109 迷宮主
眠いです。うまくまとめられなくて、すみません。
深き森の迷宮・第四階層の最奥、下層へと続く階段の先にあったのは、荘厳さを感じさせる巨大な両開きの石の扉だった。
ガレスが触れると、重い扉は音もなくひとりでに内側へと動き、開いた。扉の先にあったのは墓所だった。
かなり広さのある円形の部屋全体が安らかな青白い光に照らされている。エマたちのいる入り口のちょうど反対側に、牛の頭に美しい女性の体を持つ神の祭壇が作られていた。
部屋の中央には美しいモザイクタイルで飾られた巨大な石棺があり、それを守るように12の石棺が円を描くように周囲に並んでいた。
「きれい・・・!!」
エマは部屋の壁一面に描かれた、豊かな色彩の壁画に目を奪われた。絵を見る限り、どうやらこれは埋葬されている女性の生涯を描いたもののようだ。誕生から、成長、結婚、出産、そして病に伏し亡くなるまでの様子が克明に描かれている。冠を付けたその姿から、埋葬されている女性はどこかの国の女王ではないかと、エマは思った。
エマは特に途中に描かれている戦いの場面に興味を持った。空を飛ぶ奇妙な鳥のような形をしたものが、雷や火の矢を発して地上を焼き尽くしている。そして白い長衣を纏った黒い肌の女王がその鳥たちの前に立ちふさがって、城砦を守っている様子が描かれていたのだ。女王自らが、火や雷を吐く魔獣と戦ったということなのだろうか。
美しい墓所の様子に圧倒される彼らの目の前で、中央の棺を守るように配置されていた12の石棺がごとりと音を立てて、内側から開いた。
「来るぞ。」
ガレスの声でエマたちが身構えると同時に、12の石棺に横になっていた者たちがすっと起き上がった。それは金色に輝く胸当てと兜を身に着けた骸骨の戦士たちだった。
黒く長い刀身を持つ曲刀と黄金の丸盾を構えた彼らは、訓練された兵士のような機敏な動きで、整然と中央の石棺の前に立ち塞がった。
だがこちらを攻撃してくるそぶりはない。彼等は無言のまま陣形を整え、武器を構えてエマたちと対峙した。
「司祭様、どうする?こっちから行くか?」
ガレスの問いかけに、テレサは一歩前に踏み出して答えた。
「いいえ。向こうから襲い掛かってくる様子はありません。彼等はただの不死者ではないようです。墓所に侵入したのは私たちなのですから、まずはそれを謝罪して、迷宮核の場所を聞いてみましょう。」
危険だというガレスの制止も聞かず先頭に立ったテレサは、その場に跪いて戦士たちに呼び掛けた。
「あなた方の墓所に立ち入り眠りを妨げたこと、深くお詫びいたします。私は聖女教会西方大聖堂司祭テレサと申します。あなた方のご主君にお尋ねしたいことがございます。どうか剣をお納めください。」
テレサが深く頭を下げる。それに合わせて仲間たちも武器を収め、その場に跪いた。
この声に応えるかのように、中央の石棺の蓋がすっと音もなく動いた。剣を収めた戦士たちが石棺の脇に跪くと、石棺の主がゆっくりと体を起こした。
石棺の中から現れたのは黄金の杖を持ち、壁画に描かれているのと同じ白い長衣を纏った一体の骸骨だった。長衣には金糸を使った美しい刺繍が施されており、壁画よりもずっと素晴らしいとエマは思った。
頭髪のない髑髏に黄金の額冠を頂いていることから考えても、彼女がこの墓所の主である女王に違いない。女王はその身に着けた黄金の装身具を鳴らしながら、戦士たちが差し出した手の上を優雅に歩いて床に降り立ち、おもむろに話し始めた。
「聖女教会のテレサ。そなたの謝罪を受け入れよう。われは偉大なる魔法王国ヒムヤルの女王巫女ニカーレゥ。われに尋ねたきこととは何ぞ。直答を許す故、答えるがよい。」
女王が髑髏をカタカタと鳴らしながら、驚くほど美しい声で言った。
「はい、ありがとうございます陛下。私たちはこの迷宮を討伐するために参りました。迷宮核の場所を教えてはいただけないでしょうか。」
テレサの問いを聞いて、髑髏の女王は鷹揚に頷き、答えた。
「盟約により、われはその問いに答えることができぬ。われは迷宮の守り手として召喚された故。」
女王ははっきりとそう言った。テレサはさらに女王に尋ねた。
「では我らがこの場所を通り抜けるにはどうしたらよいのでしょうか。」
「簡単なことよ。われの前にそなたの力を示すがよい。死してなお、われを守る12の守護者を討ち果たして見せよ。」
「それ以外の方法では通していただけないのですね?」
「うむ、盟約により我の魂はこの迷宮に縛られておる。故に選択の余地はないのじゃ。」
彼女の言っていることに疑いの余地はない。そう考えたテレサは、女王に感謝を伝えた。
「分かりました。お答えいただき、ありがとうございました。」
「構わぬ。永き眠りより醒めて少々退屈しておったところよ。他にわれに尋ねたきことはないか?」
女王の思わぬ問いかけに言葉に窮するテレサ。そんなテレサの後ろからエマが声を上げた。
「あ、あの陛下!聞いてもいいでしょうか?」
驚いてエマを見つめる仲間たち。女王は面白がるような、優しい声でエマに答えた。
「もちろんだとも、荒ぶる神の加護を持つ幼い娘。面を上げるがよい。そなたはわれに何を問う?」
エマは顔を上げると、嬉しそうに女王に尋ねた。
「あの、陛下の眠っていらっしゃるこのお部屋はとてもきれいで、すっごく感動しました!私、陛下の国のことが知りたいんです。陛下の国はどんな国だったのですか?」
エマの言葉を聞いた女王が一瞬黙り込む。ガレスたちは体を緊張させ、そっと脇に置いてある武器の位置を確かめた。
次の瞬間、女王は優雅なしぐさで長衣の袖を口に当て、髑髏をカタカタと鳴らしながら愉快そうに笑い声をあげた。女王の指の骨に嵌ったいくつもの指輪が触れ合い、涼し気な音を立てる。
「ほほほほ。われや戦士たちとの戦いについて聞いてくるかと思っておれば、われの国のことを知りたいとは。よかろう、われの昔語りにしばし付き合うがよい。」
女王は魔法でエマたちの人数分のクッションを作りだすと、それを骸骨戦士たちに配らせた。そして自分も床に置いたクッションに寄りかかり、長い話になるから座って楽にするがよいと言った。
皆が落ち着くと女王は、かつて自分が治めていた国について語り始めた。青い水を湛えた湖の中にそびえる白亜の宮殿。黄金と宝石で彩られた美しい街並み。そして聞いたこともないような不思議な道具を使いこなす人々。
精霊の恵みは大地に、空に、水に満ち溢れ、飢えにも病にも苦しむことのない生活。人々は互いに慈しみあい、音楽や絵画、文学など多くの文化が生まれた。
夢のような王国の様子にエマはもちろん、警戒していたガレスたちも、思わず女王の話に引き込まれていった。
しかし、突然起こった戦いがそれらすべてを奪い去った。精霊の恵みは失われ、多くの人が命を落とした。空を舞う恐ろしい怪物が地上を焼き払い、王国は崩壊の危機を迎えた。
辛い記憶を話す彼女を痛ましい目で見つめるエマに、女王は自嘲するような調子で言った。
「われはな、われの民と国を守るため『禁術』を使ったのじゃ。」
女王は自らの魂を代償に大いなる力を手に入れ、敵を退けることに成功した。しかし女王の魂は『禁術』に蝕まれ、それが元で間もなく命を落とした。
「・・・そなたは優しい子じゃな。」
女王は彼女の話を聞きながら涙を流しているエマに、苦笑しながらそう言った。エマは袖でぐしぐしと涙を拭い、女王に尋ねた。
「どうして命懸けで皆を守った女王様が、この迷宮を守っているんですか?この迷宮は私の村を飲み込もうとしているんです。」
「それはわれの魂がこの迷宮の核に囚われておるからよ。どうにもできぬのだ。」
女王は自らの禁術の力によって輪廻の輪から外れてしまい彷徨える魂となった。そこをこの迷宮の核から守り手である『迷宮主』として召喚された。女王の魂は盟約により、迷宮核と結びついているという。エマは驚いて女王に言った。
「そんな・・・!女王様を助けることはできないんですか!?」
「・・・禁術の呪いによりわれの魂はほとんど力を無くしておる。今はまだこうして自我を保てておるが、このままでは、やがては迷宮核に喰らいつくされ、世に害をなす悪霊となり果ててしまうであろうな。」
「あんまりです!女王様は何にも悪くないのに!」
「ほほほ。そう思うかえ。ならばそなたがわれを滅ぼしてたもれ。悠久の時の狭間を彷徨い続けるのにも飽いた。われに付き従ってくれたこの者たちも、そろそろ休ませてやりたいしのう。」
そう言って女王は後ろに控える12体の骸骨戦士たちを指し示した。そして優しい声でエマに語り掛けた。
「泣くでない。そなたエマ、というたな。われは禁忌を犯し、このような身の上と成り果てた。だがな、われはそれを悔いてはおらぬ。われはわれの出来ることをやったまでじゃ。そなたもそなたの役目を果たすがよい。われはそれを受け入れようぞ。」
そう言い終えると女王は立ち上がり、黄金の杖を掲げて呪文を詠唱した。
「我らが主神アトホルに仕える女王巫女ニカーレゥが申し奉る。運命の導きによりわれと縁を結びし12の魂を深き眠りより目覚めさせ、今ひととき、われの前に降臨させたもう。《秘儀:英雄招来》」
呪文の詠唱を終えた女王の姿が、骸骨から黒檀のごとき艶やかな肌を持つ美しい妙齢の女性へと変化した。そして長い黒髪を靡かせる彼女の後ろに控える骸骨戦士たちは、様々な肌や髪の色を持つ屈強な美丈夫へと変貌した。
「さあエマ、そしてその仲間たちよ。この12の戦士たちを見事討ち果たし、われを滅ぼしてみせよ。さすれば迷宮核はその姿を現すであろう。」
「女王様・・・!!」
「もう言葉はいらぬ。戯れは終わりじゃ、エマ。われの夫たちを倒し、そなたの力を示すがよい。」
「ええええええ!!お、夫!?」
思わず声を上げたハーレとロウレアナに、女王は艶然と微笑んで言った。
「ああ、そのとおり。この者たちはすべて、かつてわれが愛し、われを愛した12人の夫たちじゃ。さあ遠慮はいらんぞ。われの死出の余興じゃ。皆、派手に舞おうではないか。」
エマたちが戦闘の態勢を整え終わるのを待って、戦士たちは動き出した。そして死闘が始まった。
戦いは苛烈を極めた。女王の弱った魂に呼び出されたとはとても思えないほど、太古の英雄たちは強かった。
ただ彼らは決して一度に襲い掛かってくることはなく、常に一人ずつ前に進み出て戦った。戦っている間、彼等は皆、久しぶりの戦いを楽しんでいるかのように満面の笑みを浮かべていた。余裕のある戦士たちに対して、エマたちはひどく苦戦させられた。
ディルグリムやハーレが豪風のように襲い掛かってくる曲刀を躱し、何とか間合いを詰めても、破城槌のような重たい蹴りですぐに一蹴されてしまう。ロウレアナが清流の乙女の力で打ち出す矢も悉く曲刀で切り払われてしまった。
それならばとエマが呪文を詠唱しようとすると、戦士が素早く盾の突撃をしてくるため、なかなか決定力のある上位魔法を打ち込むことができない。生半可は火力の魔法は、彼等の持つ黄金の丸盾がすべて弾いてしまうのだ。
ガレスは身を盾にしてエマを守ったが、エマと共に何度も地面に転がされ満身創痍になった。テレサはそんな彼らを癒しと守りの呪文で、支え続けた。ちなみに彼らは不死者ではないので《安らかなる葬送の祈り》は全く効果がなかった。
最終的にはディルグリムとロウレアナが連携して相手を攪乱、ハーレとガレスがエマを守ることで詠唱の時間を稼ぎ、大火力の魔法で一気にとどめをさすという方法で、ようやく倒すことができたのだった。倒された戦士は光の粒となって消えていった。
全員が同じ武器を使っているのに彼等は皆、異なった戦い方をしており、一人として簡単に倒せる相手はいなかった。最後の戦士を倒したときには、全員もはや立っているのもやっとの状態だった。
すべての戦士が倒されたとき、女王の体はすでに半透明になっていて今にも消えようとしていた。最後に彼女が杖を掲げると、彼女の後ろに12人の戦士が女王と同じ半透明の姿で現れた。女王は手を叩き、嬉しそうに笑った。
「見事じゃ。素晴らしい戦いであったぞ。われは満足した。」
そう言うと彼女の姿は次第に薄くなり、やがて風に溶けるように消えた。消える寸前、女王はエマに囁いた。
「迷宮は弱き心の隙間を突いて魂を縛る。ゆめゆめ油断するでないぞ。」
女王が消えると部屋の中にあった祭壇も石棺も壁画もすべてが消え失せ、ガランとした空間に、薄青く輝く魔方陣があるだけの部屋に変わった。どうやらあの墓所は女王の魂が作り出した部屋だったらしい。
「あの方のために祈りましょう。」
ボロボロになった法衣を直し、跪いて祈りを捧げるテレサ。エマも同じように祈った。ガランとした空間の向こうから「さらばじゃ幼き者よ」という、女王の別れの言葉が聞こえたような気がした。
女王が消えた後の部屋を調べたが、他に道はなかった。唯一の手掛かりは出現した魔方陣だけだ。エマが《鑑定》の魔法で調べたところ、これは転移の魔方陣であるということがわかった。
「入ってみるしかないようですね。」
テレサの言う通りだった。きっとこの先に迷宮核があるはずだ。彼等は部屋の中で傷の手当をし、ちょっとした休息を取った後、転移の魔方陣に入ることにした。エマはテレサの顔色が悪いことが気になった。彼女は戦いの間、ずっと癒しの魔法を使い続けていたのだ。
「お師匠様、もう少し休んだ方がいいのではありませんか?」
「ありがとうエマ。薬のおかげでかなり楽になりました。もう大丈夫ですよ。」
ガレスの話では迷宮核には直接自分を守る手段がないが、女王が倒されたことで新たな迷宮主を呼び出すかもしれないということだった。相談した結果、それなら一刻も早く迷宮核を倒してしまった方がよいだろうということになった。
エマは女王の最後の言葉が気になったが、最終的には仲間の判断に従うことにした。
彼等は魔方陣に入った。ちょっとしためまいの後、彼等は20歩四方ほどの正方形の部屋に立っていた。出入り口のない部屋の真ん中には、不気味な色をした球体が浮かんでいた。
エマが手を伸ばせば届くほどの高さに浮いたこの球が、探し求めていた迷宮核に違いない。
「部屋の中には何もなし、か。」
辺りを見回したガレスが言った。この部屋にあるのはこの球体だけ。軽く見た限りでは危険な罠も、魔獣の気配も感じられない。
「さっさと壊してしまいましょう!」
エマの言葉に全員が頷く。
「でもどうやって壊せばいいんですかね?」
「迷宮核には魔法が効かないって聞いたことがあるぜ。お前さんのソレでぶん殴ればどうだ?」
ハーレの問いにガレスが答える。ハーレは皆の顔を見まわして、異論がないのを確かめると、愛用の戦槌を振り上げた。
彼女がそれを振り下ろそうとした瞬間、球体が妖しい光を放った。ハーレが素早く下がって身を守る。だが何も起きなかった。
「びっくりしました。なんだったんでしょう?皆大丈夫でし・・・!!」
そこまで言ったところで、彼女は胴体に暴風のような蹴りを受け、エマとロウレアナを巻き込んで壁に叩きつけられ、気を失った。ロウレアナは痛みにうめき声をあげ、エマは朦朧とした意識のままで何が起こったのか、見定めようとした。
「ディルグリム!一体どうしたんだ!?」
ハーレと離れていたため間一髪、蹴りを回避できたガレスが叫ぶ。ハーレを襲ったのは、ディルグリムだった。彼は迷宮核を守るように仲間の前に立ち塞がった。その瞳は赤く禍々しい光を放っていた。
「!! 人狼の呪いが暴走しています!!」
テレサの叫びに呼応するかのように、ディルグリムの体が変化し始めた。着ている服を引き裂きながら、盛り上がるように巨大化した体には、鋼のような黒い毛が生え始める。
耳が尖り口が大きく裂けて、ぎしぎしと音を立てながら鋭い牙が現れた。手足には一本一本が鋭いナイフのような爪が生える。部屋を圧するほど巨大な魔獣と化したディルグリムは、自らの爪で胸を掻きむしりながら、魔獣の遠吠えを上げた。
びりびりと空気が震える。呪いを鎮めようと近づくテレサを制するように、彼は素早い動きで回し蹴りを放った。
そしてそれを回避したテレサの動きを読んでいたかのように、彼女に必殺の爪の一撃を放った。消耗しきったテレサにはそれを躱すことができない。鋭い爪が彼女を引き裂くかに見えた。
だがその直前にガレスが飛び出した。彼は腕を大きく広げ、必殺の一撃からテレサを守った。ディルグリムの腕はガレスの腹部を貫通し、テレサを僅かに傷つけた。
ガレスが信じられないような量の血を口から吐いた。その光景を目にしたロウレアナが悲痛な叫び声を上げた。
血を吐きながらも、ガレスは腹を貫く腕を掴んでさらに一歩踏み出し、渾身の力でディルグリムに組み付いた。ディルグリムは怒りに任せて唸り声を上げ、腕を引き抜こうとしたが、ガレスは彼の腕をがっしりと掴んで放そうとしなかった。
エマは目の前で起こっていることが信じられなかった。なぜ仲間同士が傷つけあっているのか。
混乱する彼女の脳裏には、女王の残した「迷宮は弱き心の隙間を突いて魂を縛る」という言葉が繰り返し浮かんでは、消えていった。
読んでくださった方、ありがとうございました。




