魔術師は紅く染まる
とある村だった場所に一つの赤髪の兄妹がいた。
兄の方は魔術師で、妹はまだ年端のいかない幼い少女である。
なお『村だった』というのは比喩でも間違いでもない。
実際に村であった地面は、クレーターのように凹んでいたり、溶けかけの氷塊が刺さっており、燃えている家まである。
そして、一番目につくのは異形な生物の残骸が辺りに散らばっていた。
これは全て青年が放った魔法で倒した魔物を示しており、その数は優に5,000を超える。
さらに不運なことに青年が展開していた結界は完全に破壊されてしまった。
「クソッ……結界が壊れやがった」
青年は悪態を吐きながら、目の前に迫るワイバーンを見据える。
泥と血と汗で全身を汚している青年に向けて、彼の妹は涙を流しながら言う。
「……お兄ちゃん血がっ!」
「大丈夫だ、心配するなサーシャッ!」
口から血を吐きながら青年は、リューザス・ギルバーンは半壊している杖を支えに再び立ち上がる。
サーシャを自分の後ろに下がらせると目の前で口を開くワイバーンに杖を振る。
「雷撃!!」
直線状に放たれた雷の渦がワイバーンの口の中へと入り内部から体を破裂させる。
また一つ屍を重ねてリューザスはサーシャを抱えて高台を飛び降りる。
……リューザスは平民の出の、国お抱えの王廷魔術師である。
彼の住む世界では魔族と人族が争っており、つい最近その戦争が加速しているのだ。
魔王オルテギアが魔王になってから戦況は悪化している。
ひとつ前の魔王は非常に温厚だったらしいが人の世では全く知られていない。
それはともかく、何故リューザスが妹であるサーシャとともに村にいたのか。
その答えは一つ。
魔族たちは足がかりとしてサーシャの住む村を襲い、拠点として活用しようとしたためだ。
魔族が攻めてくれば予兆があるので村人と一緒に逃げれば大丈夫だとリューザスは感じていた。
だが、
「クソクソクソクソクソ。あんのカス共がよォ!!」
それが現実はどうだ。
サーシャをほっておいて村人は全員逃げ出したのだ。
しかもサーシャはリューザスよりも10個も年下の女の子なのに逃げ切れるほどの体力はあるだろうか、否ない。
ちゃんと生活費と世話費も余分に金は払った。
その癖に自分のことばかりの村人にはほんとに反吐が出るとリューザスは舌打ちした。
罠を仕掛けながら二人は王国側の森の方へと逃げ込もうとする。
だが、森にはいる目前に一つの人影が空中から舞い降りる。
この状況で助けに来る人間などいない。
ならば、人影の正体は―――――――――
「サーシャッ! 俺の後ろにいろ!!」
「う、っうん!!」
サーシャを庇うようにリューザスは前に出ると人影は着ていたフードを脱いだ。
赤黒い髪に浅黒いの肌に誇示するかのように頭についている角、魔族だ。
魔王軍だと一目でわかる軍服を着崩していた。
それだけでなく、普通の魔族と違い、魔力の保有量が全く持って違った。
リューザスは犬歯をむき出しにしながら魔族を睨みつける。
「テメェは……”裁断”!!」
「よぉ、王国の魔術師。こっちにやってこねぇから遊びに来てやったぜ」
「チッ! 邪魔何だよォ、そこを退け!!」
敵の切り込み隊長が、今一番会いたくない奴が目の前に現れた。
万全の状態でも勝てるか怪しい相手が待ち伏せしていたのだ。
だからリューザスは一番詠唱が短く、尚且つ高火力の魔法を選び殲滅しようとする。
「土竜牙槍!!」
リューザスは、骨でできた無数の牙で刈り取ろうとする。
しかし”裁断”は微動だにもせず、
「邪魔だ」
剣の一振りで自身を拘束しようとする竜骨の槍を断ち切った。
一歩も動かずに魔法を無効化してのけたのだ。
リューザスは脂汗をにじませる。
(遠距離から何度も魔法を当てていたのに無傷だったのはこの所為かよ………コイツの固有魔法はやっかいすぎるぜ)
四天王である”裁断”の能力は、『魔法を断つ』ということから来た二つ名だ。
どんな魔法でも一刀両断する。
ありとあらゆるモノを分かつ魔王軍の懐刀。
並みの魔法では歯が立たないのはリューザスは十分承知だった。
だからこそ時間を稼ぐ必要があった。
「おいおいおい、たかが一人の魔術師ごときにテメェの軍が半壊してるじゃねぇか?本当に四天王か?」
「安全なところから魔法を撃つだけのカスが口だけは達者だなァ」
”裁断”はリューザスが剣の間合いに入っているため、完全に油断していた。
仮に魔法を唱えられようとも全て無効化できると過信しているためだ。
「だが、魔術師のおかげでこのクソみたいにつまんねぇ侵攻作戦に色が添えられるっていうもんだ!! お前を殺した後にちゃんと王国も滅ぼしてやるよ」
「……そうかよ」
「ああ!そうだ!!」
小さく詠唱を続けながら”裁断”の言葉を聞く。
逆の手でもてる限りの魔石を握りしめながら。
「世の中結局弱肉強食なんだよ!! よえぇ奴が死んで、強いやつが生き残る。これってすげー良い世界じゃねぇか、違うか魔術師?」
「……まァな、否定はしねぇ」
リューザスは笑みを浮かべたままの”裁断”に向けて杖を向けた。
「だからこそ、テメェが死ね――――――」
”裁断”に向けて、最近覚えたての喪失魔法を唱える。
王国の資料室に厳重に保管されていた代物だが、王国十指のリューザスは閲覧する権利を持っていた。
常人なら一ミリも理解できない魔法をリューザスはたった数日でマスターしたのだ。
彼自身が天才であったのも加味されるが、何よりも彼には夢があった。
―――――――『全ては”英雄”になるために』というものが。
「―――――"喪失魔術・災禍葬炎"!!」
「うぉ!?」
”裁断”の反応を上回る速度で、炎を喰らう業火が杖から放たれる。
魔術の速度、威力ともに申し分なかった。
仮に今までの魔物ならば何百体倒してもおつりがくるほどだ。
並みの魔族も一撃で殺害するにも十分すぎる程だ。
……無論、普通の敵ならばの話だ。
今、リューザスが相手にしているのは魔王オルテギアの直属の部下。
部下の中で最強の一角、”裁断”だということが唯一の誤算である。
”裁断”は自身を取り巻く焔を無視し、目を閉じて、自分の気持ちを―――――――心象を思い描く。
目を見開き、鞘に納めていた剣を振りぬく。
「<絶断一刀>」
「なっ!?」
”裁断”の呟いた一言ともに、凄まじい魔力の奔流がリューザスに吹き荒れる。
次の瞬間に目前の業火が真っ二つに引き裂かれ、魔力が完全に散っていった。
周りの木々は燃え尽きていたが、”裁断”自身はローブが燃え尽きた程度で済んだ。
あまりの魔力と威力に近寄っていた魔物も逃げていった。
”裁断”は痛みでやや顔をゆがませながら、
「痛つつ……なんていう威力だ」
「この化け物が」
さすがに完全に威力を消すことは不可能だったようで火傷を負っていた。
リューザスが悪態を吐くと、”裁断”はリューザスに向けて笑う。
「……全く油断ならねぇな。まさか喪失魔術が使えるなんてな」
「それはこちらのセリフだ。テメェ―――――心象魔術が使えるとはイカレてやがる」
「ま、知っていたか。そうだよ、俺は心象魔術が使える」
それは正解だと、”裁断”は手を叩く。
心象魔術。
これは人・魔族関係なく、己の思いを気持ちを心象を現実へと変える魔法。
固有魔術とは違い、魔術の性能は人それぞれ違う。
いうならばピンからキリまで、地獄から墓場までである。
そして、何より大切なのは『貫き続ける心象』がなければ顕現もしないし、維持もできない。
”喪失魔術”と並ぶ、魔術の極致。
炎を二分した”裁断”は決して軽症とは言えないにもかかわらず不敵な笑みを崩さなかった。
先ほどとは一段桁が違う魔力を剣に纏いながら拍手する。
「怪我を負ったのは本当に久しぶりだぞ。魔術師だと舐めていると駄目だってことが分かったぜ」
「チッ、無駄に丈夫なクソ野郎が……」
「おっと、もう魔法なんか唱えさせねぇぞ」
”裁断”は距離を取ろうとするリューザスに向かって真正面から斬りこむ。
杖で初撃を防ぎきるが二撃目、三撃目をまともに受けてしまう。
リューザスは血反吐吐きながらも詠唱を始める。
「高位治―――」
「おせぇよ、バーカ!!」
回復をしようと試みた瞬間にリューザスの視界がブレる。
遅まきながら、顔面を蹴り飛ばされたことに気づいた。
体力はとっくに侵攻を止めるのに尽きていた上に、魔力も魔石頼りになっているほどに枯渇していた。
本当ならリューザスは後方に撤退して魔術を使いたかったが、サーシャがいるためにできない。
「ゲホゲホッ、回復する暇さえあれば……」
「魔術師は黙って攻撃魔法を使えば? それしか能がねーんだからよ」
「……」
”裁断”の言う通り、実際に回復魔法に魔力を割いている余裕はない。
だが、仮に相打ちで倒せたとしてもサーシャは一人で魔王軍から逃げ切れるのだろうか?
(無理に決まってる。だったら俺が生き残ってサーシャを助けないと……)
”裁断”を倒して、尚且つ自分は生き残る。
非常に難しいがやるしかない。
リューザスは二足でしっかりと大地を踏みしめ、血だらけのローブを翻して真正面から”裁断”を見据える。
「安心しろ。テメェだけは絶対に殺す、どんな手を使ってでもなァ!!」
「あっそ。じゃあ――――」
「な!?」
黒い一陣の風が吹いた瞬間に”裁断”がリューザスの背後に移動する。
全く反応ができない速度だった。
「後ろの女は殺していいってことだなぁ?」
「あ、え?」
何かの魔術の類で高速移動をしたのだろうか。
木の陰に隠れていたサーシャは、突然現れた”裁断”に目を白黒させていた。
「へぇ、お前の女ってところか……コイツを殺したら楽しくなりそうだなぁー!」
「サーシャッ!! 逃げろ!!!」
「え、え?」
リューザスの顔を見て、”裁断”はさらに口角を上げ、一切の加減なしに剣を振り下ろそうとする。
サーシャは剣の鈍い煌めきの恐怖によって一歩も動けなかった。
間に合わないと何処かで考えながらも、リューザスは叫ばずにはいられなかった。
”裁断”はゆったりとした動きのまま剣を頭上に掲げる。
「残念だな魔術師、お前は弱い。なら――強い俺に何をされても、文句は言えねえよなぁー!?」
「やめろぉぉぉぉ!!!」
リューザスが駆け出すがもう遅い。
”裁断”は持っていた剣を高速で振り下ろす。
簡素な蒼色の剣がサーシャに迫る。
慈悲も容赦もなく、完全な本気の一刀。
リューザスが使える最速の魔法でも”無効化”されてしまう上に、威力が足りない。
完全に打つ手なしだ。
(誰か、誰でもいい! 俺の命なんてどうでもいいからッ!! 助けてくれっ!!!)
そう願わずにはいられなかった。
だが、現実は非情だ。
現にサーシャは村の奴らから見捨てられ、頼みの綱の勇者は断られた。
もう彼を救う者などここには――――――
「そんなことはさせない!!」
「おっ!?」
”裁断”とサーシャの間に割り込んだ人物が一人。
凶悪な蒼撃を深紅の片手剣で両手を使って防御した。
「くっそ重たいな!! おらっ!!」
黒い髪を持つ少年は悪態を吐きながら、”裁断”の剣をなんとか押し返す。
乱入者に戸惑いを隠せない”裁断”は少年に尋ねる。
「あ? テメェは誰だ?」
「俺の名前は天ツッ」
名前の途中で盛大に噛んでしまったのは、王国で呼び出された異世界勇者。
リューザスを見捨てた、嫌いな勇者だ。
「……アマツか。聞いたことねぇ名前だな」
「最後まで聞け!!」
”裁断”が勝手に納得するのを伊織はツッコミを入れる。
「どうして、だ。なんで今更助けに来たんだよ!!」
「『どうして』か」
こんな状況でもリューザスは伊織の言葉を忘れてはいなかった。
『そんなの知ったことか』と。
ボロボロのまま伊織を詰ると、困ったような顔でこう返した。
「人の泣き顔を見たくなかったから」
普段なら鼻で笑うようなことを素の表情で伊織は言った。
何かを吐き出すように続ける。
「そんな顔が笑顔に変わったらどれだけいいかって思った! だからここにいる!!」
「ハァ!?―――――自分勝手なこと言うなよ!!テメェはサーシャを一度見捨てたじゃねぇか!!!」
「サーシャ? この子のことか?」
リューザスの言葉、伊織が背後を見るとサーシャはこくこくと頷いて答えた。
「アマツ、さん。本当なのですか?」
不安そうな表情なサーシャに向けてかける言葉は、伊織には残念ながらない。
伊織は自分本位でいたいけな少女の命を諦めたのだ。
確かに一度犯したことは決して戻らない。
全ては後の祭りだ。
「あぁ、事実だ」
だが、まだ全ては無理でも少しは取り返せる。
そう伊織は信じている。
「でも、あんたもサーシャも絶対に助けて見せる!!」
そう言い終わると、リューザスから目を離し”裁断”を見据える。
”裁断”は退屈そうな表情をやめて、閉じていた目を開く。
「話は終わったか、アマツ?」
「……わざわざ待っててくれるなんて優しいんだな」
「はっ、少なくとも安全なところから魔術を撃つだけの臆病者よりかは唆られるからな」
「そうかよ」
そして、伊織は片手剣を肩に乗せて上段に構えた。
”裁断”はそれに合わせて剣を下段へと向ける。
「アルファルド・レゲンデーア」
「え?」
柄に手を置いたまま、”裁断”はそう言った。
伊織が突然のことに口を開けたままでいると、アルファルドは顔を不快そうにする。
「……俺が名前名乗ったんだから、テメェも名乗れよ。ちゃんと言えてなかったんだろ?」
「ああ、そういうことか」
所謂、これから本気の殺し合いをするから名乗っておけということなのだ。
言い換えるならば、伊織へと最大限の敬意を払っているのが分かった。
だから伊織はアルファルドから目線を逸らさずに真正面から名乗る。
「俺の名は天月伊織だ」
「なんだ。結局、アマツでいいじゃねーか」
「自分から聞いといてそれか!?」
伊織は思わず、アルファルドにツッコミを入れてしまう。
かなり理不尽な理由なのもあるせいだが。
もしこれだけだったら、今からお互い殺し合うと誰が予想しただろうか。
「おい、アルファ」
「……名前が長いからって短くしやがったな。なんだ?」
「今からでも遅くない。軍を連れて引いてくれないか?」
「嫌だね。ここで逃げたら、オルテギア様から大目玉喰らうだけじゃ済まねぇよ。それにな、」
今まで見た顔の中でとびっきりの笑顔でアルファルドは笑う。
「俺は戦うことが好きだ。だから『戦うこと』からにげることはしねぇし、俺に撤退、敗北の言葉はない。勝利か死だ」
「……そうか」
『戦いたい』という言葉は、全く理解しがたいものであった。
その願いは歪で壊れてて狂っているが、伊織はアルファルドを一瞬尊敬してしまった。
なぜなら、自分には持ってない自分の『信念』という物がそこにあったから。
だが、この場所で引けないのは伊織も同じだ。
今、伊織が持っているのは『退紅の太刀』というレンヒの愛剣である。
レンヒが「持って行け」と渡してくれたのだ。
伊織がアルファルドに勝てるとそう信じて。
その期待を裏切ることはしたくない。
「負けられない……だから、ここで俺が勝つ。アルファルド、お前を――――――――――――――――――殺す!」
「ああ!かかってこいよ、アマツ。お前の持つモンを全部俺にぶつけてみろよ!!」
伊織が地を蹴ると同時に”裁断”も動き出す。
数瞬のちに、禍々しい蒼と炎の如き紅が激突した。
その時伊織の右腕にある『勇者の証』が微かに光っていたということは誰一人、まだ知らない。