第7話:佳境編 序
早朝に僕は2時間ほどだけトロトロと浅い眠りにつくことができた。目が覚めると、辺りはすっかり明るくなっていて、僕は不思議と頭がすっきりしていた。起きたときからずっと心臓の拍動が聞こえるように緊張していた。何が正しいとか、何をするべきとか。もう今の僕には考えられない。ただ、予定に合わせて動くだけ。一度決めたことを覆すのは難しい。人間、惰性で動く方がよっぽど楽なのだ。たとえそれが許されるべきでない犯罪だったとしても・・・僕は着替えて身支度をし、パンとトーストの簡単な朝食を済ませ、手はずを整えた。まるでいつも通りに学校に登校するような心情だった。まだ家を出ていないから大丈夫、まだあれをすることがあるから大丈夫とそこにばかり神経を集中させる。
だが今、やるべきことはすべて終えてしまった。そして今度はまだ駅に向かっていないから大丈夫だ、と言い聞かせる。
あらかじめ警備の薄く、防犯カメラもないルートを調べて書いた紙のメモをポケットに突っ込む。基本的に僕たちのやり取りはアナログだ。デジタルだと、必ずどこかに記録が残ってしまう。例えばツッタカタ―で呟いたらそれがいつ、どこで、どの携帯がやったのかという履歴がきれいに残る。だから基本的にドット(チャットアプリ)を使ってのやり取りは抽象的なものだけ。通話はもちろんNG。今朝の履歴はひとつのみだ。「Ready?」という寺宮先輩の発言。僕は既読をつけた。
5分後。寺宮先輩の方で全員が既読したのを確認してから「Plan α GO」の一言だけが発せられた。僕たちは動きだした。
いや。まだ駅に向かっていないから大丈夫だ。と言い聞かせて僕は家を出た。きっと目の前で爆弾をセットしても、そのすべてが現実ではなくて夢なのだと僕は最後の最後まで言い聞かせる覚悟をしつつあった。
ターゲットは世界的に有名な××大学。そして今日はオリンピックの直前。町の警備は厳しくなっている。こんなこと、普段なら気が付かないのだが今朝は妙に目について仕方がない。街中や地下鉄のごみ箱はすべて使えなくなっていて、駅のホームには駅員が巡回している。だが、僕たちの狙いはそんなところではない。つくづくバカなものだ。経営難と自由を謳うせいで警備がガバガバの学問の聖地、国立の有名大学を狙うなんて誰も考えもしないのだから・・
いつもは通っていない、下見に一度来ただけの××大学が見えてきた。最寄り駅からではなく、その次の駅で降りて遠回りして来た。裏手のフェンスが崩れているところへ着くと、寺宮先輩が待っていた。
時間通りだったので先輩は軽くうなずく。ここから先はもう、一度行けば戻って来られない。マスクを被って顔を隠し、白い手袋をつける。意を決して僕は崩れたフェンスをまたぐ。先輩に肩をポンポン、と叩かれた。
手筈通りに僕は工学部新2号館の裏口通路へ向かう。建て替えの関係で、まだここの関係者用通路が勝手口のようになっているのだ。天井が無数のパイプとコンクリートで固められた人通りのない、うすら寒い通路を僕はコソコソと歩く。所狭しと並んだ研究室とその入り口にかかった研究紹介の破れかかったポスター群を抜ける。奥の通路を曲がるとシューッシューッ、と定期的に音を鳴らす機械にたどり着く。そこには先に到着した二人のサークルの先輩が待機している。手筈通りだ。僕は手先の感覚がだんだんとなくなっていくのを感じている。金属の手すりが火傷しそうなくらい冷たく感じる。過呼吸なのか、溺れる人のように息が荒くなる。
先輩は落ち着くように身振りをしてあらかじめ全員の時間を合わせてある時計を見る。
「おい、S。5分前だ。始めるぞ」
僕は頷いてカバンから爆弾を取り出す。先輩たちもそれぞれ一つずつ、お弁当箱ほどの大きさの爆弾とガムテープを取り出した。そして大きな柱の様なタンクに慎重に取り付け、3分前にタイマーを起動させる。僕は魔物にとり憑かれたようだった。手が勝手に動く。カチリと小さなレバーを倒す。僕の爆弾のタイマーも起動させた。心臓が痛いほど胸を打っている。そのまま3人は撤退を始めた。予定では3人ともマスクも手袋も外して何食わぬ顔で男子用便所へ入り、授業開始と同時に爆破を確認後、便所の小窓から脱出する。僕は寺宮先輩と合流した後脱出する。二人一組の行動が一番安全と判断したためだ。僕は先輩方と別れて廊下を怪しまれない程度に早歩きで歩く。一刻も早くここから逃げ出したかった。肩に力が入る。だが角を曲がったところで、僕は思わぬ人間に遭遇した。
「いいか、手筈はこうだ」
寺宮先輩は大きなボール紙に描かれた地図を指さしながら言う。
「まず、連絡手段は緊急時以外はこの専用の無線を使うことだ。公共の電波の周波数に少し近いから半径150mが連絡を取り合える限界の距離になる。もちろん、建物内には届かないので外で見張りをする人が使うことにはなるが。それから、ノイズがひどいんだ。それを聞き取る練習や無線の扱い方は私と、今角さんができるから大丈夫だ。これなら何の記録も残さずに連絡を取りあえる。履歴をリアルタイムで削除できるプログラムTodrが使えなくなったのは痛いが仕方がない」
「プランαは、今までの計画通りのプランだ。地下タンクの爆破と同時にその混乱に乗じて教室を占拠、全世界に動画配信サイトを通じて我々の演説を発表後、予定通りのルートで撤退する」
予定が分刻みで書かれた表を指す。
「プランβは、教室の占拠を中止したものになる。爆破後、即時撤退し安全な場所で宣言を行う」
その横に書かれた表を指す。
「プランγは作戦の中止だ。それから武器としてはこの3Dプリンター製の手榴弾と煙幕だけ。これで十分に逃走が可能だと思う。何かあれば私か、今角さんのところへ直接伝えること。ただし、緊急時は短い暗号だけはドットを通して伝えてもいい。Rは逃げろ、Wは待機、Cは自分の待機場所へ集まれって感じだな。盗聴されても大丈夫なようにそれぞれアルファベットを当てておくのでそれで呼び合うんだ」
それぞれに手榴弾と煙幕が一つずつ手渡しで配られた。
「それでは、諸君の検討を祈る!」
「「おう!!」」
「紫木野くん!」
走ってきて顔を赤らめた天田川さんに会うことになろうとは。マスクしているのにわかるのはどうしてなんだ?僕は頭がフリーズする。
「どうして!分かった、奴らね。あの話、本当だったってわけね。あいつらあんたを見殺しにする気よ、早く、爆弾を何とかしないと」
ちょっと待ってくれ。いろいろと理解が追い付かない。なんで僕たちのことを知っている?そもそも何でここにいる?
「いったい・・?」
「説明してる時間はないの!早く場所を教えて!」
「だから、一体」
「うるさいわ!いいわよ、えーっとここから出てきたということは、ここは工学部2号館だから・・地下ね。地下の液体ヘリウム保管所だわ、そこを爆破されたら緩衝材の物質がまき散らされてとんでもないことになるわ」
彼女は僕の返事を待たずに走り出したので僕は慌てて彼女の後を追いかける。
外では、寺宮が紫木野が出て来ないのを不審に思っていた。
「やはり、あいつは要注意だったか。だから俺と合流する予定にしていたのだが、ほかの二人から何の連絡もないということは爆弾のセットは成功したはず・・まさか!」
慌てて無線機を取り出し、教室占拠が目標の看板同好会から成る別動隊に連絡を入れる
「寺宮だ。何かトラブルがあったかもしれん、紫木野と合流できない、どうぞ」
「ザ―――、、了解、ブブ――、時間がない、爆弾の様子を見に行ってください、ガーー、うぞ」
「了解」
寺宮はスマホで「W」と打ち込み、2号館の裏口へダッシュを始めた。
「天田川さん、待ってよ。もう時間がないんだ!あと1分以内に爆発する。そこは危ない!」
機械室の手前でやっとのことで彼女に追いついて手をつかんで引き留める。
「止める方法は?あるんでしょ!」
「海外のサイトからダウンロードした設計図を3dプリンターで出力したお粗末な爆弾だ。そんなプロの人が使うような便利な取り消しボタンが点いているわけないって」
「そんな・・」
「だから早く逃げないと!」
「無駄よ、あと40秒しかない。解除しないと近くのみんなが死んでしまう」
僕は背筋が凍る思いだった。
「どうすればいいのか知っているから来たんだろう!」
「そんなわけないでしょ。私は対テロ特殊部隊じゃないのよ!この犯罪者!」
「そんな」
あと25秒・・僕はタイマーを見て絶望する。
「考えるんだ、私、考えろ・・。爆弾の仕組みは火薬と起爆剤。起爆剤さえ解除できれば。
ああーー私、電子工学専門じゃないのよ、こんなにお粗末なアナログ回路なのにどのコードを切ればいいかまるで分らないじゃない」
「だから頭を冷やしてよ!今からでも逃げよう」
「冷やす・・?そうだわ、冷やせばいいんだわ!」
「何のこと・・?」
「そこの液体ヘリウムの栓を抜いてこの爆弾にぶちまければ回路は動かないはず!」
「紫木野おー!俺たちの計画を邪魔しやがって!」
寺宮先輩が刃物を持って廊下を爆走してくる。
「やばい、早くなんとかしてくれ」
「分かってるってば!」
彼女は大きなタンクを両手に抱えている。
「この中身を爆弾にかけたいんだけど、あ、かない、のっ」
先のチューブ状の栓からもくもくと煙は出ているが、確かに開いているようには見えない。
「僕に貸して!」
「紫木野おおぉおお!やはりお前が」
刃物が見えたので僕はタンクでガードするが先輩の全体重をかけた突進の勢いでのけ反る。タンクの中身は衝撃で栓が開いて中身が飛び散り、僕はというと後頭部を強打する。一瞬意識が飛んで火花が散った。
ガラゴロロロ
タンクが転がっていく。
そして先輩の腕にヘリウムがかかってしまう。先輩は信じられない悲鳴を上げて身もだえる。
彼女はそんな先輩に空のタンクを投げつけてノックアウトさせた。
僕はなんとか起き上がり、彼女が液体ヘリウムの中身をぶちまけているあたりで加勢する。
――タイマーは5秒を残して停止した。
二人とも肩で息をしている。現状を把握するほど頭が追い付いていない。とにかく、爆弾が怖くてすぐに気化する液体ヘリウムを万遍なく振りまけることだけは忘れない。
「助かったあ」
「そうね、間一髪ってところかしら。CCD(※1)を液体窒素で冷やした経験があるのを思い出したの。S/N比がよくなるのよね。(※2)」
相変わらず彼女の会話は専門用語のオンパレードで僕にはよくわからない。
「そっか、よくわからないけど起爆装置を止めたんだね」
適当に返事をしておこう。
「そう、4K(※3)の極低温で起爆装置が停止したの」
彼女は得意げだ。
「でもさ、天田川さん。なんか表示がゆっくり進んでいるような・・」
「液晶パネルはこんな低温で動かないはずよ、そんなわけ」
「でも、ほら、うっすらとだけど。あと、、3秒だ!」
「何ですって、もしかして・・超電導?(※4)」
「うんちくはいいから!」
「えっと、えと、そうね。仕方ないわ。外で爆発させちゃいましょ」
「そんなめちゃくちゃだ」
「この程度の威力の爆弾なら、大丈夫。・・理論上は」
「素晴らしい理論ですな!」
3つの爆弾のテープを外しながら僕はもう泣きそうだ。
爆弾に夢中で僕たちは寺宮先輩が意識を失う直前、ドットで「C」とメッセージを送信したことに気が付かなかった。
たっぷりとヘリウムをかけたあと、僕たち二人は機械室の外に出る。廊下を急いで走っていると今度は先に脱出したはずの二人の先輩が立ちはだかった。
「「ここから先には行かせませんよ」」
「あと10秒で爆弾が起動しちゃうの!そこどいてよね!」
天田川さんはイライラと言い返し、あろうことか爆弾を投げつけた。その場にいた僕と先輩たちは思わず空中を飛ぶ爆弾を目で追いかけてしまう。
カツン、カラカラ、、爆弾が自分の目の前に着地したのに目を見張り二人は思わず後ずさりを開始する。
天田川さんはその爆弾を拾ってそのまま出口へとダッシュする。僕は数秒遅れて慌ててついていく。
「どこへ向かっているの?」
「屋外プール!今ならまだ人がいないはず」
「そうか、そこなら安全かもしれない」
僕は電子パネルの表示があと1秒を切りそうになっているのを見て悲鳴を上げる。
「天田川さん、あと1秒しか」
「紫木野くん、あいつらが来る!」
最悪のタイミングだ。マスクを被った看板同好会の別動隊まで合流してしまった。力では絶対勝てないにいちゃんも一緒だ。
「めちゃくちゃにしやがって、ただじゃおかねえぞ!おらあ」
うーわにいちゃん。怒り心頭ってやつですねこれは。
「おやおや、お嬢さんでしたか。そんな物騒なものを持ってどちらへ行かれるのかな?」
今角さんは体格からも、その落ち着いた嫌味な感じからもその人だとすぐにわかる。
「地獄よ」
先ほど同様、天田川さんは爆弾を投げて相手をひるませようとする。
「「それはブラフです!今角さん。爆弾はもう起動したりしませんから」」
後ろから追いついてきた二人組まで合流してした上に、威嚇攻撃も通用しないとなるともう万事休すだ。それにもう、爆弾はいつ爆発してもおかしくない状態だってのに。
「そうかしら。ほら、あんたが持っているのも貸しなさい」
彼女は3つの爆弾をテープでひとくくりにした。
「何を・・?」
今角さんは少しだけ動揺しているようだった。
彼女は真上に爆弾の塊を投げ上げた。
「伏せて!!」
彼女は僕をひっつかんで伏せさせる。
爆弾は空高く飛んでいき・・・
ドンッ、ドドーーーンッ
耳をつんざく激しい音とともに花火のように爆弾は爆発して散った。
彼女の異常な行動力には少し慣れてきていた。いや、麻痺してただけかも。ここで隙が生まれたのを僕は見逃さなかった。
煙幕を焚いて彼らの目をくらまし、ボロボロの状態だったがなんとか二人で学校を脱出することに成功した。
学校から出て無我夢中で住宅街を走り抜けて数分後。警察のサイレンが遠くの方で鳴り響いてるのを聞いて少し安心したのだった。
今回の天田川さん語録!
※1:研究に使う超高感度のカメラ素子のこと
※2:Signal-Noise ratio 要は冷やすとノイズが減り、よりクリアな写真になるということ
※3:ケルビン。温度の単位。2Kはマイナス300℃程度。
※4:逆に冷やしすぎで電流が流れやすくなってしまう物理現象




