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Missドラゴンの家計簿  作者: 青背表紙
144/188

139 捕物 後編

ちょっと長くなってしまいました。まとめるのが難しかったです。


※ 後半、残酷描写が多数あります。苦手な方はお気を付けください。

 吟遊詩人ギルドの楽師さんたちから、見習いのターニアちゃんが攫われたと聞いた私は《人物探索》の魔法で彼女を探し出すことができた。


 すぐにでも助けに行こうとした時、農場の管理をしているカフマン商会の代理人さんから引き留められ、カールさんに連絡するようにお願いされた。


「単純にターニアを助けて終わり、なら問題ないのですが、厄介な相手が絡んでいる可能性があります。ルッツ令外男爵様を通じて交渉しないといけない場合があるかもしれません。」


 ふむふむ、よく分からないけれど代理人さんが言うのならきっとそうなのだろう。私もカールさんがいてくれれば安心だしね。


 私はじゃあすぐに呼んできますと言って建物を離れた。衛士さんたちが護衛をしようと申し出てくれたのだけど、丁重にお断りする。だって彼らが一緒に居るのに《不可視化》や《転移》で移動したら、きっとびっくりさせてしまうもの。






 私は人気ひとけのない場所にこっそり移動して《不可視化》で姿を消し、《転移》で王立学校に移動した。学校はちょうど夕食が始まる頃で、たくさんの生徒たちが研究棟から食堂へと移動していた。


 無属性魔法研究室の方へ歩いていたら、向こうからエマとカールさんが一緒に歩いてくるのが見えた。夏の制服のエマもやっぱりかわいいね!いやいや、そんな場合じゃなかった。


「あ、ドーラお姉ちゃんおかえり! 農場はどうだった?」


「ただいまエマ。ニワトリがものすごくたくさん増えてて、小屋を建てるので皆大忙しだったよ。でもね、それよりも大変なことがあったの!」


 私は二人にターニアちゃんのことを話した。


「大変!すぐ助けに行かなきゃ! ねえ、お姉ちゃん、ターニアちゃんは無事なの?」


「生きているのは確かだけど、《人物探索》の魔法ではそれしかわからないんだよね。」


 《警告》の魔法ならかけた相手の大まかな状態を知ることができるんだけど、これは今、エマに常時かけた状態なので他の人に使えない。そう言われると、ターニアちゃんが大けがをしてるかもしてないと、急に心配になってきた。






「ドーラさん、すぐに救出に向かいましょう。場所は分かっているんですよね?」


「はい。でも代理人さんが『できれば一人も逃さず捕らえたい』って言っていて、そのための準備をしたいそうなんです。だからカールさんに一度農場に来てほしいって、言ってました。」


 カールさんはそれを聞いて急に険しい表情になった。


「分かりました。ではすぐに私を農場へ連れて行ってもらえますか?」


 エマに「絶対に助けてあげてね」と見送られ、私たちは《集団転移》で農場へ移動した。夕方の農場にはもう人影がなく、ひっそりとしていた。不意に現れた私たちに驚いた家畜たちの上げる声が、やけに大きく聞こえた。


 東門の衛兵隊詰所付近では、多くの衛士さんたちがばたばたと忙しそうに走り回っている。門の守備隊と少し服が違うから、別のところからやってきた人たちかもしれない。






 私たちが詰所に入ると、守備隊の隊長さんがとても驚いた顔で言った。


「こんなに早く男爵様がいらっしゃるとは思いませんでした。」


 慌てて平伏しようとする彼をカールさんが引き留めた。


「彼女を迎えるつもりで、たまたま近くまで来ていたんだ。現状はどうなっている? 管理官殿への連絡は?」


 管理官は王都の東門を管理する王国官吏で、貴族の人だ。ハウル村の街道管理をしていたカールさんと同じ立場の人みたい。私は直接会ったことはないけど、門の出入りや衛士さんたちへの給与の支払いなどを王様から任されているそうだ。


 隊長さんは管理官の配下の平民さんで、この東門の守備隊の責任者だ。実際の指揮を執るのは隊長さんなので、カールさんみたいに自分から門の詰所に来る人って実はすごく珍しいらしいです。






 隊長さんの説明によると今、各衛士隊に連絡を取り、すぐに動ける人員を集めている最中だそうだ。部隊の編制などでもうしばらく時間がかかりますと彼は申し訳なさそうにしていた。


 楽師さんと代理人さんの姿は見えなかった。何でも吟遊詩人ギルドと王立調停所に知らせに行くと言って、私が消えた直後にそれぞれで出て行ってしまったという。説明を聞き終わったカールさんは、隊長さんに言った。


「素早い対応、本当に感謝する。しかし時は一刻を争うようだ。私とドーラさんが先行して敵拠点を制圧しよう。君たちには周辺の封鎖をお願いしたい。そのためにすぐに動ける連絡役の者を数人同行させてほしい。」


「男爵様、失礼を承知で申し上げますが、それはあまりにも無謀です。敵の数や拠点の規模なども不明の状態なのですから、まずは場所を特定した後で斥候を放ち、その後、救出に移った方が・・・!」


 隊長さんの必死の訴えを、カールさんは手を上げて制した。






「君の心配はもっともだ。だが大規模に部隊を動かせば、相手にこちらの動きを気取られる可能性が高い。そうなれば攫われたターニアの命が危ない。いかに人質とはいえ、しょせんは平民の娘に過ぎないのだから、追い詰められれば簡単に切り捨てて逃亡を図ろうとするかもしれない。」


「そ、それはそうですが、しかし・・・。」


「心配してくれてありがとう。私とて無闇に命を捨てるつもりはないよ。救出が困難だと思ったら、君たちの力を借りるつもりだ。ただ時間がないのは分かってくれ。頼む。」


 カールさんが軽く頭を下げると隊長さんは大慌てでカールさんに頭を上げてくださいと頼んだ。そしてすぐに伝令役のものを招集しますと言ってその場を立ち去った。


 隊長さんの言葉通り、間もなく平服を着た数人の隊員さんがやってきた。カールさんもその間に官服を隊員から借りた目立たない服に着替え、更にフードの付いた外套マントを羽織っていた。


「男爵様、ご武運をお祈りいたします。」


 真剣な顔をした隊長さんの言葉に見送られ、私たちは《人物探索》の魔法が示すターニアちゃんの下へと向かった。





 貧民街を抜け、商業地区に入った辺りで完全に日が沈み、王都は闇に沈んだ。私とカールさん、それに伝令役の衛士隊の皆さんは、魔法の示す南の方角に向って闇の中を疾走する。


 貧民街の人たちは照明用の油を買うことができない人がほとんどだし、商業地区は住んでいる人が少ないから、この辺りはほとんど明かりがなく、真っ暗だ。


 私は暗いところでも割と物がよく見えるけど、他の人は暗い街中を走るのは大変そうだ。皆に断ってから《暗視》の魔法をかける。それで少し進む速度が上がった。


 それにしても入り組んだ街中を走るのはとても大変だ。飛んでいけたら楽なのだけど、私以外の人が一緒に飛べないからなー。


 そんなことを考えながらどんどん走っていたら、先の方が明るくなり人の気配や物音がするようになってきた。楽器の演奏や歌も聞こえ、とても賑やかだ。お祭り?






「この先には王都最大の歓楽街があるんです。闘技場や賭博場、娼館、酒場、それに奴隷市場などが集まっている地区ですね。」


 カールさんが走りながらそう説明してくれた。王都の南門の脇を流れていくドルーア川の両岸は大きな川港が作られている。


 その東岸には商業地区へ運ぶ物資を一時保管したり振り分けたりするための倉庫群と物資集積場があり、そこで多くの男の人たちが働いているそうだ。


 彼らの大半は周辺の村落からやってきた単身の季節労働者や王都出身の若い男の人たちで、倉庫群に併設された狭い集合住宅で暮らしているという。そんな彼らの憩いの場である店が集まってできたのがその歓楽街らしい。


「元々王都の南側城壁の側にあるため、ものすごく日当たりと水はけの悪い土地だったんです。そのせいで長いこと放置されていたそうですが、100年程前の王が王都中に散らばっていた複数の歓楽街をそこにまとめたんですよ。」


 王様が建築魔法と大規模な土木工事を行って地盤を改良し、そこに人が集まる施設を集めたのだそうだ。多くの人を集めることで、軟弱な土地を踏み固めてしまおうという意図があったらしい。


 あと一か所に集めたことで管理が容易になり、病気や犯罪の発生を抑えることに成功したんだって。人間ってやっぱり賢いね!






「じゃあなんで、そんな土地に人攫いなんて悪いことをする人たちがいるんですか?」


 私がそう尋ねると、カールさんは少し困った顔をして言った。


「王国が管理していると言っても、人の入れ替わりの激しい場所なので完全に把握するのは難しいんです。地区担当の役人もいて、衛士隊も定期的に巡回や取り締まりをしていますが、中には貴族が裏で手を引いている場合もあって、上手くいかないことも多いんですよ。」


 基本平民である衛士さんたちは、貴族に強く言われてしまうと手も足も出なくなってしまう。それに厳々に取り締まってしまうと、そこに暮らす人たちの生活が成り立たなくなってしまうこともあるため、よほどのあからさまな犯罪行為がない限り、見逃されてしまうことが多いのだとか。


「それに複数の土地の有力者が作っている自治組織があるんです。王国には認められてませんけど、実質は組合ギルドみたいなものですね。」


 自治組織は町の暮らす人に金銭を要求する代わりに、身の安全を守ってくれているのだそうだ。大抵の街の揉め事は彼らが『内々に』処理してくれるらしい。


 私がすっかり感心して「カールさんはいろんなことに詳しいんですね」と言ったら、彼は「父の受け売りですから」と照れ笑いをした。そう言えば、カールさんのお父さんは王国の犯罪を取り締まる仕事をしてるんだっけ。






 そうやって話しているうちに街は賑やかになり、人通りがすごく多くなった。狭い通りいっぱいに人がいて、気を付けなければぶつかってしまいそうになるほどだ。


 通りの両側の建物には、けばけばしい看板が掲げられ、大きく開いた扉と窓から明るい魔法の照明の光が漏れていた。どの建物からも男の人の笑い声や女の人の歓声、それに楽器の演奏や歌が聞こえてくる。お酒と食べ物、そして甘い煙の臭いが漂い、通りに満ちていた。煙はちょっと私の苦手な臭いだ。


 私の目の前を数人の逞しい男の人たちがキョロキョロしながら歩いているところに、薄い衣装を着た女性が声をかける。すると彼らは一緒に近くの建物に吸い込まれて消えていった。直後、建物の中から女性たちの歓声が上がる。


 また別のところに目を向けると、通りの向こうでは男の人同士が掴み合いの喧嘩をしていた。肩がぶつかったのどうのという怒鳴り声がここまで聞こえてくる。その周りには二人を見物する人だかりができていた。


 目の前で二人が殴り合っているのに、それを囃し立てるばかりで誰も止めようとしない。驚いて思わず足を止めた私に、後ろから女の人が声をかけてきた。






「ねえあんた、まじない師でしょ。《避妊》と《病気除け》のまじないをかけてくれない?」


 振り返ると胸の大きく開いた薄い服を着た女の人が立っていた。言われるままにまじないをかけると彼女は「ありがとね」とにっこり笑い、私の手に銅貨を5枚押しつけて行ってしまった。


「まじない師さん、あたしらもお願ーい。」


 銅貨を手にして茫然としていたら、あっという間に数人の女の人に取り囲まれてしまった。鼻が痛くなるような香水の香りで、頭がくらくらする。私がどうしようと途方に暮れていたら、カールさんが彼女たちの中に割り込んできてくれた。


「すまない、急いでいるんだ。」


「あら!お兄さん、いい男じゃない! ねえ、あたしたちの店で遊んでいかない?うんとサービスしてあげるわよぅ。」


 彼女たちはカールさんに肉感的な体を摺り寄せ、彼の腕を掴んでその豊満な胸を押しつける。彼は顔を赤くしながら私の腕を掴むと、少し強引に彼女たちをかき分けて私を引っ張り出してくれた。


「ふふふ、初心なお兄さん。今度は暇なときにゆっくり遊びに来てね!」


 彼女たちの笑い声に見送られ、私たちは手を繋いだまま、混みあう通りを駆け抜けた。






 賑やかな通りをいくつも抜け、やっと人通りの少ない場所に出た。ここは歓楽街の西のはずれ。川港の倉庫群のすぐ近くだ。私は物陰に潜み、目の前の奇妙な感じのする倉庫のような建物を指さした。


「あそこです。」


 《人物探索》の魔法は、目の前の建物にターニアちゃんがいることを私に教えてくれている。


 この建物はエマのいる寮と同じくらいの高さの、丈夫なレンガ造りの建物だった。入り口は下の方に丈夫な木の扉が一つあるだけ。いったい何階建てなんだろうと考えたところで、奇妙な感じのする理由に気が付いた。この建物には窓一つもがないのだ。魔法によるとターニアちゃんは上の方にいるみたい。


 私がそのことをカールさんに伝えると、彼は遠巻きに私たちと移動してきた伝令役の人たちに、衛士隊への連絡を指示した。伝令役の人たちは一斉に散らばり、いろいろな方向へ走って消えていった。






「ドーラさん、私が侵入してターニアを救出します。ドーラさんはこの建物に出入りしようとする人間を無力化してください。」


「で、でもカールさん、この建物・・・。」


 カールさんは分かっているというように頷いた。どうやら彼も気が付いているみたいだ。この建物全体から人間の血の匂いがすることに。


「あの、私が建物ごと魔法の領域に取り込んで、中の人を眠らせちゃいましょうか? 領域に入れば、中の様子も手に取るように分かりますし、安全だと思うんですけど・・・。」


 私がそう言うと彼はすぐに首を振って、それをきっぱりと断った。


「それはいけません。ドーラさんは絶対にこの中に入らないでください。約束してくれますか?」


 真剣な表情でそう言われ、私は頷くことしかできなかった。


 心配のあまり、私は彼にありったけの強化呪文をかけた。彼は「大丈夫ですよ」と私の手を取って笑いかけ、辺りに気を配りながら、そっと建物の入り口に接近していった。











 カールは丈夫な扉に接近する。予想通り、扉はしっかりと閉ざされていた。軽く扉を押した感じだと金属製の鍵に加え、どうやら閂のようなものが掛けられているようだ。


 彼は右の腰に下げた剣を左手で抜き、右手に持ち替えた。これはドーラが作ってくれた魔法剣だ。それを使って扉を斬りつける。丈夫な扉が柔らかいパンの様に切り裂かれ、崩れるようにその場に落ちた。


 重い扉の残骸が床に散らばるが、音は一切響かない。ドーラがかけてくれた《消音》の魔法の効果だ。壊れた扉の向こうから、強い血の匂いが顔に吹き付けてくる。彼は残骸を跨ぎ、素早く建物の中へと侵入した。


 建物の中はぼんやりと全体が明るかった。照明らしきものは見当たらない。壁や天井自体がうっすら発光しているようだ。魔法がかけられているに違いない。扉の先は大人の男が二人並んで歩けるくらいの廊下だった。


 廊下の両側には一定の間隔で扉が並んでいる。扉の大きさと間隔から判断して、両側の部屋はさほど広くはないようだ。廊下の突き当りには階段があり、上と下に続いている。彼は漂ってくる血の香りを頼りに、階段を下へと降りた。






 階段の下は暗闇が広がっていた。しかしドーラの使った《暗視》の魔法の効果がまだ続いているため、ある程度の視界は確保できている。階段の下は石造りの地下室になっているようだ。階段の突き当りには木の扉があり、そこから強烈な血の匂いが漂ってくる。


 カールは扉をそっと押し開けた。死臭と腐臭、そして血の生臭い匂いが彼の顔を叩く。暗い部屋の中に木箱が雑然と置かれていた。彼はその一つを開けて中を覗き込んだ。


 箱の中に詰められていたのは人間の遺体らしきものだった。確かめてみると他の箱も同様。ほとんど遺体は原型を留めていない。遺体の損傷具合から、おそらくひどい殺され方をしたのだろうということが想像できた。


 惨たらしい姿の遺体の中には子供と思われるものもあった。カールは彼らの冥福を祈りながら、そっと木箱を閉じた。






 彼の予想が悪い方に当たってしまった。可能性は低いが、もしかしたら地下室に囚われている人間がいるかもしれないと思って最初にここへ降りて来たのだ。だが現実は非情だった。ただドーラにこの様子を見せずに済んだことだけが不幸中の幸いだと言えるかもしれない。


 この施設の正体は分からないが、ターニアを攫った男たちは人を人とも思わない連中のようだ。彼は剣をドーラの作った魔法剣から普通の剣に持ち替えた。もう遠慮する理由はなくなった。騒がれる前に出会った者は全員斬る。


 カールは素早く階段を駆け上がる。ターニアがいるのはおそらく最上階。急いで救出しなくては。






 その時、上から誰かが降りてくる足音が聞こえた。カールは剣を構えたまま更に速度を上げた。風体のあまり良くない二人の男は、目の前に飛び出してきた彼の姿を見てぎょっとしたように足を止めた。


「なっ・・・!?」


 男たちの間をカールが駆け抜ける。彼は後ろも見ずにそのまま階段を駆け上がっていった。


 彼を追うため後ろを振り返って、懐にしまってある短剣を取り出そうとした男の手首が、短剣を掴んだままの形でごとりと階段に落ちる。次の瞬間、驚愕に目を見開いた男たちの四肢と首がバラバラに切り離され、壊れた人形のように階段に転がった。


 ゴトンゴトンと音を立てて階段を落ちる男たちの首が最期に目にしたのは、切り刻まれた自分の胴体が凄まじい勢いで血を噴き上げる光景だった。











 鋭い打擲音を立てて細い木のむちに剥き出しの背中を打たれ、ターニアの細い体が跳ね上がった。彼女の口から細い悲鳴が吐き出され、両手を天井から吊るしている鎖がガチャリと音を立てた。


 恐ろしい拷問具が置かれた部屋の真ん中で、天井から吊られたターニアの小さな体がゆらゆらと揺れる。彼女を笞で打った男が、痛みで気を失いかけた彼女の髪を乱暴に掴み上げ、無理矢理上を向かせた。


「勝手に楽になろうとしてんじゃねえぞ、このクソガキ。俺に恥をかかせた上に、育ててもらった恩を忘れて衛士隊に親を売りやがって!落とし前はきっちりつけさせてもらうぞ!」


 彼女の髪を掴んだ男が怒鳴りつけ、彼女の頬を平手で叩いた。口の中が切れて鉄の味が広がる。血を飲み込んだせいで急激に吐き気を催したが、彼女はそれを必死に堪えた。


 しかし再び背中に笞を受けたことで、両手を吊り下げられたまま彼女は激しく嘔吐した。鎖に繋がれた不自由な体を折り曲げて、必死にこみ上げてくるものを吐き出し、空気を求めて喘ぐ。引き裂かれた楽師見習いの服が自分の吐瀉物で汚れるのを見て、どうしようもない悲しみがこみ上げ、彼女は絶望の涙を流した。






 咳き込む彼女に彼女を攫った男、この奴隷商館の元締めが桶で水を浴びせた。彼女の苦しむ様子を見て満足そうに唇を歪めた男は、荒い息を吐く彼女の濡れた髪を掴むと、憎々し気な調子で言った。


「このまま嬲り殺してやりたいところだがな。お前にはもう買い手がついてたんだ。なのに親を裏切って逃げ出しやがって。期日通りに商品の受け渡しができなかったおかげで、どんだけ足元を見られたと思ってんだ、ああ?」


 男が大きな拳を彼女の無防備な腹に叩き込む。かはっと言う音と共に息を吐きだし、苦しむ彼女に再び男は言った。


「だがこれでやっと俺の面子も立つってもんだ。お前の飼い主はな、貴族様なんだよ。子供の悲鳴を聞くのが何より好きなお方でな。奴隷商館うちのお得意様さ。街でたまたま聞いたお前の声を大層気に入ったそうだぞ。光栄だろ?」


 ポロポロと涙をこぼす彼女を見て、男は嬉しくて仕方がないという感じで囁いた。


「お前、あの方のところに行ったら、毎日こんな風に可愛がってもらえるだろうよ。貴族様に満足してもらえるよう、せいぜいいい声で泣くんだな。」


 男が彼女の頬に再び平手打ちをしようと手を振り上げた。ターニアはぎゅっと体を固くし痛みに備える。






 だがその時、突然後ろでゴトリと物音がした。何事かと振り返ろうとした男は両足を何かでバシンと強く打たれたような激しい痛みと衝撃を感じ、その場に崩れ落ちた。


「な、なんだ!? 足が動かねえ!?」


 驚く男の目の前で黒い影がさっと動いたかと思うと、鋭い金属音と共に鎖で吊るされていたターニアが落ちる。剣で太い鎖を断ち切るという信じられないような技を見せたその男は、落ちるターニアを優しく受け止め、腕の中に抱きかかえた。


「ターニア、助けに来たぞ。遅くなってすまなかった。」


「あ、あなたは、女神さまの・・・。」


「ああ、あの人も下で君を待っている。もう大丈夫だ。」


 カールが腕の中のターニアにそう囁くと、彼女の体から安心したように力が抜け、程なく気を失った。彼は懐から外傷回復薬ポーションを取り出し、彼女の傷にふりかけた。みるみる彼女の傷が塞がっていく。






「な、なんだてめえ!俺に何しやがった!? おい、賊だ!出てこいお前ら!!」


 床に這いつくばった男が激昂して叫ぶ。だがそれに答える者は誰もいない。不気味な静けさを破ったのは、カールの冷たい声だった。


「この館の中で生きているのは、お前と私たちだけだ。」


 何を馬鹿なと言い返そうとして、カールの目を見た男はそれが真実であることを瞬時に悟った。冷たい殺人者の目。人を斬ることになんの躊躇いも持たない無感情な目で、彼は床の上の男を見下ろしていた。


 必死に立ち上がって逃げようとするが、足が言うことを聞かない。おかしいと思って自分の足を見た男は、そこで初めて膝の裏と踵の辺りから僅かに出血していることに気が付いた。






「両足の腱を切断した。無駄なことはやめろ。」


 彼は床を這いずって逃げようとする男の右手を踏み砕いた。醜い悲鳴を上げて、男が床をのたうち回る。更に一歩近づいたカールに、男は必死の形相で叫んだ。


「ま、待て!! 俺を殺すな!! 俺が死ねばその子供も死ぬことになるぞ!!」


 男の言葉で、カールは腕の中で横たわるターニアの服を少し開き、胸を確かめた。そこには手のひらほどの大きさの呪印が刻まれていた。隷属の刻印だ。


 隷属の刻印を刻んだものは相手を支配することができるがそれだけではない。魂同士を呪いによって結びつけるこの刻印は、支配者が死ぬと同時に被支配者の命を奪う効果もあるのだ。


 カールの動きが止まったことで、男は勝ち誇ったように叫んだ。






「お前、ギルドに雇われた暗殺者アサシンか何か知らねえが、残念だったな。もうそのガキは俺のもんだ。大人しくガキを置いて出ていけ。逆らうんじゃねえぞ。なんてったって、俺には貴族様が付いてるんだ。もし俺にこれ以上何かしたらただじゃ・・・!」


 カールは男のたるんだ顎をつま先で蹴り上げた。頭を激しく揺さぶられ、意識を刈り取られた男が白目をむいて昏倒する。カールは腕の中のターニアを優しく抱えなおすと、男をその場において部屋を後にした。











 建物の中に入っていくらもしないうちに、カールさんがターニアちゃんを腕に抱えて帰ってきた。カールさんの外套には血がついているけれど、匂いが違うから彼の血ではない。多分、返り血だろう。


「よかったカールさん。無事だったんですね。ターニアちゃんは?」


「ドーラさんの魔法のおかげで無事に助け出せましたよ。ただ困ったことがあるんです。」


 彼はターニアちゃんの服を少し開いて、彼女の胸を見せてくれた。胸の真ん中に何だかすごく嫌な感じする呪印が刻まれている。


「これを何とかできませんか?」


「壊せばいいんですね? 任せてください!」


 私はターニアちゃんの体を縛る魔力の繋がりを両手で掴むと、彼女から引きはがしてそのまま握りつぶした。胸の呪印が消え去ると同時に、建物の中から潰れたカエルのような「ぐええぇ!」という悲鳴が聞こえた。なんだろ?






 そうこうしているうちに、あちこちから衛士さんたちが私たちの周りに集まってきた。カールさんは彼らのリーダーにいくつか指示を出すと、私に言った。


「私は彼らと一緒に後始末をしてから帰ります。ドーラさんはターニアを連れて帰ってあげてください。」


 確かにターニアちゃんの服はひどく汚れてボロボロだし、顔色もかなり悪い。早く休ませてあげないと。でもそうは言ってももうだいぶ遅い時間だし、私は吟遊詩人ギルドの場所を知らない。


 私はターニアちゃんを、王立学校の自分の部屋に連れて行くことにした。《集団転移》で自分の部屋に移動すると、物音を聞きつけたリアさんが近づいてきた。


 驚く彼女に私は事情を説明した。彼女によるとエマたちはもう寝床に入っているそうだ。もう遅いもんね。私はターニアちゃんの体を清めた後、私の寝間着を着せて寝床に寝かせた。


 強壮の魔法薬を薄めて口に含ませると、彼女の青ざめていた頬に少し色が戻ってきた。私は彼女に《安眠》と《悪夢払い》の魔法をかける。寝息が穏やかになったのを見て、ホッと胸を撫でおろした。


 そのままじっと彼女を見守っていたら、リアさんが「ちょっと出かけてきます」と言って、音もなく部屋を出ていった。こんな夜中にお散歩かな。彼女も私と同じで、あんまり寝なくても平気な人なのかしら。






 ターニアちゃんの安らかな寝顔を見ながら、私は今日のことを振り返る。ターニアちゃんが助かったのは本当によかったけど、なんだか胸にもやもやしたものがある。それが何なのかは分からないけれど、ハウル村で暮らしていた時には感じたことのない気持ちだ。


 カールさんが「あの建物に入らないでください」と言った時、私は何も言えなくなってしまった。それは彼の真剣な表情を見たせいだけれどもう一つ、あの建物から何とも言えない嫌なものを感じ取ったからだ。


 私は人間が大好きだ。彼らが互いに助け合い補い合って命を繋いでいく姿に、私は魅かれている。でもあの建物から感じたのはそれとは全く逆のものだった。あれは駄目だ。存在していてはいけないものだ。直接目にしたわけでもないのに、本能が強く私にそう訴えてかけてきた。


 今回のことで私はまだまだ人間について知らないことがあるのだと思った。でもそれを知るのは正直恐ろしい。それを知った私がどう変わってしまうのか、それを考えると恐ろしくて仕方がなかった。


 私はこれからも人間を好きでいたい。人間のことをもっと知りたい。でもそれが怖い。悩む私の心に突然、ガブリエラさんの言葉が閃いた。






「どんなに恐ろしくても知ることを止めてはダメよ、ドーラ。」


 私はハッとして虚空を仰いだ。彼女は錬金術師として、ありとあらゆるものの真理を知ろうと常に探求を続けていた。だけど真実を知ることは、時に辛いこともあるのだと彼女は言っていたっけ。


 彼女のことを思い浮かべると、心の中に勇気が湧いてくる。彼女に続いてエマ、カールさん、そしてこれまで出会った多くの人たちが私の心に浮かび上がってきた。そうだ。私は一人じゃない。


 辛いことを知ったとしても、私にはみんながいる。みんなが私を支える大事な杖になってくれる。胸に温かな気持ちが沸き上がり、私は我知らず「ありがとう」と呟いていた。


 私はカールさんに今度の事件のことを詳しく教えてもらおうと思った。それは辛いことかもしれないけれど、でも目を背けてはいけないことだ。


 目の前で安らかに眠る小さなターニアちゃんの姿を、ちょっと前のエマの姿と重ね合わせながら、私はそう思ったのでした。






種族:神竜

名前:ドーラ

職業:上級錬金術師

   中級建築術師


所持金:2104000D(王国銀貨のみ)

 → ゲルラトへ出資中 10000D

 → エマへ貸し出し中 5000D

読んでくださった方、ありがとうございました。

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