第一章 レーション不足3
同住宅街のとある一角。ひときわ大きな正方形の建築物、かつての市民図書館。
窓が少ないので、館内は薄暗くて埃っぽい。
無駄に広くて掃除もろくにされていないため、図書館は塵と汚れで荒れている。死蔵した本の墓場みたいな感じだ。
そんなほとんど人気のない空間で、ちっぽけな少年――ユアは受付の椅子に座って日課の読書をしている。
ユアは本の虫だ。近くの自宅からほぼ毎日この図書館へ通っている。入口に鍵なんて掛かっていないから、出入りはいつでも自由だ。最近は館内に食べ物を持ち込んで一晩中読書をしたりしている。
ここにある本をいつかすべて読破する、というのがユアの夢だ。そのためにはまだまだ山ほど本を読まなくてはならない。しかし、焦る必要はい。時間はたっぷり余っている。
いつも通り読書に熱中していたら、唐突に原因不明の横揺れがユアを襲った。
周囲の本棚も一緒になって僅かに振動する。
揺れはやがて治まり、ユアは不審に思って顔をしかめた。地震、というわけではなさそうだった。晴れているのに、遠くで落雷のような音も聞こえたし。
周囲に異変がないか心配になったが、本棚が倒れているようなことはなかった。代わりに近くの本が数冊、床へ落っこちていた。
歩けばすぐの距離だし、元の本棚へ戻してやることにする。
ユアは読み途中の文庫本にしおりを挟んで閉じ、久しぶりに椅子から離れた。しばらく丸くなって読書をしていたから、姿勢はやや猫背気味だ。しぶしぶ床の本に手をつけていたら、入口の方に見知った人物が現れた。
ユウナだ。
随分ラフな格好をしていて、どうやら部屋着のまま家を飛び出してきたらしかった。肩からショルダーバッグを下げている。目の前のユアに気づくと軽く手を上げて、耳につけていたイヤホンをポケットの中へしまった。
彼女が図書館を訪れるなんて珍しい。
「久しぶり。朝から通ってるんだね」
ユウナが先に口をきいた。
「うん、最近は」
ユアは答える。
ユウナが自分のそばまでやってくると、ユアの頭は彼女の肩辺りに位置していた。ユウナとは年齢が離れているから、身長差もそれなりにある。
一体、何の本を探しに来たのだろう。
ユアは少し思案して、
「音楽の参考書ならあっちだけど」
と、遠くの本棚を指さした。
ユウナがギターを弾いていることは知っていた。住人の間だと、作曲を密かにやっているという噂もある。
ユウナは周囲の本棚を見回しながら、「ううん」と頭を振った。
「違うの?」
ユウナは頷き、
「今日は、何冊か小説を持ち帰ろうと思って」
「どんな小説?」ユアは問う。
「気分転換の足しになれば、面白いやつなら、何でもいいんだけど」
かなりぼんやりとした答えが返ってきた。
「ふうん……」
拾った脇の本を元の場所に戻しながら、ユアは、曖昧なイメージのまま目当ての本を探すのは難しいだろう、と思う。数十分経っても小説を選びかねているユウナの姿が容易に想像できた。
手っ取り早い解決策がある。
「だったらさ、僕の家にくる?」
面白かった本はいつも自宅へ置いておくようにしている。
ユウナは眉をひそめて一度首を捻り、それから意図を理解したみたいだった。
「それは、とてもいい考えだね」
「じゃあ決まりで」
話がまとまって、ユアは本のかたずけを少しだけユウナに手伝ってもらうことにした。
背が高いと本棚の一番上の段まで手が届くのでやっぱり便利だ。早く大きくなりたいし、丈夫になりたいと思う。しかしユアは小食なので、体の栄養がイマイチ足りていないのではないか……と、ふと心配になった。食糧は、もともと少ない。
「先に行ってるよ」
「あ、待って」
かたずけが済み、入口へ歩き出したユウナにせかされた。ユアは受付に置いてあった文庫本を掴んで彼女を追う。文庫本はショルダーバッグの中に入れてもらう。外の日差しに眩暈がして立ちくらみ、それから自転車の荷台に乗せてもらい、二人は図書館を後にした。