5話 牢屋
『私は覚えている
古き時代に生まれた巨人のことを
九つの世界、九つの根
あの宇宙樹を
私は忘れない』
-巫女の予言 記憶の回想-
顔に冷たい感触が広がる。遠くで誰が話しているのが聞こえる。アキは飛び起きると周りを見渡した。窓はない暗く狭い部屋、見えるのは鉄格子だけ。どこかの地下牢のようだ。
「クロボどうなってる!夢でロキに会ったぞ!状況を説明しろ!」
アキの怒声にキーキー声がやっと答える。
「アキ様!少し声を落としてください。夢でロキ様に…?よかった、それは神託です。困難に立つ英雄に契約神が助言と激励を与える特別な夢です。ロキ様はなんと?」
「腕時計の使い方を聞かれた」
「すいません、ちょっとよくわからないのですが?」
「俺が契約の時に渡した腕時計の使い方を聞いてきたから教えた。それだけだ」
投げ捨てるように言葉を吐くと、クロボは言葉を失っていた。少しの間二人は何も話さなかった。沈黙を破ったのは我慢できなかったアキだ。
「それで?」
「申し訳ありません。神託はそんなことのために使うものではないんですが、ロキ様ですので…。今の予想される状況を話します」
「数年前、聖都で毎年開かれるぶどう酒の奉納祭でのことです。ロキ様も訪れ、たいへんお飲みになられました。上機嫌になられたその後、式典用の花火の保管蔵に火をつけたのです」
「なんでだよ、まったく話繋がってないけど」
「ロキ様ですから、理由などないのでしょう。もちろん爆発し、奉納祭はパニックに、ロキ様はそのまま国の宝物庫に向かい、いくつかの宝物を持ち去った後、鍵をめちゃくちゃに壊しました」
「それも理由ないんだろうな…」
無言で肯定の意を表す。アキはこの時点で恨まれるのは当然だと思っていたが、クロボはさらに続きを話し出した。
「たいそう機嫌のよくなられたロキ様は、避難するユトランドの王の前に現れ、国宝であるニーズベルンの指輪を奪い、王妃を蹴飛ばしてから姿を消しました」
「…なんでそんな大事件を捕まるまで忘れてたんだよ!」
アキの追求に、クロボは本当に申し訳なさそうに答える。
「その…今回の事件はロキ様にとって日常茶飯事なものです。死人も出ていませんし、宝物が数点と国宝が一つ無くなった程度、この事件は人間にとっては大変でしょうが我々にとって気にすることも…」
呆れていた。ロキにとっては気まぐれなことなんだろう。気にも留めないことなんだろう。しかし、このせいで今、被害を受けているのは自分なのだ。アキはロキに対して怒りは湧いてこなかった。諦めの気持ちの方が強かった。そういうやつなのだ、自分の契約神は。これから先行く場所で毎回こんな扱いを受けるのだろうか、そんなことを考えたら頭が痛くなった。
「ロキ様にとても友好的な場所もありますよ!バル自治区では、神々の中で最も崇められてます」
「それ、どんなとこなんだよ。スラムとか泥棒の国とかだろ」
「その…犯罪がない場所です」
クロボは気持ちを察したのだろう。慰めるように話をするが、かえってアキの気持ちを落ち込ませるだけだった。犯罪がない場所?ばかいえ、それは法律がない場所だ。つまり全員犯罪者、何やってもオッケーな場所、流石ロキ、素晴らしい場所で崇められているもんだ。
「クロボ、この後どうなる?」
「指輪の場所を聞かれるでしょう。答えなければ拷問されると思います」
「でも俺は何も知らない!ロキは夢の中でオーディンが持ってると言っていた!」
悲痛な声で訴える。クロボはゆっくりと言葉を選びながら、先の話の続きを話しはじめた。
「確か、そのすぐ後のことです。たまたま人間の国で二人は出会いました。会ったすぐに、ロキ様はオーディン様の帽子をたいへん面白がって馬鹿にしました。からかい、最後には『これがお似合いだ』とおっしゃって馬の糞をオーディン様の帽子にぶつけ、激怒したオーディン様に許しを請い、指輪を差し出したのです」
「あ、アホすぎる…」
「不敬ですよ!ロキ様の尺度は人間には理解できないのです」
見えてる地雷を踏むどころではない。自分で爆弾を作ってそれを目の前で爆発させて楽しんでるのだ。理解できない。
「拷問されるのはなんとかならないのか?」
「拷問といえば、ロキ様は時々わざとつかまって苦しむふりをしながら途中で拷問官と入れ替わって楽しむのが好きでしたね」
「そういうのじゃなくて…」
アキは溜息を吐きながら鉄格子に寄りかった。外を覗くと、離れた場所に明かりが見え、人影と、かすかに話し声が聞こえる。
「これどうするんだよ…見張りも当然いるし…」
鉄格子の扉に手をかけるとカチャリと音が鳴った。アキはある予感を感じた。やはり鍵が開いている。声を潜めてクロボに話しかけた。
「鍵が開いてるぞ」
「ロキ様の【盗人】の力の顕現でしょう。あの方にとって宝を守るどんな扉も錠も鍵も意味をなしませんので」
「見張りがいる。なんとかならないか?」
クロボが腰で少し震えると、突然灰色のマントが地下牢の床に現れた。
「灰色鼠の衣です。姿を隠し、気配を薄める力を持ちます。ロキ様はこれを出来の悪い泥棒に貸しあたえ、絶妙なタイミングで効果を消してしまう遊びがー--」
「ロキの遊び方はいい!」
アキは素早くマントを羽織った。すると自分の存在が希薄になったような感覚がした。できるだけ音を立てずに鉄格子の扉を開け、体を滑り込ませる。
「大丈夫なんだろうな?」
「効果は保証します。アキ様の姿は、普通の人間には見えることはありません」
目の前を通り過ぎたが、見張り番には本当に姿が見えていないようだった。足音に気をつけながらできるだけ急いで地下牢を抜け、階段を上がった。扉には鍵がかかっていたが、触れると錠はすぐに開いた。
「気をつけてください。姿は見えなくとも、実体や音はありますので」
「分かってる。急ごう」
扉をわずかにずらして外を確認し、二人は地下牢から脱出した。