に利用できそうだよね。いっぱいあるから今度試してみよう。
フォスファ灰は溶岩の周りにしか生えないという不思議な草、火燐草を燃やして作る。この植物は強い火属性の魔力を帯びた素材で、普通の火では燃やすことができない。魔力を帯びた炎でなければダメなのだ。
生えている場所が場所だけになかなか入手できない稀少素材なのだけれど、私には専用の採集場所があるんだよね。
実は友達の赤い竜の縄張りだった火を噴く山の周りにたくさん生えている場所があるのだ。前に火鼠を狩りに行ったあの山だ。
火鼠たちもこの火燐草が大好物なのだけれど、火の魔力の豊富な場所ならいくらでも生えてくるから、無くなる心配もない。だから火鼠たちとケンカになることもなく取り放題なのである!
最後のケール溶液はガブリエラさんと一緒に鏡を作った時に使ったものだ。正確には使ったのはケール結晶の方で、溶液はそれを取り出した後に残った中和液なのだけれど。とにかく匂いがものすごいので、私はちょっと苦手な素材だ。
大地の恵みを増やす魔法薬はこの3つを少しずつ混ぜ合わせ、魔力中和液と反応させて作る。ただしカリム土は土属性、フォスファ灰は火属性、ケール溶液は風属性なので、混ぜ合わせる手順はめちゃめちゃ面倒くさい。
まずは火、風と親和性の高い光属性の中和液を作りケール溶液、フォスファ灰の順で入れ、それぞれの属性の魔力を流す。逆にするとケール溶液がすべて蒸発して大量の臭いガスが発生し、とんでもないことになるから注意が必要だ。
私はこれまでに2回ほど失敗して、ガブリエラさんの研究室を大惨事にしてしまったことがあるので、今ではこの工程は家妖精のシルキーさんにすべてやってもらっている。私は彼女の言う通りに魔力を流す係だ。
次に無属性の中和液にカリム土を入れて土属性の魔力を流す。火属性は土属性を強化する性質があるため、最初に作った混合液を、あとから出来たカリム溶液に加える。あとは火属性の魔力を流しながらゆっくり撹拌すれば出来上がり。
これまでに何回か作っているけれどその度に、よくもこんな複雑な作り方のものを思いついたものだと、本当に感心してしまう。
この薬はガブリエラさんが考えたものだ。畑の土をほんの少しだけ取って彼女の作った試薬に入れると、試薬がいくつかの色の層に分かれる。その色の量によってどの大地の恵みがどのくらい不足しているかを知ることができるので、それを元に魔法薬を作っていく。
彼女曰く「正しく知れば正しく対処できる」そうで、この魔法薬を完成させるまでに彼女は何百回も畑の土を集めては試薬に浸す作業を繰り返し、最適な配合比を見つけ出していた。
彼女は王国でも有数の天才錬金術師と言われていたけれど、こういう地味な努力を決して怠らない人だったんだよね。
今頃どうしているかな。帝国で大きな事件があったとパウル王子に聞いてからずっと心配だけれど、会いに来るのは絶対にダメと彼女から強く言われているので、今は王子の連絡を待つしかない状態だ。
会うのはダメでもこっそり様子を見に行くのはいいかなあ? うーん、でもバレたらすごく怒られそうだし。
カールさんや王様もいろいろ情報を集めてくれているようなので、それを信じて待つのがいいかもしれないね。私が行くことで、かえって彼女の身が危なくなるかもしれないもの。
もし本当に彼女の身に危険が迫っているとしたら、たとえ怒られてもいいからすぐにでも駆けつけよう。私の翼なら帝国なんてあっという間に行ける。そして彼女を連れて村に帰って来るんだ。
すごく怒られるだろうし、嫌われちゃうかもしれないけれど、彼女が死んでしまうよりはずっといい。
私は死が恐ろしい。不死の私が死を恐れるのは変かもしれないけれど、でもとにかく怖いのだ。今の私には彼女の死に耐えられるだけの自信がないのだから。
彼女の考えた魔法薬を作りながら、私はそんな風にガブリエラさんのことばかり考えていたのでした。
完成した魔法薬を《領域創造》と《噴霧》の魔法を使って畑に撒いていたら、畦道をこちらに向かって歩いてくる白い法衣の女性と子供たちの姿が見えた。私の姿に気が付いた子供たちが私の方に駆け寄ってくる。
「ドーラおねえちゃん、来てたんだね! エマおねえちゃんは元気?」
「なあなあドーラねえちゃん、王都のお話聞かせてくれよー!」
ちょうど学校から戻ってきた子供たちとおしゃべりをしていたら、ゆっくり近づいてきた白い法衣の女性が穏やかに笑いながら私に話しかけてきた。
「相変わらず子供たちに大人気ですね、ドーラさん。」
「こんにちはハーレさん、これから村の人たちの診療ですか?」
東ハウル村にある聖女教会の司祭ハーレさんは、私の問いかけに「ええ」と優しく微笑んで頷いた。
エマの冒険者仲間の挌闘僧として活躍していたハーレさんは、姉弟子のテレサさんが聖女となるための儀式を受けるために聖都に帰ってしまってから、冒険者を引退した。
そして猛勉強の末『司祭試験』というのに合格し、ハウル村の教会の司祭になったのだ。聖女流格闘術の鍛錬は今でも続けているみたいだけれど、以前は肌身離さず持ち歩いていた愛用の戦槌は教会の自室に仕舞ってあるそうだ。
それというのも司祭の仕事が物凄く忙しくなってしまったかららしい。その主な原因は村の人口と共に入信者が増えたこと、そして東ハウル村を拠点とする冒険者が多くなってきたことがある。
冒険者にはケガや病気が付きものだ。魔獣と戦うことにはケガをしたり、毒を受けたり、病気にかかったりする危険が常に付きまとう。
命を取り留めるための応急処置は回復薬などで行うことができるけれど、ケガや病気が重くなってしまうと頼りになるのは神官や祈祷師、そして司祭さんたちの使う神聖魔法しかない。
神聖魔法は、エマたちの使う詠唱魔法や生活魔法とは全く違う系統の力を使うものらしい。
テレサさんはそれを「神の力をお借りして奇跡を起こしているのです」と言っていたけれど、ガブリエラさんによると「魂の力を代償にして『異界の扉』の向こうに存在する得体の知れないものから力を引き出す技術」なのだそうだ。
そのことを巡って一度、二人は大論争をしたことがあった。どちらが真実なのかは分からないけれど、テレサさんの力を見る限り、私たち竜や精霊、神々が使う力に似ている気がする。もちろん二人には内緒にしていたけどね。
神聖魔法は魔力と違って修行によって誰でもある程度は身に付けることができるそうだ。ただ得られる力の強さと修行の長さは必ずしも一致しないそうで、人や宗派によって様々なんだとか。
テレサさん曰く「神の御加護を得られるかどうかの基準を、人の身で推し量ることなどできません」ということらしい。ガブリエラさんは神聖魔法のこういう『論理的でない』部分が苦手なんだってぼやいていた。
とにかくハーレさんは司祭試験に合格し晴れて司祭となってからというもの、教会の日常の業務(礼拝や祝福、告解の受付など)に加え、施療院の運営、重傷者の治療のための祈祷、さらに村人のための巡回診療と、それこそ冒険者時代とは比べ物にならないほどの激務をこなしている。
一時期は青い顔をしてすごく大変そうだったけれど、ある時期を過ぎたら穏やかな表情で淡々と仕事をするようになった。彼女に理由を聞いたら「聖女様による新たな加護を得られました」と教えてくれた。日々の修行と祈りで新たな力に目覚めたらしい。
今ではすっかり司祭様としての仕事に慣れたようで、ちょっとテレサさんっぽくなって来ている気がする。私が以前そう言ったときには彼女らしい笑顔でにっこりと嬉しそうに微笑んでくれた。
「ハーレさん、すごく頑張ってますよね!」
「お姉様がいなくなってしまわれた分まで、私がこの村を守らなくてはなりませんから。」
白い法服の裾にまとわりつく小さな子供たちを笑顔であやしながら、彼女がそう答えた。
「そう言えばテレサさんはもう聖都に着いた頃ですか?」
テレサさんは今年の春の初めに、スーデンハーフの港から船に乗って聖都へと旅立って行った。もう8か月も前のことだ。
「そうですね。早ければ半年くらいで到着しますから。でも天候によっては長く足止めをされてしまうこともあるので、こればかりは何とも言えません。」
寂しそうな笑顔で彼女は言った。悪天候に加え、海路では『海賊』という悪い人たちや巨大な海の魔獣に襲われることもあり、それを避けるためにかなり時間がかかることもあるらしい。
そのため海の難所と呼ばれる場所ではあえて陸路を行くこともあるそうだ。テレサさんの目指す聖都は大陸のちょうど反対側。私の翼でなら一日とかからない距離なのに、人間はすごく大変だよね。
でもそんな長い道のりを長い時間をかけ、安全に旅することができるように工夫している人間の知恵ってやっぱりすごいと思う。
「お姉様はとても強い聖女様の加護を持っていらっしゃいますから、きっと無事に辿りつけるでしょう。聖女即位の儀式日が決まれば、改めて各国の信徒に向けて知らせが出されます。それを見るために、聖都へ巡礼している信徒も大勢いるのですよ。」
聖女教は大陸中に信徒を持つとても大きな集まりなのだそうだ。その最高位である聖女の交代と新聖女の即位が行われるのはおよそ100年ぶりらしい。世界のあちこちから集まってくる信徒のために、聖女の交代が行われることはすでに布告してあるそうなので、今、聖都はそのための準備でとても賑わっているに違いないと彼女が教えてくれた。
いいなあ、そういうの。日にちが分かったら私も遊びに行ってみたい。せっかくだからエマたちやカールさんも連れてみんなで見に行ってみようかな?
私が一度竜の姿で聖都まで飛んで《集団転移》でみんなを連れて行けばいいものね。うん、それはとてもいい考えのような気がする。
ハーレさんも誘ってみようと思って彼女を見ると、少し気がかりな表情をしていた。
「どうしたんですか、ハーレさん? 何か心配事ですか?」
「いえ、大したことではないのです。ただちょっと教会内で気になることがあって・・・。」
彼女によるとテレサさんと入れ替わるようにやってきた神聖騎士たちのことが気になるとのことだった。
「特に何かしているというわけではないのです。勤めもきちんと果たしてくれますし。ただ平和な村だからなのか、妙に大人しい気がして・・・。」
「それが問題なんですか?」
「・・・そうですね。いえ、きっと私の思い過ごしでしょう。大人しく見えるのも、彼らに教区の会計などの雑務をいろいろお願いしていますから、そのせいかもしれませんね。」
教区というのは教会が信徒をまとめるための地域の区切りのことらしい。ドルアメデス王国は聖女教よりも大地母神の方が多くの人に信仰されているので、聖女教会もほとんど作られていない。多分王都にも一つしかないんじゃないかな。
しかも大きさで言ったらハウル村の教会の方がずっと大きくて立派だ。これはガブリエラさんとテレサさんの影響があるのだろうと思う。
教区にいる信徒の人たちは、礼拝したり祝福を受けたり告解をしたりするときに、その教会に対してちょっとずつお金を寄進する。あとケガや病気の治療をするときにも、お布施という形でお金を集めている。
ハウル村の教会は教区内に冒険者ギルドと大きな街道、それに大商会となったカフマン商会の本店を抱えているため、実はかなり儲かっているそうだ。そのお金で施療院などを運営して、ケガや病気に苦しむ人たちを治療している。
聖女教の聖職者の人たちは私財を持つことが禁じられている。だからテレサさんもハーレさんも、迷宮討伐後にもらった王様からの報奨金を全部、教会に寄付してしまったくらいだ。
彼女たちの持ち物と言えるのは普段来ている法服の他、僅かな身の回りの品くらいしかない。そうすることで「持たざる者と痛みを分かち合う」というのが、聖女教の教えにあるらしい。
ただ聖職者の人がみんなそうかと言うとそんなことはないみたい。教区の責任者である司祭さんは、その教区で集めたお金の使い道を自由に決めてよいという決まりがあり、中にはそれを自分のために使ってしまう人もいるのだそうだ。
もちろんあまり酷いことをすればすぐに神聖騎士団に捕まって地位を剥奪されてしまうらしいのだけれど、大なり小なりどこの教区でも、そう言ったことは行われているという。テレサさんやハーレさんみたいな人は逆に珍しい存在らしい。
ちなみに教区の責任者の司祭をまとめるのが司教、司教をまとめるのが大司教、大司教をまとめるのが枢機卿と言うんだって。そして聖女はこういった枠には囚われない、まさに聖女教の中心ともいえる存在なのだそうだ。
テレサさんはああ見えて実はものすごい人だったみたいです。
畑に魔法薬を撒き終わった私は、ハーレさんと一緒に村の人たちのところを回ることにした。彼女が病気やケガの治療をしている間に、私は各家の力仕事などをお手伝いさせてもらう。
新しく村で暮らし始めた若い夫婦の中には、これから子供が生まれるという家も多い。聖女教の女性聖職者さんは全員が助産師なので、ハーレさんは若いお母さんたちからいろいろと相談を受けていた。
悩みや不安を抱えているお母さんたちが彼女と話すうちに、晴れやかな表情になっていくのを見ると、私まで心が明るくなるような気がする。
さほど年の違わないお母さんたちからの質問にも的確に答えていく彼女の姿を見て、誰かのために力を尽くす人間の姿ってなんて美しいのだろうと思わずにはいられなかった。
すべての家を回り終わったときには、もう日が傾きかけていた。私はハーレさんにお別れを言って、エマたちのところに戻った。もちろんちゃんとお土産のお菓子『熊の贈り物』をたっぷり持って。
その夜はみんなで『熊の贈り物』を頬張りながら、ハウル村の話をした。エマは村の皆の話を聞いて少しだけ涙ぐんでいた。
「私、秋の季末試験を出来るだけ早く終わらせて、村に帰るよ。」
「そうだねエマ。マリーさんもエマの帰りをすごく楽しみにしてるみたいだよ。秋祭りはまた皆で一緒に踊ろうね。」
私は手でエマの涙を拭いながらそう言った。私に体を寄せてきたエマを私はしっかりと抱きしめた。
エマの入学からもうじき半年。王立学校の一年生の授業も残り2か月とちょっとだ。最初は心配事の多かった王立学校での暮らしも、皆の助けを借りて何とか無事にここまで来ることができた。
エマの魔力の成長が止まる15歳頃まで、このまま穏やかに過ごせますようにと、私は腕の中のエマの規則正しい鼓動を聞きながら、そう祈ったのでした。
種族:神竜
名前:ドーラ
職業:上級錬金術師
中級建築術師
所持金:2160000D(王国銀貨のみ)
→ ゲルラトへ出資中 10000D
→ エマへ貸し出し中 5000D
← 薬・香草茶の売り上げ 2000D
← カフマン商会との取引 11000D
読んでくださった方、ありがとうございました。