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Missドラゴンの家計簿  作者: 青背表紙
114/188

110 迷宮核

短めのお話です。

 ディルグリムは目の前で自らの右腕に体を貫かれるガレスの姿を見て、恐怖の叫びを上げた。しかし、その叫びが仲間たちに届くことは決してない。彼の体は今、迷宮核によって完全に支配されていたからだ。


 迷宮核ダンジョンコアが放った不気味な光を目にした瞬間、彼の魂は核の魔力によって縛りつけられたのだ。彼は体の自由を奪われ、その身に宿る人狼の呪いを暴走させられた。


 必死に抵抗したが、核は彼の心の奥に眠る記憶を使って、彼の心を苛み力を奪った。彼が核の魔力に抗おうとするたびに、彼の耳元で多くの人々の断末魔の叫びが上がる。


「た、頼む!!殺さないでくれ!」


「お願い、この子だけは助けて!!」


「ぐわあ、痛え、痛えよ!!」


「腕がぁ、俺の腕がぁあ!!」


「お母さん、怖いよ!!助けて、お母さん!!」






 それはすべて彼自身が手にかけた、多くの罪なき人々の声だった。彼はかつて邪悪な魔導士によって支配され、多くの人の命を奪わされた。その記憶に苦しめられ、彼はこれまで自分の中の呪いを克服できずにいた。


 テレサとの修行を通し、かつて自分が殺めた人々の声に向き合うことで、彼は自分の罪から目を逸らさず、それを償うために生きていこうと思えるようになっていた。


 だが心の奥底では消えることのない後悔が、治りきらない古傷のように彼を苛んでいた。それは仲間に囲まれる幸せなひととき。あるいは誰かを愛おしいと感じたとき。そんな日常の何気ない折々で不意に表れ、彼を苦しめる。







 俺たち、私たちの命を、生活を、家族を、幸せを奪ったお前が、なぜそんなに幸せそうに笑う?


 お前は咎人だ。決して許されることなどない。さあ、聞け。俺たちの、私たちの苦痛の呻きと怨嗟の声を。


 それは心の闇に燃える赤き炎となり、彼の良心や理性、償いの気持ちを焼き尽くして、彼の身に宿る呪いを解き放てと迫ってくる。これまで彼は、テレサや仲間たちに支えられながら、その炎と戦い続けてきた。






 必死の思いで封じ込めていたその炎を、迷宮核に狙われたのだ。核は彼の心の隙を突いて、魔力で彼の魂を縛った。そして心の闇に宿る怨嗟の炎で、彼の心を焼き尽くそうとした。彼を新たな迷宮主とし、彼の仲間を殺させるために。


 だから核がはじめに狙ったのは、テレサだった。彼にとってかけがえのない師であり、母のように慕っている大切な女性。彼女の命を奪ってしまえば、彼の心は完全に壊れる。そして迷宮核の意のままに動く怪物と成り果てるに違いないからだ。


 それをガレスが命懸けで止めてくれた。ドーラの作った魔法の防具を貫くほどの必殺の一撃を、彼は自分の身を挺して防いだのだ。ディルグリムは自分の爪が彼の内臓を滅茶滅茶に引き裂く感触を味わい、恐怖の叫びを上げた。おそらく彼はもう助からないだろう。


 自分の手で大切な仲間を、自分にとって父親のような存在であるガレスの命を奪ってしまった。


 そう自覚した瞬間、彼の心は深い絶望の闇に閉ざされた。僕のせいだ。僕のせいで大切な人が死んでしまった。僕には無理だったんだ。やはり5年前、初めてこの村にやってきた時に思っていたように、自ら命を絶つべきだった。


 お師匠様、ごめんなさい。ガレスさん、ごめんなさい。みんな、ごめんなさい。


 激しい後悔と絶望で彼の心が壊れていく。核はさらに力を増し、ガレスに最期の一撃を加えるため、彼の右腕を引き抜こうと動かした。






 だがガレスは血を吐きながらも、彼の腕を自分の体に抱え込み、彼の動きを止めた。核は苛立たし気にそれを振りほどこうとしたが、ガレスは渾身の力で彼の腕を押さえ込んだ。


 核は彼の左腕を操り、ガレスの顔を爪で引き裂こうとした。ディルグリムの心は「もうやめてくれ!」と絶叫したが、その叫びも虚しく、ガレスの半面が切り裂かれた。彼の眼帯が弾け飛び、大きな古傷の跡と無くなった右目が露わになった。


 ガレスは爪の一撃にも怯むことなく、人狼となった彼の耳を掴んで強引に頭を引き寄せると、彼の額に思い切り頭突きを叩き入れた。核が魂の支配を一瞬手放してしまうほどの、衝撃が彼の体に走った。


「いつまでもメソメソしてんじゃねえぞクソガキ!!俺を見ろ、ディルグリム!!」


 怒鳴り声に視線を上げた彼の眼前にガレスの顔があった。口と鼻から大量に血を流し、半面を切り裂かれてひどい状態だ。だがガレスの一つしかない目は輝きを失うことなく、彼の目をまっすぐに見つめていた。


 そこには自分の命を奪った相手に対する怒りや恨みなど、一欠片もなかった。ガレスの目からは、彼に対する愛情と信頼が痛いほど伝わってきた。






 ディルグリムの心の闇に、小さな光が灯った。自分は決して許されない罪を犯した咎人だ。この罪は消えることはない。


 だけどそんな自分を受け入れ、信じてくれる人がいる。彼の心にこれまで仲間と過ごした数々の思い出が蘇る。それはやがて大きな光となって、彼の心の闇を晴らした。彼の魂に根を下ろす迷宮核から、激しい動揺が伝わってきた。


 ディルグリムはこの時、やっと自分を受け入れることができた。それは彼がこれまでの修行によって、自分の罪と向き合い続けてきた結果だったが、最後の決め手となったのは、父親のような男の熱い信頼を目の当たりにしたことだった。


 そして彼は初めて、これまで自分が本当の意味で仲間と向き合えていなかったことに気が付いた。彼は常に仲間に引け目を感じていた。罪を犯した自分を受け入れてくれるだろうかという恐れが、知らず知らず彼を臆病にしていた。


 しかし彼は今、すべてを受け入れることができた。自分の罪も、呪われた運命も、そして仲間の思いも。


 彼の心の成長は、すぐに体の変化となって表れた。一回り以上大きくなった体が元に戻り、狼の体毛が消えて人の姿に戻っていく。彼の変化を見たガレスはニヤリと笑い「ようやく分かったか、バカ息子め」と呟いた。






 ガレスの腕から力が抜け、ディルグリムの右腕を離れて、どさりと血だまりの中に倒れた。テレサとロウレアナが、倒れたガレスの元へふらふらしながら駆け寄ってきた。エマも痛む体を叱咤して立ち上がり、気絶しているハーレを起こして仲間の元へ向かった。


「ガレスさん、ガレスさん!!テレサ様、早く癒しの魔法でガレスさんを・・・!!」


 ガレスの体に取り縋り、泣きながらテレサに懇願するロウレアナ。しかしテレサは首を横に振り、そっと目を伏せた。


「この傷ではもう・・・。たとえ《反魂の祈り》を使ったとしても、救うことはできません。ごめんなさい。」


 ロウレアナの顔が絶望に歪む。だんだんと熱が失われていくガレスの体に抱き着いて、彼女は言葉にならない嘆きの声を上げた。






「お師匠様、体の傷を治せば助かるかもしれないのですね?」


 黙って立ち尽くしたまま、二人の会話を聞いていたディルグリムが、テレサにそう尋ねた。テレサは嫌な予感がして彼に問い返した。


「何をするつもりですか、ディルグリム。」


 彼はそれに答えず、中空に浮かぶ迷宮核に手を触れた。迷宮核が不気味な光を放ち、激しく明滅する。肌が露になったディルグリムの体に、忌まわしい呪印が浮かび上がる。それと共に同じ呪印が迷宮核の表面にも出現した。


「!! 呪いの力で迷宮核を支配したのですね!?何ということを・・・!!」


「僕は呪いの力を自由に扱えるようになりました。これもお師匠様のおかげです。これまで本当にありがとうございました。」


 まるで別れの挨拶のような彼の言葉を聞いて、エマが震える声で彼に問いかけた。


「ディルグリムお兄ちゃん、何をするつもりなの?」


「僕は迷宮核に囚われ、新たな迷宮主になった。さっきはこの核に支配されたけど、今度は僕が核を支配したんだ。今の僕はこの迷宮と一体になっている。この迷宮内の命無き者はすべて僕の支配下にあるんだ。それがどういうことかエマ、君になら分かるだろう?」






「!! まさか、迷宮の力でガレスさんを!?」


 迷宮は大地を歪め、地下に青空を作り出すほどの膨大な魔力を持つ。だがそれには大きな『魔術の制約』が伴うのだ。人の体を蘇らせるほどの魔力に、一体どれだけの『制約』が必要になるのか。エマは想像もつかなかった。


「だめ!!そんなことしたらお兄ちゃんまで・・・!!」


 死んでしまう、という言葉をエマは口に出せなかった。涙が溢れて言葉にならなかったのだ。ディルグリムは寂しそうに微笑むと、迷宮核に命じた。


「さあ迷宮核よ。お前の主たる僕が命じる。傷ついた迷宮を直すように、この者の傷を修復するんだ。」


 迷宮核が抵抗するように明滅したが、ディルグリムが触れる手に力を込めると、すぐに大人しくなった。






 地面に零れていたガレスの血が迷宮の床に吸い込まれて消え、ガレスの傷口が内側から泡立つように修復されていった。ハーレとロウレアナが驚きの声を上げる。テレサは冷たくなったガレスの体に手を触れて言った。


「これならばやれるかもしれません。ハーレ、《反魂の祈り》使います。補助をお願いします。」


「お姉様、そんなお体で《反魂の祈り》なんて・・・!!」


 色をなくしたテレサの顔を見て、そう言いかけたハーレだったが、テレサの瞳を見て言葉を飲み込み。黙って頷いた。


 テレサとハーレはガレスを両側から挟むように跪いた。


「ロウレアナ、エマ。あなたたちの力も貸してください。」


 ロウレアナはハーレと、エマはテレサと手を繋ぎ、ガレスの体の横に跪いた。テレサとハーレがガレスの胸に掌を当て、呪文を唱和した。







「生命の還流を司る大いなるものよ。われらが祈りによりて、今ひと時その導きの手を休め給え。肉体の軛を離れ、大いなる生命の源に還らんとする魂よ。われらが呼び掛けに応え、今再び汝を愛する人々の元へと帰り給え。世界を照らす聖女の光よ、われらの祈りを彼の者の魂に届け、再び戻らんとする者のしるべと為し給え。《反魂の祈り》」


 エマとロウレアナの魔力が、テレサとハーレの手を通して、ガレスの体に注ぎ込まれていく。エマはガレスが戻ってくることを一心に祈りながら、じっと目を瞑った。











 ガレスは光の中を歩いていた。どこだ、ここは?俺は何でこんなところにいるんだ?


 振り返って辺りの様子を見ようとしたが、なぜか足を止めることができない。そこで気が付いた。ああ、俺は死んだんだと。


 ディルグリムを止めようとして腹を抉られたんだっけ。てことは、これはあの世への道ってことか。


 彼は光に向って歩きながら、とんでもない失敗をしちまったなと独り言ちた。あの泣き虫小僧のことだ。きっと俺を殺しちまったって、またメソメソするに違いねえ。


 あんなに泣いてばっかりいるから、呪いなんぞに負けちまうんだ。頭に来て思わず頭突きを入れちまったが、あれでちっとはしゃんとしてくれりゃあいいんだが。






 でも最期に見たときは、ちょっといい目をしてやがったな。あれは何かを乗り越えた男の目だった。あの小僧があんな目を出来るようになったんなら、俺が死んだ甲斐もあるってもんか。


 彼はそう嘯くと、前を向いて歩みを速めた。光に近づくにつれて、だんだん引き寄せられるような感じがする。そしてそれに伴って、自分の体が溶けていくのだ。だがまったく恐れなどはなかった。逆にいろいろな物から解放されていくような感じだ。


 思えばろくでもないことばかりやっていた人生だった。多くの人を傷つけ、裏切ってきた。だが最期はまあ、ちっとはよかったかな。彼は仲間の顔を思い浮かべ、ぼりぼりと頭を掻いた。






 光の先に何か黒いものが見えた。あれは人影?


 近づいていくとそこに立っていたのはかつての彼の仲間たちだった。彼は急いで彼らの元へと駆け寄った。


「久しぶりだな、ガレス。随分老けたな。」


「おめえは変わらねえな、テオ。あの頃のまんまだ。」


 彼は一番彼を信頼してくれていたかつての相棒、両手剣を操る戦士テオと抱擁を交わした。


「俺を迎えに来てくれたのか?」


「ああ、黙って俺たちのところから出ていった馬鹿が、道に迷わねえようにな。」


「はっ、こきやがる。」


 変わらない仲間同士のやりとりにガレスは胸が熱くなり、しみじみとテオに言った。


「俺はお前らとまた一緒に仕事がしたかった。いろいろあったが、俺はようやくお前らと胸を張って会えるようになった気がするぜ。」


 ガレスの言葉にテオは他の仲間を振り返って肩をすくめると、ニヤリと笑って言った。






「いやまだだよ、ガレス。お前にはまだやるべきことがあるだろう?」


 テオはそう言うとガレスの肩に手をかけ、彼をくるりと回れ右させた。ガレスの足がひとりでに動き、彼はどんどんテオたちから遠ざかっていく。


「お、おい、何しやがるんだ!!」


 ガレスは振り返ろうとするが、どうしても振り返ることができない。光から遠ざかり、闇に向って歩いて行くガレスにテオは言った。


「お前を待ってる連中がいる。今度は迷わず帰れよ、馬鹿ガレス。」


 周囲から光が消え去り、闇の中を歩くガレスの目に、小さな、本当に小さな光が見えた。彼はその光から呼ばれているような気がした。あれは誰の声だろう。森を潤す優しい雨のような声。


 彼はその声に導かれ、吸い寄せられるように光に向って走り出した。











 止まっていたガレスの心臓が再び動き出した。息を吹き返したガレスは激しく咳き込み、口から血の塊を吐き出した。


「成功・・です・・・。」


 そう呟いたテレサと、ハーレそしてロウレアナは魔力を使い果たし、ガレスに覆いかぶさるようにして気を失った。


 エマはかろうじて意識を保っていたが、魔力枯渇による激しい頭痛と胸のむかつきに襲われ、起き上がるのもやっとの状態だった。


「ありがとう、エマ。僕は行くよ。皆によろしく伝えてね。」


 迷宮核に手をかけたままずっと立ち尽くしていたディルグリムがエマに別れを告げた。






「待って。ディルグリムお兄ちゃん、どこへ行くつもり?」


「ちょっと無理をしすぎちゃったみたいなんだ。迷宮核に飲まれる前に僕は自分の始末をつけるよ。」


 ディルグリムの体に刻まれた呪印からはどす黒い血が流れ始めていた。ディルグリムは迷宮核を片腕に抱えたまま、落ちている自分の小太刀を拾って、エマに差し出した。


「いつかでいいから、これを僕の一族の者に返してほしい。僕が修行に失敗したことが分かれば、小太刀を取りに来るはずだから。」


 エマは小太刀をじっと見つめていたが、無言で彼に手招きをした。なんだろうと思った彼が、しゃがみこんでエマの目線と合わせると、エマは強烈なビンタを彼に叩き込んだ。呆気にとられる彼にエマはものすごい勢いで怒鳴った。






「お兄ちゃんのバカ!そんなことして誰が喜ぶの!一人で悩んで、一人で解決して、一人で行っちゃうなんて!それはただ逃げてるだけだよ!!」


 エマは涙を流しながら、それでも彼を叱ることをやめなかった。


「お師匠様やガレスさんが何のために、お兄ちゃんを修行させたと思ってるの!!それにあたしたちだって!!あたしたちは仲間でしょ!!なんで最後まで一緒にあがこうって言わないの!!」


 エマは拳を握りしめ、顔を涙と鼻水だらけにしながら、必死に訴えた。


「あたしたちのためだなんて言わせない!!あたしたちを舐めないで!!だって、そんなの、そんなのひどすぎるよ!!」






 そこまでが限界だった。エマは感情の高ぶりを抑えることができず、わんわんと声を上げて泣きながら、ディルグリムの胸に抱き着いた。彼は涙を流し、エマを強く抱きしめた。


「ごめんねエマ。僕はまた、間違うところだった。」


「・・・そういう時は『ありがとう』だって、お母さん言ってたよ。」


 しゃくりあげながらそう言ったエマの顔を見て、ディルグリムは思わず笑顔になった。


「そうだね、エマ。ごめん・・・じゃないか。ありがとう、エマ。」


 エマがそれを聞いてにっこりと笑う。






「でも一体どうするつもりなの?このままじゃ迷宮核は僕の魂を食い尽くして、また別の迷宮主を探そうとするよ。」


 そう尋ねたディルグリムに、エマは悪戯っぽく笑って答えた。


「さっきも言ったでしょ?できないときはね、誰かに頼るんだよ!」

読んでくださった方、ありがとうございました。

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