8月3日 床屋にて
営林局住宅はすぐにもみつかった。
五階建ての集合住宅が三棟並んでいる。
お婆さんはうらと言った。だから僕は住宅裏にすぐあるのだろうと思い込んでいた。なのに、住宅の裏手に広がるのは林だ。
空き地なのか、営林局の管轄している土地なのか見当がつかない。
見渡したところ柵はない。
林には分け入る小道がある。
ここを過ぎればいいのであろうか。
迷いながらも小道を進んだ。
雑木林である。
雑多な樹々が枝を伸ばしている。青緑の葉が折り重なっては、夏のひかりを閉ざしている。なかへ入ると思ったよりも、うす暗い。
太陽を遮ぎり、地面は湿り気をおびている。辺りはせいせいとした匂いで包まれている。時折思いだしたように蝉が鳴く。
蝉といっても内地の蝉ほどの勢いはない。多分まとまった数が少ないのかもしれない。
風が吹く。
生い茂った葉が、ざざと風に流れる。
林はみかけ以上に奥行きがあった。行けどもいけども。尽きることがないように思えてくる。
やがて。屹立する樹々の合間に、規則正しく動くものが目にはいった。
赤。しろ。青のだんだら縞ーー三色サインポールだ。
床屋のしるしが木立の合間に何本も立ち並んでいる。
背の高いものから、低いもの。アンティーク風のもの。真新しいもの。それら全てがくるくると緩慢な動きを繰り返している。
どこから電源をとっているのか、地面を這うコードは見つからない。それなのに廻り続けているのは、実に奇妙な光景だ。
僕は及び腰で小道をいそいだ。
サインポールに隠れるように、小柄な影があるのに気がついた。影は豆まきで使うような紙の鬼のお面をしている、小さなおとこの子だ。お面は一本角の赤鬼だ。
おとこの子は、サインポールに隠れるようにしながらも興味しんしんといった風に、ぼくを追ってくる。お面越しに随分熱い視線を感じる。
僕は居心地の悪さを感じた。
このちょっと不可思議な場所から回れ右をし、雑木林を抜け、アスファルトに覆われた安全な日常へと帰ろうか。
僕にそんな迷いが生じた時だ。
僕は木立に隠れるようにして建つ床屋を見つけてしまった。
和洋折衷の下見板張りの造りをした古い木造一軒家だ。一階が和風で二階が洋風の造りをしいている。
看板には『髪どころ/鯖屋』とある。
勿論店の前でサインポールも廻っている。
しかし魚屋でもないのに、鯖?
僕には余り理解できないネーミングセンスだ。店主の趣味と床屋としての技術が比例しないことを願って、僕はとりあえずドアを押した。
軽やかにベルが鳴り、僕は鯖屋へとはいっていった。
現れた室内風景は、実に床屋らしからぬ床屋であった。
床は板張りであるが、フローリングという類いのものではない。なんだか木造小学校に迷い込んでしまった様な錯覚を覚える木目である。
無論教卓や、子供用の背のひくい椅子はない。
変わりにコの字型に、布ばりのソファーセットが置いてある。ソファーには順番まちのお爺さんばかりが五人座っている。
店内に流れる曲は、甘い、かすれた声のフレンチポップスだ。
どこかが、少しずつずれまくっている店だ。
「いらっしゃい」
はんなりとした声がかかる。
おんなの人だ。
三十代はじめくらいだろうか。
赤茶の着物のうえから真っ白い闊歩着を着たおんなの人が、艶やかに笑いかけてくる。手には剃刀を持っている。泡だらけのお爺さんの顔を、今まさに剃ろうとしている。
僕が突っ立っていると、ソファーのひとりが、「兄ちゃん座れば」と尻をずらしてくれる。
「どうも」
頭をさげて、隣に腰かける。
僕はソファーに落ち着いて、改めて室内を見渡した。