放課後探偵は今日も動揺
「放課後探偵は今日も憂鬱」シリーズの第5弾です。
独立した短編なので、他を読んでいなくても、そのままお楽しみいただけます。
放課後探偵は今日も動揺
俺は山越雅之、探偵だ。
中学生男子なら、一度はそう名乗ることに憧れるものだ。
そんなチャンスあるわけないだろなんて、言っちゃあいけない。本物の探偵はいつ出番が来ても良いように、常日頃の準備が欠かせない。
せっかくのチャンスに声が裏返っちゃったら台無しだろ。
でも、練習する時は気をつけろ。一ノ瀬真琴がいたら一生馬鹿にされる。
「俺は山越雅之、探偵だ」
中学に入学した頃、僕は教室のベランダでいざという時のために練習していたんだ。
そしたらあいつは中からのぞき見して笑っていたんだよ。
「ねえ、みんな、聞いてよ。マジありえないんだけど。探偵だって、探偵!」
一ノ瀬真琴がみんなに言いふらしたものだから、山越雅之探偵事務所の名前は学校中に知れわたることとなった。おかげで僕には「探偵君(仮)」というあだ名がついた。
宣伝効果は抜群だ。ある意味優秀な助手ではある。依頼は全然来ないけどね。
助手と名乗っているのはあいつが勝手にそうしているからなんだけども、まあ、名探偵のそばには必ず事件をいじり回すドジな助手がいるものだ。だからしかたなく我が探偵事務所の一員として認めてやっている。
そんな僕らの中一のバレンタインのことだ。
二月十四日といえば、日本全国チョコレートの日だ。お菓子会社の策略に女子達が踊らされる日だ。
もちろん僕にはまったく関係のない日だ。なぜなら僕は女子じゃないからだ。
僕と真琴は地元の積分館という塾に通っている。その頃はちょうど学年末試験も近い時期だったから、毎日のように試験対策講習に出ていた。
バレンタインデーの前日だった。塾からの帰り道、二人で星空を見上げながら歩いていた。冬から春へと変わりつつある星座が広がっている。月も出ていて明るかった。真琴の家は途中だから帰りに送っていくのが僕の役目だ。「ボディーガードも立派な探偵の仕事でしょ」とうちの姉に言われて仕方なくやっているんだけどね。
僕の姉は三つ上なんだけど、逆らうと力ではなく精神的にじわじわ来る攻撃をするから、僕は言いつけを守るようにしている。真琴ですら、うちの姉の前では良い子にしてるくらいだ。
北斗七星を探していたら、急に真琴が言い出した。
「ねえ、北中の七不思議って知ってる?」
「そんなのあったっけ?」
僕はそれまで我が北中学校の七不思議やら放課後のなんちゃらとかいう怪人とか、タイムカプセルが埋まっている地図とか、不良がかわいがっている捨て猫とか、とにかくいろいろなものを探してきたんだけど、そんなものは一つもなかったのだ。
「うん、七つもないんだけどね。一つだけ」と真琴が笑う。
「なんだよ、一不思議って、数える意味ないじゃん」
「一つあるだけでもましじゃない?」
たしかに、平凡な公立中学に一つでもあればましか。
「で、それは何さ?」
「探偵さん、問題です。その不思議とは何でしょう?」
「ヒントは」
「そう言ってる段階で、あんたにはムリだわ」
あからさまにバカにしたような顔で真琴がため息をつく。
「だって、一つもヒントがないんじゃ推理のしようがないじゃないか」
「あるでしょうよ」
「問題だけじゃん。『学校の不思議が何か』って」
「仕方がない。ヒントは二つ」
「早く言えよ」
真琴が鞄を振り回して僕のお尻にぶつける。
「一つは明日。もう一つは第二音楽室」
「明日まで待つの?」
「違うよ。あのさ、あんたに関係のない日だからって、世の中の行事くらい頭に入れておくものでしょうよ」
「何かあったっけ」
「バレンタインでしょ」
「ああ、チョコの日か」
僕は本当に気づかなかったのだ。だって、今まで姉以外からもらったことなんかないからね。
もちろん、うちの姉のことだから、おいしいチョコのわけがない。毎年どこで買ってくるのか変なチョコレートを僕に食べさせるんだ。
まあ、どちらにしろ、ろくな日ではないか。
「で、バレンタインがどうしたって?」
「探偵さん、これは問題なんです。あんたが推理して華麗に答えるんでしょうが」
もう真琴の家まで来てしまっていた。
「時間切れ。明日までに考えておきなさいよ」
「今ここで教えてくれればいいじゃん」
「助手に教えを請う探偵なんて、ヘボ探偵もいいとこじゃないの」
真琴は口を尖らせて家に入ってしまった。
どうも機嫌を損ねたらしい。
その夜、学校の一不思議とやらが何なのかを考えていたらすぐに眠くなってしまって、何も思いつかなかった。僕は分からないことがあるとすぐに眠ってしまうのだ。眠っている間に華麗に推理する名探偵に憧れなくもない。
翌朝、正直に真琴に言ったら、意外にも笑ってくれた。
「ホント、しょうがないお馬鹿さんだね。いいよ、教えてあげる。バレンタインの日に、第二音楽室でチョコを渡すと両想いになれるっていう噂があるんだって」
「なんだ、そんなことか」
「なんだって、何よ」
「それは噂であって、謎じゃないじゃないか」
「あんたには永遠の謎じゃないの」と真琴がにやける。
「どういう意味だよ」
「宇宙人には皮肉は通じないか」
どこにUFOがいるって?
「とにかくね、これはさ、探偵としては真実をつかむ必要があるじゃない」
「ないよ」
「あるでしょ。張り込みのチャンスでしょ。第二音楽室に張り込んで、噂が本当かどうかを確かめるのよ」
「君一人でやれば?」
「本物の名探偵は仕事を選ばない」
「さすがにこんなくだらないこと、探偵の仕事じゃないだろう」
真琴が腰に手を当てて口を尖らせる。
「女子にとっては大事なことなんです」
そばで僕らの話を聞いていた岡崎さんと橋爪さんが話に加わってきた。
「あたしも知りたいな、それ」と岡崎さん。
「探偵君、調べてきてよ」と橋爪さん。
岡崎さんと橋爪さんは真琴の友達で、オカちゃんとハッシーさんと呼ばれている。
「でしょ、ほら、探偵さん、依頼ですよ、依頼」
真琴がうれしそうに僕の腕をつつく。
「探偵君、張り込みをして学校の不思議を暴くなんて、本物の名探偵みたいじゃない」
「そうだよ、オカちゃんの言うとおりだよ。事実が分かれば探偵事務所の評判も上がるよね」
橋爪さんも調子のいいことを言っている。
僕が黙っていると、三人が僕を取り囲んだ。
「で、やるの、やらないの?」
女子の多数決は一人十票ぐらいの力がある。男一人では絶対に勝てない。
「分かりました。やります」
それでこそ探偵よ、と女子達が満足そうに席に戻っていった。
僕らの北中学校は昭和の時代に作られたいわゆるニュータウンと呼ばれる住宅街の中心にある。
僕の父親も昭和から平成に変わった頃にここの生徒だった。授業参観の時に懐かしがって、勝手にいろいろな教室をのぞきに行ってしまって恥ずかしい。
「俺、教室のベランダから壁伝いにここのトイレの窓の外まできたことがあってさ。窓の鍵が閉まってて入れなくて焦ったよ。今思うと落ちたらやばかったな」
三階で何やってたんだよ、オヤジ。どうやって中に入ったんだか。
「隣の女子トイレからだよ。窓開けてもらってさ、入れてもらった。山越君バカだねって結構ウケてたぞ」
ツッコミどころありすぎだけど、コンプライアンスの時代じゃなくて良かったな、おい。
でも、他の同級生の保護者もそういう人が結構いて、両親とも北中出身という生徒もいたりする。
今の校長先生は三十年前に若手だった担任だそうで、「おまえら、もうすぐ俺は定年なんだから、問題起こすんじゃねえぞ」と、僕らよりも親の方が注意されている。
三十年くらい前の中学生には良い思い出の詰まった学校だったんだろう。
子供の多かった時代にできた中学校だから、三階建ての校舎が二つあって、南校舎と北校舎は東西両脇と中央にある三本の渡り廊下でつながっている。上から見ると「日」の字形だ。
クラス数も多かった時代なので、それぞれの校舎に音楽室、美術室、理科実験室、技術家庭科室などが一つずつある。南校舎が第一教室、北校舎が第二教室と呼ばれている。昔はそれでも足りないくらいだったらしいけど、今は少子化の時代で、授業では南校舎の第一側しか使われていない。
北校舎は一般教室だったところは、クラブ活動の部屋とか、余っている椅子や机を保管する資材置き場として使われている。それ以外にも、書道や美術の作品などを展示してある部屋もあって、授業参観の時に保護者が見学できるようになっている。
第一音楽室は通常の授業と吹奏楽部で使っていて、第二音楽室は合唱部が部室として使っている。
北中周辺の緑が丘ニュータウンの子供たちは緑が丘小学校に通っている。僕の出身校だ。何年か前にすぐ隣の地域に新しい住宅街ができた。そちらは桜台小学校という新しい小学校ができて、真琴はそっちの出身だ。小学四年生の時に引っ越してきたそうだ。
新設校から古い中学校に来たもので、真琴はいつも文句を言っている。
「いくら掃除をしてもボロはボロだよね」
僕らの家はそれぞれの住宅街の境目に近いところで、歩いて数分の距離なんだけど、小学校は別々だったから、中学に入るまで真琴のことは全然知らなかった。
中学に入学したとき、僕らはどちらも身長が百五十センチだった。今、中一の終わりのこの時期は僕は百五十八センチで、真琴は百五十三センチだ。少しだけ僕の方が高くなった。真琴は制服がまだ少しぶかぶかで、袖から手を出し入れして遊んでいる。寒いときは手袋がわりで便利だと笑っているけど、僕に背が負けているのを本当は気にしているらしい。
「あんた、背が高くなると尾行で隠れるときに苦労するよ」
「まだ百六十センチもいってないのに止まっちゃったら、どうせ追い抜いて、今度は僕のことを馬鹿にするんだろ」
「いまさら縮めとは言わないから、少し待ってなさいよ」
僕らは休み時間になるたびに、寒い廊下に立って北校舎の第二音楽室を眺めていた。北校舎の教室はふだんはカーテンが巻かれているので、こちらの廊下の窓から中が丸見えなのだ。
見ていても誰も来ないから退屈で、ついそんなくだらない話をしてしまう。おまけに冬の廊下は壁も床も窓も空気も何もかもが冷たくて体が震えてしまう。
「寒くて風邪引いちゃうよ。なあ、どうせ誰も来ないんだったら、一人ずつ交替で見張っていればいいじゃん」
「そんなこと言って、サボるんでしょ。あたしはあんたを見張ってるんだから、あんたは第二音楽室を見張りなさい」
真琴が屁理屈を言って僕をじっと見つめる。仕方がないので僕は、ぴょんぴょん跳ねて寒さをこらえながら第二音楽室を見張っていた。
「あんたさ、踊りながら張り込みする探偵なんてどこにいるのよ」
「じゃあ、世界初ダンシン・ディテクティブってことで」
「横文字にしてもダメでしょうが」
結局、誰も現れないまま午前が終わり、給食の時間になった。
デザートにチョコレートプリンがついていた。
「何でよりによって、こういうメニューを組むかね」
「気を使ってるつもりなんだろうけど、塩味だよな、これ」
男子はみんなお葬式のようだった。
真琴はさっさと食べ終わって、僕を呼びに来た。
「あんたさ、現場検証に行くよ」
張り込みにあきたらず、第二音楽室に行ってみようということらしい。
「鍵かかってるんじゃないの?」
「普段合唱部が使ってるから開いてるらしいよ。音楽準備室の方は楽器とかが保管してあるから閉まってるらしいけど」
そこまでリサーチしてあるなら、行かないと怒るだろう。僕はチョコレートプリンを一口でほおばって流し込んだ。味なんかよく分からなかった。
昼休み、真琴が僕を第二音楽室に引っ張っていった。音楽室は北校舎の東隅にある。渡り廊下の角にいれば中に人が入るかどうか見ていられるのに、真琴は中に入りたがる。
予想通り鍵はかかっていなくて、中に入ることができた。ドアを閉めると、防音設備があるせいか、冷えた空気が重たく感じられる。誰もいないのにピアノが鳴りはじめるとか、そういう七不思議がふさわしい感じだった。
「さて、どこで張り込みしようか」
音楽室にはグランドピアノと昭和の時代に設置されたままの大きなスピーカーがついたステレオが放置してある。あとは椅子がならんでいるだけだ。机はない。他の楽器類は隣の音楽資料室にしまってあるんだろう。
「隠れるところなんかないじゃん。そもそもさ、廊下で人が来るかどうか見てればいいじゃんか。教室の中で鉢合わせしたら気まずいだろ。その人達だって、人がいるところでチョコなんか渡せないだろ。邪魔しちゃ悪いじゃんか」
「そのときは、私たちも告白してたふりをしてごまかす」
「だから、そうならないように……」
そんな言い合いをしているときに、人が来る気配がした。僕らはあわててピアノの影に隠れた。脚が丸見えだけど、どうしようもなかった。探偵失格だろ。
入ってきたのは二年生の女子だった。たしか合唱部の先輩達だ。三人でおしゃべりしながら賑やかだ。
「こんにちは」
真琴は立ち上がって先輩達に挨拶した。
「あら、真琴ちゃん、こんなところでどうしたの」
「探偵君も一緒?」
僕のことは学校中に知れ渡っているから、先輩達も僕のことを『探偵君』と呼ぶ。
「お邪魔だったかしら、うちら」
先輩達がニヤニヤしている。
「いいえ、そんなことないです」と真琴は先輩達の前ではおとなしい。
「うちらの友チョコあげようか」
「いただきまーす」
「教室だとさ、先生に取り上げられちゃうから、部室でパーティーよ」
これじゃあ、噂の検証どころじゃないな。
「僕は先に教室に戻ってるよ」
「探偵君も味見してよ」
先輩の一人が僕に銀紙にくるまれたチョコをくれた。これは溶かして何か混ぜて固め直したやつだ。
「これはさ、味見だから、カウントなしね」
何のことだ。
「ね、真琴ちゃん」
真琴は先輩達のチョコをいくつも頬張りながらうなずいていた。
結局、何の事件もなく、放課後になってしまった。
三年生は明日から公立高校入試だからイベントどころではないのだろう。一、二年生も週明けから学年末試験で、部活中止期間に入った。
鞄を持って教室を出ようとしたところで、真琴に呼び止められた。
「放課後も張り込みするよ」
「もういいじゃん」
「部活中止で合唱部が使わないんだから、空いている音楽室に誰かが来るかもしれないでしょ」
しかたがない。本当は勉強したいんだけどな。
あいかわらず第二音楽室には鍵がかかっていなくて、中の空気もひんやりしていた。
真琴が窓に歩み寄って、南校舎の廊下を眺めている。
「こっちからだと、逆に廊下が全部見えるね」
一階から三階まで、下校しようとしている生徒達がぞろぞろ歩いている。岡崎さんと橋爪さんが僕らに手を振っている。
「頑張ってね、探偵君」
真琴もわざわざ窓を開けて大きく振り返す。
「まかしといて」
目立つ張り込みって何だよ。寒いから窓を閉めろよ。
南校舎に人がいなくなって学校全体が静かになった。
真琴がカーテンを広げた。防音効果があるのか、けっこう分厚くて重たい布だ。暗幕効果もあるのか、影が透けて見えないやつだ。
「これに隠れようよ」
「普段巻いてあるのに、広げてたら、怪しいじゃん」
「だからさ……」
真琴は僕とくっつくと二人まとめてカーテンにくるまった。確かに巻いてあるようには見えるかもしれない。
でも、それどころじゃなかった。密着していて息苦しい。おまけにこんな事になると思わなかったから、手の位置が微妙だ。真琴のお尻を触ってしまいそうだ。いや、もちろん、そんなつもりはないけどね。誓って、やましい気持ちは持ってないですよ。
「ちょっと、この体勢は苦しいよ」
「がまんしなさいよ、探偵なんだから。こういう状況に耐えてこそ、張り込みの成果も上がるってもんでしょう」
ものすごく顔が近い。僕の鼻を真琴の髪がくすぐる。おしゃれなシャンプーの香りがする。一気に心臓の鼓動が倍ぐらいになる。死ぬかもしれない。本気でそう思った。
真琴は何も気にならないんだろうか。表情が妙に冷静だ。張り込みに集中しているのだろうか。
助手がこんなに優秀なのに、探偵が動揺している場合じゃない。でも、落ち着けと自分に言い聞かせようとすればするほど意識してしまって、体が熱くなる。じんわりと汗までかいてしまった。
せめて手だけでも、少し上に持ち上げて楽になりたい。変な体勢でつりそうだ。
「ちょっとさ、手がつりそうだから、上げるよ」
「しょうがないね、しっかりしてよ」
触れると爆発する装置を前にしたつもりで、必死に手をひねってお尻に触れないようにしながら手を上げていく。手のひらが一瞬何かに当たった。でも、堅い。お尻じゃない、たぶん、腰の横側あたりだ。触ろうとしたわけじゃないし、はずみだって言えば大丈夫だろう。真琴も特に表情が変わらない。僕は何とか手を上げることに成功した。
上げたら上げたで、今度は手が疲れてしびれてきた。
「手が疲れたよ」
「もう、あんた探偵に向いてないよ」と真琴があきれ顔で僕を見つめる。
いや、あの、ものすごく近いって。少しは気にしろよ。
意識してる僕の方が変なのか?
ちょっとだけ冷静になった。
ああ、そうか、僕は男だと思われてないんだ。
だから真琴は冷静なんだ。
飼い慣らされた犬みたいなものか。
犬だったら、雄とか雌とか気にしないもんな。
そう考えてみたら、やっと少しは張り込みに気持ちが向くようになった。
でも、やっぱり目の前に真琴の横顔と髪の毛がある。
女の子をこんなに間近に観察するのは生まれて初めてだ。
何だかよく分からないいい匂いがする。
すごくいい匂いだ。
いや、そんなのかぎたくてかいでるわけじゃないよ。いくら忠犬だからって。
だって、息しないと死んじゃうじゃないかよ。
さっきから僕は自分に言い訳ばかりしていた。寒いのに顔が熱い。
待てよ。僕がこうして真琴のにおいを感じているということは、真琴も僕のにおいを感じているってことだよな。これはまずいだろ。さっき汗かいたし、制服とか、カビくさくないか。
もういろんなことが頭の中を駆けめぐって、わけがわからなくなってしまった。
「ちょっと、あんた」
真琴が僕を見上げている。
「真っ赤だよ」
そりゃそうですよ。しょうがないじゃんか。息が苦しいんだもん。
とその時、僕のおなかが鳴った。
防音設備の整った音楽室に僕のおなかが鳴り響く。
真琴が吹き出して笑う。
「ホント、ヘボ探偵だね。待ってなよ、お菓子あげるから」
巻いていたカーテンをマントを脱ぐように広げて真琴が僕から離れた。やっと解放されて息が楽になった。
「はいよ。食べていいよ」
鞄から真琴が取り出したのは板チョコだった。どこにでも売っている安いやつだ。女子の鞄には常にオヤツが入っているのか。バレンタインだからかと思ったけど、友チョコだってもっとおしゃれなやつだろう。
「いいよ、君のオヤツなんだろ」
「じゃあ、半分ずつにしようよ」
真琴がパッケージごとペコっと半分に折って僕にくれる。
「ありがとう」
「どういたしまして」
さっきまであんなに隠れていたのに、真琴も飽きたのか、ふつうに音楽室の椅子に座って銀紙をむいている。
「誰か来たら張り込みが無駄になるじゃないか」
「もう来ないよ、たぶん」
「なんで分かるの?」
「女のカン」
なんだよそれ。
僕は遠慮無くふつうの板チョコを食べた。くだらない遊びにつきあったんだから、これくらいもらってもいいだろう。あっという間に口の中で溶けて無くなった。ゴミをくしゃっと丸めて制服のポケットにしまった。
「あ、あたし捨てておくよ」
「学校内で捨てたらお菓子持ち込んだのがばれるだろ」
「そっか」
「探偵の助手なんだから、それくらい気をつけないとダメだろ」
真琴がぷいっと横を向く。
「なんだよ、せっかくあたしがチョコあげたのに」
女子の扱いは難しい。
結局、第二音楽室の謎は解けなかった。
というより、そもそも誰も来なかったっていうことは、そんな噂を誰も知らなかったんじゃないのかな。噂はただの噂だったっていうことだ。
一件落着で良いんじゃないかな?
家に帰ったら、姉がめずらしくご機嫌だった。こういうときはかえって危ない。油断大敵。何をたくらんでいるのか気をつけないと。
「あんた、学校でチョコ食べたでしょ」
「もらってないよ」
「食べたじゃん」
「給食のチョコレートプリンのことか。あ、先輩達に味見しろって言われたやつか」
「他は?」
何かあったっけ?
ああ、真琴が半分くれたやつか。
「張り込みの時のオヤツ?」
あれ、なんでねえちゃんが知ってるんだ?
「あんたカワイイくらいアホだね」
姉がそう笑いながら僕にチョコをくれた。
「何味だよ?」
「おいしいやつ」
それは味のことではなく、芸人的な意味だろう。
一つ口に入れる。甘いやつだ。いや、安心するのはまだ早い。これはきっと次に何か刺激が来るんだろう。辛いやつか、シュワシュワするやつか。もぐもぐ。あれ、普通のミルクチョコレートだ。しかも結構高級なやつだぞ。
「なにこれ、おいしいじゃん」
「だってさ、本命チョコに比べたら、何やっても負けるじゃん。だったら、今年から普通でいいやって」
何を言っているんだ?
本命チョコなんて誰からももらってないぞ。
まあいいや、毎年恒例のまずいチョコを食べさせられないだけでもありがたい。
今年はいつもよりましなバレンタインだったな。
「あんたさ、ホワイトデーは三倍返しって知ってるよね」
あ、やっぱり罠だったんだ。高級チョコの三倍は……。
真冬の怪談のせいで財布が風邪を引きそうだ。
翌朝、登校したら、岡崎さんと橋爪さんがニヤニヤしていた。
「おはよう、探偵君」
「結局、第二音楽室の噂はどうだったの?」
「何も起きなかったよ」
「探偵君、チョコおいしかった?」と岡崎さん。
チョコ?
「張り込み中におながすいたんでしょ」と橋爪さん。
「ああ、板チョコ半分のことか」
二人ともくすくす笑っている。
あれ、なんで板チョコ食べたって知ってるんだろう?
「じゃあ、効果あったんじゃん」と岡崎さん。
「何が?」
「探偵君って、鈍感だね」と橋爪さんが両手で顔を押さえながら笑っている。
真琴が登校してきた。
「オハヨ、みんな早いね」
どうやらご機嫌なようだ。
「あ、真琴、おはよう。あの噂は本当だったんだね」と岡崎さん。
「昨日は任務ご苦労さん。ホント、効果ありすぎじゃん」と橋爪さん。
二人がウィンクしている。
「さあ、どうだか」
首をかしげながら真琴が僕の腕をつつく。
「やっぱり張り込みにはアンパンと牛乳だよね」
「そうだな。でもチョコもあるだけましだよね」
真琴の耳が赤くなる。
「あら、マコト、よかったじゃん」と橋爪さん。
「うらやましいわ」と岡崎さん。
「違うよ、何も分かってないよ、こいつ」
三人で僕を見ながら笑っている。
「でもさ、緊張しなかったんでしょ」と岡崎さん。
真琴がうなずく。
「今度うちらもこの作戦使わせてもらうよ」
「でもさ、探偵君みたいな鈍感な相手じゃないと使えないよね」と橋爪さん。
「まあね、うちの探偵は迷う方のメイタンテイだからね」と真琴が人差し指を立てて自慢げに微笑む。
何のことだ?
謎は一つ解決したけど、もう一つ謎ができた?
でも、一つ分かったことがある。
二月十四日は僕には関係のない日だということだ。
「放課後探偵山越雅之」シリーズは他にもありますので、よろしければ作者ページからご覧ください。