132 お芝居
ブックマークを100件いただきました。本当にありがとうございます。あと感想を書いてくださった方もいらっしゃいました。本当に感謝の言葉もありません。
今日のお話ですが、昨日書いていたものがPCの不調で半分くらい消えてしまい、その後で書き進めたらすごく長くなってしまいました。いつも以上にまとまりがありませんが、よかったた読んでただけると嬉しいです。
春の季末試験が終わり、およそ半月ほどのお休みを貰えることになったエマたちは、ニーナちゃんのたっての希望でお芝居を見に行くことになった。
一緒に行くのはエマと同室の4人と私、カールさん。あとは付き添いとして侍女のリアさん、ジビレさん。それに馬車の手配をしてくれるバルシュ家の家令マルコさん。合計9名だ。
お芝居の行われる劇場は、中央広場北側の川沿いにたくさんあるそうだ。『王立劇場』という一番大きな劇場から、『芝居小屋』と呼ばれる本当に小さい劇場まであるらしい。
ニーナちゃんはお芝居のことにすごく詳しい。彼女のお母さんがお芝居が大好きで、彼女もその影響を受けたのだという。
「私、お芝居って見たことないよ。とっても楽しみ!」
「私もだよ、エマちゃん。あ、でも小さい頃に暮らしてた修道院で劇をしたことがある。私、妖精の役をやったの・・・楽しかったな。」
ミカエラちゃんが少し寂しそうに言った。ミカエラちゃんと一緒に暮らしていた修道院の人たちは、彼女を攫った悪者たちに殺されてしまったのだ。
そのことを知っているエマは、彼女の手をそっと取ってぎゅっと握った。二人が視線を交わして微笑み合う。ミカエラちゃんは「ありがとうエマちゃん」と小さな声で、お礼を言った。
「私もお芝居は見たことがないですね。今日はどんなお芝居を観るのですか、ニーナ?」
「まだ決めていないけれど、この馬車で行けるとなると王立劇場とエイミ座、あとはルキアーノ座くらいかしら。」
ニーナちゃんが言った3つの劇場は貴族がよく利用するところらしい。人気・実力ともに王国でも1,2を争う役者や劇作家のお芝居が見られるそうだ。その分、料金もかなり高額なんだとか。
「皆さんはどんなお芝居が観たいですか?」
ニーナちゃんの問いかけにエマ、ミカエラちゃん、ゼルマちゃんがそれぞれ答えた。
「私は騎士やお姫様が出てくるお話がいいな。最後に二人が結ばれて幸せに暮らしましたっていうのが好き。」
「私は神話や宗教劇かしら。英雄譚も好きですよ。」
「私は戦記や冒険活劇が好きです。探索行もいいですね。」
「皆、バラバラですのね。困りましたわ。」
皆の言葉にニーナちゃんは頬に手を当てて考え込んでしまった。
「初めてだから何でもいいよ。どんなものか見てみたいし。ニーナちゃんのおすすめのお話にするよ。」
エマの言葉にミカエラちゃんとゼルマちゃんも頷いた。
「わかりましたわ。ではそれぞれの劇場でどんな芝居がかかっているか見てみましょう。」
中央広場の馬車溜りに馬車を停めてしばらく待っていると、家令のマルコさんがそれぞれの劇場でやっているお芝居の演目を聞いてきてくれた。
「『妖精郷奇譚』と『聖女様の物語』と『砂漠の魔剣』ですか。どれもすごくいいお芝居ですわね。」
ニーナちゃんはまた考え込んでしまった。私は彼女にそれぞれどんなお話なのかを聞いてみた。
『妖精郷奇譚』は妖精と恋に落ちた若い男の人が、消えてしまった恋人の妖精を探し求めて、妖精郷という不思議な世界を旅する話だという。
妖精郷って、大地の竜の背中にあるあの島のことだろうか。あそこに人間が入ったら大変なことになりそうだけど、大丈夫なのかな?
『聖女様の物語』は聖女教の初代聖女様の活躍を描いた宗教劇。悪神が世界を滅ぼすために呼び出した魔竜を、聖女様が退治するという話らしい。
いくら何でも私たち竜が人間に倒されるとは思えないんだけど・・・。本物の竜じゃなくて飛竜みたいに別竜なのかもしれないね。
『砂漠の魔剣』は王権の証である伝説の魔剣を双子の王子が奪い合うという戦記物だそうだ。劇中にある激しい剣舞が有名な作品なんだって。
ゼルマちゃんとカールさんは興味がありそうだったけど、他の三人はあんまり乗り気じゃないようだった。
ニーナちゃんによると『妖精郷奇譚』と『砂漠の魔剣』はどちらも悲劇だそうだ。
「私はあんまり悲しいお話は見たくないなあ。」
エマの言葉に皆が同意する。私もまったく同感だ。どうせ見るなら楽しく笑えるお芝居がいい。
「私はどちらもとても素晴らしいと思います。王都でも大人気の演目なんですよ。」
ニーナちゃんの言葉が不思議だったので、私は彼女に尋ねてみた。
「ねえニーナちゃん、どうして皆、わざわざ悲しいお話のお芝居を見に行くの?」
皆も同じように気になっていたようで、一度に彼女の方を見る。彼女は困ったようにしながらも、ちゃんと私の質問に答えてくれた。
「これは私の考えですけど、きっと悲劇を観ることで、悲しみの意味を探したいんだと思いますわ。」
「悲しみの意味?」
「ええ。生きていれば突然やってくる悲しい出来事ってたくさんありますわよね。」
それはよくわかる。私は人間の世界に来てまだほんの数年だけど、その短い間に大好きな人との死別や離別を経験し、とても悲しい気持ちになった。永遠の時間を生きる神々や妖精たちと暮らしていた時には、感じたことのない気持ちだ。悲しみはどれも突然で理不尽なものばかりだったように思う。
「もしもその悲しみが何の意味もないものだとしたら、生きていくことは本当に辛すぎます。だから悲劇を観ることで自分の体験した悲しみに、何か意味をみつけようとしてるんじゃないかと思うんです。」
「ニーナちゃん・・・!」
私は思わずニーナちゃんの手を取った。淡々と語る彼女がとても痛ましく見えたからだ。
こんなに小さいのにそんなことを考えるだなんて、一体彼女はどれほど理不尽な悲しみに耐えてきたのだろう。他の皆もニーナちゃんのことを心配そうに見つめていた。
「ありがとうございます、ドーラさん。」
彼女は恥ずかしそうにそう言った後、パッと表情を変えて明るい調子で言った。
「せっかくのお休みにお友達と見に行くなら、楽しいお話の方がいいですわよね。『聖女様の物語』を観に行きましょう。よろしいかしら?」
もちろん皆はそれに大賛成した。私たちの馬車は『聖女様の物語』が上演されるエイミ座の劇場へ向けて出発した。
中央広場のすぐ北側の大通り、王立劇場の隣にエイミ座の劇場はあった。その隣がルキアーノ座の劇場だ。
この通りは北に行くほど、どんどん小さな劇場になっていくのだそうだ。一番小さい劇場は『全席立見』で料金も1Dと、お手軽な値段でお芝居を楽しむことができる。王都の人たちはお芝居が大好きで、週末の休みになるとどの劇場もすぐに満員になってしまうのだそうだ。
ニーナちゃんはお母さんに連れられて、ほとんど全部の劇場に行ったことがあるという。それを聞いてカールさんはとても驚いていた。貴族の夫人がそのようなことをするのはかなり珍しいことらしい。きっとそれだけお芝居が好きだということなのだろう。
エマたちの昼ご飯が終わってから寮を出てきたため、今はちょうど昼下がりの時間帯だ。平日ということもあり、まだそんなに人はいないようだけれど、それでもエイミ座の広い停車場にはたくさんの馬車が並んでいた。
「あれはお昼前から来ている上級や中級貴族の方たちですわね。」
ニーナちゃんがそう教えてくれた。お芝居が始まるのはもうしばらく後だけれど、劇場自体は昼前から開場していて、中で軽食や飲み物を楽しみながら、楽師の演奏を聴いたり踊り子たちの演技を観たりすることができるそうだ。
「昼前から来ている貴族の方たちは、若い楽師や踊り子たちの演技を見て、お気に入りを探すんです。お気に入りの後援をすることで彼らを育て、同好の間で互いにお気に入りを自慢しあうのが楽しみなんだそうですよ。」
そうやっていかにいち早く、優れた演技者や役者に目を付けられるかを競い合うのだそうだ。何だか面白そう!
私たちは正面玄関で馬車を降り、荘厳な石段を上がって石造りの美しい劇場の中に入った。玄関の向こうは吹き抜けの大きな広間になっていた。ホールの正面と左右に通路が伸びており、正面の通路の両側には2階続く階段がある。
広間にはあまり人気がないが、その向こうから楽器の演奏とたくさんの人々の気配がする。
私たちが広間に入ると、黒い服を着た男の人が優雅な動きで近づいてきた。ニーナちゃんが彼に何事か言うと、彼は私たちを正面の通路へと案内してくれた。通路の突き当りには両開きの丈夫な木の扉があった。
それを開けるとまた短い通路があり、その向こうに同じ扉がもう一枚。不思議な作りだ。ニーナちゃんによると、お芝居や演奏の邪魔にならないようにこんな作りになっているらしい。
「あの向こうが会場ですわ。さあ、参りましょう。」
私たちは扉を通って会場に入った。扉の向こうにはものすごく大きな円筒形の空間が広がっていた。
魔法の照明があちこちに設置されているものの会場内はやや薄暗い。人間なら互いの顔は見えるけれど、文字を読むのは難しいくらいの明るさだ。
それに対して正面に見える舞台は昼間のように明るかった。この会場はちょうど円の真ん中で入り口のある座席側と舞台側に分けられた形になっている。
私たちは黒い服の男性に案内されて、舞台に向って右側の席に案内された。そこは低い壁で仕切られた屋根のない小部屋のような場所で、その中にテーブルと座席が設けられている。
椅子に座ると他の席の様子が見えなくなり、逆に舞台がとてもよく見えた。舞台を集中して見られるようにという工夫なのだろう。入り口の二重扉もそうだけど、こんな細かいところにまで気を配るなんて、人間って本当にすごいなと感心してしまった。
私のたちの席の上には、壁からせり出した露台があった。
「あそこは二階席ですね。上級貴族の方たちが利用する特別席なんですの。全部個室になっているんですよ。私は入ったことはないですけどね。」
ニーナちゃんの説明によると、上級貴族たちは特別席にお気に入りの演技者を呼んで共に会食をすることもあるそうだ。特別席の料金は一室4000D。私たちが今いる席が400Dなのでおよそ10倍だ。値段を聞いたエマが思わず二階席を二度見した気持ちも分かる。
400Dでもかなりの高額だ。一般家庭の食費およそ10か月分。そのさらに10倍を一回のお芝居で使ってしまうのだから、上級貴族というのは大変なお金持ちらしい。
この劇場の座席は見る場所によって細かく料金が設定されている。ニーナちゃんがお母さんと一緒に利用している一番後ろの立見席だと一人4Dらしい。それでも結構な値段だけどね。
ちなみに今日のお芝居の代金は私とカールさんが半分ずつ負担している。ニーナちゃんたちはすごく恐縮していたけれど、カールさんが「試験を頑張ったごほうびだから」と言って説得してくれたのだ。
本当はカールさんが全部出してくれると言ったのだけれど「私もエマたちにごほうびをあげたいです」といったら、「では半分こにしましょう」と言ってくれた。私はカールさんのそういうところがたまらなく好きだ。
運ばれてきた飲み物をリアさんとジビレさんが給仕してくれた。その後二人も一緒に座って、お芝居が始まるのを待つ。何組かの歌や踊り、楽器の演奏の披露があった後、会場の照明が消えた。それにつれて人々のざわめきも、潮が引くように静まっていった。
「いよいよ始まりますわ。」
暗闇の中、ニーナちゃんが小声で囁いた。舞台を明かりが照らし出し、そこにいる白い法服の女性の姿を浮かび上がらせる。ドキドキして見つめる私たちの前で、楽団の演奏と共に彼女は素晴らしい声で歌い始めた。
お芝居が終わって会場を出たときには、空はすでに赤く染まっていた。
私たちは放心状態のまま、マルコさんが準備してくれた馬車に乗り込んだ。
「・・・すごすぎて言葉が出ないよ。私、歌を聞いただけであんなに泣いたの初めて。」
「私もよ、エマちゃん。聖女様が死んでしまった英雄の魂を天に還す場面は、本当に目が離せなかったもの。」
「私は英雄が光の巨人となって魔竜を打ち倒す場面が印象に残りました。何というかこう、胸が熱くなりました。」
エマ、ミカエラちゃん、ゼルマちゃんがそれぞれお芝居について話すのを、ニーナちゃんはうんうんと頷きながら聞いていた。私もみんなとまったく同じ感想だ。初めて見たお芝居は本当に素晴らしかった。
お芝居で役者の人たちは、登場人物の気持ちを歌で表現しているのだけれど、そのどれもが本当に素敵だった。これまでも私は妖精や精霊たちの歌声を聞いたことがある。その歌も大好きだけれど、お芝居の歌はそれとはまったく別物だった。
人間の感情が歌になった時、聞いてる人の気持ちをあんなにも揺さぶるものだというのを、私は初めて知ることができた。そしてそれを盛り上げる楽器の演奏や照明、そして魔法を使った舞台装置の数々。人間の作り出すものの素晴らしさがすべてそこに詰まっていると、私は思った。
私は、戦いで多くの人が死んでしまったことを嘆く聖女様の歌に泣いた。また、激しく立ち回りながら歌う英雄と魔竜の戦いの歌には本当にハラハラしたし、魔竜を倒し世界が平和になったことを喜び合う人たちの歌にはとても勇気づけられた。
カールさんはそんな私にハンカチを差し出してくれた。私はお芝居に見入ってしまい、ハッと気が付いたときにはハンカチと一緒に彼の手をしっかりと握りしめていた。ちょっと恥ずかしかったけど、でもそれくらいお芝居に感動したのだ。
だからお芝居の最後に役者さんたちがみんなで舞台に出てきたときには、私も他の観客と一緒に立ち上がって、一生懸命に拍手を送った。ちなみに魔竜役の人は、黒い外套と棘のある兜を被っただけの至って普通の人間でした。
魔竜役の人はお芝居の時はすっごく憎らしかったけど、最後は皆と一緒にニコニコ笑っていたので、役者さんってすごいんだなと驚いてしまった。
私はエマたちと一緒に「今日は素晴らしいお芝居に案内してくれて、本当にありがとう」とニーナちゃんにお礼を言った。するとニーナちゃんはポロリと涙をこぼし、泣き笑いしながら答えた。
「私こそとても楽しかったですわ。お友達と一緒に大好きなお芝居の話をするのがこんなに楽しいだなんて、今まで知りませんでした。」
エマたちがニーナちゃんのところに体を寄せて座り、彼女の手を取りながら言った。
「ニーナちゃんがお芝居を好きっていう理由がよく分かったよ!もっといろいろ教えてね!」
「今度は悲劇にも挑戦してみたいです。おすすめはありますか?」
「今度行くときもぜひ誘ってください、ニーナ。そのために小遣いを貯めておきますから。」
皆に囲まれたニーナちゃんは、目のふちに涙を貯め、無言のまま笑顔で何度も何度も頷いていた。
寮へ向かって私たちの馬車は夕方の中央通りに出たものの、上位の貴族の馬車が出るのを待たなくてはいけないため、なかなか先へ進むことができなかった。
馬車の窓を開けると、あちこちの建物から煮炊きをする薪の香りと美味しそうな料理の匂いが風に乗って漂ってきた。エマのお腹が可愛い音を立て、皆がくすくすと笑う。
「お昼ご飯が少なめだったから、お腹がすいちゃった。」
エマが照れてそう言うと、皆もお腹を押さえてそれに同意した。ニーナちゃんが「たくさん食べて眠くなるといけないから、お昼は控えめになさってください」と言ったので、今日のお昼は皆、いつもの半分くらいしか食べていないのだ。
私は馬車の窓を閉め、《収納》から熱々のコロッケを取り出して、皆に配った。みんなが美味しそうにコロッケを頬張る様子をニコニコしながら見ていたら、馬車の外から女の子の歌声が聞こえてきた。
「これって今日のお芝居で聞いた歌だよね。すっごく上手!」
「『死せる英雄を悼む独唱歌』ですわね。ドーラさんのおっしゃる通り、本当に伸びやかできれいな歌声です。」
ニーナちゃんも歌声を絶賛している。私は歌声の主を確かめようと、馬車の窓をほんの少しだけ開けて外を見た。歌声の主はすぐに見つけることができた。それはエマよりも少し小さい女の子だった。ぼさぼさの髪に隠されていて、彼女の顔を見ることは出来なかった。
彼女は継ぎの当たったぶかぶかの服を着て、裸足のまま中央広場の噴水の隅に立ち、道行く人たちに歌を披露していた。
楽器の演奏などもないのに、思わず引き込まれてしまうような美しい歌声だ。買い物の足を止めて彼女の歌を聞いている人たちもいて、ちょっとした人だかりができている。
曲が終わると周囲の人たちから拍手が起こった。彼女がぺこりと頭を下げ、自分の着ている服のスカートを少し持ち上げると、買い物をしていた人たちが、そこにパンの欠片や野菜などを入れていく。
「『物乞い』をしている貧民の子供のようですね。」
私と一緒に外を見たカールさんが言った。物乞いというのは道行く人にお金や食べ物を恵んでもらう人のことだそうだ。
しばらくそうやって彼女の様子を見ていたら、急に彼女がびくりと体を震わせた。彼女の視線の先を見ると、楽器を背負った男の人が二人、怖い顔で彼女のところに近づいてきている。
慌てて逃げようとした彼女を男の人の片方がどんっと乱暴に突き飛ばした。彼女は抱えていた食べ物と一緒に石畳の上に倒れ込んだ。
私が「あっ」と思った次の瞬間には、カールさんが馬車の扉を開けて広場に飛び出していた。私も慌てて彼を追う。エマたちは追ってこようとして、リアさんたちに止められていた。
官服に金色の貴族章を付けたカールさんの姿を見て、通りを行く人が慌てて道を開ける。その後を追う私の姿を見た彼らは、あんぐりと口を開け、その場に茫然と立ち竦んでいた。
女の子を殴ろうとしていた男の人の手をカールさんが掴んで止めた。男の人は止めに入った彼に食って掛かろうとしたが、相手が貴族であることに気が付いて、すぐにその場に平伏した。
私は倒れた女の子に駆け寄って助け起こし、地面に散らばった食べ物を集めた。私を見た彼女が「女神様・・・!」と小さく呟いた。
カールさんは私たちを庇うように立ち、目の前にひれ伏す男の人に問いかけた。
「幼い子供に乱暴を働いたのはなぜだ。顔を上げて質問に答えよ。」
カールさんの腰にある剣を恐る恐る見上げながら、男の人が震える声で答えた。
「そのガ・・子供が何度言っても無許可で歌を歌うのを止めないからでございます。」
彼らは王都の吟遊詩人ギルドの組合員だという。お祭りなどの特別な時を除き、王都の広場や通りで歌や踊りを披露するには、吟遊詩人ギルドに申請をしなくてはならないのだそうだ。
私たちの周りにはいつの間にか人垣ができていた。カールさんは彼らの言い分を聞いた上で言った。
「なるほど。話は分かった。君たちの主張に間違いはないようだ。この子供は王国の法を犯している。裁かれるべきはこの子供の方だ。」
男の人たちは明らかにホッとした顔をした。しかしカールさんは厳しい口調で言葉を続けた。
「だがそれが幼い子供に乱暴してよい理由にはならない。国王陛下が私刑を禁じていらっしゃるのは知っているな? もしこの子供が君たちを訴追するといえば、私は君たちを逮捕する。」
男の人の顔が夕闇の中であってもはっきりわかるくらい土気色に変わった。カールさんはしゃがみ込み、私が後ろから抱きしめている女の子に話しかけた。女の子はガタガタと体を震わせていた。
「君の名前は?」
「た、ターニア、です。」
「ターニア、君はこの男たちを傷害の罪で訴えるか?」
男の人たちはターニアちゃんの顔を今にも泣き出しそうな顔で見つめていた。ターニアちゃんは首を横に振って答えた。
「い、いいえ、貴族様。あたしが悪いんです。何度も注意されたのに歌うのを止めなかったから。でも、そうしないと親方に叱られるから・・・!」
「わかった。ターニア、君は王国の決まりを破った。だから私は君を逮捕する。分かるね?」
ターニアちゃんは顔をくしゃりと歪めた後、ぐっと涙を堪えて「はい」と力なく呟いた。カールさんが男の人たちに言った。
「ターニアは君たちを訴追しないと言った。これで君たちは放免だ。私はターニアを逮捕し、衛士隊詰所へ連行する。」
周囲の人たちが息を呑む音が聞こえた。彼らは非難するような目でカールさんを見ている。崩れ落ちそうになるターニアちゃんを私はしっかりと抱きしめた。放免すると言われた男の人が、カールさんに向けて絞り出すような声を上げた。
「すみません貴族様!先ほどの話は私の勘違いでございます!この子供は歌など歌っておりません!」
男の人の悲痛な叫び声に、カールさんは無表情のまま冷たい調子で言った。
「・・・君は先ほど私にこの子が歌を歌っていたと証言したが? 悪意を持って貴族へ偽証したとなれば子供への傷害どころでは済まないぞ?」
カールさんの鋭い目つきに男の人たちは震えあがる。しかし彼らは叫ぶように声を上げた。
「そ、それは私の勘違いでございました!その子供は歌ってなどおりません!あれは・・・そう、物乞いです!通りに行く人間に食べ物を恵んでくれるよう言った言葉が、たまたま歌のように聞こえただけでございます!」
「あ、相棒の言う通りです、貴族様!私たちの勘違いでお手を煩わせてしまい、本当に申し訳ございませんでした!」
二人は石畳に額をこすりつけるようにして叫んだ。カールさんは右の腰に佩いている私の作った剣を左手でさっと抜きはらった。周囲の人垣から悲鳴が上がる。すると私の手の中で震えていたターニアちゃんが声を上げた。
「貴族様!二人は悪くありません!あたしは歌っていました!」
「いいえ、貴族様!この子は歌っていません!どうか許してやってください!」
カールさんは左手に構えた剣をスッと降ろし、男の人たちの首元に近づけて狙いを定めた。
「やめて!!」
私は腕の中で暴れるターニアちゃんをしっかり抱きしめて、彼女に「大丈夫よ、あの方に任せておいて」と言った。ターニアちゃんは驚いて私の方を見た。私は汚れた髪の奥に見える彼女の目を見て、安心させるようにゆっくり頷いた。
ターニアちゃんの叫びを無視してカールさんは男の人たちに言った。
「では見ていた者たちに尋ねてみるとしよう。君たちの偽証が証明されれば、この場で刑を執行することになる。今からでも言葉を翻す気はないか?」
「ご、ございません!」
「では尋ねる。この者たちが行ったのは偽証か?それともただの勘違いか?証言できる者はいるか?」
カールさんが大きな声で周囲に呼び掛けると、周りで見ていた人たちが一歩下がった。カールさんはそれを見て、無言で剣を振り上げる。ありふれた片手剣が夕日を受けて血の色に輝いた。男の人たちは地面に頭を付けたまま、じっと目を瞑った。
その時、一人の女性が進み出て言った。
「貴族様!あたしは見てました!この連中のただの勘違いです!歌みたいに聞こえたけど、きっと気のせいです!」
するとそれに続いて次々と声が上がる。
「俺も見ました。勘違いですぜ!」
「僕も見たよ!この人たちの勘違いだよ!」
周囲の人たちが口々に証言する。カールさんはサッと手首を返して、剣を収めた。
「どうやら私の早合点だったようだな。無実の君たちを疑ってしまってすまないことをした。立ち上がってくれ。そして私の謝罪を受け入れてくれるだろうか?」
「貴族様・・・!!ありがとうございます!!」
男の人たちが立ち上がり、カールさんに向って深々と頭を下げた。それを見た周囲の人たちから、わっと歓声と上がり拍手が巻き起こった。
「ありがとう。では私はこの子から事情を聴こうと思う。よかったら君たちも知っていることを教えてくれないか?」
「もちろんです!」
「相棒の言う通りです。あのよかったら、貴族様のお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
カールさんはちょっと困った顔をした。私はその顔が何だかとても可愛らしく見えて、クスクス笑ってしまった。ターニアちゃんが驚いて私を振り返る。
「・・・私はカール・ルッツ令外男爵だ。」
「ルッツ・・・!? 平民判官様のご子息ですか?」
カールさんの名前を聞いた男の人が大きな声を上げると、周囲の人たちがざわざわとしだした。
「平民判官様のご子息って、もしかしてあの『竜殺しの英雄』!?」
「貴族にしては随分寛大な方だと思っていたけど、あの判官様の息子だったんだ!じゃあ最初から助けるつもりであんなことをしてたのか。立派な方だねぇ。」
「俺は最初から分かってたぜ!あの方は立派な方だってな!!」
「何言ってんだい!あんた、剣を見て本気でブルってたじゃないのさ!!」
カールさんが私の方に軽く目配せをした。私はターニアちゃんをそっと彼の方に押し出した。
「女神様、あたし・・・。」
「大丈夫。カール様はきっとあなたによくしてくださいます。さあ、これを持ってお行きなさい。」
私は《収納》から籠を取り出し、ターニアちゃんの持っていた食べ物と熱々のコロッケを詰め込んで、彼女に手渡した。彼女は戸惑っていたけれど、やがてこくんと頷き「女神様、ありがとう」と言って、カールさんの方へ行った。私はカールさんの名前を称える人たちの間を通って、エマたちのいる馬車に戻った。
夕闇の中、馬車は王立学校に向けて走り始めた。
「すごくドキドキしましたわね。カール様が剣を抜いたときはどうなることかと思いました。何事もなく収まったよかったですね。」
ニーナちゃんが胸を撫で降ろしながら言うと、ゼルマちゃんが彼女に言った。
「いやカール様は最初からあの二人を斬るつもりなんてありませんでしたよ。」
「そうなんですの!?」
「だって左手で剣を持っていらしたから。カール様は右利きなんです。」
それは私も分かった。それに彼が持っていたのは私が作った魔法剣だったし。あの剣で人間を傷つけることはできないのだ。皆には内緒だけどね。
ニーナちゃんはほうっと息を吐きながら言った。
「じゃあ最初からすべて分かっていてあんなことを? カール様も随分と役者でいらっしゃるのね。」
それを聞いてみんながくすくす笑う。
「それにカール様、いつの間にかあの女の子の罪、二人の男の人の罪も有耶無耶にしてしまわれましたね。」
「そうだよねー。カールお兄ちゃん、どんどん話をすり替えてたもん。あれ、わざとでしょ?」
それは全然気が付いていなかった。そんなことしてたのか。でもカールさんならきっと皆を助けてくれると思っていた。私の思った通りになって、本当によかった。
その後、寮に戻った私はエマたちの夕食と入浴を済ませた。エマたちは寝る時間になる間際まで、今日のお芝居とその後の出来事について話し合っていた。そしてそれは温厚なジビレさんに叱られるまで、ずっと続いたのでした。
種族:神竜
名前:ドーラ
職業:上級錬金術師
中級建築術師
所持金:2059500D(王国銀貨のみ)
→ ゲルラトへ出資中 10000D
→ エマへ貸し出し中 5000D
→ 馬車代の代金 300D
→ 観劇料 200D
読んでくださった方、本当にありがとうございました。
※ 名前が間違っていました。すみません。
×マリア → 〇ターニア