二話 猫と鬼
ここ電脳世界の京都は人間界の京都とは風景が全く異なる。電脳世界はあくまで人間界の情報世界。だから世界が違う。当然地も違う。
たとえば出雲大社は人間界では鳥取県にあり、壬生寺から歩くと丸三日掛かる距離だが、電脳世界では一日で着く距離だったり、逆に銀閣寺がイスラエルに遠い地にあったりする。また、自由の女神像がアメリカではなく日本の福岡に建てられたり、人間界からすれば電脳世界はさまざまな文化が入り混じった世界に見えると思う。電脳世界は人間界のネットの蜘蛛の巣そのものだが、あくまで一つの世界。ではなぜ電脳世界は人間界の情報世界なのに、地が異なる世界なのか。それは答えは簡単なこと。情報だからだ。
情報は嘘と真実がある。電脳世界はそれが入り混じって成り立っている。検索しても人間はガセネタに引っかかり誤った知識を得ることもあれば、正しい真実の情報を得ることもできる。それと同じ原理で、この世界はあやふやな情報が入り混じり、あの地名があんな所にあったりする。ではなぜ情報が入り混じっているのか。それはここは葦原中国だからだ。
人間界の検索情報は高天原に公開される。つまり人間界側から見ている検索情報は同様に高天原を見ていることになる。だが電脳世界は生憎のところ黄泉国が存在する。多くのガセネタや違う情報は黄泉国で作成される。人間界の情報を電脳世界が取り入れ、黄泉国に伝わり、真実が捻じ曲げられる。曲げられた真実と正しい真実の狭間が葦原中国。だから情報が異なり地も異なってしまう。
しかし俺が目指す江戸は徒歩で壬生寺から丸四日はかかる距離だ。それは人間界と同じ距離だ。だから覚悟して歩かなくてはならない。バスや電車使えばいいだろうが、着くまでに早いと多くの出会いや感動が少ないだろう?旅だから俺は多くをふれあい歩くのだ。
金砕棒と刀の和泉守兼定という二つの武器を背負うあまり、正直重い。だがこの二つがないと俺はよちよち眠れない主義だ。それほど葦原中国は安定した場所が少ないということだ。黄泉国の存在によってな。
「ここらで休憩するか……。」
壬生寺がある壬生辻村から出て丸一日の深夜。俺は今、山林道に建つ茶屋の前に居る。車道の隣には木々に草に蔓に深緑と土が溢れている。そんな真夜中に電灯で照らされる和の風情溢れる小店。旅人にとって村から外れた茶屋は嬉しい休憩所だ。
のれんをくぐり抜け店内に入り、レジに立ち、「緑茶のアイスと餡蜜団子を。」と店員に頼む。二百円を店員に渡し、外に置かれている赤い布が敷かれた縁台に座る。そこに金砕棒と和泉守兼定を掛け、ほっと一息つく。
「いやあ長時間歩くのきついな。」
重心を後ろに傾ける。腕を後方に伸ばし両手を演台に乗せ背を支える。頭を上げて、真上の赤い傘の内側を見て、見慣れた和の風贅を楽しむ。
歩いたのに出会いはなかった。ただひらすらある道を歩いただけだった。やっぱバスで行けばよかった。なんて後悔をして早速旅のモットーを曲げる。だが疲れたからこそ餡蜜団子は美味しいものだ。
店員がお盆に緑色の石器と真っ白な皿の上に置かれた餡蜜団子を乗せて持ってきてくれた。それらを俺の側に置いてくれて、「ごゆっくりどうぞ。」と一言貰った。ああゆっくりさせてから休憩させてもらうよ。餡蜜団子の柄を握り、一団子を口に入れる。甘さが口腔の中に広がる。疲れ歩いたから余計美味しく感じる。うむ絶品だ。石器を唇にあて、緑茶を啜る。ううむ渋くて口に残る甘みと協和していふ。黙々と餡蜜団子と緑茶を繰り返し口に入れて、
「満足だ。おやっさんごちそうさま。」
食事を終えた。空っぽの石器を餡蜜まみれの皿に乗せて、縁台の隅に置く。
「さて、そんじゃま、行きますかね。」
立ち上がると同時に、金砕棒と和泉守兼定の柄を両手で掴もうとする。しかし片方の柄しかに左手に当たらない。不自然に思い、頭を柄の方に向ける。すると金砕棒がいつの間にか無くなっていた。
「あれっ、俺の金棒が、ねえ。」
二番目に大切な俺の武器がない。和泉守兼定はあったのに金砕棒だけがない。隣に置いたはずなのにおかしいな。
そのとき、バシャっと水が撥ねる音がした。だがこの辺に水溜まりはない。そこでふと車道を見る。すると車道を泳ぐ者がバタフライをして奥に行っていた。
「なに、土を泳いでいる?」
その者は確かに土を泳いで車道の奥へ行っていった。妖怪の能力か。そのとき、奴の背後を見る。その者が俺の金砕棒を背負っていた。
「野郎……!」
泳ぐ者は俺から逃げるように全力でバタフライして遠くに行った。俺はすぐさま奴に追いかけ、猛ダッシュする。
「待ちやがれ……!」
俺も全力で土を蹴り、奴を追いかける。だが奴の泳ぎは速く、距離が縮まるどころか離されていく。このままでは逃がしてしまう。
「俺の金棒返しやがれえ!」
「私の鏝と弓を返しなさい!」
背後から俺の怒鳴り声と被る声がした。えっ、と思い顔だけ背後を振り向くと、巫女服を着て帽子を被る女性が俺と同様に奴を追いかけていた。
「おいそこの姉ちゃん。お前も武器を盗まれたのか!」
「ええそうよ。ったく私の武器を盗むだなんて最悪よ。」
「俺に任せな、俺は警察だ。」
「アンタも武器盗まれたのでしょ。警察なのにそれでいいの?」
肝心の痛いところを釘刺された。正直言い返す余地などなかった。
「自分の武器は自分で返すからいいわ。頼りない警察官。」
こちとら慈善で言ってやったというのに冷たい女だ。
「あっそ、そうかい。」
お尋ね者で困っている奴がいたら助けるのが俺の義務だが、そこまで冷たくされたら俺も態度を冷たくしたくなるわ。自分の力で取り戻すと強気で言うんだ。俺の武器さえ助かればそれでいいや。
女性は俺の隣にまで走行が追い付き、二人で追いかける形となった。
「こらあ俺の金棒返しやがれええ!」
「私の武器を返してよ!」
再び俺と女性の怒鳴り声が被る。
「ちょっとアンタ叫ばないで頂戴!私の声が奴に届かないでしょ!」
女性が俺の顔に睨み付けてきた。
「うっせえ、お前こそ俺の声に合わせるな!」
対する俺も女性に睨みつけ、怒鳴る。
「アンタが合わせているんでしょ!気持ち悪い。」
「なにが気持ち悪いだこの野郎!」
「私に話しかけないで。走りながら話しかけられると息切れ早くなるでしょ!」
「だったら無視すりゃあいいだろうが。」
「うっさいわね。とにかく話しかけないで。気が散る!」
「ああそうかいそうかい俺も気が散るよお。散って散ってしょうがねえんだよ!ったく。」
なんだこの言い合いは。十八歳という年齢にして小学生レベルかよ。堕ちたな俺こそ。この言い合いで土を泳ぐ者の距離は更に広がってしまった。
「逃がすかあ!」
「逃がさないわ!」
「「だから合わせるなっ!」」
なんで俺が言いたいときに隣の女性も偶然の連続で被るんだよ。
すると、前方遠くの土を泳ぐ者は水上がり、足を土の上に立たせた。
「うっとおしいなあ!いつまでも追いかけてくるんじゃねえ!」
女性らしい高い声が前方から聞こえた。その者は後ろにふり向き、俺たちに姿を見せた。半胸を大段に見せびらかし、青色の和装服を着ていた。そして、鼻の先端が少し尖っていた。
「あの顔は、す、素戔 須佐女!」
「え、なに知りあいなの?」
俺たちは素戔 須佐女の一定の距離を保って追跡を止めた。
「お尋ね者だ。粗暴行為・強奪の犯人だ。」
「強奪……?」
俺の金棒やこいつの弓と鏝を盗んだのも道理だ。素戔 須佐女は泥棒なのだ。お尋ね者として知名度は高く
危険な奴だ。我々SSGもやっけになって探していたお尋ね者だ。まさかここで会えるとは思わなかったな。
「ふん!あたいも有名人になったもんだねえ。」
「年貢の納め時だ素戔。これよりお前を逮捕する!」
「どこの馬の骨ともしらねえ兄ちゃんに逮捕される筋合いはねえなあ!」
「黙れ、俺は土方 歳弎だ!流石のお前もこの名は知ってるだろ。」
名乗ると須佐女と隣の女性がはっと驚く。
「アンタ土方 歳弎なの?!あのSSGの副長……!」
「ほええ。アンタ土方なのかい。鬼の副長さんがなんでそんな恰好しているんだい。私服警官かい?」
お尋ね者や泥棒など罪を犯した者にとって、鬼の副長の呼び名がある俺の存在は恐ろしいはずだ。なのに素戔 須佐女の野郎は平気な態度で余裕を保っている。
「まっ、アンタご自慢のこの鬼の金砕棒。この私が持っていればお前なんぞ怖くはねえ!それか。そんな細い刀一本で、」
素戔 須佐女は左手から大量の水を放出し、流水から大太刀を引き抜いた。
「この私と張りあおってのかい。」
右手で大太刀を持ち、大きな峯を肩に置いた。
「天叢雲剣……!」
伝説の魔物ヤマタノオロチを倒し、尾から手に入れたという伝説の刀だ。
須佐女は天叢雲剣の剣身に大きな水の塊を纏わせた。俺も臨戦態勢に入り、左腰に差した和泉守兼定を引き抜き、俺も剣を構える。
「土方 歳弎。アンタの能力は火だ。だがあたいは水。そんで武器の差もある。そんなんであたいに打ち勝とうだなんてそう思っているのかい?」
「俺の能力を知ってんのかい……!」
「そりゃあ有名な警察だ。能力も闇業界には知れ渡っているさあ!」
俺は鬼火を操る能力者だ。だが須佐女は海や水を操る能力者。言わずもがな火は水に弱い。それに武器の差に関しては俺の刀、和泉守兼定で、奴の天叢雲剣で太刀打ちできる自信はない。せめて金砕棒さえ盗まれなければ話は別なのだが。
「私は一刻も早く高天原に戻りてえんだよ。あたいの計画を邪魔する奴ぁ、全部洗い流してやらあ!」
左手も柄を持ち、両手で剣身に水の塊を纏う天叢雲剣を薙ぎ払った。すると水の塊は破裂し、大きな津波が発生した。
「なに……!」
「つ、津波……?!」
津波は車道を抉り、俺たちに突進してくる。
「に、逃げろお!」
後退を余儀なくされ、津波から逃げた。だが津波の突進は速く、俺たちの背後に叩きつけ、あっという間に海水に飲み込まれた。
「うぼぼぼ……く、くるしい……。」
口腔が海水塗れで呼吸ができない。這い上がり浮上するが、猛スピードで津波は俺らが来た道を返し、木々たちを抉り砕き、一緒に流した。もう既にこの津波は泥色と化していた。
ふと、目が覚める。水色の天空に雲一つない晴天さ。白色の日差しが目を刺す。
「まぶっ……。」
そして実に不快感な濡れが寒気を感じる。咄嗟に体を起こし、ずぶ濡れの羽織を脱ぐ。早く不快感から解放されたい。そして上半身を起こし、辺りを見渡す。
浜辺だ。俺は浜辺で寝ていた。俺の服はもう砂だらけだ。これだけでも十分に不快感だ。
「ここは……どこだ。」
夜に出会ったというのに太陽の位置からするにもう真昼間か。
「無人島よ。」
「はっ!」
突然の声に驚き、背後を見ると、先ほどの巫女が俺の背後から見下ろしていた。
巫女は淡々とした目で俺を見ていた。それから巫女装束の胸部が大きく膨らんでいて、かなり胸が強調して、思わず男子の目がそちらに集中してしまう。
「驚かすな。心臓に悪い。」
「それにしてもアンタあの有名な警察官だったとはね。」
「そんなに俺は有名か?」
「アンタ、鬼の人でしょ。吸電鬼一族禍魅羅の。」
「なんでそれ知っている。」
「頭見れば誰にでも分かるわ。」
ふと思ふ。帽子被っている感覚がない。不自然に思い、左手で頭を触る。すると中指が俺の角に衝突した。津波で流されたときに帽子もどっかに流されたのだな。
「バレちったか。……ん?」
「なによ。」
「お前の尻尾……なんで二本あるんだ?」
巫女の正面から背後に三毛色の長い長い尻尾が二本生えてある。
「見て分からない?私も妖怪よ。猫又よ私は。」
「猫又……。なるほど。お前も妖怪だったんだな。」
巫女の頭をよく見ると、薄っぺらい猫耳が生えていた。
猫又とは猫の妖怪である。尻尾が二本あるのが特徴の妖怪だ。道理で尻尾が二本あるわけだ。そうかこいつも葦原中国で過ごす妖怪なのか。
「私のことはいい。それより禍魅羅の吸電鬼に生き残りが居ただなんて、それがあの警察官だということに私は驚きを隠せないわ。」
「……それは俺に対する皮肉か?嫌味ならイラってくるがな。」
この猫の妖怪の巫女が言った通り、俺はとある複雑な理由で禍魅羅の吸電鬼の生き残り、つまり一族禍魅羅は俺以外全滅したのだ。この電脳世界で禍魅羅の吸電鬼は俺のみとなってしまった。その複雑な理由は今明かすことはできない。
「触れてはならない部分に触れてしまったのであれば謝る。」
「いや、禍魅羅全滅事件は有名だからな。そりゃあ驚くのも無理はねえ。そんなに皮肉込めていないのなら謝るな。」
とにかくかくかくしかじかの理由で、古から存在していた禍魅羅の吸電鬼一族は俺以外全滅した。良くも悪くもこの全滅事件は電脳世界全体に報道されて、有名な話になっている。だが生き残りが居るということ自体はそんなに世間に知られていない。なぜなら俺が己の正体を隠しているからだ。全滅後はSSGで世話になっている。
「分かった。で、これからどうする?見たところあなた旅人のようだけど、あの金棒は取り返すんでしょ?」
「そりゃあ勿論だ。そんで素戔 須佐女を逮捕する。」
「私も一族伝統の弓と鏝を須佐女とやらに盗まれて、放置するわけにはいかないの。何が何でも取り返さなくてはならない。」
「なら手を組もうぜ。奇しくも一族伝統とやらの金砕棒を情けないながら盗まれたんだ。」
金砕棒も禍魅羅伝統の武器だ。それを盗まれるとは、先代の禍魅羅の吸電鬼たちに合わせる顔が無い。
「そうね。あなたが逮捕してくれるのであれば私にもメリットがある。手を組みましょう。」
俺の金砕棒は古来より禍魅羅の吸電鬼一族に受け継がれる伝統の武器だ。互いに一族伝統の武器を盗まれた身。逮捕するついでに互いの武器を取り戻す、という盟約だ。
「ああ、猫と鬼の共闘戦前だ。アンタ名は。」
「田代 瑚福。下の名で呼んで構わないわ。」
「ああ瑚福。」
「で歳弎。ここ無人島なんだけど、ここからあっちの浜辺までには相当の距離がある。」
瑚福が指を差した方向は、ここ無人島から遠く遠くの横に大きい浜辺。あれが本国か。うむ浜辺が小さく見えるほどここからは相当遠い。
「私は猫だから泳げないわ。」
「ああ、お生憎俺もだ。俺は火の能力を持つからな。水には弱いんだ。当然海水はダメだ。」
俺は鬼火を操る能力者。水に触れるのは苦手で泳ぐなんて無理だ。自ら命の灯火を海に投げ込むような自殺行為だ。猫に火、水を苦手とする妖怪に能力者だ。泳いで本国までたどり着くのはハードすぎる。
「どうしましょうか。」
「こうなったらイカダ作るしかないな。」
ここ無人島でも奥にはちょうど木々が生えている。木を切る刀もある。これでイカダを作るのは困らないな。
「そうするしかないわね。では早速行動に移しましょ。」
「おう。」
立ち上がり、奥の木々が生えている森に向かう。真っすぐに伸びた木の前に立ち、
「とりあえず斬りましょうか。」
と瑚福は左腰に差した刀の柄を右手で掴み、ギインと鋭い金属音を鳴らして引き抜く。
「お前の武器多いよな。刀に和弓に鏝に。」
「これは玖命という刀。和弓は鼠狩。鏝は猫拳。全て猫股一族の伝承の武器よ。」
「大切にしてんだな。」
「そうよ。だからこそ盗まれるわけにはいかなかったのよっ。」
そう言いながら、玖命の柄に左手を追加させ、上げて、八つ当たり気味に木に斜めに振り下ろした。すると、スパッと斬り裂く鋭い音と共に刀身は木を過ぎ、木は真後ろに倒れた。おお敵に回すと怖いというパターンの戦巫女だこって。
「ほら、あなたも斬りなさいよ。」
「お、おう。そうだな。」
程なくして適当に木を斬り裂き、その重い木々を二人で浜辺まで運び、まっすぐで太い木を選別して縦に並べた。その上に細い木を二本、イカダの前と後ろの横向きに置き、浜辺に落ちていた縄で太い土台の木と一緒に縛った。これで縄が途中でほどけない限り土台は崩れない。
「よし、イカダの完成だな。」
「櫂も完成ね。」
細い木を刀で削り、櫂もできた。もう刀が便利すぎて、途中から俺の和泉守兼定が人を斬る用の物ではなくなったと錯覚した。
「とはいえ初めて作るイカダよ。途中で崩壊しないかしら。なんだか不安だわ。」
「……それは否めない。」
身形は初めてにしては上出来の完成度だ。太い丸太を土台にして水上に浮く、まさにTHE・イカダだ。しかし縄でこれでもかと引っ張り頑丈にしたつもりだが、耐久性は自信はない。崩壊して海の中にドボンと落ちたら、という最悪の未来が自信を不安に変える。
「でも今は急いでいる。早く行きましょ。」
「ああ、いざ船旅へ。」