鉄塔のとり追い達
後に残るのは、さく兄ただ一人になった。
鳥を放し、(それも説得のうえでしぶしぶだった)鉄塔から降りて来た牧野さんは傷だらけだった。
その姿を佐久間のおばさんは恐ろしそうに見つめ、牧野さんのお母さんはわんわん泣きながら抱きしめた。
「おばさん……さく兄は鳥追いになるんだね?」
僕は隣に立ち尽くすおばさんにそっと声をかけた。おばさんは僕の方は見よとはせずに、無言で頷いた。
鳥追いはこの地方に残る特殊な仕事だ。
鳥使いとも呼ばれる。
天空から舞い降りる、人ならざる二羽のトリの子を持つ者だけが鳥追いと呼ばれる。僕が知っているのはそれだけだ。
鳥追いがなんの為にトリの子と共にいるのか。それだって面白可笑しいうわさ話でしか耳にしない。ましてや一般人が目にするトリの子は既にひとの子の姿をしているから、彼等が天から舞い降りた鳥だというのは、お伽草紙になっている。
僕も実際この目で見なければ信じられないところだった。
真白の光りはさく兄の周りで、まだ煌めいている。
白い鳥たちはさく兄の周りを、飛び回っている。そのうちの何羽かは、さく兄の頭すれすれを飛ぶ。その度に捕まえようとするのだが、器用に鳥たちは己に伸ばされる指先をかわしていく。
飛び交う鳥が多すぎて、さく兄の姿は合間にしか窺い知れない。
「さくまあ!」
猫背の男が叫んだ。
「なにちんたらやってんだ!がっと、いけ!がっとだ!」
説明になっていない説明をすると、男は舌打ちと共に眉間の皺を深めた。
空が眩いのは白い鳥の光りだけではない。
雷はいっかな止む気配がない。落雷の間隔は短くなっている。
変わりに真白の光りは少しずつだが、弱まってきているように思えた。
「さく兄、早く!光りが消えちゃう」
僕の呟きに、男が、「おい、さくまあ!早くしろ!弟が心配でぶっ倒れるぞ!」
男の言葉にさく兄がちらりと下を向く。駄目だ。危ないから集中しなきゃ。
僕がそう思った時だった。
一際大きな鳥が頭上から急旋回をしながら、さく兄の頭めがけて落ちてくる。
気がついたさく兄が両手を掲げる。それを待っていたかのように、まったく別の方向から一羽の鳥がさく兄の足めがけて突っ込んできた。
さく兄の運動神経なら、どちらか一方をよけられたはずだ。
なのに敢えてさく兄はそのまま足を犠牲にした。鳥の鋭利な嘴がさく兄の足を刺す。
おばさんが耐えきれないように、短い悲鳴をあげて野原に突っ伏した。
僕は目を瞑れなかった。最後まできちんとさく兄の姿を見なければならないと思ったし、頭の芯はしびれた様で、躯を動かすことはかなわなかった。
さく兄は足から血を流しながら、頭上の鳥を両の掌で捕まえた。
「よしっ!」
猫背の男が拳をつきあげ、飛び跳ねた。
けれど一羽じゃあ試験にパスできないはずだ。この男がさっき言ったばかりだ。
僕の非難めいた目つきに気がついたのか、男はかんらと笑うと、「大丈夫だ。佐久間はやり遂げる。見ていろ」
そう言いながら僕の背中をばんばんと叩いた。
貧弱な躯に似つかわしくない力強さだった。
男の言う通りだった。一羽を捕まえたさく兄の行動は驚く程速かった。
手にしている鳥の足を掴むと、力任せに真横に振ったのだ。出鱈目にみえる力業だった。
猫背の男が高らかに口笛を吹く。
鳥を振り回した反動で、さく兄の躯も微かに揺らめく。しかしいっかな気にすることなく、さく兄は降りまわした鳥とぶつかり、空中でふらつく別の鳥に手を伸ばした。
さく兄は二羽目を捕らえると、思いきりよく鉄塔から飛び降りた。その背後で稲妻が光る。
危ない!!
僕の心臓がぎゅうと縮み上がる。
さく兄の捕まえた鳥は、いっかな翼を広げない。
見ようによってはさく兄に捕まったまま、ぐったりと項垂れているようにも思える。
ぶつかった衝撃が強すぎて、もしや気を失っているのではないだろうか。
そうならさく兄はあの鳥たちと共に地面に叩き付けられて、ぺしゃんこになってしまうのか。
おばさんは地面に蹲ったままだ。
親方は拡声器を片手に真剣な眼差しで、落下するさく兄を目で追っている。
猫背の男がいち早く、さく兄の落下地点へ駆け出した。
「さくまあ!乗れ!一層のっちまえ!」
のる?
そんなことができるもんか。いくら鷹くらいの大きさがあるといったって、所詮は鳥だ。なにをいい加減なことを言うのだと、僕は男に八つ当たりしそうになった。
だが男の言葉は正しかった。
空中でさく兄が掴んでいた一羽のーー多分最初に捕まえた方だ。鳥から手を離した。もう駄目だ!僕は見ていられずに、思わず目を瞑ってしまった。
閉じた眼裏いっぱいに、しろい光りが弾けた。
それは閉じた瞼のうえからでも突き刺さってくるかのような、恐ろしい程の眩い閃光だった。
なにがおきたのだろう。
掌をかざし、うす目を開けた僕の視界には辺りを照らす光りだけが、殷々(いんいん)と満ちていた。
風も雷もやんでいる。
音さえも消えた世界に、しろい光りが雪のように降りそそいでいる。そのなかを信じられぬ程大きな、まっしろな怪鳥がゆっくりと旋回している。
怪鳥の背に乗っているのはさく兄だ。さく兄の周りを、怪鳥の速さに合わせ、飛び回るもう一羽がいる。さく兄に寄り添うように飛んでいる。
その姿は、古い教会に、人知れずひっそりと眠っていた宗教画のような厳かさだった。
親方の声が拡声器を通して、辺りに響く。
「合格!2号!」
降り注ぐ光りは、すすきの上に舞い散ると、蛍のように淡い点滅を繰り返した。野原一面が、ぼうと輝く光りに包まれる。
阿呆みたいに口を開けて、しろい世界を見上げる僕の横に、おばさんがいつのまにか並んで立った。
おばさんは声をあげずに、はらはらと泣いていた。
「 鉄塔のとり追い達 」 完
原稿用紙換算枚数約28枚