117 出発
ブックマーク90件いただきました。ありがとうございます。昨日PCの不調で投稿できなかったので、続けて書いていたら長くなってしまいました。
仕立て屋のドゥービエさんがやってきた次の日、ハウル村ではこの春に旅立つガブリエラさん、テレサさん、ディルグリムくんとのお別れの宴が開かれることになった。
会場はガブリエラさんの屋敷と、普段は学校として使われている村の集会場だ。村長のフランツさんの挨拶の後、三人が村のみんなにお別れの言葉を述べた。
村の皆はガブリエラさんが遠くの国にお嫁に行くというのを聞いて、泣き笑いの表情をしていた。結婚はとてもおめでたい出来事だけれど、彼女との別れは悲しい。
ガブリエラさんが村のために、これまでどんなに頑張ってきたかを知らない人はいない。皆はそれぞれガブリエラさんのところにお別れの挨拶をしに行っていた。どの人の目にも涙が溢れていた。
村の子供たちからは、手作りのお守りが彼女へ渡された。それは子供たちがそれぞれ集めてきたきれいな石や木の実を繋ぎ合わせて作った小さな首飾りだった。
子供たちが結婚のお祝いと、遠くへ旅立つ彼女を案じる気持ちを涙ながらに述べると、ガブリエラさんも目を潤ませ、子供たち一人一人を抱きしめて「ありがとう」とお礼を言った。
私とエマは彼女に杖を贈った。以前、彼女が自分で作った杖はウェスタ村での戦いで燃えてしまい、今使っているのは仮の物だったからだ。
私たちが贈った新しい杖はペンターさん、フラミィさんに協力して作ってもらったものだ。闇属性のイチイの古木の芯材をペンターさんが加工し、その先端にフラミィさんが魔法銀で作った三日月形の飾りがあしらわれている。
飾りの中央には宝石のように煌めく大きな闇の魔石が嵌めこまれていた。これは私が竜の姿で狩りをしながら見つけた、棘と目がたくさんあるカエルみたいな魔獣を倒して手に入れたものだ。
このカエルは火を噴く山の麓にある毒の沼地に住んでいて、自分も猛毒の粘液を吐き出す厄介な魔獣だ。でも私は毒がへっちゃらなので、時々食べに行っていた。
身は淡白で甘みがあり鶏肉みたいな食感だけど、毒のある粘液がピリッとした刺激になって身の甘みが引き立つ。結構大きいので食べ応えがあるし、動きが鈍いので捕まえるのも簡単だ。ただ共食いをする性質があるので、数が少ないのが唯一の欠点かな。
私が苦労して取り出した魔石をエマが加工し、フラミィさんに杖につけてもらったのだ。皆で作った杖を見てガブリエラさんは驚き、とても喜んでくれた。
杖を渡した後、私とエマはガブリエラさんからの最後の課題だった『保温の魔法陣』を彼女に見せた。彼女はそれをじっくりと眺めた後、「合格よ」とだけ言って私たちを抱きしめてくれた。
私は彼女の顔を見上げようとしたが、彼女は私とエマの顔を胸にしっかりと押しつけたまま、離そうとしなかった。彼女の体が小刻みに震え、私とエマの顔に熱い雫がぽたりと落ちてきた。
その後、宴は三人との別れを惜しむように夜遅くまで続けられたが、やがて終わりの時を迎えて、皆はそれぞれの家に帰っていった。
その翌日、ガブリエラさんは王様からの迎えの馬車に乗って、ハウル村を旅立っていった。多くの人に見送られて遠ざかっていく馬車に、私とエマ、そしてミカエラちゃんは最後まで手を振り続けた。
ミカエラちゃんは目に涙をいっぱい貯めて彼女を見送ったが、彼女の乗った馬車が街道の先に消えるまで、決して涙を流さなかった。そんな彼女の手をエマがしっかりと握っていた。
この後、ガブリエラさんは春の神事の後に行われるお城での祝祭に参加する。そこで彼女が王様の養女になること、そして東ゴルド帝国へお嫁に行くことが貴族の人たちに発表されることになっている。
東ゴルド帝国へは馬車に乗って『東西公路』という道を通っていく。帝国の帝都であるオクタバという街まで大体3か月近くかかるらしい。私たちは西の空に向って彼女の無事を祈り、家に戻った。
彼女が旅立って10日余り後、ハウル村でも春の祝祭が行われた。今年の祝祭もとても楽しかったけれど、私はガブリエラさんがいないことが寂しかった。しょんぼりする私をマリーさんが抱きしめて言った。
「ガブリエラ様はあたしらを信じて、旅立って行ったんだ。ねえドーラ。それに応えてやろうじゃないか。あの方の残してくれたものを、あたしらが守っていくのさ。」
ガブリエラさんはいなくなったけれど、彼女の思いは、この村に、この国に確かな形として残っている。私たちはそれを受け継ぎ、守ることができるのだ。
それに気づかせてもらった私は、マリーさんにお礼を言った。彼女は私を胸に抱きよせ、泣いている私の頭を優しく撫でてくれた。彼女の胸はとても温かく、土と甘いミルクの香りがした。
その夜、私はドルーア山のねぐらに帰り、竜の姿に戻って春の神事で捧げられたお酒と果物を食べ、気持ちよく眠りに就いたのだった。
私が目を覚まし村に帰ると、すでに半月が経ってしまっていた。今年はいろいろあったせいか、いつもより長く眠ってしまったみたいだ。
私が村に帰った時には、もうテレサさんとディルグリムが旅立った後だった。エマの話によると、二人は迎えに来た神聖騎士団とファ族の人たちに伴われ、それぞれの国へ向かったそうだ。
テレサさんが旅立つ前日の夜、熊と踊り子亭に『聖女の導き』メンバーが集まり、お別れの会をしたという。ハーレさんが酔っぱらって大号泣し大変だったと、エマが教えてくれた。
私が村に帰るとすぐ、私とエマ、そしてミカエラちゃんは王都に旅立つことになった。来月の初めに行われる王立学校の入学式に参加するためだ。私が帰った時には、すでに出発の準備が整っていたので、翌日に出発することになった。
「エマをよろしく頼むぜ、ドーラ。」
たくさんの村の人たちと一緒に見送りに来てくれたフランツさんが、私の手を取って言った。私は「任せてください!」と胸を張った。
エマとミカエラちゃんは、仕立て屋のドゥービエさんが届けてくれたというきれいな服を着ていた。ガブリエラさんが社交用のドレスとは別の、普段使いできる服をたくさん注文してくれていたらしい。
ドゥービエさん渾身のデザインだという服は、とても二人に似合っていて可愛らしかった。服に添えられた彼女の手紙には、服を着た二人の様子を絵に描いておいてほしいと書かれていた。私は手紙にあった指示に従って二人にポーズを取ってもらい、それを絵に描き留めた。
私たちはカールさんが準備してくれた2台の馬車に乗り、王都に向けて出発した。私と一緒に行くのはエマとミカエラちゃん、そしてカールさんだ。
もう一台の馬車にはカールさんの侍女リアさんと、学校でミカエラちゃんのお世話をすることになるバルシュ家の侍女ジビレさん、そして彼女の旦那さんで家令のマルコさんが乗っている。
リアさんは私と一緒にエマの身の周りの世話をすることになっている。彼女とはこれまであんまり話したことはない。なんか微妙に避けられているような気もするんだけど、きっと気のせいだろう。うん。
二台の馬車はカールさんの配下である衛士さんたちに守られながら、ハウル街道を北上していった。
一日目はハウル街道を順調に進み、ノーザン村で一泊することになった。以前ハウル村が襲撃されて避難していた時、お世話になった宿にまた宿泊した。宿のご主人は私のことを覚えてくれていて、大歓迎してくれた。
私は王立学校での練習も兼ねてエプロンドレス姿になり、エマやミカエラちゃんのお世話を手伝った。私がカールさんに「私の仕事ぶりはどうですか?」と聞いてみると、彼はちょっと顔を赤らめて「すごく素敵だと思います」と答えてくれた。
二日目はノーザン村から次の村に向ったけれど、進むのにとても時間がかかった。雪解け水で道がぬかるみ、馬車が何度も立往生してしまったからだ。私はそのたびに泥にはまり込んだ馬車を持ち上げた。私の着ていたエプロンドレスが汚れてしまったけれど、エマが《洗浄》の魔法できれいにしてくれた。
道が悪いせいで馬車はひどく揺れ、カールさんとミカエラちゃんはたちまち気分を悪くしてしまった。私は《領域創造》の魔法で馬車の中の空間だけを外と切り離し、揺れを無くした。それで何とか二人は少しだけ良くなった。
カールさんによると王都の近くになるまでは、ほとんどこんな風に舗装されてない道が続くそうだ。もう一台の馬車に乗っているジビレさんとマルコさんも、かなり辛そうにしていた。これは良くないです!
その夜、私はこっそり宿を抜けだし、魔法を使ってノーザン村から次の村までの道をレンガで舗装した。次の朝、近隣の村は大騒ぎになったけれど、カールさんが王家の紋章を村の人に示し、護衛の衛士さんたちを使って「国王陛下の魔法によるものです」と知らせを出してくれたので、騒ぎはすぐに収まった。
村の人たちは王様の魔法にすごく驚きながらも、道がよくなったことを感謝していた。私がカールさんに騒ぎを収めてくれたことへのお礼を言うと、彼はにっこり笑って片目をつぶり「こちらこそありがとうございます」と言ってくれた。
その後、いくつかの村を経由しながら王都に向かった。私は村に着くたびに、次の村までの道を舗装していったので揺れが少なくなり、快適に旅をすることができた。
6日後の昼下がりに、私たちは王都に着いた。私はこれまでも何度か王都の周りに来たことはあるけれど、そのほとんどは夜中に空の上から見ただけだった。だから初めて地上から見る王都の様子に、圧倒されてしまった。
王都は見上げるほど巨大な石造りの城壁に囲まれていた。空の上から見るとそんなに大きく感じなかったけれど、人間の姿で下から見るとすごい迫力だ。
城壁は王都の真ん中を流れるドルーア川で大きく東西に分かれていた。街道はドルーア川の西岸に沿って王都へと続いている。川の東岸は水路の巡らされた畑が広がっていて、そこには農作業をする大勢の人たちがいた。
開け放した馬車の窓からは、城壁の上を槍や弓を持ったたくさんの人たちが歩き回っているのが見える。城壁には所々に高い塔があり、その上には大きな弓のようなものが備え付けてあった。
カールさんに聞いてみたら、あれは飛竜を撃退するための『大型弩砲』というものだと教えてくれた。滅多に襲ってくることはないけれど、王都周辺では年に数回、飛竜による被害が出るのだそうだ。
竜の私にとっては美味しいおやつである飛竜だけど、人間にはあんなすごいものを作って備えるほどの恐ろしい魔獣らしい。
城壁の周囲には大きな水路が巡らされている。これは『堀』というものらしい。街道に繋がる南側の城壁には、巨大な跳ね上げ式の橋が設置されていて、その奥にも金属製の巨大な扉があった。ここが王都の南門だ。
南門は大型の馬車が何台もすれ違えるほどに大きい。そして門へ続く道の片側にはたくさんの人や荷馬車が列を作っている。ハウル村の門と同じで、中に入るための検査を受けているのだろう。
私たちの乗った馬車はその列を避けて南門に入った。門を守る衛士さんたちが、私たちの乗る馬車を敬礼して見送ってくれた。
王都の中に入ると、あちこちから食べ物を調理するよい匂いが漂ってきた。私とエマ、そしてミカエラちゃんは、窓の外に見える王都の風景に夢中になった。
南門を入ってすぐにある大きな広場の周りには、たくさんの建物や倉庫が並び、そこで大勢の人たちが荷物を馬車から降ろしたり、建物の中に運び込んだりしていた。
「人がいっぱい。今日はお祭り、じゃないよね?」
「多分・・・。」
エマとミカエラちゃんが馬車から道行く人たちを眺めながら呟く。ハウル村では見たこともないほどの人の数だ。
「カールさん、王都って何人くらい人が住んでるんですか?」
「ざっと21万人ほどだと思います。ただこの数には商人などの一時滞在者や奴隷は含まれていません。だから実際はもう少し多いと思いますよ。」
「21万?ハウル村が今、400人くらいだから・・・500倍以上!?すごいです!!」
余りの数の多さに驚いてしまった。でもドルアメデス王都は都市としては標準的な大きさだそうだ。他の国にはもっと大きな町があるらしい。いつか行ってみたいなー。
ちなみに王都内にはあまり奴隷がいないそうだ。これは反乱防止など治安上の理由かららしい。
王都内の道はすべてレンガで舗装されているので、馬車の揺れが少ない。カールさんもミカエラちゃんも心なしかホッとした表情をしていた。
私たちの馬車は水路の巡らされた大きな通りに沿って北へ進み、すごく大きな円形の広場に出た。ここには多くの露店や屋台が立ち並ぶ市場があった。ここにもたくさんの水路が道に沿って走っており、あちこちに小さな橋が架かっていた。
縦横に走る水路が交わる広場の中央には、石でできた美しい彫刻が並ぶ階段状の構造物があった。これは水路の真ん中にあり、浮島のようになっていて、きれいな石造りの橋で周りと繋がっている。
山のように積み重なった構造物は見上げるほど大きく、その天辺からはどんどん水が流れ出て彫刻の足元を流れ、水路に流れ込んでいた。
彫刻は水瓶を持った女の人や剣を持った男の人など、人間の姿を象ったものがほとんどだけれど、中には飛竜や獅子の彫刻もある。そして飛竜や獅子の口からもきれいな水が流れ出ていた。
私とエマ、そしてミカエラちゃんは初めて見るその構造物の美しさに目を奪われた。
「カールお兄ちゃん、あれは何?」
「『噴水』だよ。大きな水路の交わるところに必ずあるんだ。あれ自体が水を浄化する魔道具で、水路の水をきれいにしているんだよ。」
カールさんによると、もっと小さいものも王都内のあちこちに設置されていて、水路の水を絶えずきれいに保ちつつ、水の流れをコントロールしているらしい。
そう言えばガブリエラさんと建築術師のクルベ先生も、ハウル村の水路のあちこちに《浄水》の魔法陣が掛かれた石を設置していたっけ。あ、思い出したらちょっと寂しくなっちゃった。
ガブリエラさん、今のどの辺りかなー。私みたいに寂しくて泣いたりしてないといいけど。
馬車は噴水のある広場を西に曲がって進んでいった。西に行くにつれて、街の喧騒が遠ざかり、静かになっていく。そして周りの建物も少しずつ大きく立派になってきた。道を歩く人は少なくなり、代わりに立派な馬車とすれ違うようになった。
通りに面した建物が無くなって、やがてきれいな生け垣や塀に囲まれた立派なお屋敷へと変わる。
「この辺りは下級貴族の邸宅が集まっているんですよ。」
私が以前、空から王都を見たとき、王都は大きな横長の八角形をしているように見えた。その八角形の真ん中をドルーア川が流れていて、王都は東西に分かれているのだ。
カールさんによると、川の西側は王や貴族たちが住む場所で、東側は平民たちが多く暮らしているらしい。川から離れて東に行くほど、貧しい人たちが暮らす街になっているそうだ。
王城は王都北西の小高い丘の上にあり、周りを城壁で囲まれている。その外側、王都南西部には貴族たちの邸宅が集まっており、王城に近い場所ほど爵位の高い貴族が住んでいるという。
「今日はもう午後遅い時間ですし、今晩は私の実家に逗留してください。私の家は下級貴族なので王都の南側、つまりこの広場から近い場所にあるんです。」
「え、カールお兄ちゃんのお家に?やったー!」
「そのつもりで伝令を頼んで連絡しておいたんだ。大したもてなしはできないと思うけど、出来る限りのことをさせてもらうよ。」
それを聞いてエマとミカエラちゃんは大喜びしていた。もちろん私も嬉しい。でもちょっとだけドキドキする。
そう思ってカールさんを見たら目が合ってしまった。彼は「ドーラさんをお招きできるのがとても嬉しいです」と言ってにっこりと微笑んでくれた。
塀の向こうに小さく見える白い壁のお屋敷をいくつも通り過ぎた後、私たちはカールさんの実家であるルッツ家の門の前に辿り着いた。ルッツ家の周りは周りの家と同じような塀と生け垣に囲まれていて、やはり同じような格子状の金属の門扉がついていた。
馬車を護衛していた衛士さんが門扉の前に立っていた細身の男性に何か話しかけると、男性が門扉を開けて馬車を通してくれた。門の中にはきれいに手入れされた庭が広がっている。
庭には小さな池があり、その畔に小さな建物が建っていた。あれは知ってる。たしか『東屋』っていう建物だ。ガブリエラさんの家にペンターさんが作りたいって言ってたけど、結局温室を作ったから、作れずじまいになってしまったのだ。
東屋の周りには季節の花が咲く花壇やきれいに形を整えた庭木があり、その奥に二階建ての離れのような建物が見えた。カールさんによると、あれは使用人さんたちが暮らす家だそうだ。
門から続く庭の小道の向こうに二階建てのお屋敷が建っていた。ハウル村にあるガブリエラさんのお屋敷の倍くらいの大きさだ。
「カールお兄ちゃんのお家、すっごくおっきいね!」
「そうだね。でも貴族の屋敷としては小さい方なんだよ。」
エマの言葉にカールさんは苦笑しながら答えた。私たちはそれを聞いてとても驚いてしまった。
「カールさんの家は下級貴族なんですよね?」
「はい。父は男爵位を持っています。ルッツ家は代々領地を持たない官僚貴族なんです。私の父は王都の王立調停所で働いているんですよ。」
貴族社会の仕組みについてはガブリエラさんから教わったので、なんとなくは分かる。でも具体的にはまださっぱりだ。
「王立調停所って何をするところですか?」
「王都で起こった揉め事を解決するために、国王陛下に代わって揉め事の調査や仲裁をする機関です。貴族が平民に対して法を無視した横暴を働かないように監視する役割もあるんですよ。」
王都内の小さな揉め事なら、町役人やギルドなどが間に入って調停する。それで収まらないような場合には、王立調停所が間に入って裁定を行うらしい。
また、貴族に対して平民は立場が非常に弱いため、酷い目に遭わされても泣き寝入りせざる得ない場合が多いらしい。そうならないように、この調停所が作られたのだそうだ。
「私の父は常に『貴族は平民を守るためにいるのだ』と言っています。ですがそれを忘れてしまう貴族も多いのですよ。」
「分かった!だからカールお兄ちゃんは、私たちにも親切なんだね!」
エマがあげた嬉しそうな声を聞いたカールさんはにっこりと笑って頷き、エマの頭を撫でた。
「その調停所で働いている父と長兄が今日は待っているはずです。父はちょっと不愛想ですが、別に怒っているわけではありませんから、安心してくださいね。」
私たちはカールさんの言葉に「はい!」と返事をした。
2台の馬車がお屋敷の玄関の前に止まると、後ろの馬車からリアさんとジビレさん、マルコさんが飛び出してきて、私たちの馬車の扉のところに並んだ。
御者さんが扉を開けてくれるのを待ってカールさんが馬車を降り、カールさんが手を差し出してミカエラちゃん、エマ、私の順番で馬車から降りるのを手伝ってくれた。
私たちは優雅にカールさんにお礼を言って、その場に立って案内を待つ。この『馬車の降り方』はガブリエラさんと一緒に散々練習したのでもう完璧だ。
馬車から降りたミカエラちゃんの前に、玄関の前で待っていた男性が二人進み出てきた。私とエマは一歩下がり、優雅に軽く頭を下げて待つ。最初に歩いて来た細身の男性が、ミカエラちゃんに貴族式の挨拶をした後、自分の名前を名乗った。
「お初にお目にかかります、ミカエラ・バルシュ様。私はルッツ家の当主、ハインリヒ・ルッツでございます。ようこそ我が家へお越しくださいました。なんのおもてなしもできませんが、どうかごゆるりとお寛ぎください。」
それに対してミカエラちゃんが女性貴族のお辞儀をしてから、答えた。
「お招きにあずかり大変光栄でございます、ルッツ男爵閣下。この度は私の同行者もおります故、後ほどご挨拶をさせてくださいませ。」
私とエマはそれに合わせてお辞儀をし、深々と頭を下げる。
私たちはハインリヒさんの「ではお疲れでしょうから、まずは屋敷の中へお入りください」という声が聞こえるまでずっと頭を下げて待ち、その後ミカエラちゃんと一緒に屋敷の中へ入った。
私たちの後ろではカールさんが衛士さんたちを労い、お金のたくさん入った皮袋を衛士のリーダーさんに手渡していた。衛士さんたちから嬉しそうな声が上がる。彼らはこの後、それぞれの家に帰ったり、宿に泊まったりする予定だ。カールさんは浮かれる彼らに「飲みすぎて明日遅刻するなよ」と釘を刺していた。
私たちは客間に通され、お茶のもてなしを受けた。その間にリアさんたちが私たちの荷物をそれぞれの部屋に運んでくれているはずだ。いつもは私もそれを手伝うのだけれど、今日の私はお客様なのでエマたちと一緒に座っている。
だから今日の私はいつものエプロンドレスではなく、エマとお揃いの薄桃色のワンピースを着ている。ミカエラちゃんは緑の髪の色に合わせた若草色のワンピースだ。もちろんすべて、ドゥービエさん渾身の作だ。
コロコロした体形の年配の侍女さんが淹れてくれたお茶を飲みながら待っていると、カールさんがハインリヒさんと、もう一人丸っこい体つきの男の人と一緒に客間へ入ってきた。
私たちはさっと立ち上がった。そしてエマと一緒にミカエラちゃんの後ろに控え、またお辞儀をした。
「ルッツ男爵閣下、改めてお招きに感謝申し上げます。先ほど紹介できなかった同行者を紹介させてくださいませ。」
ハインリヒさんがそれを了承し、私たちに顔を上げるように言った。まずはエマが自分の名前を名乗る。
「ハウル村のエマと申します。私のような者までお招きいただきまして、誠に感謝の言葉もございません。どうぞお見知りおきくださいませ。」
「エマ殿の高名、私も聞き及んでいる。幼き身でありながら迷宮討伐を成し遂げるほどの勇者だとな。今後ともよろしく頼む。」
エマがお辞儀をしたので、次は私の番だ。うー、ドキドキする!
「ハ、ハウル村のまじゅない師、ドーラでございます!この度はお招きに預かり、た、大変光栄に存じます。」
しまった、噛んじゃった!
たちまち私の耳の先が熱くなって、体がプルプル震えてきた。
「ドーラ殿の噂もかねがね聞いている。ガブリエラ様の大変優秀な弟子であるとか。こちらこそよろしく頼む。」
怒られるかなとドキドキしたけれど、ハインリヒさんは一つ頷いただけで表情一つ変えなかった。私はホッとしてお辞儀をした。
「堅苦しい挨拶はこのくらいでよろしいですかな、ミカエラ様。」
ハインリヒさんの言葉をミカエラちゃんが了承すると、彼は「お二人とも楽になさってください」と言って、私たちを座らせた。
「では改めて。私はカールの父親でハインリヒ、こちらは長男のアーベルです。そしてこの家の家事を取り仕切ってくれている侍女のコネリ。彼女はカールの侍女リアの祖母なのですよ。」
ハインリヒさんが落ち着いた笑顔で、私たちに二人を紹介した。二人はにっこり笑って私たちに軽く頭を下げてくれた。こうしているときのハインリヒさんは、普段のカールさんとすごく雰囲気が似ている。
私はやっと緊張が解け、思わず「ふう」と息を吐いてしまった。それを聞いたカールさんとハインリヒさんが苦笑する。
あああ、しまった!またやっちゃった!
「よいのですよ。お二人はカールにとって、家族同然の方々だと聞いています。どうか自分の家だと思ってゆっくりしてください。」
あわあわする私にハインリヒさんが優しく声をかけてくれた。アーベルさんたちもうんうんと頷いている。私は恥ずかしさで真っ赤になり、小声で「ありがとうございます」と言うのが精一杯だった。
そんな私の姿を見て、エマとミカエラちゃんは顔を見合わせ、クスクスと笑った。
私たちはその後、今日宿泊する部屋に通された。カールさんがあらかじめ三人を同じ部屋にしてくれるよう言ってくれていたので、私はエマ、ミカエラちゃんと一緒の部屋だ。
そこで少し休んでから、リアさんとジビレさんに身だしなみを整えてもらい、食堂に向かう。食事にはハインリヒさんとアーベルさん、それにアーベルさんの家族も同席していた。
アーベルさんの奥さんは、彼とよく似た雰囲気の女性だった。でも体形はほっそりしていて小柄なので、アーベルさんとは正反対だ。彼女も下級貴族出身だと言っていた。
二人の間には3人の子供がいるそうだけれど、まだ小さいのでこの場には同席していない。お客さんとの会食は10歳以上と決められているのだそうだ。
ハウル村ではおっぱいを飲むような赤ちゃんでも皆で一緒にご飯を食べていたから、そう言われるとすごく不思議な感じがする。貴族と平民の違いは、まだまだいっぱいありそうだ。
夕食で出たのは煮魚と薄いスープ、そして柔らかいパンだった。パンには塩とヤギの乳で作ったクリームが添えられている。食事と一緒に出されている飲み物は香りがよくて甘みの強いエールだ。
とても美味しいけれど、普段ハウル村で食べているものとそんなに変わらない。違うのはパンが少し白っぽくて、柔らかいことくらいかな?
食事が一段落して皆でエールを飲んでいるとき、私はそのことを尋ねてみた。
「このパンはどうしてこんなに白っぽいんでしょうか?」
「これは小麦を混ぜてあるんですよ。普段は普通の黒パンを食べていますが、今日はお客様がいらしたので特別です。」
私の問いかけにハインリヒさんが答えてくれた。私はここで衝撃の事実を知った。なんと麦にはいろいろな種類があるのだそうだ。
小麦というのはハウル村で食べている麦に比べて実が小さく、育てるのも大変なのだそうだ。大地の恵みの豊かなところでないと育たないらしく、この小麦も西側にある王国の穀倉地帯から運ばれてきているものらしい。
「最近、旧バルシュ領の農産が復興したおかげで、王都でも小麦が安い値段で出回るようになったんですよ。」
アーベルさんがそう言ってミカエラちゃんを見た。バルシュ領は広い平原と豊かな水脈を持つ王国有数の穀倉地帯なのだそうだ。それに加え西の国々へと続く東西公路と接しているため、商業も盛んだったらしい。
「・・・この小麦はお姉様が残してくださったものなんですね。」
アーベルさんの言葉を聞いて、ミカエラちゃんが呟くように言った。
「あなたのお姉様は立派な方です。私は以前、あなたのお姉様に大変酷いことをしてしまいました。」
ハインリヒさんがミカエラちゃんにそう言った。彼はガブリエラさんが帝国へ旅立つ時に、そのことを直接彼女に謝罪したそうだ。
彼女はそれを受け入れ「人にはぞれぞれ果たすべき務めがありますわ。父を止めてくださってありがとうございました」と言ったという。
それを聞いたミカエラちゃんは目を潤ませながら「私がお姉様の志を引き継ぎますので、どうかご助力をよろしくお願いします」とハインリヒさんに言った。彼は「承知いたしました」と頭を下げた。
食事の後、お湯で体を清め、床に入った。でも私は眠れないので、横になったまま色々なことを考えていた。その時、安らかな寝息を立てるエマの向こうで、ミカエラちゃんが身じろぎする気配がした。
私がじっとしていると、小さく「お姉様・・・」と呟く声が聞こえた。彼女は声を殺して泣いているようだった。やがて泣きつかれた彼女は眠りに落ちた。私はそっと寝床を抜け出して、ミカエラちゃんの顔を覗き込んだ。
彼女に《安眠》の魔法をかけ、悪夢を遠ざける。表情が穏やかになり呼吸が安らかになった。私は彼女の頬に残る涙の後を、指先でそっと撫でた。
私は眠る彼女を見ながら考えた。私には無限の魔力と不死の力がある。
でもたった一人の女の子の悲しみを癒すことさえできない。人間の運命を前にしたときの、この力のなんと無力なことだろうか。
「ガブリエラ様、私はどうすればいいのでしょう?」
私は暗闇に向って問いかけた。
『それを探すためにあなたは人間と共にいるのでしょう、おバカさん。』
ガブリエラさんの声が私の心にはっきりと響いた。そうだ。そうだった。私には人間にはない力がある。それをどう使えばいいのか学ぶために、私はここにいるんじゃない?
私の力でみんなを幸せにする方法を考えるのだ。そのためにもっともっと人間のことを知らなくては。
眠る二人を見ながら、私は朝を待った。永い間の憧れだった私の王都での一日目は、こうして静かに過ぎていったのでした。
種族:神竜
名前:ドーラ
職業:上級錬金術師
中級建築術師
所持金:2342220D(王国銀貨のみ)
→ ゲルラトへ出資中 10000D
→ エマ・ドーラの私服の仕立て代 10000D
読んでくださった方、本当にありがとうございました。「本好きの下克上」と「オーバーロード」の新刊が出たので、この土日は書くのはちょっとお休みして、読書を楽しみます。




