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Missドラゴンの家計簿  作者: 青背表紙
148/188

143 変わる村

久しぶりのハウル村でのお話です。

 真夏のハウル村は今日も皆の笑顔が溢れていた。


 今年は麦が近年稀に見る大豊作となり、夏が始まってからずっと村の人たちはその収穫作業に追われていた。その甲斐あって雨が増える時期になる前に何とか収穫を終えることができ、今は次に始まる麻の収穫の準備で大忙しだった。


 大豊作になったのはエマたちが成し遂げた迷宮討伐の影響が大きいらしい。迷宮は強大な魔力で周辺の土地の様子を作り替えるけれど、討伐することでその魔力が新たな大地の力となるんだそうだ。


 大豊作は本当にいいことだけれどその分、大人も子供も土人形ゴーレムのゴーラたちも、毎日休みなく働かなくてはならず、すごく大変だった。






 ハウル村の人口は私が来たばかりの6年前は100人ちょっとくらいだったけれど、ガブリエラさんが村の開発を始めたことで400人ほどに増えた。その後も徐々に人は増え続け、今では600人以上の人たちが暮らしている。


 増えた住民のほとんどは魔獣の森を探索する冒険者の人たちと、街道に作られた関所を守る衛士さんたちだ。そして彼らが利用するギルドや酒場の運営に携わる女性たち、カフマン商会の従業員さん、宿屋や川港で働く人たちなどがいる。


 鍛冶術師のフラミィと大工の棟梁ペンターさんの徒弟さんたちも住んでいて、日々大きくなる村のためにいろいろな仕事をしてくれている。最近は近隣の村から仕事を求めてハウル村にやってくる人も増えているそうだ。


 さらにはハーレさんが司祭を務める聖女教会の聖職者さんたちもいて、村はすごく賑やかになった。王都に比べたら全然人は少ないけれど、木材を切り出すための開拓村だった数年前とは全く様子が違ってきている。






 ハウル村は農地が広い割に人がものすごく少ない。まあこれは、私が考え無しに森を整地して農地に変えちゃった上に、ガブリエラさんが新薬の実験も兼ねて、じゃぶじゃぶ大地の恵みを増やす薬を撒いたせいなんだけれどね。


 とにかくハウル村の農作業はこれまで以上に忙しくなった上に、手が回らない農地もかなりある。そこでフランツさんは新しく村にやってきた人たちに農作業の手伝いを依頼していた。


 するとそのうちに何人かがこれまでの仕事を辞め、農業に専念するようになった。そのほとんどは元冒険者の人たちだ。彼らはもともと農家出身で、自分のいた村で農地を持つことのできなかった七男、八男さんたちらしい。


 自分の村ではまともに食べることができず、結婚すらままならないため村を出たものの、仕事がないので仕方なく冒険者になったのだそうだ。冒険者の中にはこういう人がかなりの数いるけれど、彼らのほとんどは最初の魔獣討伐で命を落としてしまう。


 だから彼らはフランツさんの依頼にすぐ飛びついてきてくれた。村の女性と結婚して正式に村人となった夫婦もすでに数組いる。でもこれは他の村ではあまりないことなのだと、冒険者ギルド長のガレスさんが教えてくれた。






 ハウル村は元々15年ほど前に出来たばかりの開拓村で、住民のほとんどはいろいろな村からの寄せ集めだった。だから新しく加わる人に対してものすごく寛容なんだって。そういえば皆、村に迷い込んだ私にものすごく優しくしてくれた。


「ハウル村はでかい農地が整然と整理されているが、他の村は自分の土地でそれぞれ作物を育てるのが普通だからな。自分の土地とそこで暮らす家族を守るためにどうしても閉鎖的になりがちなのさ。」


 言われてみればハウル村は村を広げて水路を巡らせるときに、ガブリエラさんとクルベ先生が二人で相談して農地の場所を決めていたっけ。


 あの時に「農地を年毎、効率的に運用できるようにするのよ」ってガブリエラさんは言っていたけど、こういうことだったのか。私はよく分からないままで、魔法で農地を作っていたけど、そう言うところまでちゃんと考えられていたんだ。うーんさすがはガブリエラさんだよね!


 ハウル村は今後もどんどん人が増えていくだろうとガレスさんは言っている。エマが大人になる頃にはもしかしたら街と呼ばれるくらいになるかもしれない。今からそれがすごく楽しみです。






 その日、私はエマのお母さんのマリーさんに、学校でのエマの様子を伝えていた。マリーさんは農作業をしている他のおかみさんたちの子供たちと一緒に、乳離れしたばかりのグレーテちゃん、ペネロペちゃんの相手をしていた。


 グレーテちゃんは去年の春に生まれたエマの末の妹で、ペネロペちゃんは同じ時期に生まれたフラミィさんとペンターさんの娘だ。ハウル村では仕事を持つ女性の代わりに、幼い子供を持つお母さんたちがまとめて他の子供たちの面倒を見ることになっている。働き手の少ない村で仕事をうまく切り盛りするための工夫だ。


 マリーさんと私は小さい子たちの相手をしながら、エマについて話した。エマは魔法の勉強がとても楽しいらしく、授業が終わるとすぐにベルント先生のところに飛んで行って、二人でいろいろな研究をしている。


 お友達との関係も良好で、毎日はすごく充実しているみたいだ。その分、私はちょっと暇になってしまい、こうやってハウル村にやってきているわけなんだけど。


 少し寂しい気もするけれど、エマが頑張っているのだから、私も頑張らないとね!






「じゃあ、エマはその偉い先生のことが大好きなのねぇ。」


「はい。エマはベルント先生のことをアルベルトさんに似てるって言ってますよ。見た目は全然違うんですけどね。ベルント先生はフサフサの頭をしてますし。」


 二人で他愛もない話をしてはクスクス笑い合う。穏やかで素敵な時間だ。


「そうかい。あの子が楽しそうであたしも嬉しいよ。本当にありがとうドーラ。」


 マリーさんにそう言われて嬉しくなった私は、彼女が広げた両手の中に飛び込んだ。柔らかい胸に顔を埋めると、彼女は私の頭をゆっくり撫でてくれた。私はすっかり気持ちよくなり、うっとりと目を瞑る。ああ、お母さんってやっぱり素敵だな。






「エマの学校は秋までで一旦終わるんだろう? 秋祭りには間に合いそうかい?」


 マリーさんは私を抱きしめたまま尋ねた。私は顔を上げてそれに答える。


「秋の季末試験が終わった後、他の生徒さんたちはそれぞれ自分の家に戻るそうですよ。多分帰ってこられると思いますけど。もし間に合わないようなら、私が魔法で連れて帰ってきますよ。」


 王立学校は冬の間、授業が行われない。これは春の祝祭の準備をするためらしい。春の祝祭は王国の貴族たちが一堂に会する社交の機会で、遠くの領地からも王都に人が集まる。


 そこで冬の間、生徒たちはそれぞれ家に戻り、春になる前に家族と共に王都にやってくるのだそうだ。つまり雪の深くなる前に帰省して、雪が解け始めるころにまた帰ってくるってことだね。







 私の答えを聞いたマリーさんはにっこり笑って「それじゃあ、あの子の喜びそうなものをたくさん用意しておくとしようかね」と言った。


「エマにそれを伝えますね。きっと物凄く喜ぶと思いますよ。」


「ありがとうドーラ。あの子のこと、よろしくお願いね。」


 彼女は自分の胸に顔を埋めている私の髪をわしゃわしゃとかき回しながらそう言った。私は「ふにゃあ」と声を出して、彼女の豊かな胸にすりすりしたのでした。






 マリーさんと別れた私は、注文された香草茶と回復薬、その他の品物を届けるために、宿屋やギルド、カフマン商会を回ることにした。


 昼過ぎの冒険者ギルドは多くの人で溢れていた。そのほとんどは今日の仕事を終えて、達成報告と報酬の受け取りに来た人たちだ。でも中には探索や討伐に失敗して戻ってきた人たちもいる。


 彼らの仕事が上手くいったかそうでないかは、表情を見ればすぐに分かる。仕事に失敗した人たちは皆一様に暗い顔をしているからだ。


 冒険者はとてもお金の儲かる仕事だけれど、その分かかる費用も大きい。武器や防具はどんなに安いものでも普通の人が購入するにはかなりの高額だ。それに探索に出かけるための装備や糧食、消耗品なども馬鹿にならない。


 その額は危険な魔獣を討伐する熟練の冒険者さんたちほど多くなる。一般的に冒険の期間が長くなるからだ。探索や討伐が成功すれば、その何倍ものお金が手に入るけれど、失敗してしまうとかかったお金はすべて無駄になってしまう。失敗が続けば、冒険者を続けることすら難しくなってしまうのだ。


 もっともお金の心配をしていられるのはまだマシな方で、戦いが原因で魔獣由来の病気にかかったり、手足を失ったりしてしまう人も少なくない。冒険者さんは本当に大変な仕事なのだ。






 いつものように半仮面で顔を隠した私は、ギルドの売店に薬を納入してお金を受け取り、すぐにその場を離れようとした。


 すると入り口を出たところで後ろから声をかけられた。そこに立っていたのは数人の男性たち。全員私よりもずっと背が高く逞しい体つきをしていて、革の胸当てや鎖帷子などを身に着けている。


 彼らは皆、何日も体を洗っていないようで、ひどい匂いがしていた。ハウル村に長く滞在する人たちは皆、お風呂に入る習慣があるので、彼らはきっと村に来たばかりなのだろう。


「あんた、術師だろう? 俺たちこの村のことがまだよく分からなくてよ。よかったらいろいろ教えてもらえねえかな?」


 皮鎧を着て剣を腰から下げた男の人が私に近寄ってきてそう言った。むむ、私、頼られてる?


「いいですよ。私、この村のことならよく知ってます。何でも聞いてください!」


「そうかいそりゃあ、ありがてぇ。じゃあ立ち話も何だし、俺たちの部屋に来てもらえねえかな?」


 私が「分かりました」と返事をすると男の人たちはすごく嬉しそうに「ひひひ」と笑い、私の両脇にぴったりとついて私を彼らの宿へ案内してくれた。






 東ハウル村には冒険者の人たちが利用できる宿がたくさんある。食事の世話から細々とした身の回りのことまで従業員さんがしてくれる高級な宿から、ただ寝台があるだけの安宿まで様々だ。


 最初に冒険者さんのための宿ができたとき、宿の管理はガブリエラさんが人を雇ってやっていた。けれど村に冒険者ギルドができてからは、すべてギルドが管理するようになっている。


 彼らの宿はギルドから少し離れた場所にある比較的新しい宿のようだ。外観から想像すると、多分数人が一緒に寝泊まりできるような部屋がたくさんある宿じゃないかな。


 道すがら私は彼らから話を聞かせてもらった。思った通り彼らはつい最近、西の方から船に乗ってやってきた人たちらしい。言われてみればあまりこの国では見たことのない、黒っぽい髪色をしている。まだこの国や村のことをよく知らないみたいだった。


 そんなに遠いところからやってくる人がいるなんて、ハウル村も随分人気になったんだな。それとも何か別に理由があるのだろうか。でもまずは彼らにはお風呂の使い方を説明したほうがよさそうだ。


 私がそう言うと、彼らはとても喜んで「じゃあ、俺たちもあんたにいろいろ教えてやるよ」と言ってにやりと笑った。知らないところの話を聞けるのはとても楽しみだ。私は彼らと一緒に薄暗い宿の入り口をくぐった。






「待て、お前たち!」


 その時、後ろから突然鋭い声がかかった。


「!! ロウレアナさん。どうしたんですか、こんなところで?」


 声をかけてきたのはエマの冒険者仲間だったエルフ族の戦士ロウレアナさんだった。彼女は今も冒険者として活躍している。確かマヴァールさんたちの一行パーティに加わっているはずだ。


 彼女は私の問いかけに答えることなく近づいてくると、私の両脇にぴったりとくっついている男の人たちに向かって言った。


「その方は我々の大切な方だ。放してもらおうか。」


「エルフだと? じゃあ、この術師もか?」


 男の人の一人がさっと私の半仮面に手を伸ばし、仮面を剥ぎ取った。


「あ、やめてください! それ返してくださいね。」


 私は茫然と私を見つめる男の人から仮面を取り返した。また取られると困るので、長衣の隠しに半仮面を仕舞う。これはガブリエラさんからもらった大事なものだ。


 それにしてもいきなり仮面を取るなんて、一体どうしたんだろう。彼らの国の風習なのかな?






「おいおいすげえ別嬪じゃねえか!こりゃあ楽しみになってきたぜ!」


「お前、この術師の身内なのか? そんなに大切って言うんならお前も俺たちの部屋に来たらどうだ? この娘と一緒にいろいろ教えてやるよ。」


 ヒヒヒと笑う彼らの言葉を聞いて、私は彼女に言った。


「それはいいですね! この人たち、村に来たばっかりなんですって。ロウレアナさんも一緒にお話ししませんか?」


 それを聞いた男の人たちが爆笑した。


「聞いたか? 最高だな! おいエルフの姉ちゃん、一緒に来た方がいいんじゃねえか? じゃないとこのきれいな娘が寂しくて、寝台の上で泣いちまうかもしれねえぞ。」






 ロウレアナさんは一瞬物凄く怖い顔をしたけれどすぐに唇を歪め、怖い顔でニヤリと笑って言った。


「お前らのような下衆がその方をどうこうできる訳がないだろうが。身の程を弁えろ、このヒヨッコどもめ。」


「ああ、何だとてめえ!!」


 男の人たちが突然大声を上げた。両脇の二人が私の腕をしっかりと掴むと、他の人たちは武器を持ってロウレアナさんの方に向かっていった。なんで? 急に、みんなどうしちゃったんだろう?


 目の前で男の人たちがロウレアナさんに斬りかかろうとしている。私は驚いてそれを止めようとしたが、両脇の二人に腕を強く掴まれてしまった。私の右手を掴んでいる、最初に声をかけてきた皮鎧の男の人が、私の顔に口を近づけてきた。


「いいからおめえはここで大人しく見てな。あのエルフと一緒に俺たちの部屋でたっぷり可愛がってやるからなあ。」


 私の頬にほとんどくっつきそうな距離に黄ばんだ歯の並ぶ口を近づけ、彼は私にそう言った。私は焦るあまり、思わず彼の掴んでいる右手をぶんと大きく振ってしまった。






 私の右手を掴んでいた男の人が「ィエン!!」という声ともつかなうような声と共にすごい速さで前に吹き飛んでいき、ロウレアナさんを取り囲んでいた男の人たちをなぎ倒した。


 ぶつかって一塊になった彼らは、そのままゴロゴロと通りを転がり、石造りの丈夫な街壁にぶつかって動かなくなった。どうやら生きてはいるようだが、全員気を失っている。ひょっとしたら手足の骨が折れているかもしれない。


 ど、ど、どどうしよう! 私、とんでもないことしちゃった!!


 ロウレアナさんが危ないと思って焦ってしまったのと、あの男の人の口があまりにも臭かったので、思った以上に力が入ったみたいだ。ロウレアナさんは寸でのところで躱してくれたから難を逃れたけれど、私は初めて人を傷つけたことですっかり動転してしまった。






「てめえ、何しやがった!?」


 私の左手を掴んでいた男の人が腰のベルトから短剣を引き抜き、私にそれを突き付けた。だけれど風のように素早く近づいてきたロウレアナさんが、男の人の手首に手刀を入れてその短剣を叩き落した。


 更に彼女は彼の顎先に向かって拳を鋭く振りぬいた。彼は「ガッ」という呻き声と共に白目を剥き、その場に崩れ落ちた。


 あっという間にその場に立っているのは私と彼女の二人だけになった。私がオロオロしていると通りの向こうからこちらに向かって大急ぎでやってくる一団が見えた。ギルド長のガレスさんと冒険者のマヴァールさん、それにカールさんの2番目のお兄さんでハウル街道の管理官をしているバルドンさんだった。


 三人と一緒に、完全武装をした大勢の衛士さんたちもやってきている。彼らは私の無事を確認するとすぐに倒れている男の人たちを縛ってどこかに連れて行ってしまった。






 残された私はロウレアナさんと一緒にフランツさんの家に《集団転移》で移動した。ロウレアナさんを連れて急に帰ってきた私にマリーさんはすごく驚いていた。


 私とロウレアナさんから事情を聞くと、マリーさんは私を床に座らせ、ものすごい剣幕で説教をした。あまりの迫力にエマの弟妹の双子デリアちゃんとアルベールくんが、グレーテちゃんを連れて家から逃げ出したくらい、その怒り様は凄まじいものだった。うう、怒ってる時のお母さんは本当に恐ろしいです・・・。


 どうやら私はあの男の人たちにすっかり騙されてしまっていたらしい。後から知らせに来てくれたバルドンさんによると彼らは、私がギルドの売店で回復薬の代金を受け取るのを見て、それを奪うつもりだったそうだ。さら自分たちの部屋に連れ込んで『悪さ』をするつもりだったんだって。


 ちなみに私が男の人たちを吹き飛ばしてしまった件については『正当防衛』ということで罪にならなかった。男の人たちが先に武器を抜いたからだそうだ。彼らには他にも様々な余罪があり、それが原因で自分の国から逃げ出してきた人たちだったらしい。






 散々私を叱った後、シュンとしている私をマリーさんはぎゅっと抱きしめてくれた。


「あんたは人が良すぎるんだよドーラ。質の悪い連中も大勢いるんだ。気を付けなきゃいけないよ。」


 私は彼女の胸の中で泣いてしまった。しばらくして泣き止んだ私にマリーさんは、気を付けるべき点をいろいろ教えてくれた。知らない人に簡単について行かないこと。人気ひとけのないところで絶対に一人にならないこと。等々。


「ドーラ、あんたはただでさえすごく綺麗なんだから気を付けないと。」


 私はマリーさんに言われたことを忘れないようにしようと思った。そして私のことをギルドで聞いて駆けつけてくれたというロウレアナさんにお礼を言った。






「いいのですよ。ドーラ様が村にいるときは、私があなたをお守りすることになっているのですから。王立学校ではマルーシャ様が守ってくださっているでしょう?」


「マルーシャさん? ああ、あの錬金術の先生ですね。ほとんど話をしたことないですよ。というか会ったこともほとんどありませんけど・・・?」


 私がそう言うと、たちまちロウレアナさんの顔から表情が抜け、額に青筋が立った。


「!! ロウレアナさん!? どうしたんですか、私、何かいけないこと言いましたか!?」


「いいえ、ドーラ様は少しも悪くありません。でも私はマルーシャ様にお会いしなくてはならないようです。今日はもう遅いですから、明日もう一度私を迎えに来てはいただけないでしょうか?」


 有無を言わせぬ彼女の言葉に気圧され、私はただ頷くことしかできなかった。











 翌日の昼を少し過ぎた頃に、私はハウル村からロウレアナさんと一緒に《集団転移》の魔法で王立学校へ移動した。


「ほう、ここが人間たちが魔法を学ぶ場所ですか。」


「他にも魔術師ギルドっていうのがあるらしいですよ。でも王立学校とはあんまり仲が良くないんですって。」


 珍しそうに周囲を見回すロウレアナさん。一応目立たないように、フード付きの長衣を纏っているものの頭を振るたびに長い耳の先がフードの端から見え隠れしている。


 私たちは付き添いをしてくれることになっているカールさんと共に、マルーシャ先生がいるという錬金術研究室へと向かう。カールさんが一緒に来てくれて本当によかった。彼がいなければ確実に迷子になっているところだ。


 今朝カールさんと会った時に、昨日の出来事とロウレアナさんがマルーシャ先生に会いたがっている話をしたら、「私が付き添いますよ」と言ってくれたのだ。ちなみにロウレアナさんを学校へ連れていくことに関する手続きなども全部彼がやってくれた。


 様々な薬品の匂いが漂う扉の前を通り過ぎ、長い廊下を歩いた後、私たちは錬金術研究室の扉の前に着いた。






 軽く叩くとすぐに扉が内側へ開いた。出迎えてくれたのはこの研究室の特別研究生であるミカエラちゃんだ。


 ガブリエラさんの工房の何倍もの広さがある部屋の中には、彼女の工房にあったものとよく似た道具類が所狭しと置いてあった。壁はすべて天井まで続く棚になっていて、そこには様々な薬品や素材が整然と詰め込まれている。


「ロウレアナさん、お久しぶりです。先生は奥にいらっしゃいますよ。こちらへどうぞ。」


 ミカエラちゃんとロウレアナさんは久しぶりの再会を喜び合い、私たちを部屋の奥へと案内してくれた。


 広い部屋の奥にはさらに小さな部屋があり、そこに金色の髪を無造作に束ねたエルフの女性が座っている。皺の寄った長衣を着た彼女はこちらに背を向け、机に向かっていた。熱心に何かをしている様子だ。






「先生、マルーシャ先生。お客様がいらっしゃいました。」


「んんー、分かったよ、ミカエラ。でも今大事なところなんだ。ここまで終わったら準備をするから・・・。」


「先生、それ今朝からずっと言っていらっしゃいますよ。それにもう準備は間に合いません。すでにお客様がいらっしゃっています。」


「んー、そうか。ならちょうどいい。もうしばらく待つように伝えてくれ。」


 彼女はそう言ったきり、また研究机の上の物に夢中になってしまった。ミカエラちゃんはぺこりと頭を下げた。


「申し訳ありません。朝からあの調子で、全然取り合ってくださらないんです。」


 ロウレアナさんは困ったように謝るミカエラちゃんを「あなたに非はありませんよ」と慰めた後、マルーシャ先生に近づき、徐に呪文を詠唱し始めた。






「世界を満たす大いなる水の精霊よ。その優しき流れで炎の熱を消し去れ。《水精の消熱》」


 彼女が呪文を唱えると空中にふわりと浮かぶ水玉が現れ、それがマルーシャ先生の頭上でパンと弾けた。弾けた水は細かい霧となって、マルーシャ先生の研究机を包み込む。


 マルーシャ先生は「ぎゃああ!!」と叫んで立ち上がり振り向くと、真っ赤な顔で怒鳴った。


「研究机の周りで放熱の魔法なんか使ったのは誰だ!危うく魔力炉の熱が失われてしま・・う・・ところ・・・。」


 威勢よく怒鳴っていた彼女だけど、背後に立っていたロウレアナさんの姿に気が付いた途端、たちまちその声が小さくなっていった。真っ赤だった顔が、今度は真っ青に変わっていく。






「い、いやーロウレアナじゃないか、久しぶりだな。随分大きくなって! 20いや30年ぶりかな?」


 慌てふためくマルーシャ先生に、ロウレアナさんはすごく丁寧な言葉でお願いをした。


「御無沙汰しておりました、マルーシャ大叔母様。私、大叔母様にお聞きしたいことがあるのです。あちらでお話を伺ってもよろしいでしょうか?」


「い、いや、あのなロウレアナ、今とても大切な実験中で・・・。」


 彼女のお願いを断ろうと必死になる先生。それに対して彼女は物凄く怖い笑顔で、もう一度ゆっくりと言った。


「・・・よろしいでしょうか、大叔母様?」


「はい・・・。」


 何かを諦めたようにぐったりと項垂れる先生と共に、私たちは研究室の客間に移動して話をすることになった。






 先生は研究室にいたもう一人の男の子に魔力炉を見ているように言いつけてから、客間に移動した。王様に少し似た雰囲気を持つその男の子に、先生はしつこいくらい何度も注意を繰り返していた。


 憮然とした表情の先生を取り囲むようにロウレアナさん、私、カールさん、ミカエラちゃんの順番でテーブルに座る。みんなが席に着くと、研究員の人が全員分の香草茶を出してくれた。


 これは疲労回復効果のある香草を使ったお茶のようだ。私の作るメリッタ草を使った香草茶と似た効果だけれど、このお茶は別の薬草が使われている。少し渋みがあるけれど、とてもさっぱりしていて美味しかった。


 さわやかな甘みのあるメリッタ草もいいけれど、こっちのお茶もいいね。今度研究してみようっと。


 皆がお茶を一口飲んだところで、ロウレアナさんが先生に切り出した。


「マルーシャ様、氏族クランからの手紙を受け取られましたよね?」


「うむ、受け取ったとも。」


「ではドーラ様のことについてもご存じのはずですね。それなのにまったくお役目を果たしていらっしゃらないのはどういうことですか?」






 ロウレアナさんは先生に詰め寄った。どうやらエルフ族の人たちは私のことを見守るために、いろいろと手を尽くしてくれていたらしい。彼女がハウル村に来たのも、その役目があったからだ。


 ただエマと一緒に私が王立学校に行くことになったので、その役目はマルーシャ先生に引き継がれることになったのだそうだ。


「ドーラ様は私たちの里にとって、欠くことのできない存在なのですよ。それなのに大切なお役目をほったらかした上、碌に会いもしないだなんて・・・。」


 淡々と説教をするロウレアナさんに対し、先生は頭をガシガシと掻いてぼやいた。


「まったくお前は母親にそっくりだな。真面目で融通の効かないところなんか本当に生き写しだよ。」


「お母様のことは、今は関係ありません。ちゃんと話を聞いてください。」


「聞いてる。ちゃんと聞いてるよ。だが王立学校はこの国でも最も安全な場所の一つだぞ。そこで私が四六時中、ドーラ様に張り付いている必要は、別にないだろうに・・・。」


 私は先生の言葉に同意して、ロウレアナさんに言った。


「そうですよ、ロウレアナさん。カールさんやエマだっているし、別に忙しい先生の手を煩わせる必要なんて・・・。」


「そら見ろ、ロウレアナ!本人がそう言っているんだぞ。私は悪くない!」






 そう言い募る先生を物凄く冷たい目で見た後、ロウレアナさんは吐け放すように言った。


「そうですか。大叔母様にお役目を果たすつもりがないのであれば、そのように長老に報告させていただきます。」


 その途端、先生は慌てて言い訳を始める。


「い、いや、それはないだろう! ナギサリスに言いつけるだなんて酷すぎる!」


「・・・ナギサリス様はすでに長老の座を退かれました。今の長老はフルタリス様ですよ。どうやら手紙もまともに読んでいらっしゃらないようですね。」


 彼女にじっとりとした目で見つめられて、先生は目を逸らした。


「盟約の不履行ということであれば、大叔母様は氏族に戻っていただかなくてはなりません。」


 彼女の言葉にミカエラちゃんが驚いた顔をした。マルーシャ先生はミカエラちゃんのお師匠様なんだから当然だろう。でも先生は慌てふためくが、何も言い返せない様子だ。





 私もどうしていいか全くわからない。その時、重苦しい沈黙を破ったのはミカエラちゃんだった。


「ロウレアナさん、事情はよく分かりませんが、マルーシャ先生がドーラさんと一緒に居ればいいのですよね?」


「・・・まあ、そうですね。ここはそれほど危険な場所ではないようですし、カール様もいらっしゃいますから。」


「では、ドーラさんの方が研究室ここに来てくださればいいんじゃないでしょうか。ドーラさん自身もお姉様から錬金術を教わっていましたから、ここに来ればきっといろいろな発見があるんじゃないかと思うんです。」


 それはすごくいい考えだ。私は学生じゃないからこれまでは、研究室や研究棟に特別なことがない限り、入ることができなかった。でも先生がそれを許してくれるなら、私も錬金術をもっと勉強してみたい。






「それはいいな。実にいいぞ、ミカエラ! うーん、しかし部外者を入れるのはどうかなあ。学長や王にバレたらなんと言われるか・・・。」


 困った様子の先生にミカエラちゃんは言った。


「それなら心配いりませんわ、先生。ゴルツ学長も陛下も多分快く承諾してくださると思います。」


「えっ、そうなのか?」


 ミカエラちゃんはカールさんの方を見た。彼はすぐに軽く頷いた。


「ドーラさんが希望することであれば、陛下は可能な限り許してくださると思います。」


「ゴルツ学長はきっとエマさんが説得してくれるでしょう。問題解決ですわね。」


 ミカエラちゃんはそう言ってにこりと笑った。あ、この笑い方、なんかすごくガブリエラさんに似てる。






 こうして私は、いつでも好きな時に錬金術研究室に遊びに行けることになった。エマとミカエラちゃんはそれをすごく喜んでくれた。よーし、二人と一緒に私も勉強を頑張るぞー!


 なおマルーシャ先生は、研究室での私の様子を報告書にまとめて、定期的に氏族の下へ届けるという宿題を出されることになった。宿題はロウレアナさんが点検し、不味いところがあると容赦なくやり直しをさせられるそうだ。私はそれを聞いて、宿題というのは恐ろしいものだなと思ったのでした。






種族:神竜

名前:ドーラ

職業:上級錬金術師

   中級建築術師


所持金:2118000D(王国銀貨のみ)

 → ゲルラトへ出資中 10000D

 → エマへ貸し出し中 5000D

 ← 薬・香草茶の売り上げ 2000D

 ← カフマン商会との取引 12000D

読んでくださった方、ありがとうございました。

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