145 御招待
150話くらいまではこんな感じの話が続きます。
夏の季末試験が無事終わり、エマたちは一か月弱の試験休みに入ることになった。
心配していたエマの魔法理論の試験も、ウルス王子の特訓のおかげでなんとか合格がもらえたみたい。あんまり成績は良くなかったみたいだけど、次はもっとできるように頑張るんだと、エマは張り切っている。
1年生の下級・中級貴族の女の子たちも、ほとんど全員が合格していた。何人かは追試験を受けることになったけれど、それもすぐに合格できたみたい。でもこれはすごく珍しいことなんだって。
1年生の夏ごろからだんだんと授業内容と試験問題が難しくなるためらしい。実際、1年生の男子は大半が今も補習授業を受けている。女子寮の談話室ではずっと魔力の鍛錬会&勉強会を開かれていたから、きっとその差が出たのだろうと思う。
エマたちは休みに入っても、平日はそれぞれの研究室に籠りきりで勉強に励んでいた。ただ試験が終わってエマが錬金術研究室に来なくなってから、ウルス王子が目に見えて萎れている。
私やミカエラちゃんが話しかけてもどこか上の空で、ぼんやり窓の外を見てはため息ばかりついているのだ。まあそれでも研究は進めているみたいなんだけどね。
ミカエラちゃんはそんな王子を見て「そんなに会いたいなら、交流会にでも招待したらいいですのに」と、ちょっと呆れ顔をしていた。
そのミカエラちゃんはついこの間、リンハルト王子から交流会の招待を受けた。エマやゼルマちゃん、ニーナちゃんはすごく驚いていたけど、当のミカエラちゃんはいたって普通にその招待を受け、「楽しみにしております」と返事を書いていた。
どうしてそんなに落ち着いているのかと興奮気味に尋ねるニーナちゃんに、ミカエラちゃんは笑顔で淡々と答えた。
「だってそろそろ来る頃だと思っていましたもの。リンハルト様はおそらく将来、私の夫になる方ですから。」
ミカエラちゃんのバルシュ家は現在伯爵家だけれど、成人している人間が一人もいないため、爵位は王家の一時預かりという形になっている。これはバルシュ家で唯一の成人であったガブリエラさんが王様の養女になってしまったための特別な措置なんだって。ミカエラちゃんが成人すると同時に昇爵して侯爵になる予定なのだそうだ。
その後、彼女は王家の誰かと結婚し、彼女の夫がバルシュ公爵となって領地を統治することになるらしい。
「王家の血さえ入っていれば別に誰でもいいのですけれど、年齢的な釣り合いや今後のことを考えたら、リンハルト様が一番適任ですもの。リンハルト様もきっと同じように思っていらっしゃるはずです。だからこの交流会は、結婚前のお互いの顔合わせと言ったところでしょう。」
上級貴族の女の子は将来結婚する相手が生まれる前から決まっていることも珍しくないそうだ。身分や家格、年齢の釣り合いなどを考慮して相手が選ばれるらしい。
「普通なら男子が家を継ぐので、私はどこかに嫁ぐはずだったのですが、バルシュ家は私以外に血族が残っていないので仕方がないんですよ。」
彼女はその言葉とは裏腹に、特に残念そうに見えなかった。最近のミカエラちゃんはとても淡々としている。もともと引っ込み思案というか、控えめであまり自己主張しない女の子だったけれど、王立学校に来てからはそれをさらに進めて、自分の真意を人に隠しているような節がある。
一言で言うなら、ガブリエラさんっぽくなってきている。いなくなった彼女の分まで、ミカエラちゃんは自分の責任を果たそうとしているのかもしれない。エマはそんなミカエラちゃんを気にしているようだった。
ミカエラちゃんとリンハルト王子の交流会が数日後に迫ったある日、私は第六寮女子棟の寮母パトリシアさんから王家の紋章が入った手紙を渡された。差出人の名前を見た私は、彼女に尋ねた。
「パウル王子からの手紙ですね。一体何でしょう?」
「観劇の招待状だそうです。どうしてもあなたにお話したいことがあるから、と。」
パトリシアさんはちょっと困った顔をしながらそう言った。何でも私に直接渡す手段がないので彼女が手紙を託されたらしい。
「お返事を聞くように頼まれているのです。申し訳ないのですが今、中身を見ていただけませんか?」
手紙の中には今度の週末に王立劇場で上演される劇を一緒に見ませんかという内容が書かれていた。私はどうすればいいのか分からず、困ってしまった。正直、あんまり関心がない。だって手紙を読む限り、エマたちと一緒には行けないみたいなんだもの。
でも目の前で思い詰めた顔をしているパトリシアさんを見ていると、断るのも悪い気がする。彼女には寮生活で分からないことをいろいろ教えてもらっているし、困らせたくはない。
ちょっと迷ったけれど、私は「行きます」と返事をした。別に劇がつまらなかったら《転移》の魔法でこっそり抜け出せばいいのだ。私がそう答えると彼女は見るからにホッとした顔をした後「ドーラさん、本当にごめんなさい」と言って逃げるように帰って行った。なんで謝られたんだろう?
その日の夕方、食事が終わってからお部屋で寛いでいる時にエマたちにそのことを話したら、ニーナちゃんが物凄く驚いていた。
「パウル殿下が平民の女性を観劇に招待するなんて! それは実質、愛妾のお披露目ではありませんか!!」
「え、そうなの?」
ニーナちゃんに私とエマが同じ顔で質問したのを見て、ミカエラちゃんが吹き出した。ゼルマちゃんは訳が分からないという顔をしている。そんな皆をキッと見て、ニーナちゃんが言った。
「そんな呑気に構えている場合ではありませんわ! おそらく観劇にはパウル殿下に近い派閥の貴族たちも一緒に招待されているはずです。きっと殿下はドーラさんを彼らに紹介するつもりでしょう。」
「?? 別に紹介するだけなら問題ないんじゃないの?」
「もし仮に『彼女は私の愛妾です』なんて紹介されたら、平民の立場でそれを拒否できるわけがないでしょう! 王族の言葉は確定事項です。きっとそのまま殿下の離宮か別荘に連れていかれて、無理矢理・・・!!」
「無理矢理・・・何?」
青ざめて言葉を止めた彼女に私とエマが質問したら、今度は熟れたベリーみたいに真っ赤になって顔を覆った。あんなに血を上げたり下げたりして大丈夫かな、ニーナちゃん?
彼女は赤い顔でコホンと咳払いをした後、言った。
「と、とにかくこれはドーラさんの危機ですわ!」
「そうなの? そう言えばパトリシアさんから謝られて、訳が分からなかったんだけど・・・。」
「ああ、彼女の娘の夫は確か王国軍に入ったばかりの騎士爵だったはずだ。それでこの計略に加担させられたのだろう。」
ゼルマちゃんがやっと合点がいったという風に言葉を出した。パウル王子は王国軍騎士団を率いる将軍なのだそうだ。パトリシアさんは自分の娘と私との板挟みになって困っていたのだろうと、彼女は説明してくれた。
「入団早々、将軍に睨まれてしまっては出世も危ういからな。娘のことを心配して、彼女も断れなかったのだろう。」
私がもし断っていたら、パトリシアさんや彼女の娘さんの立場が悪くなっていたかもしれないんだって。じゃあ、断らなくて正解だったね。でもそうやって無関係な人を巻き込んでいくのは、なんだか好きじゃないなあ。
私がそう言うと、ミカエラちゃんが私に答えた。
「良くも悪くも、それが貴族のやり方です。だから貴族はより多くの相手と繋がりを持とうとするんですよ。」
「ふーん、お貴族様も大変なんだね。でも、ドーラお姉ちゃんなら大丈夫じゃない?」
「そ、それはどうしてですの?」
エマの言葉にニーナちゃんが驚いて聞き返す。
「だってドーラお姉ちゃんだよ? お姉ちゃんを無理矢理どうにか出来る人なんて、うちのお母さんとガブリエラ様くらいじゃないかな。」
うーん、確かにエマの言う通りだ。パウル王子は確かに強そうだけど、別に怖くはないかな。竜である私とは比べ物にならないもの。マリーさんやガブリエラさんは怖いけどね。
「で、でもほら、さっきミカエラさんがおっしゃっていたでしょう? 貴族は無関係な人を巻き込むものです。ドーラさんに言うことを聞かせるために、エマさんやエマさんのお母さんに何かをするかもしれま・・・。」
「・・・エマやマリーさんに?」
彼女の言わんとしていることに気が付いた私は、その言葉が終わる前に彼女へ問い返した。思ったよりもずっと低い声が出て、自分でも驚いた。でもそれはニーナちゃんの方が大きかったみたい。
私の目をまともに見た彼女は「ひっ」と息を呑んだかと思うと、そのまま気を失ってしまった。
「お姉ちゃん!!」
エマに声をかけられた私は、ハッとして力を抜いた。思わず怒りに任せて知らないうちに魔力を向けてしまったみたいだ。私は気を失ったニーナちゃんに《悪夢払い》の魔法をかけてから、彼女を揺り起こした。
「あ、あら、私は一体・・・?」
「ドーラお姉ちゃんの魔力に当てられて気絶したんだよ。もう、ダメでしょ、お姉ちゃん!」
「ごめんね、ニーナちゃん。エマやマリーさんのことを考えたら、ちょっと魔力が漏れちゃったみたい。」
エマに叱られた私がぺこりと頭を下げるのを、ニーナちゃんは目を丸くして見ていたけれど、やがて「大丈夫ですわ」と青い顔で笑って許してくれた。
失敗してしまったけれど、もしエマやマリーさんに何かしようと言うなら、それは私の敵だ。私は人間を傷つけるのは嫌だけれど、敵に容赦するつもりはない。私の宝物を傷つけようとする相手はすべて滅ぼす。それだけだ。
一連の流れを見ていたゼルマちゃんが「私は逆の意味で、心配になってきましたよ」と言った。
「ちょっとよろしいでしょうか、ミカエラ様、エマ様。」
皆の話を黙って聞いていた侍女のリアさんが私たちに話しかけてきた。
「今のお話ですが、カール様にも相談した方がよろしいかと思います。」
「それはいい考えですね。カール様ならきっとうまく取り計らってくださるでしょう。」
「そうだよね、ミカエラちゃん。カールお兄ちゃんにも一緒に言ってもらえばいいんじゃない。それならドーラお姉ちゃんも安心でしょ?」
それはいい考えだ。私一人だと分からなことが多すぎて、きっとヘンテコなことをしてしまうに決まっている。カールさんがいてくれたら、困った時はどうすればいいか尋ねればいいよね。
私たちがそう話すのを聞いてリアさんが「では早速カール様にお知らせしてきます」と言って、部屋を出ていった。相変わらずものすごく動きが早い。あれが本物の侍女さんの動きなのかな。私も見習わないとね。
私がそんなことを思っているうちに、後ろではニーナちゃんを中心にみんなが「一人の女性を巡っての殿方同士の駆け引き! ああ、悩ましいですわ!」と盛り上がっていた。
その週末、私とカールさんは正装して、パウル王子のよこした迎えの馬車に乗り込んだ。
お昼前に王立劇場に到着し、王族専用の出入り口から入ると、そこにたくさんの人を連れたパウル王子が私を待っていた。私の姿を見た人たちが「おお」と大きなため息をついた。
私が今日着ているのは、夏の初めくらいに仕立て屋のドゥービエさんが届けてくれた夏用のドレスだ。白と水色を使ったすっきりとしたデザインで、春用よりもさらに軽くて着心地がいい。その代わり、腕や肩、背中がかなり大きく開いてるんだけどね。
私はドレスの裾を軽く掴んで女性貴族のお辞儀をし、丁寧に挨拶と感謝の言葉を述べた。
「急な招待にもかかわらず、受けていただいて本当にありがたい。堅苦しい挨拶はこれくらいにして、ゆっくり劇を楽しもうではないか。」
私に近づいてきた王子は、私の後ろに影のように張り付いているカールさんに目を止めてにこやかに言った。
「久しいな、ルッツ卿。君を招待してはいないはずだが?」
「ドーラさんの護衛です。王のご命令ですので。」
カールさんは慇懃に王子にそう言い返した。二人はしばらく無言で見つめあっていたが、やがて王子は私の手を取り、席へと案内してくれた。私たちの後ろにはカールさんがぴったりと付き、その後ろを苦々しい顔をした年配の男性たちがぞろぞろと付いてくる。
女性の招待客も多少いるけれど、ほとんどは男性ばかりだ。なんか皆、お芝居を楽しみにしている雰囲気じゃないなあと思い、来たばかりなのにもう帰りたくなった。エマやニーナちゃんがいれば、きっと楽しかったと思うんだけどなー。残念。
王立劇場は以前行った劇場と同じような作りになっていた。というよりあの劇場の方が、王立劇場を真似たのだろう。だってこっちの方が、全体的に豪華で歴史がある感じがするもの。
私は王子に手を引かれて、2階席に向かう。大きな水盤のように広がる座席を見下ろす2階の露台が、丸まる王族のための観覧席になっていた。薄い壁でいくつかに仕切られた小部屋の内、一番正面の席に私と王子、そして貴族と思われる男性3人が一緒に座った。
舞台を見やすいよう半円形になったテーブルには軽い食事とお酒の準備がしてある。私は王子の隣に座らされた。小部屋の入り口で私を見守るカールさんに、貴族風の男性が声をかけた。3人の中では一番やせていて小柄な人だ。
「ここは王族の私的な空間だ。護衛は必要あるまい。ルッツ卿、貴君は別のところに待機していてはどうかね?」
「王命ですので、それは承服しかねます。」
慇懃なカールさんの言葉に苛立ったように、別の太った男性が声を返した。
「パウル殿下の御前で、殿下を疑うような真似をするのは無礼だと分からんのか!?」
「私は王にお仕えする者でございます。」
男性の激しい言葉に、カールさんはそれだけ言って言葉を切った。男性の肉付きの良い顔がたちまち真っ赤に染まる。
その時、何か言おうと息を吸い込んだ男性を、小柄な男性がさっと押し留めた。
「ペーパル卿、それこそ殿下の御前です。ましてや今日はこんなにもお美しいお嬢さんがいらっしゃっているのですから、ここは穏便に行こうではありませんか。」
その言葉を聞いて、太った男性は数回深呼吸をした後、「そうですな、カッテ卿。彼には関係のないことでした」と言ってニヤリと笑った。カッテさんって、エマの同級生のイレーネちゃんのお父さんだろうか?
そうこうしているうちに侍女さんたちが入ってきて、給仕をしてくれた。少しずつデザインの異なる食器類を扱っていることから、多分それぞれの貴族家に仕える専属の侍女さんたちなのだろう。
私にはリアさんが給仕をしてくれている。食器類はこの日のために急遽、彼女がカフマンさんに頼んで取り寄せてくれたものだ。全て純銀製で、お値段は何と2000Dもする。普通の平民の家族の1か月分の食費、50か月分だ。
なんで大金を払ってまで、そんなものを準備したのか分からないけれど、これはカールさんを含め三人で話し合って決めた結果らしい。何でも「軽く見られないように」するためなんだとか。
よく分からないけれど、確かに私の前に並んだ食器類を見た途端、一緒に座っていた貴族の男性たちの顔色が明らかに変わったから、効果があったのかもしれないね。
ある程度、給仕が終わったところで一番大柄な怖い顔をした貴族の男性が王子に言った。
「殿下、本日はお招きいただきましてありがとうございました。よかったら、この大変お美しい御令嬢を私どもに紹介していただけませんでしょうか。」
三人の貴族男性が皆、王子の方を見て頷く。王子は私たちに酒杯を持つように促した。
「こちらが私の長男リンハルトの同級生、エマの姉のドーラ嬢だ。王立学校で偶々彼女と知り合う機会があり、その時の縁で今回の観劇に招待させていただいた。エマのことはみんな知っておろう。」
「もちろんです殿下。神々から授かった力で故郷の危機を救った『救済の聖少女』を知らぬものなど、この王都にはおりませんよ。」
「?? それはいったい何でしょうか?」
「おや、ドーラ殿はご存じないようですな。」
太った男性が意外そうな声を出して私を見たけれど、王子がそれを遮った。
「まあ、細かい話は後でよかろう。ドーラさん、この三人は私を何かと支えてくれる者たちだ。こちらから順にデッケン伯爵、カッテ伯爵、そしてぺーパル伯爵だ。今日の出会いを祝して、皆で乾杯するとしよう。」
4人の男性は自分の酒杯をぶつけ合って、中身を飲み干した。私は酒杯を軽く掲げて、少しだけ口を付ける。女性は酒杯を合わせないのが、礼儀とされているからだ。ちなみに飲み干してもいけないみたい。
むむ、これは葡萄酒かな。すごく香りがよくて、美味しい。思わず飲み干しそうになるけど、我慢我慢。私、お酒大好きだけど、飲むとすぐ気持ちよくなっちゃって寝ちゃうからね。
乾杯を見計らっていたみたいに、下の舞台では楽師さんたちの演奏と歌が始まった。それを合図に、他の小部屋からも乾杯の声が聞こえる。まだ客席にいるのはこの2階席にいるパウル王子の関係者だけで、他に観客は誰もいない。
演奏を聴きながら、私は三人の男性からいろいろな質問を受けた。ほとんどはエマやリンハルト王子に関することで、私に対する質問がないので助かった。ミカエラちゃんの予想通りだ。
事前に打ち合わせをしたとき、「ドーラさんは殿下の招待客なのですから、困らせるような話題を振られることはありませんよ」って言われてたんだよね。
一応困った質問をされたら「お答えできません」と言って、微笑んでごまかすことになっていたのだけれど、それは使わなくても済みそうだ。
ちなみにカッテ伯爵はイレーネちゃんの伯父さんでした。イレーネちゃんのお父さんがカッテ伯爵の弟さんなんだって。伯爵とイレーネちゃんは顔が全然似てないから、彼女はお母さんに似ているのかもしれないね。
意外なほど和やかな雰囲気で会食が進みだいぶ酒杯が空いた後、少し赤くなった顔で太ったペーパル伯爵さんが言った。
「いやいやドーラ殿はお美しいだけでなく、大変聡明でいらっしゃる。それに魔力にも恵まれていらっしゃるようですし。とても平民とは思えませんな。高貴な血を引いていらっしゃるに違いありません。」
「私はドーラ殿がエルフ族とも繋がりをお持ちだと伺っております。更には大手の新興商会の後ろ盾も持っていらっしゃるとか。身分を問わず、殿下がお側に置きたいと思われたことも納得ですな。」
小柄なカッテ伯爵がそう言いながら私とパウル王子を交互に見た。
「その通りだ。私はドーラ殿を私の下に迎え入れたいと思っている。」
私はその言葉を聞いてビクリと体を震わせ、カールさんをちらりと見た。パウル王子が私を強引に連れ去ろうとしたら、カールさんが王様の命令を盾にそれを断ることになっているのだ。
もしそれでも止まらなかった場合は「私が何としてでも止めてみせます」とカールさんが言ってくれた。彼は目だけで私に頷いた。私はドキドキしつつも少しホッとして体の力を抜いた。
「ほう、それはおめでたいことですな。王家にドーラさんのような方を迎えられるというのは、臣下としても望外の喜びです。」
大柄なデッケン伯爵の言葉にカールさんが動きかけた。でもそれよりも早くパウル王子がその言葉を否定した。
「いや、それはまだ決まったわけではない。ただ私が思っているだけだ。ドーラ殿の意に反して、私は彼女を自分の下へ連れて行こうなどとは考えていない。今日の観劇はその気持ちを伝えるためのものだ。」
パウル王子はカールさんの方を向いてニヤリと笑い、カールさんもほんの一瞬だけそれに反応したけれど、すぐにまじめな表情に戻った。
王子の言葉を聞いたペーパル、カッテの両伯爵は驚きに目をほんの少しだけ見開き、もの言いたげな様子でデッケン伯爵を見た。デッケン伯爵はほんの少しだけ苦い表情を見せたけれど、すぐに仮面みたいな笑顔になって言った。
「そうでございましたか。いやはやこの年になりますと男女の機微に疎くなってしまって、すっかり勘違いをしてしまいました。申し訳ありません。」
謝るデッケン伯爵に続くように二人の伯爵が言った。
「しかし殿下の魅力をお知りになれば、すぐにドーラ殿もお心を開かれることでしょう。」
「まさにまさに。パウル殿下は無双の勇士であり、多くの騎士たちをまとめる人望もおありですからな。王国の未来はパウル殿下が握っていると申し上げても過言ではございません。」
へー、パウル王子ってそんな人だったのか。騎士さんたちに慕われてるのは知ってたけど、随分期待されてるんだね。
それにしても王子が自分から私を強引に連れて行かないと言ってくれたのは助かった。もしそうなってたら王様の命令だからと言って、無理矢理ここを出なきゃいけないところだったよ。よかった。
カールさんはまだ警戒してるみたいだけど、パウル王子が嘘を言っているようには見えないので、きっと本気で私と仲良くなるためにこの劇に誘ってくれたみたい。もし次誘われたら、エマたちも連れてきていいか聞いてみようかな。
そうこうしているうちにお昼を過ぎた頃から一階の観客席にお客さんが入り始めた。やがて舞台の幕が上がり劇が始まった。
劇の内容は、神の啓示を得た少女が女神に導かれて不思議な力を手に入れ、魔獣に襲われる故郷を救うというお話だった。これもしかして、エマがモデルになっているのでは?
主人公の名前こそエイミとなっているけれど、エマと同じ貧しい木こりの娘という設定だし。
それにある日突然現れた女神ドーラの化身によって故郷の危機を告げられ、苦難を乗り越えて仲間を集め、魔獣を滅ぼすというのも、エマの迷宮迷宮討伐の様子にかなり近い内容だもの。
エイミ役の女の子はエマよりもだいぶ年上だと思うけれど、見た目の感じはエマに似てる気がした。
「あ、あの、これは一体どういうことなんでしょう?」
私が王子に尋ねると、彼は説明してくれた。
エマの迷宮討伐の話は王都でもすごく話題になっていたそうだ。それを聞いた吟遊詩人の一人が、それを元に歌を作り披露したところ、大人気となったのだとか。
「この劇はその歌、『救済の聖少女』を舞台化したものなんだ。気に入っていただけたかな?」
エマが褒められているのは素直に嬉しいけれど、この劇はどうなのかな。私はかっこいいと思うけれど、実際のエマとはかけ離れてる気もする。最後はすごい力で簡単に魔獣を倒しちゃってるし。
「本当のこととはかなり違ってますね。」
「芝居というのはそういうものさ。これが見たいと思うものが形になるからな。そういう意味では我々王族も役者と同じだな。」
私はその言葉の意味が分からず問い返したけれど、彼は笑うばかりで答えてくれなかった。
劇が終わるとすぐに、三人の伯爵さんたちは一緒に帰って行った。私は王子にお礼を言った。
「いや、こうしてあなたに会うことができて本当によかった。これからしばらく王都を留守にするのでね。」
「どちらに行かれるんですか?」
私の問いかけに、王子はカールさんの方を見てから私に言った。
「西の国境地帯に行かなくてはならない。東ゴルド帝国で何やらきな臭い動きがあったようなので。探らせているが、なかなか情報が出てこないのだ。」
「東ゴルド帝国ってガブリエラ様の・・・!! ガブリエラ様はご無事なのでしょうか!?」
「それを分からない。かなり厳重に情報を統制しているようだ。だからドーラさん、私が戻ったらまたこんな風に会ってもらえないだろうか。その時に分かったことを伝えよう。」
私は王子の誘いを承諾した。そして「ガブリエラ様をよろしくお願いします」と頼んだ。カールさんはその様子を複雑な表情で見ていた。
私たちは王子の馬車でまた王立学校に戻った。馬車の中でカールさんと相談して、エマたちにガブリエラさんのことは伝えないでおくことにした。よく分からないことなのに、ミカエラちゃんに心配をさせるのは良くないと思ったからだ。
「あの国の政情は微妙な均衡の上に立っていると聞いたことがあります。もしそれが崩れたら、一気に国が分解してしまっても不思議はないのです。今はとにかくガブリエラ様が無事でいることを祈るしかありません。」
カールさんの言葉に私も頷くしかなかった。馬車を降りたときには、西の空は夕焼けで真っ赤に染まっていた。この空の向こうにガブリエラさんがいる。
私は夕日に向かって彼女が無事でありますようにと祈った。夏の終わりの夕焼けは血が滲んだように赤く、夜空を侵食していた。ゆらゆらと揺れながら消えていく赤い光が、炎のように建物の影を呑み込んでいる。
それはかつて私の大切なものを全て奪い去ろうとした神々の終末の炎のように見えた。私は自分の心の不安を消し去りたい一心でカールさんの手を握った。彼の手の温もりが私の不安を少しだけ溶かしてくれた。
しかし不安は尽きることなく後から後から沸き上がってきて、いつまでも私を苦しめたのでした。
種族:神竜
名前:ドーラ
職業:上級錬金術師
中級建築術師
所持金:2147000D(王国銀貨のみ)
→ ゲルラトへ出資中 10000D
→ エマへ貸し出し中 5000D
← 薬・香草茶の売り上げ 2000D
← カフマン商会との取引 17000D
→ 食器類の代金 2000D
→ 夏のドレス代 10000D
読んでくださった方、ありがとうございました。