伍/とり屋の男
「池のおんな」の後日談となります。
「鉄塔のとり追い達」の登場人物がでます。
夕刻。
太一が勤務先の駐輪場をでると、電柱にもたれるようにして、見知らぬ男が立っていた。
背が高く、痩せぎすだ。
ながい手足を持て余すようにしている。
まだ春のあさい季節だというのに、派手な柄の、てろりとした半袖シャツに、足元は雪駄である。目深にかぶった帽子で、顔は見えない。
妙ちきりんな成りに、これは目を合わせないように素通りしようと、太一は視線を外したが、そのかいもなく、「お、いた。いた!」
男が陽気に太一にむかって声をはりあげた。
こんな知り合いはいないぞと、用心しながら男を見ていると、足取りも軽やかに近づいてくる。そのまま太一が乗ろうとしていた自転車に、男は手をかけた。
「なにをするんです」
驚きつつも、咎める声をだすが、男はいっかな意にかえさない。
「まあまあ」
と、言いつつしゃがみ込み、べたべたと車体を探る。なにをしているのであろうか。
太一の懸念は、男の、「あった、あった」と弾む声に遮られた。
「おい!あった」
男はそう叫ぶと、立ち上がり、頭上にむかっておおきく手を振った。
太一もつられて上を向く。
電信柱のてっぺんに、子供がいる。ちょこんと座り、脚をぶらぶらと動かしている。
気のせいか。
その脚がどうにも、変てこに見える。
子供は男の言葉に、待ってましたとばかりに、電柱のうえに立ち上がった。
危ないとか、どうしてそんな場所にとかいう前に、子供はふわりと宙へ身を投げた。
度肝が抜かれた太一は顔面を蒼白にしているが、側に立つ男は平気のへいざである。
子供はつつと、電柱の側面を駆ける様にくだってくる。
足に吸盤でもついているかのような、俄には信じられぬ、ひと離れした動作であった。
太一の目の前に立った子供はおかっぱ頭の五歳くらいの女児だ。
まるい目をした可愛らしい顔だちをしている。だというのに、目つきはきつく、剣呑である。
吸盤がついているかと思われる足は、間近で見るとふつうと違う。
太一の気のせいなどではなかった。
あし首から下が、黄色い鱗で覆われている。
とり脚だ。
「ほし。こっち。ここ見て」
男が太一の自転車を指差す。
以前の持ち主である「いわやま豆腐」の錆びの浮かんだプレートを指先で突いている。男の手元を覗き込んだ女児が顔を輝かせ、うんうんと深く頷く。
何事かと太一もかがんで覗き込んだ。
プレートに奇妙なものがへばりついている。
それは唐草模様を描くみどり色で、表面がぷくりと盛り上がり、あろうことかほんの僅かではあるが、蠢いて見える。
「なんですか?これ?」
太一の質問に、男は視線もよこさずに、「この子の忘れ物」
そう言うと、子供の腕をそっと握った。
男にうながされ、近づく子供に反応しているかのごとく、プレート上の唐草模様も動く。子供に向かって、這っていく。
これは植物ではなく、生き物なのか。
だとしたら、これまた大変怪しいものだ。
太一は固唾をのんで、見守った。
唐草模様のみどりは、子供に触れるやいなや、ぺたりと肌に張り付いた。
途端。
目にもとまらぬ速さで、子供の躯中に広がっていく。
「これは一体……」
息を飲む太一に、男は、「トリの子の葉紋だ」と、言う。
「先日仕事の際に、落としてしまって、すっかりまいっていたんだ。まさかあんたの自転車にへばりついていたとは。おい。ほし良かったな」
葉紋はぐにぐにと、緩慢な動きを繰り返しながら、子供の躯に馴染んでいく。最初の大きさはすでに無く、子供の華奢な首筋に掌大になって蠢いているだけとなった。
「……ありがとう」
ほしと呼ばれた子供が頭を下げる。女児には似つかわしくない、掠れたひくい声であった。
「トリの子は躯に葉紋をいれていないと、色々厄介なんだ。ほしの場合は声がでない」
「……ああ。そうなんですか。いえ、それよりも」
納得しながら、太一は幾分むっとしながら、男に向き直った。
「もしかして、あなた先日怪しい池にいたひとですか?」
「ああ。そうだけど」
男は悪びれもせずに、けろりとした顔で頷く。
あの時は木立に紛れて定かではなかった。
今も目深にかぶった帽子のせいで分からなかった。
太一が直接被害をこうむったのは、池のおんなだ。
しかしあの奇妙な場にいて、この男は腰をぬかして、茫然自失とした自分を置いて、姿を消したのだ。
八つ当たりだとしても、太一としては憤懣やるかたない。
男も太一の形相に、思い当たる気持ちがあるのか、「いや、あのときは大変だったな。元気でなにより」と言う。
そんな上っ面の言葉で、誤摩化されるものか。太一は語気荒く言いつのった。
「ええ。大変でした!全くもって酷い目にあいましたとも!」
男がちょっと驚いた感じで、目をまるくする。随分うすい目の色だ。
「いやあ、まあ、そうか……うん」
男は言葉を濁すと、困ったように口もとを人差し指でかく。
その様子に、
「カラスがわるい」
男を見上げて、すかさずほしが言う。
「おやかたにも、それでおこられた」
「親方?」
太一が言葉を繰り返すと、ほしがこくんと頷いた。
「ああ。順番逆だけど。俺こういう者で、」
男がシャツの胸ポケットから名刺を取り出し、太一へ差し出す。
腹は立っていたが、社会人のくせで、太一はきちんと両の手で、名刺を受け取った。
名刺には『とり屋 天沢カラス』と、ある。
住所も電話番号もない。裏をひっくり返すと、墨で鳥紋が書かれている。どういう仕掛けか、今書いたばかりのように濡れぬれと、光ってみえる。
「とり屋。天沢です」
男が帽子を脱いで、頭をさげた。