第2話:僕のサークル「自由と規律ゼミ」(過去編)
僕がなぜ、こんな「自由と規律研究ゼミ」なんていういかにもつまらなそうなサークルに入ったのか。
新歓の時に少し話したのがきっかけで、僕は当時部長だった4年生の先輩のことが好きになった。好きになった、というのかはよくわからない。ただ先輩にはあこがれていたし、話していて心躍ったし、通常の友達とはまた別のカテゴリーだったのは確かだ。
先輩は女性ではなくクールで背が高いイケメンだ。彼は、このゼミを熱心に運営していた・・・
「思想の違いや、文化の違いは人々を引き裂くのには十分すぎるくらいだ。それに、同じ国や文化の人たちだって、あるいはクラスメイトや、親戚の人たちとだって争いばかりを繰り返している。
そもそも、僕らは本当の意味で人を理解するなんてことはできないんじゃないか?
それができると言っている人はウソつきだ。簡単に人類愛を語る人なんて大嫌いだ。そんなのは香具師か、詐欺師か、偽善者なんだ!」
僕はカメラを先輩に向けて、固唾をのんで彼の言葉に聞きほれていた。先輩は流行りのYoutuberだった。政治や思想系統のことを熱く語るイケメンの売れっ子。女性ファンも多かったのは世の中顔だからなのだろう。
僕はというと、こうやって先輩の週に一度の配信を手伝って特等席で先輩を眺めているときが一番好きだった。
先輩は若者こそ政治に興味を持たなくてはならないと信じている人だった。僕は頭が弱いのでよく分からないけど。
でも先輩の演説は説教するような感じではなく、ただ情熱を裸でぶつけてくるような人だった。
僕はそんな先輩のことを心底カッコいいとおもっていた。
僕は何度も、何度もこの先輩の演説を思い出しては先輩への恋しさを募らせずにはいられなかった。週に一度の配信の日が楽しみだった。引退されてからというもの、先輩も忙しいのか更新は途絶えていた。先輩の人気が絶大なチャンネルだったしアカウントは先輩が管理していたので今となっては僕たちがどうすることもできない。
あの頃のゼミの雰囲気はすごくよかった。先輩を中心としてみんなが熱心に議論して、勉強して・・
でも先輩が就職活動で忙しくなって来れなくなったころ、悪夢が始まった。そう、新歓用に作っていたメアドに届いた一通のメールがすべての始まりだった。
「××大学 自由と規律研究ゼミ 部長〇〇様
△△大学、看板研究会の部長を務めております今角というものです。
この度は突然の連絡申し訳ありません。・・・」
中に書かれていたのは近くの大学のサークルとの交流会をしたい、という話だった。少々胡散臭いが、失礼になるといけないと勝手に3年生の副部長の寺宮先輩が返事を出してしまった。そして承知したとも何とも言わない当たり障りのない文面をどう曲解したのか、本当に訪ねてきてしまったのだ。
今角さんの第一印象は物腰が柔らかく、知的な感じを思わせた。細長く吊り上がった目と色白の細長い顔、背は低いがそれに合わせた高そうな皮のジャージと靴。(コウモリのようだ。)彼は一人で訪ねてきた。
「看板研究会の今角です。先日連絡差し上げたのですが、覚えていらっしゃいますでしょうか・・?」そしてまわりの人間を見定めるように舐めるような視線を走らせた。
「それはそれはよくお越しくださいました、ですが先日の件につきましては・・」副部長は今やってこられても困る、という感じを相手の失礼にならない程度に出しながら言った。
「ええ、ええ、わかりますよ。何かと都合というものが必要なのはこちらとしても重々承知いたしております。ところで失礼ですが部長のほうはどちらに?」
「ああ、申し訳ありません。実は部長は引退をしたので今は私が運営をしている状態でして」
今角さんは一瞬非常に困った顔をしたがすぐに気を取り直して副部長と交渉を再開した。
ま、結論から言えば今角さんは実にうまかった。副部長の丁寧なだけで事なかれ主義の思考を数分の会話で完全に理解し、コントロールしてその日のゼミに参加して何度も機知にとんだ発言を繰り返し、看板研究会との交流の有用性を全身でアピールした。
そして、帰り際に今角さんは
「いかがでしょう?この後、今後のちょっとした打ち合わせをしませんか?本日のお礼もかねて食事代などはこちらで持ちますよ。実を言うと今夜研究会の仲間とミィーティングをする予定だったのでそちらにも混ざってもらえないかな、ということなんですけれども」
そう、彼は当初の目的であった交流会を提案してきたのだ。僕たちはその時、今角さんの人柄の良さと優秀さにすっかり惚れ込んで快諾してしまっていた。今角さんは何やらスマホにいくつかメッセージを打っていた。
案内されたのはビル街の奥まったところにある小さな建物の上階にある小さな居酒屋。
「ちょっと遠かったですね(電車移動も含めるとたっぷり30分はかかった)、申し訳ないです。席はあちらになります、狭いですが悪くないところですよ」
今角さんはみんなを奥の方へ促した。汚らしいテーブルと汗の発酵したムンムンするにおいが鼻につく。みんなテーブルについたが、肝心の研究会の人が見当たらないし、今角さんが来ない。
「よおお、あんちゃん!待ってたぜええ」明らかに酔いつぶれて顔をくしゃくしゃにしたハゲの兄さんがこっちに話しかけてきた。みんな委縮して下を向いてしまう。
「なんだよ、俺たち看板研究会のことを無視するのかあ?テメエらは?楽しい交流会が始まるってのによお、そんなシケ面ばかりじゃ酒もうまくねえだろーーが!」テーブルをダンッと叩いた。
怖くて僕と数人が席を立とうとした。ハゲの兄さんのいたテーブルにいたほかの人が拳を構えた。
「やめときな、このビルはな、厨房の奥の非常階段か、さっき乗ってきたエレベータ以外で下に降りる方法なんてねえんだよ」
都会のビルには実際、そういうものが割とあるのでこの人は本当のことを言っているんだろう。
「世の中、カネと女だ。そうだろ、あんちゃん?うん?こっちの世界に来いってそういうことよ、今回のギロンのテーマはなあ」
状況があまりにも変わりすぎて話についていけない。ただ、僕は人生で一番の生命の危機を感じていた。この人たち、明らかにヤバい。
「んで、返事はどうなんだ?優等生さんよお」(ちなみに僕が所属する大学は地元ではちょっと有名な私学だ。)
「ああ、そっか。やっぱ景気付けないとわかってもらえないよな」
「おい、あの奥のノッポ(寺宮先輩のことを指した)に梅酒をロックで数杯やらせろ。俺のオゴリだ。(寺宮先輩の方を向いて)おこちゃまには梅酒くらいで勘弁しておいてやるぜ」
だめだ、この人たち支離滅裂だ。無茶苦茶だ。平気で未成年の飲酒とか強要してくるタイプのやつだ。
「まあ、まあ。銀ちゃん。ちょっとぉ飛ばしすぎかもーー」赤いスカートと露出の多い上着を着た厚化粧の女性と数人の取り巻きがエレベータから登場する。
「え、てかマジ陰キャで受けるんですけどー」「「「キャハハハハ!」」」
「こんばんはー、中坂田さん元気―?はい、ご注文の品です。兄さん倒れちゃいやですよ~」
ピンクのショートヘアで赤い目が特徴的な店員が(このエプロンって露出が少し過ぎないか?)盆に梅酒を持ってテーブルに来た。
「おうおう、梅ちゃん。仕事が早いねえー今日も一段と可愛いじゃあねえか!俺にも、サービス、してくれよぅ」
スキンヘッドのにいちゃん(中坂田って名前らしい)が卑しい目で舐めるように彼女を見る。
だめだ、テンションについていけない。僕は頭痛を感じていた。頭上には巨大ミラーボールがいつの間にか天井から出てきて回転していた。