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作家≠脚本家

溜め込む前に吐き出すスタイル。

作家は脚本家ではない。

作家は監督である。


この意味がわかる方は、もはやこんな駄文は読まれなくても問題はない。

むしろ時間の無駄なので執筆に戻っていただきたい。いや、ホントに。



さて、これから記するのは、個人的見解を含む物である。よって正解では無い可能性がある。

正解というものも、主観に依るのだ。



まず脚本家とは何ぞや?というところから、始めよう。


「主に映画・テレビドラマ・アニメ・ゲーム・舞台・ラジオドラマなどの脚本を書く人のことを指す」

wikiより抜粋。


つまりはシナリオライターだ。

脚本家をご理解いただけたろうか?



では作家とは何ぞや?


「継続的に小説作品の著述・発表を行っている者」

wikiより抜粋。


つまり、あなた、を含め、小説を書いている人、だろう。

文字で物語を構築、語り、読者を楽しませる方々だ。



脚本家と作家の違い。わかるだろうか?



脚本家とは、いわば台本、ストーリーラインを作るのが仕事だ。

そこに映像はない。

場面設定は作るが、そこまでだ。


監督はここから手を加える。

脚本家が意図する場面の風景を決め、それをどこから映すかを決めるのだ。

背景に対する登場人物の位置。どこから撮れば一番効果的なのか。

それを考える。

必要ならば小道具も用意する。



小説も同じだ。

場面を決めただけではただの静止画だ。そこに人物が写り込み、動きが発生し、話が動いていく。

この時に、この場面をどこから撮るかで印象が変わる。


向かい合う男女。

引きで撮るのか、アップで撮るのか、どちらかの目の位置で撮るのか、はまたま頭上から撮るのか。

固定なのか稼働するのか。



脚本家には決定権はない。監督の権限だ。



【小説家になろう】でたまに聞く「何から書いて良いかわからない」という言葉。

多分、頭の中に映像が浮かばないんたと思う。

恐らくコレが作家が脚本家ではなく監督である証拠だ。


作家はエンターテイナーなのである。

場面をより魅力的に映す必要もあるだろう。

作家の映す、とは言葉で表すのだ。

視点を考慮して。

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